第11話後半

[部室棟:大教室]


「はい、これで今日の授業は終わり! 2人とも、よく頑張ったっしょ」


「も、もう化学式は見たくありませんわ……」


「終わったー! あー、ひなもう眠いよー!」


「あはは……ひな最後の方ウトウトしてたしね」


 試験の解説と解き直しを終え、ついに本日の日程が終了した。


 疲れ切った2人は今にも全身がとろけてしまいそうな具合に、机に体を預けてぐだぁっとしていた。


「わたくし、もう今日は勉強いたしません! 神に誓ってもいいですわ」


「ひなも絶対しないー。もう机と身体がくっついちゃったしー」


「2人ともやる気の落差がスゴイ……! 安心してよ。もう予定表的に勉強はしないみたいだしさ。ですよね、先輩」


「そうだね! 夜も遅いし、これ以上やっても効率悪いし」


 時計を確認する。もう23時だった。


 意識するとドッと疲れが襲ってきた。


 西園寺さんとひなが普段勉強しないのと同じように、僕も人に勉強を教える機会はあまりない。


 慣れないことをすると、案外疲れるものだったりするんだな。


 僕が一つ大きなあくびをすると、先輩がパンパンと手を叩いた。

  

「おーいみんな寝そうになってるっしょ! 起きて起きて!」


「えー、やだよー。ひなもう寝たいー」


「わたくしも日南田さんと同意見ですわ。神に誓って」


「あゆむん神に誓いすぎっしょ……ほら2人とも寝る前にシャワー浴びないと汚いよ。寛も行くっしょ?」


「行きます。というか、学校にシャワーありましたっけ」 


「ほら、学校説明したときにちょっと話したじゃん? 体育館にシャワーがあるんだよ。ちゃんと先生から鍵も借りてるぜ」


 東風谷先輩はジャラジャラとポケットから鍵を出す。


 そういえばそんなことを言っていた気がする。まさか転校早々に使うことになるとは。運動部でもないのに。


 *

  

<足音>


[体育館:中]


 二高の体育館には更衣室が二つあり、男女分かれている。


 以前聞いた通り、更衣室の奥の方にシャワー室があった。

  

「へー、学校のシャワー室結構ちゃんとしてるんだ。流石にシャンプーとかは……」


 見回してみるがシャンプーのシャの字も見当たらない。


 シャの字ってなんだ。


「仕方ない。今日はお湯だけでいっか」


 シャワーの蛇口を捻る。しばらく待つと、温水が出始めた。

 

 聞いた話によると、世の中にはシャンプーを使わない『湯シャン』を行う人もいるらしい。


 何やらシャンプーが肌に合わないとか、シャンプーそのものが面倒だとか──後者は置いておいて、前者の人は可哀想だと思う。


 幸いにして僕は肌が弱くないから普通にシャンプーができるけど、そういった困難を抱えてみんなが当たり前のようにできることができないという人もいるわけだ。


「『普通』は案外難しい、か」


 西園寺さんの言葉を思い出す。


 あまり意識したことはないけど、もしかしたら僕にもあるのだろうか。

 ──他の人が普通にできるのに、僕にはできないというものが。

 

「……あんまりそういうのなさそうだな」


 色々と考えてみるが、思い当たる節が全然ない。


 これまで生きてきて、僕は何か極端に困難を感じたことはなかったように思う。


 親の仕事の都合で転校をこれまで2回しているから、それが困難といえば困難だけど、別にそれは僕自身が抱える困難とは違う。

 飽くまで、外部の要因だ。


 そんなことを考えながら5分はお湯をかぶり続ける。もしかしたらもう少し長いかもしれない。


 お湯だけだとあまり洗えた気にならないけど、流石に5分以上もやれば十分だろう。

 

 最後に身体も念入りに流し、シャワーを止めた。

 

 *

 

<足音>


[体育館:外]


 更衣室を出ると、女子部員たちは体育館の前で待ってくれていた。


「あっ、寛来た。遅かったね」


「お待たせしました」


「女子よりシャワーの時間が長いとは、寛さんも案外少女なところがあるのですわね」


「いや別にそういうことじゃなくってだね」


 かといって湯シャンだったから長くなったとかは言いにくい。ぐぬぬ。


 自分のにおいはさておき、目の前にいるシャワー終わりの少女たちからはなんだか甘い香りがする。


 それに3人とも髪の毛がしっとりとしていて、なんだか少し色っぽい。


 普段は色っぽさから程遠いひなにだって少し大人びたような雰囲気を感じしまい……


 いかんいかん。こんなことをを考えているのを知られたらここに居づらくなってしまう。煩悩退散。 

  

「あー、先輩のバッグ!」


 突然、ひなは僕の水泳バッグを指差す。


 クマのキャラクターが描かれた可愛らしいバッグだ。家にあったからとりあえず持ってきたやつ。

  

「バッグ……? ああ、これ? これは」


「ひなこのキャラ知ってるよー。りらっくすくまさんでしょー」


「わたくしも知っていますわ。寛さんまさか本当に少女趣味を」


「ほえー、寛ってそういうのが好きだったんだ」

 

「そうじゃありませんって。これはたまたま家にあったやつです。小学校の頃使ってたバッグは引っ越すときに持っていっちゃったので」


 記憶が正しければ僕が使っていたのは黒い龍の描かれた水泳バッグだった。

 だからこれは僕のではない。

 

「たまたまで女児向けの水泳バッグ持ってるなんて中々ヤバそうな匂いしてきたっしょ」


「寛さん、犯罪に手を染めてはいませんわよね?」


「ひな、センパイが捕まったら会いに行くねー。ちょっと楽しそー」


「僕の信用ゼロですか!? これに関しては僕にも本当に分からないんですよ。なんで家にあったのかも」


 女児向けバッグを持ってただけでなんでここまで言われなくちゃいけないんだ!趣味は人それぞれだろうに!


 とはいえ、確かにこの歳になって女子小学生向けのグッズを集めてたらそれはそれで怪しいのかもしれない。


 小学生の頃に女の子の持ってる物が羨ましく思えてしまったりするのとは訳が違うのだ。

 

「イジるのもここまでにしておこっか。普通に親戚の子とかの忘れ物じゃないん?」


「親戚の子……の線はなさそうですね。お母さん一人っ子なんで、白結の親戚に会ったことないです」


「近所の子かもしれませんわよ。昔仲良かった子であったり、記憶にないのですか?」


「昔仲良かった子……」


 僕は記憶を手繰り寄せる。


 確かに僕には昔、仲の良かった女の子がいた気がする。

 

 顔も名前も覚えていないけど……なんだかその子のバッグなのではないかという気がしてきた。


 僕の思考を遮り、ひなが声を上げる。

 

「あー! ほらここー。名前書いてるよー」


「マジ!? 見せて見せて!」


「『ゆ』……? 1文字しか書いていませんわね」


「掠れて文字が見えなくなってるだけじゃね? それとも温泉用ってことで『ゆ』?」


「それだと僕のお婆ちゃんが温泉用に女児向けバッグ買ったことになりますね」


「随分若々しいお婆ちゃんっしょ」


「半世紀ぐらい若返ってる!?」


 東風谷先輩は舌をペロっと出して戯けて見せる。

 

 お婆ちゃんが自分用に女児向けの水泳バッグを買うのは想像したくないな……

 あ、でも割引とかで安かったら買ってしまうかもしれない。その可能性もあるか……?


 くだらないことで盛り上がっていると、ひなが何かひらめいたかのように言う。


「もしかしてー、あゆむん先輩だったりしてー。名前に『ゆ』つくの、オカルト部だとあゆむん先輩だけだしー」


「西園寺さんがこのバッグの本当の持ち主? そんなことある? だって僕たち……」


 そう言おうとしたところで僕は一度口を閉じる。


 本当に合ったのが初めてだと言い切れるのか?


 西園寺さんだって、この白結に住んでいたんだ。僕と会っていたとしても不思議じゃない。


「わたくしは……」


 西園寺さんがそう言いかけたその瞬間のことだった。

 

 突風が吹き、西園寺さんの長い髪が吹き荒れる。


 次の瞬間


 <窓ガラスの割れる音>


 耳を突き刺すような音が校内に鳴り響く。

 

「な、な、な、ななんですの!?」 


 突然のことに、西園寺さんはパニックに。


 その場から一目散に逃げ出してしまった。


 ひなも緊張感のない声音とは裏腹に瞳に涙を溜めて走り出す。


「うわー、逃げろー」


 まさか本当にオカルト現象が!?


 勘弁してくれ。こういうことは第一回七不思議調査で起きてくれよ!


 隣の東風谷先輩は顔面蒼白だった。まさか東風谷先輩オカルト耐性がない!?

  

「や、やばいっしょ! 寛、逃げよ!」


「は、はい!」


 西園寺さんたちに続くようにして、僕らは部室棟へと急ぐのだった。

  


 *


 

 [部室棟:大教室]


「はぁ……はぁ……」


「ふー……ふー……」

 

 部室棟に戻り、僕らは息を整える。


 せっかくシャワーを浴びたばかりだというのに、背中からは嫌な汗が流れていた。


「い、一体アレはなんだったのですの!?」


「お、おばけだよー! おばけが出たんだよー!」


「や、やはり……! どうしましょう、今からでもお家に……」


「待ってあゆむん先輩! 今出たらおばけに食べられちゃうかも……」


「た、食べられる……! あわわわわ……わたくし痩せていますし全然美味しくないですわ!」


「うわーん! ひな絶対美味しいから食べられちゃうよー! どうしよセンパイー」


「ひなはどうしてそんな自信満々なの!? とにかく2人とも落ち着いて! 冷静に状況を分析しよう」


 2人を宥めながら、僕は大きく深呼吸。


 僕だって2人ほどじゃないけどそれなりに驚いている。


 心霊現象に遭うのはこれが初めてなのだ。

 

「そもそもさっきは何が起きたの? パリンって音がしたけどアレは……」


「ガ、ガラスが割れた音だと思いますわ。きっとおばけが校舎のガラスを割ってまわっているのですわ!」


「ヤンキーだー! 絶対ヤンキーの霊だよー」


「ヤンキー! わたくしの苦手な人種ですわ!」


「なんか段々おばけ関係なくなってない……? 先輩も何か言ってくださいよ。なんかないんですか……突然窓ガラスが割れるみたいな七不思議とか」


「そんな人を物知り博士みたいに……残念ながらそういった七不思議は知らないっしょ」


「ほら2人とも、先輩がしらないんだからそんな霊は……」


「おわりだー! めぐちゃん先輩でも知らないおばけが出たんだよー!」

 

「わたくし……遺書を認めます。みなさん、今までありがとうございましたわ」


「ひなも書くー。ひなが死んだらこのコッペパンをお墓に」


「ちょいちょい、2人ともなんでそんなにびびってるっしょ! オカルト部なのに!」


 東風谷先輩は少々取り乱しながら2人を宥めた。


 大きくため息をつき先輩は続ける。

  

「はぁ……まずさ。今回、ガラスが割れたっぽい音がする前、何かが起きたんだけど2人とも覚えてる?」


「それはビューって」


「風が吹きましたわ」


「だよね。ということは、なんかしら原因らしきものがあったわけじゃん? おばけなんかよりもっと現実的な」


「つまり先輩は、風が原因でガラスが割れた……と言いたいんですか?」


 恐る恐る聞いてみると、東風谷先輩は深々と頷く。


「その通りっしょ。正確には風で何かが飛ばされて窓ガラスに当たって割れたとかそういうやつだと思うぜ」


 ニシシと先輩は笑う。


 その顔を見て、西園寺さんは途端に安堵の表情を浮かべた。

 

「そ、そうでしたか。こ、コホン! わたくし薄々そうではないかとは思っていましたの」


「ひなもー。めぐちゃん先輩ビビりすぎだよー」


「とんでもない手のひら返し!」


 先ほどまでの恐れに満ちた表情から一変、2人は涼しげな表情を見せた。


「まあこれで一見落着ですね。確かに、先輩の言う通りさっきのは霊的な原因というより、物理的な原因の線で見た方が現実的だと思います」


「でしょでしょ? 流石にウチだってオカルトかそうでないかの違いくらい分かるって」

 

 東風谷先輩は呆れたようにそう言った。


 彼女は仮にもオカルト部の部長。普段はアレだけど、こういう話題では頼りになる。


 もし東風谷先輩がいなかったら今頃僕たちは一晩中怯える羽目になっていただろう。 


 やれやれこれで心穏やかに寝ることができるぞ。


 怪奇現象の恐怖から解放されたことで僕の頭がクリアになる。

 冷静になってみると、僕の中に一つの疑問が生じた。


 疑問というか、それを通り越して確信に近い。

 そしてそれは、今この場で明らかにしておいた方が西園寺さんたちの精神衛生上いいだろう。


 僕は咳払いをすると、少々演技っぽく先輩に問いかける。

 

「あれ? 東風谷先輩はさっき起きたのがオカルト現象じゃないってわかってたんですよね?」


「え、うん。流石に分かるっしょ」


 僕の発言に、西園寺さんとひなが身を寄せ合う。

 藪を突いて蛇が出てくるのを恐れていた。


 僕は構わず続ける。絶対大丈夫だから。


「そうなると、どうして先輩はあのとき逃げたんですか? しかも、かなり焦っていましたよね? 何か他の理由がないと……腑に落ちません」

 

「それは……」


「東風谷先輩……? ど、どうして黙っているのですか?」


「うわーん、めぐちゃん先輩なんか言ってよー」


「……2人とも今日起きたこと、他の人には内緒にできる?」


 東風谷先輩は念を押す。


 妙に芝居がかった言い方だった。


 やはり先輩も乗ってきた。


 西園寺さんとひなは互いに手を握り、ゆっくりと頷いた。

 

「ウチが恐れてたのは……この後、おばけなんかよりもっと怖いことが起きるからなんだよ」


「お、おばけよりも怖い……ですの!?」


「…………断食?」


 それは違うだろう。


「強風が吹き、何かが飛ばされ……窓ガラスが割れる」


「ゴクリ」

 

「これは不吉の前触れ……そしてその先に待っているのは──」

 

「ウチ、週明け絶対先生から詰められるじゃん! このままだと部の信用がヤバいっしょ!!!!」


 東風谷先輩は声のトーンを上げてそう言い放った。

 

 2人にとっては予想外の一撃だった。

 そして、沈黙が流れること数秒。


「解散、ですわ。就寝の準備をしますわよ、日南田さん。明日も試験ですから」


「ひなもう眠いー。今日はたくさん勉強して疲れたかもー」


「一緒に怒られに行きますくらい言ってくれてもいいじゃん! ウチら仲間なのにー!」

 

 先輩の悲痛な叫びが教室にこだました。


 2人が寝具を取りに教室を出て行ったのを見計らい、先輩は親指を立ててくる。

 

 オカルト以外でも頼りになる部分を見せてくれた先輩に感謝しつつ、僕もそれに応えるのだった。


 *


[特別棟:大教室]


「寛さん、おやすみなさいですわ。明日もよろしくお願いしますわね」


「センパイおやすみー」


「おやすみ、2人とも。先輩、明日は7時起きでいいんですよね?」


「そうだね。みんなで朝ごはん買いに行くっしょ」


「了解です。それでは」


 3人に別れを告げると、僕は1人隣の小教室へ移動した。


 *

 

[特別棟:小教室]


 小教室といえど中身は本校舎の教室一個分ほどの大きさがある。


 1人で使うにはかなりの広さだ。

 

「なんだかいいホテルに来た感じがするな。学校だけど」


 スペース確保のために机をいくつか横にずらす。

 準備した寝具一式を床に敷き、就寝の準備は完了だ。


「……ちょっと動画でも見るか」


 スマホで動画配信サイトを開く。


 西園寺さんにお米くらい炊いてみると言ってしまったので、少しお米を炊く動画でも見てみよう。


 調べてみると色々と出てくる。


 鍋やら飯盒やら炊飯器やら……鍋と飯盒での動画が少し多いみたいだけどこれは単に需要の問題だろう。


「というか家に炊飯器があるじゃないか。これなら簡単そうだ」


 動画を見るにお米を研いで水を入れてボタンを押すだけだ。これなら普段料理をしないといえど、失敗する要素が見当たらない。


 そんなこんなでくつろいでいると……


「お、お、お、お邪魔しますわ!」


「めぐちゃん先輩のあほー!」


「うわあ! いきなりどうしたの2人とも!」


 2人はズカズカと小教室に入ってくると、僕の両腕を占拠した。


 <胸の当たる音>

 

 当然のように、ひなの主張の強い巨大なアレがそれする。


 や、柔らかい……! 幸い西園寺さんのは物理的に当たらな……じゃなくて!


「せ、先輩! 見てないで助けてくださいよ!」


「ううう……ごめんよあゆむん、ひなちゃん……ウチが悪かったっしょ……」


 僕は助けを乞うが、先輩は涙目になりながら2人に謝罪した。

  

「寛さん、ここは危険ですわ! 今こそ結束のとき!」


「ひなたちの戦いはこれからだー!」


「……先輩。またなんか要らないこと言いましたね……?」


「ちょ、ちょっとだけ……」


 先輩は決まりが悪そうにそういった。


 僕は小さくため息をついて聞く。

 

「具体的には?」


「ガラスが割れたのは幽霊の仕業じゃないとして、別の幽霊はいるかもって……」


「それはまたなんてことを……」

 

「思えばヤンキーの幽霊だけがいるのは不自然だったのですわ。ヤンキーいるところギャルもあり。東風谷先輩のような霊もセットで現れるに違いありません」


「めぐちゃん先輩の霊ならひなでも勝てるかもー! どっこいしょーどっこいしょー!」


「酷く舐められてる!?」


 まるで何かの活動団体かのように2人は抗議の姿勢を示す。

 心の目で見ればあるはずのないプラカードが見えてきそうだ。


 せっかく2人は平常心を取り戻したというのに、今ではご覧の通り逆戻り。

 寧ろ、状況は最初より悪くなっているかもしれない。全くなんてことをしてくれるんだ先輩は。


「ちょっと先輩。これなんとかしてくださいよ。自分で蒔いた種なんですからね」


「そ、そう言われても……反省はしてるっしょ……ひなちゃんあゆむん、ごめんって。幽霊なんてウソだからこっちに戻っておいで」


「断固反対いたします。既に先輩の信用は地に落ちていますわ」


「ひなたちはセンパイと一緒に寝るって決めたんだもんねー。だってセンパイパワー担当だからー」


「その通りですわ。寛さんはパワー担当です。幽霊は任せてともおっしゃってました」


「そ、そんなこと一言も……」


 いや待て。言った。言ってしまったぞ。


 サバイバル云々の話してた時にそんなことを言ってしまった。


 なんということだ僕はあの瞬間墓穴を掘っていたというのか。


 東風谷先輩は口を押さえてしくじった僕を笑う。

 

「くくく……自業自得っしょ」


「くそ……僕はあの時どうしてあんなことを……というか悪いの先輩ですよ!?」


「さて、寛さん。早く寝ますわよ。12時を超えれば幽霊が出る確率が上がるかもしれません」


「センパイひなのこと抱き枕にしていいよー」


「するわけないでしょ!」


 美少女2人に両サイドから攻められる僕。


 どうしてこんなことに……役得だけどこれじゃああまりに不健全だ……


 状況を回避できる余地は……なさそう。

 

 こうなったらもうヤケだ。

 

「ひな、西園寺さん……ここは狭いから大教室で4人で寝よう。ああ見えて東風谷先輩もパワー系だし」


「しかし……東風谷先輩が頼りになるとは思えませんわ」

 

「……そ、そうだそうだ! パワー系は言いすぎっしょ! せめてサブアタッカーくらいにして!」


「じゃ、じゃあそれで」


「ならよし。ウチ、赤魔道士好きだから」


「なんすかそれ……」


 基準不明だが先輩はなんとか了承した。マジで赤魔道士ってなんなんだ。


「仕方がありません。わたくし達は1人でも多くの戦力を必要としていますわ」


「わーい、今日は4人で寝るぞー! 背中は預けるのだー」


 盛り上がる2人を尻目に、僕は東風谷先輩に駆け寄り小声で話す。

 

「先輩、フォローはしましたよ」


「マジでありがと……! 感謝してもしたりないっしょ……」


「ここから先は頼みました。何か間違いがないように」


「安心して! もうこれ以上やらかすつもりはないから!」


「違います! 僕が間違いを犯さないか見張ってくださいと言ってるんです!」


「ご、ゴクリ……まさか寛……ヤル気……」


「ヤリません!」

 

 こうしてひょんなことから僕は美少女3人と同室で就寝することになるのだった。



「センパイもうちょっとこっち寄ってー」


「ひ、日南田さんズルいですわ。寛さん、ちゃんと中立は守ってくださいませ」


「はいはい。2人とも分かったから」


 灯りを落とした教室の中、僕は2人の少女に挟まれるようにして横になっていた。


 2枚のマットくっつけて僕はその間に寝ている。

 背中が微妙に心許ない。変な感じだ。


「それじゃあ電気消すよー」


 先輩は僕らに確認をとった後、消灯する。


 特別棟の最上階は合宿場を兼ねているといえど、ただの大きな教室。


 設備の蛍光灯は豆電球のような薄い光を出すことはできない。


 灯りを消した途端に、教室は真っ暗になった。

 月明かりも大して届かないことも、その暗さに拍車をかけていた。


 暗がりの中、不意に右手に熱いものが当たる──ひなだ。


 ひなはぎゅっと右手にしがみつくと、僕の手を無理やり開かせる。


 そして僕の手のひらに文字を書いた。


『くらいのむり』


 たった6文字だが、ひなの状況は伝わった。


 おそらく、普段ひなは豆電球をつけた状態で寝ているんだろう。


 僕もそうだからわかる。

 全く何も見えない。それが少し不安なのだ。


『ぼくも』


 文字を書き、ひなにそう伝える。


『ぱわー』


 ひなはそう書くと僕の手のひらを爪でツンツンとついてきた。


 どうやら不満があるらしい。まあ、無責任にも僕はパワー系担当を口にしてしまった。

 それでいて頼りないとなれば、不満の一つや二つあるだろう。


 不満を持たれても暗いのが不安なのは仕方ない。

 僕は少女のツンツンを手のひらで包み込み、そのまま手を握った。


 ひなの手は柔らかくてすごく温かい。強く握れば壊れてしまいそうな脆さだった。

 

 手のひらが封印され、今度は手の甲に彼女は指を走らせる。


『OK』


 僕の行動は正解だったらしい。

 全くワガママな後輩だ。


 これで安心して眠れるぞといったところで、隣の西園寺さんが僕の肩を突いた。


「まだ起きていますか?」


「うん。起きてるよ」


 返事をするが、西園寺さんはそこで一度言葉を止めた。


 何があったのだろうかと僕は横を見る。


 先ほどまで真っ暗で何も見えなかったけど、目が慣れてきてかろうじ西園寺さんの輪郭が見える程度にはなっていた。

 

 しばらくの沈黙の後、彼女は天井をまっすく見上げたまま続けた。


「ガラスが割れたのは、本当に風の仕業だったのでしょうか」


「西園寺さん、その話はさっき決着がついたんじゃ……」


 ひなの手の力が強まる。

 そんなこと知る由もなく、西園寺さんは続ける。

 

「わたくし、やはり納得がいかないのです。確かに、台風などで家屋が破壊されるケースがあります」


「しかし、あの風はそこまでの威力が本当にあったのでしょうか? もしそうなら町内に避難命令が出ていてもおかしくありませんわ」


「…………」


 西園寺さんの言う通りだった。


 正直なところ、僕も東風谷先輩の説明には根拠が足りないというのは薄々感じていた。


 先輩の説明を信じた方が都合がいいのは確かだ。しかし、それは先輩の説が正しいと言うことの証明じゃない。


「寛さんの意見が聞きたいですわ」

 

「僕は……」


「まず、前提として僕はオカルトの類を信じていない。だから、おばけがガラスを割ったなんてことは微塵も思っていないよ」


「だからさっきのガラスの割れた音は……何らかの生き物が起こしたものだと思う」

 

「生き物……ですの?」


「もっと正確に言うなら『人間』かな。さっきの音は校内に忍び込んだ不審者の仕業……というのが1番可能性としては高いと思う」


 ここでいう不審者というのは本当に得体の知れない者という可能性もあるし、普通に二高の生徒という可能性もある。

 西園寺さんたちはヤンキーのお化けが出たとか言っていたけど、お化けなんかよりヤンキーそのものが出る方が自然だ。

 

「不審者……」


 西園寺さんはその言葉を噛み締めていた。


 不必要に怖がらせてしまっただろうか。


 少し後悔していると、西園寺さんは大きなため息をついた。


「はあ……寛さんの意見が1番しっくり来ましたわ。それなら安心ですわね」


「え、西園寺さん怖くないの? 不審者だよ、不審者」


「不審者といえど人は人ですわ。相手が人であれば、逃げることだってできるではありませんか」


「そういう基準なんだ」


「明日、試験が終わったら校内を確認してみましょう。本当に不審者が出たのであれば、学校に報告しないといけませんもの」


「そうしたら東風谷先輩怒られちゃうね」


「当然、そのときはわたくしたちも一緒に怒られますわよ。同じ部なのですから」

 

「それもそうだね。どうかガラスが割れていませんように」


「そうですわね。それでは寛さん、おやすみなさいですわ」


 西園寺さんはそうして眠りにつく。


 気付けば、ひなの手も緩んでいた。


 2人の寝息を聞きながら、僕の意識も段々と薄れていくのだった。

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