第18話 ひなルート
「分かりました。それでは店番をお願いしても良いですか?」
「は、はい……引き受けました。ふぅ……」
彼女は僕の返答にどこか安堵の表情を見せながらそう言った。(祭優奈)
どうやら僕がいたことで緊張させてしまっていたらしい。
「ありがとうございます。それでは、値段はチケット2枚分ですのでよろしくお願いします」
「わ、分かりました……ありがとうございます」
お辞儀する彼女に見送られ、僕は教室を後にした。
*
[廊下]
「さて、どこへ行こうかな」
「そうだ、ひなにでも会いに行こう。お腹も空いたし」
飲食クラスの出し物は屋外に設置されている。間違いなくひなはそこにいる。
今朝は忙しくてあんまり朝ごはん食べれてないし、完璧なプランだ。
うめき声をあげるお腹をさすりながら、冒険の旅に繰り出すのだった。
*
[校庭]
校舎の外へ出てみると、賑やかな生徒たちの声が僕を歓迎した。
「ものすごい盛り上がりだ」
文化祭は一年に一度のお祭りだ。自由な校風だけどそれなりに抑圧はされているわけで、その反動もあってみんな大騒ぎだった。
「さてと、ひなはどこかな」
「チョコバナナとか言ってたし、そこらへんにいるだろう」
行方知らずの後輩を探しながら、僕は甘かったりしょっぱかったりの匂いの入り乱れる飲食の出し物ゾーンを散策した。
人が多く歩きづらい。ここまでの人混みはあまり経験したことがなかった。
歩くこと数分。彼女を見つける前に、僕は例のものを見つけた。
「あっ、クレープだ。そういえば食べたかったんだよね」
逆花子さんと戦う前に、クレープが流行っているとかいうニュースを目にした。
それ以来、文化祭でクレープを食べるのが密かな楽しみだったのだ。
東風谷先輩ほどではないにせよ、僕にも軽い徹夜ができたのは今日このクレープのためと言っても過言ではない。
迷わず屋台へと飛び込んだ。
「チョコバナナ味とイチゴ味……どちらにしようかな」
うーむ。どちらも捨てがたい。
過去の記憶の中ではイチゴ味を食べた記憶が残っているし、今回はバナナ味にしておこうか。
「すみません。バナナ味ください」
「はーい! チケット5枚です!」
「チケット5枚!?」
「……どうかしましたか?」
「い、いえ」
二高の文化祭ではチケットを事前に購入して、現金の代わりにチケットで精算をすることになっている。
チケットは1000円で20枚──つまり1枚50円扱いなので、クレープは1つ250円ということになる。
どうしよう。想像していたのより2枚分は安いぞ。
「すみません。イチゴ味ももらっていいですか?」
「分かりました! 2つでチケット10枚です!」
「ありがとうございましたー!」
無事にクレープを購入しクレープ屋を後にする。
いやぁ、いい買い物をした。あまりこういうお祭り事でコスパなんてものを気にするのは良くないのかもしれないけど、それにしてもコスパがよかったように思える。
コンビニスイーツでもここまで安くならない。
食べたいのは山々だけど、それはひなと合流できてからにしよう。
内心スキップしながら、ひなの捜索に戻った。
*
「あそこにいるのは……」
探し回ること3分。ひなは案外すぐに見つかった。
屋外に仮設で設置された休憩スペースに彼女はいた。
[イベントスチル]
「ひな、楽しんでる?」
「あー、センパイだー。やっほー」
「随分とご機嫌だね。机の上が」
「あはー、ひなねー。安いから買いすぎちゃったー」
ひなは卓上の食べ物たちを誇らしげに広げていた。
チョコバナナにクレープ、鈴カステラ、それに甘いものだけに飽き足らず牛丼や焼き鳥なども買っている。
「というか本当に買いすぎじゃない!? いくらかかったのこれ」
「あはー」
「いくらかかったのこれ」
「あはー」
「やばい。エラー吐いてるみたいになってる」
「ひなのせいじゃないのだよセンパイくん、すべては文化祭が悪いのじゃー」
「ま、まあ気持ちはわからなくもない」
僕もクレープ2つ買っちゃったし。
「ねーねー、センパイ買い取ってー」
「仕方ないなぁ。いいよ。焼き鳥食べたい。いくらだった?」
「1本でチケット2枚になりますー」
「結構するね。まあ一本100円ならコンビニくらいか」
「はいどうぞ。種類は……って、鶏皮しか買ってない……!しかもタレだけ!」
「えへへー。ひな、鶏皮好きだからー」
「じゃあ鶏皮で……」
「毎度ありー」
「ありがと」
チケットと引き換えに焼き鳥を手に入れた。
甘辛いタレが絡んでいて美味しい。
これはお米が欲しくなるな。
ひなも僕につられて焼き鳥を口に頬張る。いい笑顔だ。
「ん〜!焼き鳥は皮に限るねー」
「ひな、脂っこいの好きって言ってたもんね」
「うん。美味しいものは油がたくさんなんだよー。だから好きー」
「確かにそうかもしれない」
何事にも限度というものがあるが、大概の美味しいものは油がたくさん入っている。
食べることが好きなひなとしてら脂っこいものが好みになるのは必然なんだろう。
「でもほどほどにしておきなよ。そんなに油ばかり取ってたら太っちゃうからね」
「ありがとー、でも大丈夫だよー。だってひな、食べた分は胸に行くタイプだから」
「全女性を敵に回す発言をするんじゃありません」
ひなは容姿に関しては本当に恵まれてるんだなぁとしみじみ感じた。
とびきり可愛い上、食べすぎてもそれが贅肉とかにならないで性的魅力に繋がるなんて、もし僕が女の子だったらズルすぎて藁人形を作ってしまうかもしれない。
東風谷先輩のロウちゃんはひなを呪うための道具だった可能性がある。いや、それをいうなら西園寺さんか。
そんな最低なことを考えていると……
「あっ、もう食べ終わっちゃった。なんかあれだね。結構ミニサイズな焼き鳥だね」
「そうかもー。ひなも終わっちゃったー。安い分量も少ないねー」
「安い……?」
「あっ……ええっと……なんでもないかもー」
「……ねえひな、これ本当にチケット2枚分だった?」
「…………次は何食べようかなー」
「ねえちょっと」
「センパイくん、ほらもう一本おまけー。いやぁー今日のひなは太っ腹ですなー」
「あ、ありがとう……って、これ本当はいくらだったの!?」
「あはー、覚えてないー」
「……確認してくる」
*
「ひな、何か弁明することはない? 」
「ありませぬ……」
「この場から逃げなかったことだけは褒めてしんぜよう」
ひなは両手を前に出す。僕はそれにエア手錠をかけた。
結論から言って、焼き鳥は一本50円だった。
この後輩は僕に倍の値段でそれを売りつけていたのだ。
『買い取って』と言うセリフは、普通儲けを出す文脈で使うものじゃないだろうに。
「それよりセンパイ」
「僕に詐欺を仕掛けたことより重要なこと?」
「重要なことー」
「じゃ、じゃあなに?」
「サボりはダメだよー。めぐちゃん先輩に言いつけちゃうかもー」
「ああ、そのことね。文芸部の子がオカルト部の分も見てくれるって話になったんだ。それでこっち来た感じ」
「そうなのー!? もしかしてひなもお仕事しなくて大丈夫ー?」
「うーん、それはどうだろう。文芸部もシフト制だろうし、今のシフトの子がひなの時もいたら変わってくれるかもね」
「えー、ひな最初のシフトにしておけばよかったー」
「サボる気満々じゃないか」
ひなは唇を尖らせて悪態をつく。
そしてその口でクレープにかぶりついた。
そういえば忘れていた。僕もクレープを買っていたのだった。
彼女につられて僕もクレープに手をつける。
「ん〜! いちごが酸っぱくて美味しいかもー」
「……うん。そうだね。いちごの酸味とホイップクリームの甘味がマッチしてる」
「あー、先輩もいちごの選んでるー。ひなの真似したなー」
「ふっ、甘いねひな。これをみるんだ。僕はバナナ味も買っている」
「な、なんだとー! なんてねー、もちろんひなも買ってますがー」
「流石だ……」
本当になんでも買っているな……まさか文化祭の飲食全て買っている説すらある。
「くっくっくー、今日は文化祭上級者のひなが、初心者の先輩に裏技を教えてあげようー」
「文化祭に謎の概念が! って、ひなも今年初参加でしょ。僕と同じ初心者だ」
「甘いねセンパイくんー、ひなは二高の文化祭は小学生のころから通っていますがー。歴代の相場も頭に入っていますがー」
「こら、さっきの詐欺の悪質性を後押しする情報を投下しない」
「えへへー」
「それで、文化祭の裏技ってなんなの」
「それはもちろん、お菓子の組みあせわだよー」
ひなはそういうとポケットからビスケットを取り出す。それと何かの飲み物が入った紙コップを前に出す。
「今日のひなクッキングでは、この部室にあったビスケットとさっき買ったいちごミルクを使いますー」
「謎の番組が始まったね」
「作り方は簡単だよー。ビスケットをいちごミルクに浸して……」
ひなはビスケットをコップの中に入れると、次はクレープを解体し始めた。
しばらく待った後、ひなはコップに指を突っ込んでビスケットを救出。
「ちょっとひな、汚いよ」
「気にしない気にしないー」
「気にするでしょ……」
「なんだとー! センパイはひなの指が舐められないって言うのかー! このー!」
「タチの悪い酔っ払いみたいにならないで!」
「ひなはセンパイの手舐めれたんだから、センパイも気にしないでー」
「それはひなが勝手に!はぁ……しょうがないなぁ」
逆トイレの花子さん退治のときに、ひなの口を押さえたら舐められてしまったっけ。
口元に来たもの全部口に入れようとするんだから、全く赤ちゃんみたいな後輩だ。
「そしてこのたっぷりミルクが染み込んだビスケットをー、クレープに入れるー!」
「完成なのだー! 春いちごのクレープ、ショートケーキ仕立てになります」
「なんかフランス料理っぽいネーミング」
「クレープってそもそもフランス料理かもー」
「確かに。それは盲点だった」
「うんちくはいいから早く食べるのですぞ、センパイくんー」
「う、うん」
そして手渡されたビスケットの入ったクレープをぱくり──
「んっ! 美味しい! いちごミルクの染みたビスケットが柔らかくなってまるでスポンジケーキみたいになってる!」
「クリームの甘味といちごの酸味……そしていちごミルクはその2つを邪魔しない完璧な選択──ひな、君はなんて後輩なんだ」
「えへへー、そんなに褒められると照れるよー」
「ひなもセンパイが喜んでくれて嬉しいかもー」
ふんわりとした笑顔を浮かべた。
僕がクレープを食べていると、ひなは遠くの空を眺めていた。
天気はいい。絶好の文化祭日和だった。
「平和だねー」
「そうだね」
「ふふふ……でもこの平穏を、ひなたちが守ったことを知るものは誰1人いないのだったー」
「最終回のモノローグみたい。でもそうだね。結果として僕たちが守ったことになるのかな」
「そうだよー。だって、あのまま先生見つからなかったらー、文化祭中止になってたかもー」
「確かにその可能性は否定できない」
もし山口先生が見つかっていなかった場合、仮に中止にならないにしても特別棟の利用は不可能になっていただろう。
「センパイ、ひなたちのこと守ってくれてありがとねー」
「僕が……? そんなことしたっけ」
「したよー。センパイが言ってくれなかったら、幽霊退治なんてしなかったしー」
「ああ、そういうこと。別に気にしなくていいよ。僕がするべきだと思っただけだから」
「思うのと、行動するのは全然違うのじゃー。ひなだって勉強しないといけないって分かってるのに全然勉強しないしー」
「こら、勉強はしなさい勉強は。ひなはただでさえ全教科赤点予備軍なんだから」
「あはー、ごめんなさーい」
怒られているというのに、ひなは嬉しそうに笑った。
「そうだセンパイー」
「どうしたの?」
「ひな、センパイのこと好きになっちゃったー。告白はしたい派?されたい派?」
「えっ、なんて?」
「だからー、センパイはひなに告白したい?それともされたい?」
「えっ、えええ!?」
と、突然何を言っているんだこのゆるふわ後輩は。きのこかたけのこかみたいなノリでなんてことを!
ひなは頬を膨らましながら続ける。
「んもー、前に言ったでしょー? ひなが付き合うならセンパイかなーって」
「でもあの時は僕のことは好きじゃないとか」
「今は好きなのー。もしかして、センパイはひなと付き合わないなんて言わないよね?」
ひなは答えがわかっているかのように言う。
全く、僕は大変な後輩を持ってしまったらしい。
食いしん坊でわがまま……だけど憎めない愛しい後輩。
思えば、ひなとコンビニで出会ったあのときから僕はひなのことが気に入ってしまっていたのかもしれない。
証拠に、僕の胸は飛び出しそうなほどに早鐘を打っている。
「……はぁ……断らないよ」
「えへへー、センパイならそういうと思ったー」
「なんかセンパイは優柔不断そうだからー、ひなが告白して差し上げよー。感謝するのじゃー」
「ははー、ひな様ー」
「それじゃあどうしよっかなー。文化祭が終わって片付けするとき告白するのとか素敵かもー」
「今じゃないんだ」
「ぶーぶー、センパイは乙女心がわかっていませんなー。告白は雰囲気が大切なのにー」
「こんなノリで聞いてくる子に乙女心を問われたくない!」
「あははー、ナイスツッコミだよセンパイくんー」
嬉しそうに彼女は笑う。
彼女につられて、僕も自然と笑みが溢れた。
幸せというのはこんな単純なことだったのかもしれない。
彼女からもらったいちごのクレープを一口。
なんだか先ほどより少し甘い気がした。
文化祭もまだ始まったばかりだ。
こうして僕は、ひなと『先輩と後輩』でいられる残りの時間を楽しもうと思うのだった。
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