第16話 後半

[特別棟一階]


 こっそり開けておいた窓から特別棟内部へと侵入を果たす。


 非常灯のジジジとした音がかすかに聞こえるものの、夜の特別棟は足音が響くほどに静まり返っていた。


 集中すれば隣を歩く部員たちの呼吸音すら聞こえる。


「それじゃあ行くっしょ。全員固まって歩こう」


「はい。それがいいと思います」


「ですわね。1人になったら終わりですわ」


「逸れたら大声だすー」


「それがいいね。僕もそうする」


 これだけ静かなのだ。居場所を伝えるいいアイデアだ。

 

 先輩と僕を先頭に、我らがパーテイーは進む。


 しばらく一階を進んだところで、玄関の前まで来た。


「一応入り口開けておきましょう。前回みたいに逃げ切れるかもしれませんから」


「それもそうだね。じゃあウチ行ってくる」


 先輩がそう言って玄関へと近づいたそのときだ。


 僕は背後から何か冷たい空気が首筋を撫でられる感覚に襲われる。


 すぐさま振り向くと、先日現れた白い霊がやはりそこに立っていた。


⭐︎北谷町結衣

  

『…………あ……う…………あ……』


 2度目ともなると冷静にやつを観察できる。


 長い黒髪がだらりと垂れ下がり顔を隠しているが、体格は間違いなく女性のそれ。


 身長は僕より低く、ひなより高い。西園寺さんと同じくらいだ。


 真っ白のワンピースにはどころどころ血痕がついていて、ボロボロになっていた。


「2階に逃げましょう!」


「そうするしかないっしょ! 行くよ!」


「逃げろー!」


「ですわですわ!」


 *


[特別棟2階]

 

「はぁ……」


「はぁ……はぁ……」


「どうにか逃げ切ったね」


「はぁ……そう……ですね」


 階段を見下ろして幽霊がついて来ていないことを確認する。


 どうにか本当に逃げ切れたらしい。


「もしかして幽霊は階段が苦手とかいう説ありませんか」


「可能性はあるね」


「ゆ、幽霊には足がありませんから、それで階段が登れないとか……」


「ひ、ひなもそう思うー! きっと階段が安置だよー!」


「あれ、足なかったっけ?」


 東風谷先輩は素朴な疑問を投げかける。


「そ、そう言われれば……私、逃げるのに必死で確認はしていませんでしたわ」


「ひなも……」


「ウチも全然覚えてないっしょ。寛は見てた?」


「はい。一応足普通にありましたよ」


「な、なんてことですの……弱点なしなんてずるいですわ!」


「そ、そんなー! そんなの強すぎるよー」


「あはは……でも、足があっても階段を登ってこなかったわけで……」


「そうだね。足の有無はどうであれ階段が苦手という事実は大切にしたいね」

 

 東風谷先輩は冷静にそう言った。


 先輩の言う通りだ。理由はわからないけど、苦手なものがあるという情報は重要だ。


「となると、階段を中心に作戦を立てるのが良さそうですね」


「つまり階段におびき寄せて、持って来たアイテムを試すのですわね!」


 西園寺さんが希望に満ちた表情で日本刀を握りしめる。いつ回収したんだ!


「ちょっと西園寺さんそれは流石に危ないって!? ひな、確保して確保!」


「かくほー!」


「や、やめるのですわ日南田さん! ほへはわはふひほ……」


 ひなは慣れた手つきでコッペパンを西園寺さんの口へと突っ込む。


 抵抗虚しく日本刀はひなの元へと渡り、最終的に僕の手に。


「ふぅ……もう勘弁してよね。幽霊より先に日本刀で死人が出ちゃうから……」


「ぐぬぬ……今日のところはこのコッペパンで我慢してあげますわ」

 

「コッペパンソード(コーヒー味)だー。じゃあひなはあんバター味使うー」


「こら、食べ物で遊ぶんじゃあありません」


 部長による正義の鉄拳が少女2人へ降り注ぐ。


「いてっ」


「残像ですわ」


「くっ……流石あゆむん……その身のこなし只者ではないっしょ」


「それほどでもありますわ。合気道を習っていますので」


「合気道すごすぎるでしょ……」


 なんか僕の知っている合気道と違う気もするけど、それを言いたい気持ちをぐっと抑えて話を先に進める。


「とにかく、階段まで幽霊をおびき寄せてアイテムを試す。この流れでいきましょう」


「ウチも寛の意見に賛成っしょ」


「いぎなーし」


「私もですわ」


 全員の賛同が得られたところで、僕は一歩踏み出した。


「ということで、幽霊が出るまで少し歩いてきます。みんなはここで待っててください」


「いやいや、寛1人は危なすぎるじゃん。ウチもついていくよ」


「逆に1人の方が良くないですか?」


「背後に幽霊現れたら終わりっしょ」


「た、確かに……互いに背中合わせで歩けば視覚もなくなりますね」

 

「そういうこと。ひなちゃんとあゆむんは階段見張ってて」


「ひ、引き受けましたわ」


「おけー」


 こうしてスムーズに配置が決まる。


 僕と先輩が斥候となり2階フロアを探索。ひなが3階側の階段、そして西園寺さんが2階側の階段を見張る算段になった。 


 3階に幽霊が現れたらひながそれを知らせ、2階に幽霊が現れたら僕らが階段におびき寄せてアイテムを使用する。中々完璧なのではないだろうか。


 背中合わせで僕たちの調査が始まった。


 特別棟の2階には音楽室がある。警戒を怠らないようにしながら僕らはゆっくりと進んだ。

 

「先輩、なんだか面白いですね」


「面白い? 何が?」


「この状況がですよ。オカルト好きな先輩だったら僕より楽しんでるのかなと思ったんですが」


「そんなわけないっしょ。ウチ、オカルトは好きだけど信じてはいないからね」


「だから普通に怖いし、逃げたいっしょ」


 先輩の頬に汗が伝う。

 

「そうでしたか。でも逃げないんですね」


「怖いけどやらなきゃいけないことはあるってことよ。ま、それは寛が1番分かってるんだろうけど」


「最初に幽霊に立ち向かおうって決めたの寛だもんね。ウチより余程、勇気があるよ」


「ウチが踏み出したのは2番目かもしれないけどさ、踏み出したからにはキチンと最後まで付き合うっしょ」


 先輩はニカッと頬を吊り上げる。本当に頼もしい先輩だ。


「それに」


「それに?」


「ウチ、この幽霊を退治したらオカルト部は真の意味でオカルト部になれる気がしてるからさ」


「……そうかもしれませんね」


 僕らオカルト部は先輩以外オカルトに興味がない。なんならひなと西園寺さんは苦手ですらある。


 ならば僕も部員として、先輩の手助けをしないといけない。


 口を止めて僕らはさらに歩き出す。


<歩く音>


 音楽室の前まで来た。第二回調査では西園寺さんがここで七不思議調査をしていた。


「先輩、後ろよろしくお願いします」


「任して」


 背中を先輩に任せ、僕は音楽室の扉の窓に手をかける。


 恐る恐る覗き込んでみると──


 ⭐︎北谷町結衣


 真っ白な布切れを纏ったそれと目が合った。


 こちらに気づいた幽霊はゆらりゆらりと揺れながら、段々とスピードを上げてこちらへと迫る。


「先輩! いました! 来ます!」


「おっけー、逃げるっしょ!」

 

 踵を返して僕らは全速力で走った。


 階段まではそこまで距離はない。これくらいの短距離なら多分負けない!


 走りながら、西園寺さんに指示を出す。

 

「西園寺さん! アイテムの準備を!」


「わ、分かりましたわ」


『ああああああああああああ!!!!!』

 

 幽霊の悲鳴が背後からぶつけられる。やばいなんか知らないけどすごく怒ってる!?


 西園寺さんは野球少年さながらのフォームから十字架を投擲した。


「あぶなっ!?」


 あわや顔面直撃かと思われる軌道の十字架をギリギリのところで僕はかわした。


「ちっ、外れましたわ」


「西園寺さん僕のこと狙ってない!?」


「何をバカなこと言っていますの! 次行きますわよ!」


 西園寺さんぷんぷんとしながら次は銀のネックレスを握りしめる。


「寛! 姿勢低くして! あゆむんの邪魔になる!」


「わ、分かりました!」


「次は当てますわっ! くらいなさい!!!!」


 硬く握り締められた銀のネックレス渾身の一撃は、僕の頭上をかすめた。


「ヒットですわ!」


「幽霊は!?」


『………………』

 

「全然効いていません! どうしてですの!」


「うわーん! やっぱり銀は吸血鬼用だったっしょ!」


 西園寺さんは悔しそうに唇を噛む。

 

 くそっ、やはりダメだったか。


 だけどここまでは想定内。


 僕らには最後の手段──『清めの塩』がある。


 そしてそれは既に仕掛けられている!


 階段近くに撒かれた塩で滑らないように細心の注意を払いながら、僕らはそこを通過する。


 階段に到着し、僕らはクルリと振り返る。


 幽霊はまだ我らが『清めの塩ゾーン』に入っていない。


「はぁ……はぁ……効いてくれよ……」


「頼むっしょ……!」


「お願いしますわ! お願いしますわ……!」


『……あ……う…………あ……?』


 撒かれた塩を前に、幽霊の足がピタリと止まった。


 困惑した様子で幽霊は首を傾げた。


 これはいける!調べた通り幽霊は塩が苦手みたいだ!


「いよっしゃ! 塩効いてるじゃん!」


「ですわですわ!」


「今がチャンスです! 先輩! 西園寺さん!」


「いきますわよ……! 相撲取りのごとき一撃をお見舞いしてあげますわ」


「ふふふ……ウチも決めちゃうっしょ! 今日からウチは東風谷関を名乗るぜ!」


「四股名言ってないでぶつけますよ!」


 僕らは手一杯に塩を掴み構える。


 そして、目の前で足踏みしている幽霊目掛けて塩を投げつけた!


『……あ……あ……う…………』


「はぁ……はぁ……ど、どうですの……?」


「き、効いてる……はずっしょ」


『…………あ…………き…………と……』


『………………………………………?』


 幽霊はただその場で首を傾げるだけだった。


 そして、ついに清めの塩を幽霊は踏み越える。


「……全然効いてないね」


「……そのようですね」


「で、でも……階段! 階段には登れないはずですから! ここにいればきっと……」

    

 懇願するように西園寺さんは言う。


 僕もできればそう思いたい。


 だけどこの感じは……


「これ階段も意味なさそうです! 逃げましょう!」


「いやー!!!! やっぱりですのー!!!!」

 

「こんなの打つ手なしじゃん!!!! チートだチート!!!!」


『あああああああああああああああ!!!!!!!』


 僕らが走り出したことで刺激してしまったのか、幽霊は大きな奇声を上げて四つん這いになりながら走り出した。


 やめてくれ! そういう人間離れした動きするのが1番怖いんだから!


 脳内ツッコミを入れながら階段を駆け上がる。


 3階ではひながコッペパンを食べながら待機していた。呑気すぎる!!!!


「あれー、センパイたちどうしたのー」


「どうしたのじゃないよ! 逃げるよ、ひな!」


「うわー! 幽霊いるー!!! にげろー!!!!!」


 ひなは食べていたコッペパンを階段の手すりに置いて、すぐに4階へと走り出す。


 僕らは彼女の後を追う形で4階へと上がった。


「お、追いつかれますわ……!」


「あゆむん頑張るっしょ! 死ぬよ!」


「それは嫌ですわ!!!!」


『あああああああああああああ!!!!!!!!』


 四足歩行をする幽霊は長い黒髪を揺らしながら迫る。


 まずい……このままだと西園寺さんが……


 僕は足を止め、最後尾を走る西園寺さんと入れ替わった。

  

「寛さん!? 何をしていますの!」


「先にいって! ここは食い止める!」


「嫌ですわ! それでは寛さんが!」


「いいから! 早く!」


「あゆむん行くっしょ! 2人とも死んだら意味ないじゃん!」


 足を止めかけた西園寺さんの手を東風谷先輩が引く。

 

 それでこそオカルト部部長だ。


 もちろん僕だって死ぬつもりはない。ただ最後尾で時間稼ぎをするだけだ。


 ポケットから一掴みの塩を取り出し、階段下の幽霊へと撒いた。


 さっきは効いていないとはいえ、困惑はしていた! 時間稼ぎにはなるはず!


『……あ…………う…………』


「よし、足が止まった!」


 これみよがしに、僕はさらに塩を投げる。


 幽霊はジリジリと後退りをしていた。


 今度は清めの塩が効いているみたいだ。


「ん、いや違う。あれは……!」


『あああああああああああ!!!!!』


 時間稼ぎもここまでだったらしい。


 幽霊は大きく迂回しながら、階段を再び登り始めた。


 僕はすぐに全力で階段を駆け上がった。


 

[特別棟4階]


 4階に着くと左手にひなが手招きしていた。


「センパーイ! こっちー!」


「わ、分かった!」


 僕は半ばスライディングのように、ひなのいる教室へと滑り込んだ。


 *

 

「いてて……ごめんひな」


「てやんでい、いいってことよー。それより早くどいてー。おもいー」


「ご、ごめん。ひなの方は怪我はない?」


「うん、大丈夫ー。ちょっと痛かったけどー」


「本当にごめん」


「後でスイーツおごってー」


「生きて帰れたらね」


 勢い余って突っ込んだふわふわのクッションから身を引く。


 ひなの制服からはなんだか甘い匂いがした。

 

 ちくりとした痛みを感じて膝を触る。


 出血している。多分擦りむいただけだ。


 制服を叩いた後、僕は3人の方へ居直る。


 西園寺さんと先輩はご機嫌斜めだった。


「寛、1人でなんとかするのやめてって言ったよね」


「そうですわ。自分を犠牲にするのはやめてくださいませ」


「あはは……ごめんね。僕も必死でさ。あのままだったら西園寺さんがやられてただろうし……結果的に僕の判断は間違ってなかったでしょ」


「そうですが……」


 西園寺さんは口籠る。


 彼女も分かっている。行動がどうであれ、結果は最善になっている。


 西園寺さんは大切な友達だ。その友達を悲しませてしまったのはすごく罪悪感があった。……だけど

  

 ここまで言われてもまだ、僕の心は変わらない。

 どこまでいっても僕は自分の命に価値を感じられなかった。

 

 ゆっくりと教室の扉の隙間から外を見る。

 

「……幽霊、いますね」


「うん……ウチらのこと探してるっしょ」


「閉じ込められてしまいましたわね」


「やばいのだー」


 幽霊はキョロキョロと周囲を見回しながら僕らのことを探していた。


「このままだとどうしようもないですわ……ここまでですの……?」


「いいや、待って西園寺さん。実は僕、さっきすごいことに気付いちゃったんだよね」


「す、すごいことですの……?」


「センパイ、もしかして幽霊の倒し方分かったのー!? すごー!」


「そうだけど……! ちょっと静かにして」


「んんんんん……ぺろぺろ」


「こらっ、手のひらを舐めない」


「えへへー、しょっぱいー」


「ちょっと、イチャついてないで話を進めるっしょ」


「寛、倒し方が分かったって本当……?」


 恐る恐るといった様子で先輩は聞く。


「はい。理由は分かりませんが」


「ごくりんこですわ」

  

「幽霊の弱点。それは……コッペパンです」


 *


「寛、それマジな話なの……? ウチ、にわかには信じられないんだけど」


「私もです。銀の弾丸すら効きませんでしたのに」


「センパイ……ご愁傷さまー」


「どうしてひなも信じないの……! 本当なんです。僕、見たんですよ」


「幽霊がひなの残したコッペパンを怖がっているのを」


 精一杯タメを作って口にすると、3人はなんとも訝しげな表情で僕を見た。

 

「……マジ?」


「マジです」


「本気ですの? 冗談じゃなくて……?」

 

「本気も本気だよ。この目で見た。ええっと……そうだ」


「ひな、コッペパンに何か細工でもした?」


「してないよー」


「せめて何かしてくれてたら説得力ましたのに……くそっ」


「もー、ひなのせいにしないでー」


 ポカポカとひなが僕の胸を叩いた。孫がおじいちゃんの肩を叩く強さだった。


 3人はしばらく考え込む。


 当然だ。コッペパンが効く幽霊なんて聞いたことがない。


 除霊グッズと称して商品を売りつける怪しげな商売でもコッペパンを商材には選ばないだろう。


 沈黙を破ったのは部長だった。

  

「……分かったっしょ。ウチは寛のことを信じる」


「そもそもウチらにはもう幽霊を倒すための手立てはない。信じる以外の選択肢なんて、鼻からないっしょ」


「それに……」


「ウチらは仲間じゃん。寛がそこまで真剣に言ってるのに、信じないなんて先輩失格っしょ」


「先輩……」

 

「ふふっ……それもそうですわね。私も信じますわ」


「ひなも信じるー。おやつで幽霊倒すなんて、オカルト部っぽいかもー」


「あはは……違いない」


 僕らは顔を見合わせて笑い合う。


 そうだ。僕らオカルト部は最初からこんな感じだった。


 オカルト好きなんて先輩だけで、お菓子とトランプを楽しむ滅茶苦茶な部活。


 だけどそんなオカルト部が大好きなのだ。


「ということで、もう逃げる必要はありません。ここからは僕らが狩る側です」


「ひな、コッペパン出して。僕の……いちごジャム味をさ」


 キメ顔で、指パッチンまでして僕はそう言った。


 最高に決まった……そう思っていた。


「あはー……あはー……」


「……どうしたのひな? コッペパン出して」


「……センパイくん、センパイくん。とっても言いにくいんだけどー」


「ひな、もうコッペパン全部食べちゃったー」


 *


「ひな、もうコッペパン全部食べちゃったー」


「なっ!?」


「ひなちゃん!? それはまずいっしょ!」


「あわわわわ……一縷の望みが……」


 先輩たちは慌てふためき、ひなは恥ずかしそうに顔を赤らめる。なんてことしてくれたんだこの食いしん坊は!


「あはー……幽霊怖くて……お腹すいちゃって……それで……」


「そ、そうだったんだ」

 

「ど、どうしましょう……このままでは……」


「ううう……ひな、吐いた方がいいかな……」


 僕は指を口に突っ込もうとしているひなを必死に止める。


「それだけはやめて! それにまだ大丈夫だよ」

 

「だって、コッペパンの食べかけが階段手すりにあるから」


「そ、そうでしたわ! で、ですがそれはつまりあの幽霊を欺きながら3階へ戻らなければならないということですわよね……」


「それは……そうだけど」


 再び僕は教室の外を見る。幽霊はやはり階段の前でキョロキョロとしていた。


 あそこまで警戒されては3階まで戻れない。


「いいや、大丈夫だね」


「先輩? 何か策があるんですか?」


「あるよ。ただ、確実じゃない。下手をすればコッペパンに辿り着く前にウチらの居場所がバレるかもしれないし、何も起きずに終わるかもしれない」


 先輩は額の汗を拭いながら、スマホを取り出した。


「山口先生の電話番号……他の先生から聞いておいたんだよね。ウチ、先生から信用されてるから」


「電話番号……まさか……!」


「そのまさかだよ。多分、山口先生はこの特別棟のどこかにいる。眠らされているか、はたまた殺されているか……状態は定かじゃないけど。少なくとも、山口先生の携帯電話は無事なはず」


「……もし山口先生が消息を絶ったのが特別棟3階だったら」


「……幽霊を音で釣れるかもしれないっしょ」


 僕は思わず唾を飲み込む。


 この作戦に成功すれば、幽霊に勝てる……!

 

「……やりましょう、先輩。もうそれに賭けるしかありません」


「そうですわ。賭け事はオカルト部でたくさんしてきましたもの。今更怖いものはありませんわ」


「その発言は結構怖いかな?」


「クッキー賭けるのは合法かもー」


「お金かけてないから、セーフセーフ」


 ニシシと笑う先輩に、僕らも釣られて笑う。


 一体なんの部活なんだ僕らは。


 でもしかし、あのバカみたいな日々が僕らに一体感を与えてくれているのは事実だった。


「行くよみんな。これが最終決戦……! この作戦で……勝ちに行くぜ、みんな」


「「おー」」


 *


『…………あ…………と……う…………あ……』


 扉の隙間越しに目を凝らすと、黒髪の幽霊は未だに階段の前を陣取っていた。

 

「それじゃあ電話かけるよ」


「お願いします」


 <電話の着信音>


 教室に、小さく着信音が鳴る。


 繋がってはいる。山口先生の携帯電話が消滅しているなんて最悪の事態は起きていない。


 そしてしばらくすると、幽霊が階段を降り始めた。


 ⭐︎北谷町結衣 フェードアウト

 

「幽霊、動きました。狙い通りです」


「よっしゃ。それじゃあ寛、頼んだよ」


「了解です。先輩たちはここで待っててください」


「ファイトですわ」


「センパイがんばれー」 


「うん。行ってくる」


 音を立てないようにゆっくりと扉を開けて外に出る。


 そして忍足で階段を降りていった。


<足音>

 

 踵から地面を踏み、つま先までを徐々に下ろす。


 制服のズボンが擦れて音が出ないように、少し大股になりながら進んだ。


 ここまで全て順調にいっている。


 忍足なんてしたことなかったけど、やってみれば案外できるもんだ。


 とはいえ幽霊が今どこにいるのかわからない。


 常に警戒を怠らないようにしながら、僕は亀のごとき速度でコッペパンの元まで移動していった。


 そして……


『コッペパン……ひなの食べかけの』


 3階まで降りて、ついにお目当ての除霊アイテムを手に入れることができた。


 ひとまず安心して、ホッと胸を撫で下ろす。


 さて帰ろうと振り向いたその瞬間だった。


 ⭐︎結衣

 

『……あ…………き…………と…………?』


「うわあああああああ!!」


 目の前に幽霊が現れ、僕は叫ぶ。


 咄嗟の判断でコッペパンを幽霊に叩きつけた。


『あああああああああああ!!!!』


 幽霊とコッペパンがぶつかり合い、強い光が放たれる。


 光は爆発へと変わり、その衝撃で僕の身体は宙を舞った。


「ぐっ……!」


 階段を転がり登り、壁にぶつかって止まる。


 背中を強く打ってしまい、激痛が走った。


「ゆ、幽霊は……!」


『……あ……あ……あああああああ!!!!』


「た、倒れてない!」


 コッペパンで攻撃したことにより、幽霊は明確な敵意をこちらに向けて突っ込んで来た。


 僕は痛む身体に鞭をうち、階段を駆け上った。


『攻撃は確実に効いている! でも僕1人じゃ倒しきれない!』


 ほんの数秒、こんな非常時だというのに、僕の頭はよく回った。


 今ので理解した。この幽霊は倒せない相手じゃない。


 力を合わせれば絶対に勝てる!

  

 4階まで着いたところで、僕は先輩たちに叫ぶ。


「僕の背中を支えて!」


 短い言葉だったが、3人はすぐに行動に移してくれた。


 オカルト部の結束力は今まさに極まっていた。


『ああああああああああああああ!!!!!!』

 

 迫り来る幽霊は今日1番の迫力で僕らに迫る。


 結束した僕らを見て、憎しみすら覚えているように感じた。


⭐︎ひな⭐︎歩夢⭐︎めぐる

 

 気圧されそうになった僕の背中に、彼女たちの手が添えられる。


 小さな手だ。それでもこの幽霊に打ち勝つ勇気をもらえた。


「来るよ、みんな!」


「おうともよ!」


「はいですわ!」


「おー!」


 コッペパンを両手で構えて僕は──僕らは幽霊へ突き立てた。


「「いけえええええええ!!!!」」


『あああああああああああ!!!!』


 幽霊とコッペパン2つの力がぶつかり合い弾ける。


 ものすごい衝撃が僕の両手に伝わってくる。


 さっきはこれで吹き飛ばされた。


 だけど今は……僕1人じゃない!


 幽霊と僕らの力は互角だった。


 しかし、ジリジリと、少しずつ幽霊が後退りし始める。


 勝利を確信したそのとき、拮抗した力が破裂した。


「うわっ!」

 

「きゃあああああ!」

 

「わー!」


 その威力に僕らはゴロゴロと団子になりながら転がった。


 気づけば4階廊下の最奥、男子トイレまで吹き飛ばされてしまっていた。


 全身が痛い。鼻血も出ている。


 他の3人もかすり傷を負っていた。

 

 そして僕は視線をあげる。


 長い廊下のその先──幽霊は立っていた。

  

「そ、そんな……ダメですの……!?」


「うわーん! ひなたち死んじゃうのー!」


「ここまでっしょ……」


「ま、まだです! 諦めないでください!」


「で、ですが……もう私手に力が入りませんわ……」


「ひなも……」


「……ウチは少し頑張ればなんとか」


 ダメだ。3人とも完全に戦意を喪失している。かく言う僕も……内心諦めかけていた。


 今が攻めどきと察した幽霊はボロボロになった服を揺しながら迫ってきた。


『あああああああああああ!!!!』

 

「来るっ……!」


 僕は強く握りすぎて潰れたコッペパンを再び構えた。

 

『ああああああああ!!!!』

 

「わー! もう終わりかもー!!!!」


 ひなの叫びが廊下に響く。


 衝撃を予期して、僕は目を瞑った。


 *


『……あ…………あ…………う…………』

 

「……あれ、幽霊は……?」


「ぶ、無事ですの……? 私たち」


「なんか生きてるー」


「そうだね……でもどうして……」


「ちょっとみんなあれ見るっしょ!」


 先輩の指先に視線を移す。すると……


『…………あ…………う………………』

 

「……なんか幽霊止まってますね」


「そ、そうですわね……どういうことですの……?」


「疲れちゃったのかもー?」


 僕らが頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、先輩は自信満々な表情で続けた。


「ニシシ……ウチはもう気づいちゃったっしょ!この幽霊は……!」


「逆トイレの花子さんだったんだよ!!!!!」


「「逆トイレの花子さん……!?」」


 逆トイレの花子さんってなんだ。そんな七不思議聞いたことないぞ。

 

「そう……これはその名の通り、トイレの花子さんの逆なんだぜ」


「は、はぁ……逆ってなんですか逆って」


「花子さんはトイレに現れるじゃん? そしてその性質は地縛霊に近くて、トイレから出られないという設定を採用する作品もままあるっしょ」


「確かにそうですね」


「ひな知ってるやつそれかもー」


「そう……この幽霊はトイレに入れない! まさにトイレの花子さんの逆──逆トイレの花子さんだったんだよ!!」


「逆というよりギャグですわね」


「うおおおおおおおお!!!! 新発見キタコレ!!!!!!!」


 先輩は上機嫌に深夜の学校で叫んだ。


 盛り上がる先輩の姿を見ていると、僕らの恐怖心はどこかへ行ってしまった。


「全く、先輩は相変わらずですわね」


「めぐちゃん先輩うるさーい」


「ちょっと!? これ結構すごいことが起きてるんだけど!? なんでみんなもっとはしゃがないの!?」

 

「まあ僕たちそこまでオカルト興味がないので……」


「ぐぬぬ……それは言わないお約束っしょ……気づいてたけど……!気づいてたけど!!!!!」


 頭を抱える先輩に、僕らは思わず笑みが溢れた。


 気を取り直して、僕らは直面する問題と向き合った。


 安全だと分かると、こんなに可愛い生き物はない。いやまあ死んでるから『生き物』ではないのだけど。


「終わらせよう。相手も満身創痍だ」


「ええ、私もうお風呂に入りたいですわ」

 

「ひななんてこんなこともできちゃうよー。べろべろばー」


「こら、幽霊に失礼なことしない」


「あはー、怒られちゃったー」


「安置からの一方的な攻撃、一番楽しい瞬間じゃん!」


「東風谷先輩、良い性格してますわね」


「ゲーマーは大体こうっしょ!性格が終わってるんだぜ!」


「自分で言わないでください自分で」


 いつもみたいなバカ話をしながら僕らは笑い合う。


 この戦いは、僕らのこんな笑顔を守る戦いだった。

 

「それじゃあみんな、いくよ!」


「おー!!」


「せーの!」


「「コッペパンソード!!!!」」


『あああああああああああああああ!!!!!!!』


 コッペパンの一撃が白い幽霊に突き刺さる。


 手に伝わる衝撃はほとんどない。


 幽霊はもうコッペパンに抗う力を持っていかなかったようだ。


 幽霊の最後の悲鳴が鳴り響き、強烈な光が弾けた。

 

 *


「はぁ……はぁ…………幽霊は……」


「……完全に消えましたわ」


「これはつまり……!」


「ひなたちの勝ちだー!!」


「「おおおおおおお!!!!」」


 校舎の外にまで聞こえるかという音量で僕らは勝利を分かち合った。


 高まる感情の行き場をみうしなかった僕たちは、ひなを数回胴上げしてどうにかそれを抑えた。


 ここに来るときまで、幽霊の討伐は半ば諦めていた。


 オカルト部として通すべき筋が通せればそれでいいとか、そんなことを考えていた。


 だけど結果として、無事に勝利を収めることができて本当によかった。


 きっと、みんながいなければ今のこの高揚感を味わうことができなかっただろう。


 傷だらけになったこの姿も、今では勝利の勲章のように誇らしかった。


「やりましたわ!やりましたわ!本当に幽霊に……勝てましたわ!」


「ねー、ひな今度こそ本当に食べられちゃうかと思ったよー」


「ヤバい……これヤバいっしょ……まだ心臓バクバクいってるじゃん!」


「あはは……僕もですよ。本当に勝てて良かった……」


 僕はひなの頭をポンポンと叩く。

 

「ひな」


「センパイどうしたのー?」


「幽霊に勝てたのはひなのお陰だよ。ひながコッペパン持ってきてくれてなかったら、僕らは今頃幽霊にやられてたよ」


「そうですわね。日南田さん、お手柄でしたわ!」


「ひなちゃん流石! 除霊のセンスありすぎっしょ!」


「えへへー、そんなに褒めても何も出ないよー」


 頬を緩ませながらひなは言った。


 ちょっと甘やかしすぎか?いや、でも今日のMVPは間違いなくひなだろう。


「でもひな、今日は活躍しすぎたかもー。めぐちゃん先輩が引退したらー、ひな部長になっちゃうよー」


「もう来年のこと考えてる!?かなり調子乗ってるっしょ!」


「ふふっ、東風谷先輩より頼りになるかもしれませんわね」


「あゆむん!? ウチの何が不満なのー!? 呪ってやるー呪ってやるー!」


「ひなはめぐちゃん先輩のこと好きだよー。厳しくないしー」


「ひなちゃん……って、やっぱりウチ舐められてる……?」


 東風谷先輩は頭を抱えて倒れ込んだ。先輩の威厳なんてものはなかった。


 スライムになりかけた先輩を他所目に、ひなが僕の肩をつつく。

 

「ねー、センパイ」


「ん、どうしたの」


「ひな今日頑張ったから何かご褒美ちょうだいー。それはさておきコンビニ行きたいかも」


「暗に奢れと言われている……! でも、お金持ってきてないから無理かな」


「えー、センパイのケチー。じゃあ何か他のでいいよー」


「貰うのは確定なんだ。じゃあ、はいこれ」


 僕は幽霊を倒したコッペパンをひなに渡す。

 歯型のついた断面からはいちごのジャムがはみ出ていた。


 ひなは唇を尖らせ、不満気な顔で僕を見た。


「ぶー、ぶー。これひなが持ってきたコッペパンなのですがー、ひなの食べかけなのですがー」


「細かいことは気にしないの。今日のところはこれがご褒美ね」


「もー仕方ないなー。勘弁してやろうー」


 ひなはまるで殿様のように言った。今日の可愛い後輩は調子乗りメーターが振り切れていた。


 そして、食べかけのコッペパンをパクリと一口。


 食べた途端に、ひなは顔をしかめた。


「うわー!! なんかこのコッペパンしょっぱいかもー!!!?」

  

 僕は幽霊との熾烈な戦いを思い返す。


 ……そういえば逃げてるときに塩かけちゃったっけ。


「ふふっ、日南田さん……可笑しいですわ」


「はっはっは!調子に乗りすぎたバチが当たったっしょ!」


「ははっ、かもしれませんね」


「うわーん! もう幽霊退治はしたくないかもー!」


 ひなの叫びと、僕らの笑い声が響く。


 こうして僕らの七不思議調査は幕を閉じたのだった。



 

 

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