第15話

[教室]


 始業のチャイムが鳴る。


 教室にはすでにクラスメイトは揃っていたが、ホームルームはまだ始まっていなかった


「山口先生、今日遅いね」


「そうですわね。職員会議が長引いているのではありませんか?」


「そうかもね。文化祭も近いし忙しいのかな」


 僕らが七不思議調査を19時以降にできている時点でご察しの通り二高の先生たちは忙しい。

 学校行事が重なればその忙しさには拍車がかかるんだろう。


 僕が教科書をパラパラとめくりながら待っていると、教室の扉が開かれる。


 現れたのは現国の木本先生だった。生徒からは結構人気。


 木本先生は授業の時のように朗らかな雰囲気で教壇に立った。


「はーい皆さん揃ってますね。ホームルームを始めますよ〜」


「木本先生ー。今日山口先生はいないんすか」


「えー、そうね。山口先生来てないみたいなのよ。ごめんね〜」


「それでは連絡事項をいいますよ〜。来週は待ちに待った文化祭! 月曜日から本格的な準備に入りますから皆さん怪我には注意して……」


 そうして木本先生は文化祭の注意事項について話をした。


 どうやら来週からは備品などを作り始めてもいいらしい。


 作った備品は空き教室に保管するように、とのことだった。


 オカルト部は部誌の作成・頒布が文化祭での出し物になるわけだけど、場所は文芸部の一区画を借りることになっているから備品などの準備は特にない。


 僕らはとにかく部誌の完成を急ぐのみだ。

  

「私たちにはあまり関係のない話でしたわね」


「そうだね。西園寺さん、部誌の内容考えてきた?」


「ええ、少しですが。ノートにレイアウトを考えて来ましたわ」


「それは心強いね。後で見せてもらってもいい?」


「もちろんですわ。書くのは寛さんですもの」


「まさかの丸投げ!?」


「ふふっ。冗談ですわ。一緒に頑張りますわよ」


 僕らが小声で作戦会議をしていると、木本先生の話が終わる。

  

 ホームルームが終わったところで、木本先生はそのまま一限目の現国の授業を始めるのだった。

 

 *


[教室]


 午前の授業が終わりお昼休みに入る。


 僕らはいつものように席を向かい合わせた。


「あら寛さん、今日はお弁当ですわね」

 

「あ、うん。ほら合宿のときに西園寺さんがお米炊くのは簡単だっていってたからさ。僕もついに自炊デビューだよ」


「……まあ、おかずはスーパーのお惣菜だけど」


 料理上手な西園寺さんを面前に、不甲斐なさを帯びたスーパーのメンチカツを僕は口に運んだ。


 肉汁がしっかり詰まっていてとても美味しい。

 

「いい心がけではありませんの。毎日パンばかりだった寛さんからすれば相当の進歩だと思いますわよ?」


「ま、まあね。ゆくゆくはおかずも自分で用意できるようになったらいいなとは思ってるよ」


 そう言った後、僕は重要なことを思い出した。


「ん、というかおかずを用意するより、お婆ちゃんが帰ってくる方が早い気がしてきたな……」


「そう言えば寛さんは今一人暮らしなのですわよね。お婆様はいつ帰ってくるのですか?」


「詳しいことは聞いてないけど、多分文化祭が終わって少ししたら帰ってくると思う。日本一周旅行だとか言ってたね」


「あら、日本一周。それは素晴らしい響きですわね」


 西園寺さんは目を輝かせながらそう言った。


「西園寺さんって旅行とか好きなの?」


「好きか嫌いかで言われれば好きですわ。誰も自分のことを知らない土地を訪れるというのは何とも開放感があると思いますの」


「そ、そう……?寧ろ知らない人ばかりで不安になったりしないの?」


「寛さんは臆病ですわね。もしかして二高に転校してきた時も不安ばかりでしたの?」


「そ、そうだね。正直、ここに来るまでは転校なんてしたくないってずっと思ってたよ」


「あら、そうでしたの。転校初日から堂々としていたので、新天地には慣れているのかと思いましたわ」


「内心ドキドキだったよ。まあ、駄々こねてても仕方ないから、全力で楽しもうとは思っていたけど」


 僕は転校初日のことを思い出す。


 夜のコンビニで出会ったふわふわ少女──ひなから詐欺にあってプリンを買ったんだっけ。


 そして家でプリンを食べながら全力で楽しもうと意気込んでいた気がする。


 そんな話をしながら、僕はあることを思い出した。


「あっ、そう言えば話変わるんだけど、朝言ってたノート見せてもらってもいい?」


「いいですわよ。はいどうぞ」


 西園寺さんから一冊のノートを受け取る。


 今日のためにノートを新調した……かと思いきや思いっきし現代国語のノートだった。


 確かに板書すること少ないけれど!木本先生はノート提出とかないのかな。


 中を見てみると、話にあった通り、七不思議の記事のレイアウト案がいくつか書かれていた。


「西園寺さんセンスいいね。それに絵も上手い」


「ふふふっ……私の意外な特技ですわ。小中とイラストをよく描いていましたので」


「そうなんだ。てっきりまた習い事とかかと思ったよ」


「あら、美術教室には通ったことありますわよ」


 通ってはいたのか。

 

「すぐにやめてしまいましたが」


「そうなんだ。やめた理由とかはあるの?」


「単純に場に合わなかったからですわね。周りはお婆様方ばかりでしたので」


「あー、なるほどね。確かに美術教室というとそういうイメージあるかも」


「おそらく寛さんの想像通りの場でしたわ。老後の趣味ですわね」


 西園寺さんは涼しげな表情で筑前煮を口へ運ぶ。


 何というか西園寺さんのお弁当はお婆ちゃんって感じのラインナップだった。


「他人のお弁当を古臭いと思うのはあまり感心しませんわね」


「心が読まれてる!?」


「あら、本当にそんなことを考えていたんですの? 失礼してしまいますわね」


「私、古臭いのが悪いとは一言も言っていませんの。美術教室の件は、単に場に合わないというだけのことですわ」


「あはは……そ、そうだよね」


「そうですわ。寛さんにおひとつ差し上げます。美味しいですわよ」


 西園寺さんは人参を箸で摘むと僕の口元へ。


「えーっと……自分で食べれるよ」


「ふふふっ、いいではありませんの。私一度やってみたかったんです。『あーん』というものを」


 今日の西園寺さんは何だか積極的だ。


 まあお嬢様ゆえ、色々と制限されていたりしてこう言うことに興味津々なのかもしれない。


 僕は彼女に使える執事な心境で彼女の提案を受け入れる。


「そ、そこまで言うのでしたら」


「どうして敬語なんですの?」


「心は執事だからですよ、お嬢様」


 追求を振り払うようにそういうと、僕は人参をぱくり。


 もぐもぐ……


「うん、かなり美味しいよ。やっぱり西園寺さん料理上手なんだね」


「ありがとうございますわ。『あーん』の効果でおいしさ3割増しですわよ」


「そんな隠された効果が!?」


「人によってはそうなるかもしれません」


 西園寺さんは軽く微笑む。そして使った箸をティッシュで拭き取った。


「さて、『あーん』といえばラブコメにおける昔ながらのワンシーンなわけですが、やはりいいものではありませんか?」


「あっ、ここでその話戻ってくるんだ。なるほどね」


「そういうことですわ。いいものはいつまで経ってもいいものです。古臭いといえど、今日まで続いているのであればそれは何かしらの良さがあるからだと思いますわ。筑前煮も『あーん』も」


 国際交流が盛んになってか和食以外を食べることが多くなった僕たちだけど、それでも昔ながらの筑前煮は生き残っている。


 確かに考えてみれば『古いかどうか』と『良いかどうか』の価値観は別ベクトルで存在しているのだろう。


「その通りだね。古き良きって言葉も存在するしね」


「ですわね。寛さん、他に食べたいおかずは何かありますか? 寛さんのおかずと交換しましょう」


「えっ、いいの? それじゃあそのだし巻き卵を……」


「はいどうぞ。私もそちらのコロッケをいただきますわ」


「うん、はいどうぞ」

 

「ふふっ、おかず交換なんて初めてですわ。思いの外楽しいものですわね」


 西園寺さんは嬉しそうに微笑んだ。


 僕もこれまでおかず交換なんて数えるくらいしかしたことない。


 一般人でも珍しいよ言いたい気持ちを抑えながら、僕もこの古き良きお友達イベントを楽しむのだった。

 

 *


[教室]


 1日の授業が終わり、クラスはすっかり帰宅ムードだった。


 今日は山口先生がいないと言うこともあって、慌ただしく緊張感がない。


 ガヤガヤと騒がしいところに、朝と同じように木本先生がやってきた。


「はーい、みなさん静かにしてねー。ホームルームしますよ〜」


「やった!帰りも木本先生じゃん! 先生、このまま担任になったりしませんか?」


「こら〜、学級代表君。山口先生に言いつけちゃうぞ〜」


 ワハハと、笑い声が教室に響いた。


 僕らのクラスの学級代表は結構お調子ものだ。


 面白くて、いつもクラスの雰囲気をよくしてくれている。


「というか、木本先生。山口先生はどうしたんですか?風邪ですか?」


「うーん、先生もわかりません。来週聞いてみてね」


「えっ、聞かされてないんすか?まさか無断欠勤とか……!?」


 それはない、とクラスメイトから声が上がる。


 山口先生は厳格な先生だ。そんなことはキャラではない。


 担任の欠席内容の話題で私語が増えてきたところを、先生は手を叩きとめた。


「とにかく、これ以上の詮索はなし! 連絡事項に入るわよ〜」


 その後は朝のホームルームと同じように文化祭関連の連絡を木本先生は続けた。


 クラスメイトたちの脳内が文化祭に染まっていく中、僕は──もしかすると西園寺さんもかもしれないが、山口先生の件が脳内で反芻されていた。


 山口先生はかなりしっかりしている先生だ。普通、無断欠勤することなんて考えられない。


 仮に風邪を引いて具合が相当悪くとも、学校に連絡ぐらいは入れるはずだ。


 そんな山口先生が何も言わずに休むとなるとそれは彼自身の身に何かが起こったのではないかと思うのが自然だ。


 そしてその『何か』に該当しそうな出来事を僕たちは知っているのだ。


「…………」

 

 隣の席の西園寺さんを確認すると、彼女は険しい表情で俯いていた。


 相当まずいことになった。


 最後に僕らが確認したときには何もいなかった。勘違いの線もあると考えていた。


 だけれども、実際にこうなってしまっては認めないといけないのかもしれない。


 山口先生は……幽霊にやられた可能性がある。


 *

 

[部室]


 放課後になったので僕と西園寺さんはひとまず部室に向かった。


 例の件のこともあり、僕らは道中特に何も話すことはなかった。


 部室には既にひなと東風谷先輩がいた。


「…………」


 東風谷先輩はこちらに気づくと言葉を発せず下を向いた。


 先輩の方にも先生の情報は伝わっているらしい。


 いつもならお菓子を食べているひなもソファーの上で縮こまっていた。


 僕たちはテーブルを囲みソファーに腰掛ける。


 しばらくの沈黙の後、先輩が切り出す。


「あ、あはは……トランプでもしよっか」


「…………そんな気分じゃないよね」


「…………じゃああの話でもしようか」

 

「知っての通り、今日は山口先生がお休みしてる。理由に関して……ウチらはなんとなく察してるよね」


「……そうですわね」


「……うん」


「……はい」

 

「昨日の夜、ウチらは七不思議調査の最後に白い幽霊らしきものに追いかけられた」


「特別棟から逃げ切った後、中を確認したら幽霊はどこにもいませんでした」


「み、見間違いなのかと思いましたわ」


「ひ、ひなも……」


「その後ウチらは、職員室でそのことを先生に報告した。そして……」


「その報告した先生こそ、山口先生でしたね」


「そう。だからあの後、山口先生は特別棟を調べに行っちゃったんだと思う」


「そして……先生は幽霊に襲われた」

 

「まさか幽霊がいるなんて、と先生は信じている様子ありませんでしたわ」


「ひ、ひなたちもそう言うことにしようって……納得しちゃってたし……」


「仕方ないよ。幽霊を信じる人なんて……そうそういない」


 驚いたようにひなと西園寺さんが僕を見る。


 2人はそうそう居ないタイプの人間だ。


 状況をおさらいしたところで、東風谷先輩は僕の目を見る。


「……寛はどうするべきだと思う?」

 

「どうって……それは……」


 3人から期待を込めた目を向けられる。


 こんな状況で何をするというんだ。


 ……いや、それは嘘だ。


 何をすべきかは分からなくとも、どのような選択肢があるかくらいは僕にだって分かっていた。


「2つ、選択肢があります」


「1つは、本件にはもう触れないでこのまま文化祭の準備をすることです」


「そして、もう1つは……僕らで例の幽霊の問題を解決すること」

 

 その言葉に、3人はごくりと唾を飲み込んだ。


「も、問題を解決する……というのは何をするおつもりなのですか?」


「それは僕にも分からないよ。だけど、目的は『幽霊を退治する』……こういうことになる」


「た、退治!? ひ、ひなたちでそんなの無理だよー!」


「……僕もそう思う。そもそも幽霊がどういうものなのか、何が弱点なのか……何もかも分からないから」


「……絶望的ですわね」


 西園寺さんの言葉を最後に、沈黙が流れる。


 選択肢は提示した。後は、選ぶだけだ。


「前者であれば、僕らの安全は保証される。後者であれば、その保証はない」


「だけど前者であれば、問題を知った上で見て見ぬフリをすることになる」


 3人は決まりが悪そうに視線を逸らした。


「ただ、客観的に見て、後者を選ぶのはあまりにも無謀すぎると思う。命の保証がない」


 まともに考えれば前者──幽霊のことは忘れて文化祭準備に取り組むのが利口だ。


 かといって、この問題を放置するのは人としてどうかとも思う。既に山口先生という犠牲が出ているわけで、オカルト部が何かアクションを起こさないというのは道理に反している。


 これは道理の問題だ。全員でなくてもいい。”オカルト部”として尻拭いらしきことをした、その事実があればいい。


 そしてその尻拭いをするのに、僕は適している。


「……それを踏まえて言います」


「……僕は幽霊を退治しに行きます」


「か、寛……!?」


 東風谷先輩は驚いたように声を漏らした。それはそうだ。


「しょ、正気ですの?」


「センパイどうかしてるよー」


「あはは……そうだね。自分でもそう思う。でもほら、一応責任ってものがあるしさ」


「安心して。みんなには一緒について来て欲しいだなんて思ってないから」


「まあ、大丈夫だよ。僕はオカルト部のパワー担当だからね。1人でちょちょっとやっつけてくるよ」

 

「……寛さん冗談はほどほどにして欲しいですわ」


「……そうだね。冗談だよ」


「……先輩たちはどうしますか」


 僕は3人に投げかけた。


 しばらく考えた後、先輩がまず口を開く。


「ウチは反対だよ。危険すぎる」


「だからウチは……このまま文化祭準備をする」


 先輩はチラリと僕を見る。今先輩がどういう気持ちなのかは分からない。


 だけど、先輩が一緒についてこないと言ってくれて僕は安心していた。


 先輩まで幽霊退治に参加してしまったら、後の2人が逃げにくくなってしまう。


「……私もお家で大人しく作業しますわ」


「……ひなも」


 2人は僕から目を逸らしたまま、そう告げる。


 それでいい。七不思議調査、その最後は僕だけで十分だ。

 

「それじゃあ、今日は解散にしましょう。後の作業は任せました」

 

 僕はそう言うと、ゆっくりと3人は帰り支度を始めた。


 部室を出るとき、ひなと西園寺さんは申し訳なさそうにお辞儀した。


 気を使わせてしまって、僕は逆に申し訳なくなった。


 東風谷先輩は部室の鍵を机に置く。


「寛、ごめんね」


「謝らないでください。これは単に道理の問題です。誰かがやらないといけない。そしてそれをやるなら僕が適任ってだけですから」


「あっ、そうでした。夜の学校の利用許可って取れそうですかね……?」


「うーん、分からないかも。前回ので調査終了って先生たちには言っちゃったから」


「そうでしたか。ありがとうございます。今夜こっそり学校忍び込みます。9時には先生たち帰ってますかね」


「微妙なラインだね」


「そうですか。ありがとうございます。」


 先輩が出ていき、部室に1人残される。


 悲劇のヒロインみたいな立場になったわけだけど、案外僕の心は穏やかだった。


「さて……僕も一旦帰るか。幽霊って何が効くんだろう……」


 そんなことを考えながら、僕は決戦への支度に向かうのだった。

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