第16話 失くしたもの

 朝の陽ざしに目を細めながら意識は段々と覚醒していく。


「……はぁぁぁぁぁぁぁ」


 朝からクソでかいため息が出てしまう。原因はもちろん、昨日の事だ。


「あれでよかったのかな」


 それはたぶん、誰に聞いても分からないだろう。

 何とか頭を切り替えて部屋を出る。


「……」


 いつもの光景なのに、いつもと同じには感じない。

 テンションが上がる休日だというのに、今日は全くそんな気分ではなかった。


「若、おはようございます」

「あ、橘さん。おはよう」

「と言っても、もうお昼前にはなりますが。何か召し上がりますか?」

「あー、うん。適当にもらおうかな」

「承知しました」


 橘さんは何事も無かったようにいつもと同じだった。

 昼前、ということは朝早くに望月さんは荷物をまとめて家を出て行ったのだろうか。


「……とりあえず飯を食うか」


 どれだけ落ち込んでいても腹は減る。俺は最低限身だしなみを整えて下に降りた。



「適当でって言ったんだけどなぁ……」


 テーブルに並べられていたのは卵焼き、焼き魚、サラダ、汁物、おまけにデザートまで用意されていた。見映え、栄養面共に完璧であった。


「あのー橘さん?」

「おかわりですか?」

「じゃなくて。適当でいいって言ったよね俺」

「はい。なので若には元気になってもらうべく、なものを用意させていただきました」


 なるほど。どうやら橘さんなりに気を遣ってくれているらしい。

 その行為に甘えてありがたくいただくことにする。


「若、僭越ながら情報共有を。由愛様ですが、早朝旅立たれました」

「……そっか」


 やはりそうか。

 まだ家にいるかも、と思っていたが、行動力のある望月さんらしい速さだと思った。


「若。私はいつでも、若の味方でございますよ」

「……そりゃどーも」


 またまた気を遣って橘さんはそう言ってくれるが、正式な雇い主はじーちゃんだ。

 もし俺とじーちゃんの意見が食い違えば、橘さんがどちらに着くのかは明白で──。


「たとえご主人様の意と違えることになろうとも、私は若に尽くします」


 こちらの心を見透かしたかのように、橘さんは畳みかけてきた。


からずっと、私は若に忠誠を誓わなかった日はございません」

「……」


 橘さんとは、昔色々あった。

 今ではこうして接しているが、本当に色々あった結果が今だ。


「……分かった。ありがとう、橘さん」

「はい。身も心も捧げる用意はできておりますので」

「う、うん? あ、ありがとう……?」


 何だかとんでもない用意をされている気がするが、おかげで気がまぎれた。




 遅めの朝食、というよりも昼食を食べて外に出た。

 目的は特にない。

 が、最近街の様子を見て回るのが習慣づいてしまったせいで、こうして今日も外に出ていた。


「もうこんなことする必要ないのにな……」


 たまに望月さんが着いてきたりしてたっけ。

 危ないからと止めたが、これも修行になるでしょと押し切られることが多々あった。


「静かだな……」


 街の様子は以前と変わりない。

 変わったのはきっと俺自身だ。

 最近は一人でいることの方が少なかった気がする。


「……アニメイトでも行くか」


 一人ならではの場所に行こうと思い、思いついたのがアニメショップだった。

 我ながらオタク極まれりだ。



 もう少しで着くという所で、会ってしまった。


「おや、ぼっちゃん。一人ですかい? 由愛ちゃんはどうしたんです?」

「……」


 これは事情を話さなければいけない流れだ。

 適当にはぐらかしてもよいが、この人に関しては見抜かれそうで怖い。


「日比谷さんこそ、今日は仕事じゃないんですか?」

「そうなんですよねぇ……。休日出勤って法律違反だと思いません? それを指示する人、誰か逮捕してくれないかな~」

「逮捕する側でしょあなたは」

「まぁボクの事はいいんですよ。ぼっちゃんが一人の理由をボクは聞きたいですねぇ」

「それは──」

「今日、ぶらっと街を見回ったら怪しい連中が軒並みいなくなってました。もしかして、由愛ちゃんの問題が解決、もしくは沼っちゃってたり?」


 やはり、この人には隠し事はできそうにない。


「……分かりました。話しますよ」

「そんな露骨に嫌そうにしなくても……場所、変えますか。飲み物くらいならおごりますんで」



 日比谷さんに案内されるように個人営業の喫茶店へと入った。ちなみにスタバを見たら、ぼっちゃん、あそこは高級飲み物店ですんで勘弁してください、と言われてしまった。


「警察って儲からないんですか?」

「いや? ボクがお金ないだけですけど?」

「あぁ……まぁそうですよね」


 なぜこの人は堂々とお金ない宣言しているんだ……。どうせギャンブルに使ってお金がないのだろうけど。


「それで、何があったんです?」

「……実は」


 俺は起こったことを掻い摘んで日比谷さんに話した。

 まるで取り調べを受けているみたいなので最初は少し緊張してしまったが、日比谷さんは時折冗談を交えたり相槌がうまかったのか、話しやすかった。


「なるほど、伊神コーポレーションですか」

「知ってるんですか?」

「詳しくは知らんですけど、ここ最近その名前のビルが建っているのを見かけますよ。結構大きな会社だと思いますけどねぇ。ノリノリの会社で給料もうなぎ登りなんだろうなぁ、くそっ……ちょっと腹立ってきましたね……」


 後半はかなり私情が垣間見えたが、どうやら世間的にはかなり認められている会社らしい。そんな会社が危ない橋を渡ろうとするだろうか。


「んー……この会社、なんか見覚えが……」

「あるんですか?」

「いや、あったような無かったような……確かあれは負けに負けて浴びるように酒を飲んだ日だったような……」

「帰ります」

「あー待った待った。冗談ですって冗談」


 この人とまともに付き合ってると血管が何本あっても足らない気がしてきた。


「ま、何にせよボクは力になれそうにないですねぇ」

「そこは手伝ってくれるんじゃないんですか?」

「警察って言うのは事が起こらないと動けないものなんですよね、相手が確実にクロだと分かれば話は早いんですけど、こればっかりは。人が危険な目に合うよりも、間違った逮捕をする方が警察にとっては痛手なんです。腐ってますよねぇ」

「わ、分かりました。お気持ちだけで十分です」


 日比谷さんはまごうことなきクズだが、れっきとした社会人だ。

 リスクの高い行動を易々とはできないだろう。


「……くくっ」

「なに笑ってるんですか?」

「いやいや。ぼっちゃんも大人になったなぁと思いましてね。人への気遣いや心配りができてるというか、おじさん嬉しい限りですよ」

「まぁ……俺ももう高校生ですし」

「そういえばそうでしたね。思い出すなぁ、ぼっちゃんにメチャクチャ罵声浴びせられたこと」

「いや、申し訳ないです、はい……」


 思い出すだけでも恥ずかしい。

 昔俺は日比谷さんをボロクソに貶したことがある。

 警察辞めちまえ、何が正義だ、その手帳とバッヂは飾りかなどなど。


「いやいや。あの時のボクにはあれぐらいの罵倒が必要だったんですよ、きっと」

「……そうですか」

「でも、今回の件はまた話が別ですね。ま、確実なクロだと分かれば教えてくださいよ。その時は全身全霊をもって、職務に当たらせてもらうんで」

「はは……ありがとうございます」


 へらへらと話しているが、俺は知っている。

 この人は、本気になったら本当に怖いという事を。



「つい買いすぎてしまった……」


 両手にパンパンの袋をもって帰り道を歩き、家の玄関へとたどり着いた。

 日比谷さんと話した後、予定通りにアニメショップに行き、ボーっとしたまま何も考えず買い漁ったらとんでもない量を購入していた。


「ま、俺にはクレカもあるし大丈夫──あ゛」


 気づいた。気づいてしまった。


 あのクレカは望月さんの修行に付き合うという条件付きでじいちゃんから貰ったものだ。つまり、今は条件を満たしていない。いつ使用を止められるか分かったものではない。


「はぁ~~~~~~~~~」


 大きな大きなため息を吐きながら、家に入る。


「ありゃ」

「え……?」


 家に入ると、姉さんとばったり会った。


 ……姉さんと会った!?


「姉さんが部屋から出てる!?」

「さ、さすがに失礼じゃないっ!? わ、私だって部屋を出る時ぐらいあるもんっ」

「そっか。良かった……。ところでその手に持ってるの、俺が買ってきたお菓子じゃないか?」

「ぎくっ」

「……珍しく部屋を出たかと思えば弟のお菓子を略奪ですか、そうですか」

「ち、違うんだよぉ~。これはゆーくんのお菓子って知らなくて……」


 うるうると今にも泣きだしそうになっている。

 これ以上追い込むと本当に泣きそうだったので今日はこれぐらいで勘弁してやろう。


「……まぁ、今日は勘弁しておこうかな」

「え? え? もしかして、ゆーくん私に呆れた……? ごめん、ごめんゆーくん! お姉ちゃんと一緒に食べよう! それで許して、ね、ね?」


 結局自分も食べる気なのか……。

 ぐいぐいと顔やら体やらを押し付けられて色々とよろしくない。


「あ、そうだ! 由愛ちゃんを狙ってたやつらだってそろそろ分かりそうで──」

「あー……それはもういいんだ。解決したから」

「え……? 解決したって……」


 呆気に取られている姉さんを放って、自分の部屋へと向かう。

 グッズはひとまず机の上に乱雑に置いて、ベッドにダイブ。


 うん。実に充実した休日だった。

 昼まで寝て体も休めれたし、部屋から外に出てグッズも買えた。


 なのに、どうしてこんなにも静寂がうるさく、心が静かなのだろう。大して眠たくもないのに、俺の意識は薄れていった。

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