第3話 日常崩壊

 目の前に広がる満身創痍の人の群れ。

 うめき声をあげて、立ち上がれないでいる。

 そばには、泣いている女の子。叩かれて腫れた頬に涙が次々と流れている。

 この状況は全て、俺が作った。倒れている人々も、泣いている女の子も。俺のせいだ。

 俺が迷ったせいで、この子を泣かせてしまった。俺が未熟なせいで、この子に悲しい思いをさせてしまった。

 せめてもの罪滅ぼしに。

 この子を悲しませる全てを──壊してしまおう。



 カーテンから差し込む朝日に起こされ、目が覚める。


 目覚めは非常によろしくない。

 夢を見ていたような気がするが、よく覚えてない。

 あまり思い出したくもなかった。


 それにしても、昨日は色々なことがありすぎた。

 望月さんがやってきたこと。

 修行をつけてほしいと言われたこと。

 挙句の果てに一緒に住むなどと。


「……」


 今でもやはり納得はできていない。

 どうして今この時代に忍者に憧れているのか。

 昨日のやり取りからは分からなかった。


「考えてもしょうがない、か」


 熟考する時間はない。

 なぜなら今日は平日の朝。

 学生の本分を遂行するべく、学校へ行かねばならないからだ。


「ふわぁ~」


 あくびをしながら背中をポリポリと搔きつつ部屋を出た。

 そして部屋を出た瞬間、自分の行いを激しく悔いた。


「「あ──」」


 部屋を出た瞬間、ばっちりと目が合った。


 望月由愛もちづきゆめ


 俺と同年代の女の子で、俺の弟子のようなもの。そして、


「えへへぇ、おはよう。なんか、照れるね」


 ぼやけた意識が一瞬で覚醒してしまった。少し寝ぐせのついた崩れた髪型に、ゆるっとした寝間着の姿。昨日の活発な姿とはまた別の可愛らしさが滲み出ていた。


 どうしてこうなった。いやホントに。

 俺は瞬時に昨日の記憶がフラッシュバックしていた。



「ごちそうさまでした」


 家族+従業員で食事を終えて、ゆるっとした雰囲気が漂い始める。


「それじゃ、俺たちはこれで」

「お、おやすみなさい」


 2人は会社の寮に住んでいるため、食事を終えるとさっさと帰ってしまった。明日も仕事らしいので早めに帰りたいとのことだった。


「もうこんな時間か」


 今日も今日とて推しているVtuberの配信があったはず。スマホでさくっとチェックし、配信時間を確認。部屋に戻って見ようと腰をあげたときだった。


「祐、由愛ちゃんの部屋は案内したか?」

「あ、忘れてた。どこ? 客室?」

「アホウ。由愛ちゃんはもはや家族同然じゃ。客室などよそよそしい場所に泊められるかっちゅー話じゃ」

「じいちゃん酔ってるな……」


 先ほどの食事のときも、望月さんにお酒を注いでもらったり他愛もない話で盛り上がっていたので相当気分が舞い上がっていると見える。


「きちんと部屋を用意しておるわ」

「どこなんだよ」

「お前の隣じゃ」

「HAHAHA。まだ酔ってるらしいなこの老人は。とんだ大ウソつきになってやがる」

「酔っているのは認めるが老人と嘘をついていることは否定させてもらおう」

「老人は無理だろ」

「ともかく部屋は隣じゃぞ。もう橘さんには荷物その他もろもろ運んでもらったし、今更変えようと言っても無理じゃ」

「……マジ?」

「へ、部屋が隣、なんだ……」


 ほら見たことか。こんなV豚の隣の部屋に住むことになるなんて嫌に決まってるだろ。


 ……自分で思ってて悲しくなってきた。


「師匠の服部君と隣同士なんて……! 忍者の修行に一層身が入りそうだね! 願ったり叶ったりだよ!」

「順応が早すぎないか!?」



 そんなこんなで、今に至る。ほんの一日で今までの日常から大きく逸脱しつついるのだった。


「わ、私顔洗ってくるね。洗面所どこだっけ」

「あ、あぁ。階段降りて右に曲がってそこの突き当りにあるから」

「ありがとっ」


 そそくさと彼女は去っていった。やはり寝起きの姿を見られるのは恥ずかしいのだろう。


「……少し時間をおいてから行くか」


 洗面所で鉢合わせるのも気まずいと思い、先に学校へ行く用意を済ませるのだった。



 食事を済ませ、支度をもろもろ済ませて10分ほどテレビを見ていると、すぐに学校へ行く時間がやってきた。面倒とは思いつつも、腰をあげて玄関へと向かう。


「あ、おはよう服部君!」

「……おはよう」


 予想はしていたさ。さすがにそこまではないか、と一縷の望みを抱いていたが、現実は非情だ。


 彼女が来ている制服。それは俺が通っている学校の女子生徒用の制服だった。


「この制服、可愛いね! 気に入っちゃった!」

「そう……良かったね……」

「な、なんかテンション低い? 大丈夫そ?」

「うん、ダイジョブダイジョブ……」


 この調子でいくとクラスまで一緒の可能性が──。いや、考えるのはやめよう。


 俺はいつも通り、いつも通りの日常を過ごすだけだ。



 しかし、家を出て数分歩いただけでいつもとは違う状況が目に見えて分かった。


「それでね、私のいたところってスマホの電波届かないことがメチャクチャあってね!」

「へー、そうなんだ」


 沈黙で気まずい登校とはならず、望月さんから会話をマシンガンのごとく提供してくれるので気まずい空気にはならなかった。


 しかし、問題は周りからの視線だ。


「誰あれ、めっちゃ可愛くね?」

「ウチの制服じゃん。見たことないけど、転校生かな?」

「きれー……、スタイルいいし、モデルさんみたい……」


 めっっっっっっっっちゃ見られとる!

 かつて登校中にこれほど視線を浴びたことがあるだろうかいやない!


「あのー、望月さん?」

「あ、ごめんね? 私だけしゃべりすぎてた?」

「いやいや、そうじゃなくて。いつもこんな感じなの?」

「こんな感じって?」

「……いや、なんでもない」


 無自覚なのが余計に質が悪い。意図して目立とうとしているなら止めさせれば済む話だが、彼女の場合普通にしているだけで人を惹きつけるオーラのようなものが溢れ出ているらしい。


「ねぇねぇ! 忍者の修行っていつからやるの!?」

「ちょっ……!」


 さすがに公の場で忍者がどうのこうの言うのはまずい。


 一般人からしたら漫画やアニメの話でもしてるのかな? ぐらいで済むので恥をかくぐらいで済むが、問題は本物の忍者が聞いていた時だ。警戒されて、敵対視されると非常に面倒だ。


「と、とりあえず忍者の話は公の場ではよそうか」

「へ? なんで?」

「なんでって……そもそも忍者って忍ぶ者って書いて忍者なわけですよ。忍んでなければ忍者じゃないわけで」

「でも、この辺にいる忍者の人たちって結構目立ってるよね? ほら、あそこの人とか」

「え?」


 彼女が指さした方向を見ると、普通に歩いている男子生徒がいた。ただし、歩いているのは屋根の上だが。


「はぁ~~~~~」


 思わずクソでかいため息が出てしまう。


 ああゆう輩が忍者の品格を下げるのだ。もっとバレないように振舞ってほしいものだ。


「だけど、よく見つけたね。あの人多少なりとも気配は隠してるっぽいけど」

「え、そうなの? でも確かに、忍者の人たちってなんかビビビッていうか、ピーンというか……とにかくそんな感じのがくるんだよね~、なんでだろ」


 なんというフィーリングのオンパレード。まるで理解できない。


「あ、あそこにも」

「ん? ……あぁ、ほんとだ」


 一見普通の男子生徒に見えたが、確かに歩き方に少し癖がある。あれは足音を立てないようにして歩くときによく見られる歩き方だった。


 しかし、妙だ。望月さんはさっきから当てずっぽうで当てているとは思えない。同じ忍者であれば気づくことはあるかもしれないが、よく観察しないと気づくことはできないだろう。それを望月さんは短時間、かつ正確に当てて見せた。


 じいちゃんは望月さんは忍者に関しての修行経験は皆無ということだったが……。


「服部くん?」

「ん? あぁごめん、行こうか」


 思わず立ち止まって考え込んでしまったみたいだ。

 今は考えても仕方がない。ひとまず学校へと向かうのだった。



「それじゃ、職員室はここだから」

「うん。案内してくれてありがと!」


 望月さんを職員室に案内し、後のことは先生にお任せすることに。

 俺は教室に入り、自分の席にそそくさと向かう。

 声をかけられることなく自分の席へ腰かける。窓側の一番後ろ、この上なく快適な席だ。

 自分が席に腰をかけ、荷物を整理してすぐだった。クラスの陽キャ男子が俺の机の上に尻を乗せ、別の陽キャと談笑し始めた。

 邪魔だな……そのケツ切り落としたろか、と思ったが、すぐに別の陽キャが気づいてくれた。


「おい、服部来てるって。ケツ乗せてたら邪魔だろ」

「え? あぁわりぃ! 邪魔だったよな」

「いや、気にしないでいいよ」

「そう? 悪いな。でさー」


 陽キャは何事も無かったかのように談笑を再開していた。


 これだから陽キャは……。朝から爽やかがすぎる。

 でも、俺なんかに気を遣ってくれるとは……。

 ふっ、陽キャも悪い奴ばかりではないかもな。


 朝のホームルームが終わるまでまだ時間がある。スマホを取り出してニュースサイトを開く。

 物価上昇、どこぞのサッカーチームの快挙、全裸の男がうろついていたという不審者情報、などなど。今日も世界はいつも通りだ。


 そうしているとチャイムが鳴り、みな席に座る。すぐに先生はやってきた。


「はぁ~い、皆さん、おはようございまぁ~す」


 担任の柴咲しばさき先生がやってきた。今日ものほほんとしている。


「なんと今日は皆さんに、重大なお知らせが──」

「せんせー! 転校生がくるってホント!?」

「わっ。もう知ってたんだ~」

「男の子? 女の子? どこのクラス!?」

「ふっふっふ。その答えは今から全部分かりますよ~? それでは、望月さんどーぞ!」


 教室に望月さんが入ると、クラスの雰囲気は一変した。


「初めまして! 望月由愛もちづきゆめって言います! 趣味はYouTubeやTikTokの動画を見ることです! 実はかなりの田舎から出てきて都会にまだ慣れてません……。色々、教えてくださいっ。よろしくお願いしますっ!」


 パチパチパチ。クラスから大きな拍手が上がる。男子からはめちゃくちゃ可愛くね? ともてはやされ女子からは可愛い、モデルみたいと絶賛の嵐だった。


 ……もうね、分かってましたよ。同じクラスにされるであろうことは。今回は覚悟していたので取り乱すことは無かった。


「それじゃ席は服部君の隣ね」

「え? あ、服部く~んっ! 同じクラスだったんだ!」


 ぎくぅっ!? 思わず体が一瞬跳ね上がってしまう。


 クラスの視線を一気に引き受ける。そしてヒソヒソとありもしない噂が飛び交い始めていた。


「え? 既に知り合い?」

「どういう関係? 服部っていつも静かだけど、やることやってたのか……?」

「服部と仲良くなってたら望月さんとも仲良くなれる説あるかこれ?」


 まずい……。収拾がつかなくなっている。どうにか事態を納めなくてはと思った時だった。


「皆さん静かにっ!」


 おぉ、いつも穏やかな柴咲先生が珍しく教師っぽい威厳を放っている……! これならクラスのみんなも静かに──。


「服部くんと望月さんはその──一言では言い表せなくて、えーと……とにかく! ただならぬ関係なので皆さんそっと見守るようにしてくださいっ!」


 えぇ……。俺含めクラス全員が同じようなリアクションとなった。

 そんな中気にもせず望月さんは俺の隣の席へとやってきた。


「えへへ、楽しくなりそうだね」

「ソダネー」


 もはや言い返す気力もなし。

 こうして日常は容易く次々と崩れ去るのだった。

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