兄を名乗る資格

 俺と猪瀬は強力な助っ人達のおかげで、ようやく目的地である自宅まで辿り着いた。

 遠目で見たところとりあえず、周囲に山羊頭の姿はない。

 俺はズボンに付けている鍵を外しながら玄関へ向けて駆けだした。


「スイカ! モミジ! ツララ! 無事か⁉」


 鍵を回すと同時に、勢いよく扉を開け中の様子を確認する。

 照明は出て行った時と同じで、一階のリビングのみが照らされていた。

 そこから漏れる光で確認出来る範囲には、誰かが家に侵入したような痕跡は見当たらない。

 ただ、俺の呼びかけに対する返答もない。

 大丈夫。大丈夫だ。

 俺は自分に何度も、強くそう言い聞かせる。

 きっと俺達の帰りが遅いからそのまま一階で眠っちまっただけだ。

 ここから数歩も進めばそこはついさっきまでくだらない話をして、笑い声が絶えなかったリビング。

 廊下には今も香ばしい匂いが残っており、スイカとモミジが目を覚まして遅いと怒鳴る姿が容易に想像出来る。

 あいつらの無事を確認したらまずは猪瀬の手当てだ。

 そしてその後、神楽夜とライチと別れた場所に戻って――


「一階には、オレ達以外に一人。父ちゃんほど体温感知の性能が高くないから、二階までは分からない」


 少し遅れて家に入ったリュウカの発言。

 その一言は、俺が縋った淡い未来を磨り潰すには充分過ぎる威力。

 一気に血の気が引いていくのが分かり、思わずふらついてしまう。

 ……嘘だ。こんなに都合の悪いことばかりが起こってたまるか。

 そうだ、きっとどっちかが体調を崩して部屋に戻ったんだろう。

 それ以外あり得ないじゃないか。異世界人達の来客に、あんなにはしゃいだり喜んだりしていた二人の内、一階に居るのが一人だけなんて。


「危険だ、オレが見てくるよ」


 リュウカが狼狽を隠しきれない俺の様子に気付き、玄関先に猪瀬を降ろした。

 そしてそのままリビングへ進もうとする。

 その手を、震える俺の手が掴む。


「待ってくれ、俺が先に行く。こんなところまで他人任せじゃあ、兄を名乗る資格を失っちまう」

「……不安に潰されそうなくせに。やっぱり恰好いいな、お前。分かった、戦闘になるようならオレに任せろ」


 怖い。

 一番濃くなってしまった未来と向き合うのが。 

 いや、駄目だ。

 冷静になるな、呑まれるな。立てなくなれば終わっちまう。

 考え方を変えろ。一人は、居るんだ。

 一人と表現したことから、おそらくそれが山羊頭だということはないだろう。

 スイカかモミジなら何が起きたかを確認して早急に対策すればいい。

 俺は襲ってくる不安や焦燥感の波から無理矢理一歩を踏み出すように、勢いよくリビングに足を踏み入れた。



 そこに居たのは、スイカだった。

 ただし、俺達に反応して喜怒哀楽を表現出来るような状態ではない。

 パジャマのままうつ伏せに倒れ、背面からでも分かるほど呼吸が乱れている。


「スイカ! 大丈夫か⁉」


 俺は倒れている妹に駆け寄り、抱きかかえる。

 しかし、その身体には一切力が入っていない。


「スイカ! おい!」


 止まらない冷や汗を床に垂らしながら、何度も名前を呼ぶ。

 一体何があった。どうしてスイカがこんなことになってんだよ!


「落ち着け三々波羅ツクシ、大丈夫。オレの体温感知に人間の体温で反応したんだから、生きてるよ。おそらくただ意識を失っているだけだ、外傷も吐血もないだろう?」


 リュウカの言葉を受け少しだけ冷静さを取り戻した俺は、スイカの心臓部分に耳を当てる。

 するとたしかに弱っているようなこともなく、規則的に脈打つ心音が聞こえた。


「とりあえず状況を知りたいし、回復を待つか。お前の友達も中に運ぶぞ、早く手当てしてやらないと」


 第三者として冷静に状況を見てくれるリュウカが同行してくれていて、本当に助かった。

 俺一人では絶対にこの状況でこんなに冷静且つ的確な判断は出来ない。


「世話になりっぱなしですまん。ありがとう」

「礼なんかいいよ、オレは真っ直ぐな奴が大好きなんだ。加えて正義のヒーローに憧れてる、人の役に立てるのが嬉しくてしょうがないタイプだ。便利だろ?」


 冗談混じりに答えるその言葉には、少しでも俺の不安を和らげようとしてくれているリュウカなりの優しさが垣間見えた。


「更に頼み事を重ねる事になって本当に気が引けるんだが、少しの間猪瀬とスイカをお願い出来るか? 俺は二階を探しに行く。まだ弟と妹一人の無事が確認出来ていないんだ」


 猪瀬を運ぶために玄関へ向かうリュウカに、そう声をかける。


「おう、たださっきも言ったけど二階の様子は分からない。やばそうだったらすぐに大声を出してくれ。加勢に向かうから」

「分かった。もしもの時は迷わず助けを求めさせてもらうぜ、ヒーロー」


 二階に上がった俺はまず、大声でツララとモミジの名前を呼んだ。

 しかし返答が得られなかったので、とりあえず階段から一番近いスイカの部屋を開け電気を点ける。

 下にスイカ本人が居るので普通に考えれば当然部屋は空だろうが、念には念を入れておかなければ事態が事態だ。

 何者かが侵入して隠れているのなら、それがスイカの部屋って可能性も充分あり得るし、何か事情があってモミジやツララがここに居るかもしれない。


「ツララ、モミジ、居ないか⁉」


 だがやはり、俺の問いに対する答えは返ってこない。

 部屋全体に目を通してみたが、どうやらとりあえずこの部屋に人の気配や痕跡はなさそうだ。

 急いで次の場所を捜索しようと部屋から出る際、ふとベッドの横に飾られている一枚の写真が目に留まった。

 これは……まだ母さんが生きていた頃、兄妹四人で撮った時のものか。

 俺や妹達も幼いが、一番今と印象が違うのはやはりツララだ。

 スイカにしがみつかれているツララは今よりも髪が短く、今では晒すことのない無邪気な笑顔で微笑んでいる。

 なるほど。

 スイカは悪態をつきつつも、根本ではこうありたいと思ってくれていたわけか。

 それなら尚更、一刻も早くモミジとツララを見つけなきゃならねえな。


 続けてモミジの部屋、俺の部屋の順に捜索したが、一向に二人は見つからない。

 残るはとうとう、一番奥に位置しているツララの部屋だけだ。

 ここにはもちろん、一年ほどドアに手をかけたことすらない。

 あいつの回復を気長に待つつもりだったが、まさかこんなかたちでこっちから扉を叩くことになるとはな。

 ツララが部屋に居る可能性は、正直かなり高いと思っている。

 スイカがどんな状況に陥りどうなったのかはまだ分かっていないが、もしその現状を把握しているのならば、さすがにツララも妹達を守る為に行動するはずだからだ。

 リビングにスイカの姿しかなかったということは、ツララは外で何が起きているのかを把握していないんだろう。

 眠る際にヘッドフォンでもしていて、外の物音や声を聞き逃しているのかもしれない。

 とりあえず、いつものようにドア越しで悠長に話している時間はないな。対話をする気がないのなら最悪ドアを蹴破る覚悟で臨む。


「ツララ。モミジの行方が分からない、力を貸してくれ」


 問いかけながらドアを叩くが、予想通り反応はない。細かくしっかり状況を説明すれば対話に応じてくれるかもしれないが、そもそも俺自身何が起きているのかを把握していない。

 だからそれ以上待つことはせず、ドアの取っ手に手をかけた。

 するとそれは軽く力を込めただけで簡単に下へと移動し、壁と扉の間に隙間が出来る。

 ――なに?

 ツララの部屋が開いているだと?

 馬鹿な! 人との接触に敏感なあいつが鍵を掛け忘れるなんてあり得ねぇ。

 ツララの部屋にも起こっている異常事態を認識した俺は有無を言わさず、そのまま扉を押して部屋の中に侵入した。


 結論から言うとそこにはツララやモミジ、他第三者の姿はなかった。

 代わりに視界に入ってきたのは、意図的に引き倒されたような本棚と散乱した本。倒れて画面の割れたパソコンに、外からの風を受けバサバサと靡く薄緑色のカーテン。

 他にもある一区画を除き、壁や床も含め部屋全体が荒らされている。

 なんだこれ……あいつが部屋に籠るようになってから、この窓が開いているところなんて見たことねぇぞ!

 クソ、家に着いた時に気付けたはずだが先入観で見落とした。

 道理で一階にはなんの痕跡も見当たらなかったわけだ。


 何かがあったのはここ。ツララの部屋で間違いない!

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