「ガァアア!」

 ……ん?

 間違いなく奴らが俺に辿り着く程度の時間は経ったはずだが、身体に衝撃や痛みがない。

 俺が目を閉じた時、鎌はもう目前まで迫っていた。

 なぜだ、どうなってる?

 俺は困惑しつつ、ゆっくりと瞼を開く。

 すると視界に映ったのは、慄きつつ後ずさりする山羊頭共だった。

 ――何が起きた?


「おやおや、弟や妹を養うのではないのですか? それなら五体満足に健康でなければ大変ですよ」

「おいおい、この状況。もしかして自分を犠牲にして仲間を守ろうとしたの? チョー恰好いいじゃん! 三々波羅ツクシ!」


 一つは聞き覚えのある男声で、もう一つは聞き覚えのない女声。

 わけが分からず呆けたままゆっくりと右に目をやると、見覚えのない赤髪の女性が立っていた。

 女性というか、女の子か? 俺と同じか少し下くらいという印象だ。

 ルビーのように鮮やかなその髪と、大きく尖る犬歯が特徴的に映る。

 服装はワイルド系といった感じで、薄着の間からへそが覗いており、褐色を帯びたその肌によく似合っている。

 当然この情報だけでは何が何なのか分からず、今度は左側に目をやった。

 するとそこに居たのは、スーツを着た異形。

 前屈みになりズボンのポケットに手を入れ、シューシューと舌を鳴らし巨大な尻尾を地面に打ち付けている。

 完全に臨戦態勢だ。


「って、マジか……あの時のリザードマン⁉ なんでここに⁉」


 そう。

 山羊頭共を慄かせ、俺を守ってくれたのは。

 バイト先のドレミファマートで接客をした、あの紳士的なリザードマンだった。


「はは、オレと父ちゃんはリザードマンじゃねぇよ。リザードマンは獣人界の蜥蜴型獣人、オレ達は幻獣界げんじゅうかいのサラマンダーだ」


 代わりに返答をしたのは、連れであろう女の子。

 一人称でもしかして男なのかと疑ったが、胸に若干ながら膨らみがあるので女の子で間違いないだろう。

 そして人間そっくりの容姿だが、よく見れば顔に横髭のような黒い紋様がある。

 しかしその点以外は、特に目立つ箇所はない。

 オレ達と言ったが、本当に異世界人で、左側に居る蛇男と同じ一族なのか?

 というか、ナチュラルに父ちゃんと呼んだよな。背丈はおろか容姿すら百八十度違うこの二人が親子なんてあり得るか?


「まぁとりあえず、さっさとこいつらを片付けるから待っててくれよ!」

「そうですね。行きますよ、リュウカ」


 リザード――いや、サラマンダー父は尻尾を器用に使いその場から跳びはねると、後ろ側に位置していた一体の肩に思い切り噛み付いた。

 そのスピードが尋常ではなく、地面を離れてから噛み付くまでの状態を視認出来なかったほどだ。

 当然避けることなど叶わぬ山羊頭は、一瞬で鮮血を散らす。そして膝から崩れ落ち、たちまち戦闘不能に陥る。

 強い。だけどあんたが後ろに行ったら、正面の四体はリュウカと呼ばれた女の子一人で相手をするのか⁉

 無謀すぎるだろ。ほぼ戦力にならないのは分かっているが、俺も加勢しないと!


「リュウカ、火加減を間違えないように。火事なんて起こしたら大変ですから」

「大丈夫だよ父ちゃん。この程度の奴らだったら一息で充分だ」


 そう言うとリュウカは、深呼吸の後大きく空気を吸い込んだ。

 メロンを丸飲みでもしたかのように腹が膨らみ、シャツの下から覗く肌の面積が大きくなっていく。

 それとほぼ同時に、警戒していた山羊頭達が頭数を減らされたことにより背水の陣で一斉に襲い掛かってくる。


「ガァアア!」


 しかしその健闘もむなしく、俺が捨て身の突進を仕掛けるより前に四体は一斉に燃え上がった。

 そう。倒れたのではなく、燃え上がったんだ。

 リュウカが咆哮した直後に口から吐き出した、真っ赤な炎によって。

 その威力はこの距離に居る俺ですら、明確に熱さを感じるほどだ。

 通常俺達が使う火とは根本的な次元が違う。火加減がなんだって?

 それが直撃している山羊頭達は、当然悶え転がりまわる。

 前言完全撤回。

 こいつも間違いなく異世界人だ、親子だというのも嘘偽りないだろう。

 信じられない、本当に一瞬で四体全てを片付けちまった。


「ふーむ、やはり質より量で押してくるタイプは面倒くさいですね。仕方ない、本当は大事に備えてついて行きたかったのですが、ここは私が引き受けます。どうぞリュウカを連れて目的地に向かってください。急がないと、お友達の怪我も心配でしょう?」


 そう言ったサラマンダー父の目線の先には、さっきの倍はあるであろう魔法陣が蠢いている。


 はぁ⁉ マジかよ!

 神楽夜やライチの話だと一つ結界を張るのに結構な労力が必要そうだったが、なぜこいつらはこんなに短時間で大量生産が可能なんだ?

 ようするに魔界、いやマギャリオンとやらの力がそれほどまでのものなのか。


「その、助けてくれてありがとうございます。ただこいつらの中には大型の上位種がいます。そいつが現れない保証がない以上、あなた一人を置いていくことは出来ません」


 サラマンダー父は、きょとんとした眼でこちらを見ながらキレ長の目で瞬きを三回ほど繰り返す。

 ギョロっとした蛇のようなその目は相変わらず俺に畏怖を与えた。


「あっはっは! ご心配どうもありがとう、あなたは本当に優しいですね。でも大丈夫。私一人なら、やばくなればいつでも逃げられますからね」

「行こうぜ、父ちゃんなら大丈夫だ。オレ達の一族には体温感知がある。そんなでっけぇ奴なら、接近される前に気付けるよ」


 リュウカが行きあぐねている俺の手を引く。

 そういえばたしかに、ドレミファマートでも千鶴さんが来るのをいち早く察知して凄いスピードで走り去っていたな。

 俺はちらりと猪瀬に目をやる。さっきよりも衰弱しているように見える、サラマンダー父の言う通り早く止血を施すにこしたことはないだろう。

 神楽夜やライチの時と違い、サラマンダー父はダメージを負っていないし、やばくなれば逃げると宣言してくれている。

 それなら決断はほんの少しでも早いほうがいいはずだ。


「分かりました、お言葉に甘えさせてもらいます。事態が収束したら、お礼にビールと焼き鳥奢らせてください!」

「おぉ、それは楽しみですね。ただあまり好印象は持っていないでしょうが、事態が収まったら私達にボディーガードを依頼したシキにも、一言くらい礼を言ってやってください」


 シキ……? 間違いなくそう言ったよな?

 なんでだ。どうして神楽夜だけじゃなく、サラマンダー父からも親父の名前が出てくるんだよ!

 それに親父が依頼したってのは、どういうことだ?

 って、父やら親父やら似たような単語が飛び交って我ながらややこしいな。


「それと、ツクシさん。他人の私が言うのも野暮ですが、貴方が守ろうとしている家族。それは間違いなく尊い絆で結ばれています。それぞれがどうであろうと、親が居ないというハンデの中協力して立派に成長したという事実がそれを現していると、私は信じていますよ」


 次々と混乱を招く言葉を紡いでくる、サラマンダー父。


「最後にリュウカ、頼んだこと忘れていないですよね?」

「おう、大丈夫だぜ。もしもの時はハーフセイレーン達に力の使い方を教えればいいんだろ?」

「……物事には順序というものがあります。その単語は、出来ればまだ伏せて欲しかったんですが」

「あ。そうだった、ごめん父ちゃん!」


 もう駄目だ。

 情報量が多すぎて何からどう聞けばいいのか、全く分からん。

 せめて、クソ親父のことだけでも。


「あの、親父とはどういう――」


 俺が言葉を発した頃には、さきほど発生した魔法陣から山羊頭達が召喚されていた。

 当然サラマンダー父は、既に戦闘を開始している。


「オレが担ぐよ、三々波羅ツクシは道案内を頼む」


 そう言うとリュウカは満身創痍の俺に代わり猪瀬を抱きかかえてくれた。

 そうか、そうだよな。

 今優先するべきは情報収集ではなく、サラマンダー親子がもう一度開いてくれた道。

 猪瀬と家族の身の安全だ。

 俺は出しかけた疑問を一旦飲み込みリュウカに礼を述べると、先導するかたちで山羊頭共と逆方向に向かった。

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