疾走と悪手と博打と
最初は文字通り引きずられているだけだった俺も覚悟を決め、そんな二人に背を向けて駆けだした。
「……悪い、取り乱した。ありがとうな、猪瀬」
言えなかった。
俺を惚れさせるんだろ、死ぬなよと。
チャーハンと唐揚げまだまだ食うんだろ、死ぬなよと。
死という日常から一番遠い言葉の持つ意味が怖くて、重くて。
それが自分の周囲に蠢いているという事実を認めるのがたまらなく不安で。
だから都合のいいように、ただ願ったんだ。負けないでくれ、無事でいてくれと。
「お前の狼狽する姿なんておそらく学校中で誰も見たことねぇぞ。そんな面まで晒してくれたんだ、むしろ親友としては嬉しいよ。それと謝るくらいなら、今度スイカちゃんとのデートをセッティングしてくれるほうがもっと嬉しいぜ?」
猪瀬はこんな状況でもおどけてきているんじゃなく、こんな状況だからこそおどけてくれているんだろう。
いつまでもウジウジしている俺のために。こいつだって、スイカが心配でたまらないくせに。
俺も猪瀬に会えて本当に良かった。
一人だったらいつまでも動き出せず、神楽夜とライチにもっと負担を強いる結果になってしまっていただろう。
しかし、なんで俺の周りにはこうお節介ばかりが集まるんだ。本当に弱い自分が嫌になるぜ。
俺は一度大きく深呼吸をして、口を開く。
「しねぇよ! だから、身内同士の恋愛ほど気持ち悪いもんはねぇって言ってんだろ!」
「なっ……ふざけんな! この流れならオーケー出すところだろ、普通!」
いつもこいつと馬鹿話をする時のテンションで言葉を返した。
言い返す猪瀬の表情も言葉と相反し、さっきまでの心配混じりの顔が消え口角が上がっている。
まいったな。最初はこいつを助けたはずだったんだが、完全に立場が逆転しちまった。
これはそのうち本当にスイカに取り次いでやることになりそうだ。
だがその前にとりあえず今俺達がやるべきなのは、スイカ、モミジ、ツララの無事を確認すること。
俺が勝手にネガティブになっていたこの間にも、神楽夜とライチは一分一秒あいつを足止めするために力を尽くしてくれているのだから、急がねば。
「猪瀬、ここからは相当危ない橋だ。今のうちに周辺の物置にでも身を隠してろ」
マギャリオンの真の狙いが俺である限り、いくら近くに山羊頭が見当たらないとはいえ、今俺と居るということは相当な危険を伴う。
「おいおい、お前マジで俺がはいそうしますと答えると思ってんのか? さっきの姉ちゃん達とも約束したし、男としてスイカちゃん達が心配だ。そしてなにより、お前が心配だよ。どうせ暇だからアイス食いながらテレビを見てただけだ、出かけの誘いなら別に地獄だろうが付き合ってやるぜ。親友」
はは、男同士でも少しぐっときちまった。こんなのスイカが聞いたらこいつの株は爆上がりだろうな。
「それで、ルートはどうする。俺とツクシの足ならこのまま大通りを突っ走って行けばお前の家まで五分程度だと思うが、道中見てきた感じ奴らは大通り周辺に多いぞ」
裏道を見ていないので確証はないが、俺も裏道のほうが安全である確率が高いと思う。破壊も目的である以上、建物が密集している場所に奴らが集まりやすいのは道理だからだ。
「少し時間はかかるが裏道で行こう。最短距離を行っても奴らと遭遇すればかかる時間は倍じゃすまない。いや、リタイアになる可能性のほうが高いくらいだ」
「了解。駄菓子屋方面の道から行くか」
俺はこくりと頷いた。
急がば回れ。お互いに地元なので、道に迷う可能性がないなら絶対に裏道が正解だ。
意見が一致したと同時に、俺と猪瀬は路地裏へと走り出した。
「順調だな、猪瀬。あと二、三分もすれば到着するだろう」
「そうだな、ここまで一切山羊頭を目撃していない。むしろここまで離れたから山羊頭の警戒範囲を抜けたんじゃないか?」
たしかにその可能性もある。それなら我が家が襲撃を受けているという可能性はなくなるので、願ったり叶ったりだ。
「きゃあああ!」
ふざけんな! 少しポジティブに考え始めると直ぐこれだ。
家まであと少しのところだってのによ!
その悲鳴が聞こえてきたのは右方向。つまり最短距離として通る案もあった大通り方面からだ。
結果的には裏通りを選んで大正解だったわけだが、聞こえちまったもんをなかったことには出来ねぇ。
「どうする、ツクシ!」
俺達だって自分等のことで精一杯。
それに襲われている奴をいちいち助けていたらキリがない。
そんな考えが最初に浮かんだが、俺の足は思考とは逆方向を向いていた。
昨日までの俺なら、本当にそう口に出してしまった可能性がなきにしもあらずだな。
だが、今は違う。
神楽夜やライチのおかげで、人間として大分成長出来たみたいだ。一体俺はどれだけあいつらの世話になれば気が済むんだ。ったく。
「助けに行くに決まってんだろ!」
大声を出さないほうがいい状況なのは当然分かっている、だが俺は自分を奮い立たせるためあえて雄叫びめいた返答をする。
どちらかが家に向かいどちらかが助けに行くという選択肢もあるが、悲鳴の正体はほぼ百パーセント山羊頭に襲われている人間だ。
あれに一人で適うわけがない。
まぁ正直二人居ても正攻法じゃあおそらく無理だが、人数が居れば奇策を思い付く可能性も実行出来る可能性もあがる。
それに悲鳴を聞いたことによりいくらあと少しの距離とはいえ、家に向かった側の方に山羊頭が絶対に現れないとは言い切れなくなった。
ただ、猪瀬はどう考えるのか。
ちらりと猪瀬に目をやると、同じ考えに至ってくれていたようで、すぐに俺に追従するかたちをとってくれた。
「もちろんそうだよな、最高に恰好良いぜ! 俺も、お前もな!」
こんな状況でも恐怖に負けず楽観的な言葉を披露した猪瀬に、臨戦態勢で眉間に皺を寄せていた俺は思わず笑みを漏らしてしまう。
もし既に悲鳴の主が殺されていたら、山羊頭が最後に遭遇した巨大な奴だったら。
なんてネガティブな考えも巡らせていたが、そんな思考が急に馬鹿馬鹿しくなった。
大丈夫。こいつとなら、きっとうまくいく!
「間違いねぇ! 頼むぜ、相棒!」
大通りに飛び出した俺達を待っていたのは、おおかた予想通りの状況だった。
小さい方の山羊頭に、二十歳前後に見える女性が襲撃を受けている。
複数でなかったことと大型でなかったことは幸いだが、山羊頭が女性の目の前まで近づき、鎌を振り上げている最中だというのが不運だ。
いや、もたもたしていたら振り下ろされた後だったかもしれない。まだ間に合うと考えればそれも幸運と捉えるべきか。
「おい山羊頭! てめぇのお目当てはこっちだろ!」
俺は大声を出しながら落ちていた石を近くのガードレールにぶつけた。
鈍い反響音は夜に拡がりよく響き、注目を浴びるにはもってこいの音量だ。
その声と音に反応し山羊頭はその不気味な頭部をぐるりと後ろに回す。
「……サザンバラ、ツクシ!」
そして俺の存在を認知すると、一切の未練なく目標を俺へと切り替えそのまま突っ込んでくる。
とりあえずは思惑通り。
危惧していた大声や音によってさっきのように仲間が集まってくる素振りも、今のところは見受けられない。
「猪瀬、お前はあの人を頼む!」
「オーケーだ、すぐ加勢に行くから限界まで粘れよ!」
猪瀬が腰を抜かしたままの女性に向かって行くが、やはり山羊頭は完全スルーだ。あくまで俺を狙う、それがこいつらの最優先事項。
これで人助けの方は完了だ。後はこいつをやり過ごすだけ。
まぁ、それが最難所なんだけどな。
「おらぁ!」
俺は山羊頭が二メートルほどまで近づいてきたのを確認した後、すぐ側にある自販機横のゴミ箱を思い切り蹴り飛ばした。
普段中々ゴミ回収が追い付かず、常に大量のごみを抱えているそれは想像より重かったが、なんとか蓋が外れ中身をぶち撒けるくらいの威力は出せたようだ。
宙に舞う瓶や缶に突然視界を遮られ、おもわず足を止め防御態勢をとる山羊頭。
当たり所が悪くてそのまま倒れてくれたりなんて……するわけねぇよな。
ただ中身が残ったまま捨てられていたものも多く、山羊頭にとってはべとべとした得体の知れない液体が身体中に付着したかたちだ。
普通は警戒するだろうし、拭おうとする。これで多少の時間は稼げるだろう。
俺はこの隙に踵を返し、元来た裏道へと駆け出した。
そして数メートル先を右に曲がって少し進んだところで振り返り、現状を確認する。
さすがにまだ追ってきては――って、げっ! マジかよ!
しまった。そういえばこいつら、普通じゃないんだったな。
山羊頭は濡れた身体など一切気にする素振りもなく、一直線に俺を追いかけてきていた。
その距離はおおよそ十メートル程度。
こいつらは力や身のこなしにこそ長けているが、走力に関しては俺達とそこまで大きく変わらない。ただし、持久力に関しては圧倒的に向こうが上だろう。
加えてこっちは万全の体調でないのに加え、追い付かれれば即ゲームオーバーというプレッシャーに常に晒され続けている。ようするに追い付かれるのは時間の問題だ。
稼げて一分。一分あれば大通りに戻れるだろうか。
計ったことなんてないから分からねぇが、どのみち他に策もない。
俺は山羊頭との距離を再確認しようと、もう一度振り返った。
「うぉ! あぶねぇ!」
俺の視界に映ったのは山羊頭ではなく、目下に迫る奴が持っていた鎌。
それが規則的な弧を描きながら、俺の左足辺りをめがけて飛んできている。
今度は向こうが不意打ちをしかけてきやがった。
俺は咄嗟の判断で身体を右側に寄せ、間一髪でそれを躱す。
カチャンと大きな音を鳴らし少し奥の地面に叩き付けられたそれは、振り返るタイミングが遅れていたら左足に刺さっていても全然おかしくなかった。
この野郎、ふざけやがって。
だが、躱せたのなら利用させてもらう。
どうやら破壊衝動という本能に逆らえていないことといい、あまり頭は回らないらしいな。
「ほらよ、返すぜ!」
俺は進行方向にあった鎌を手に取ると、山羊頭めがけてサイドスローで投擲する。
我ながら完璧だ。
と、思ったんだが。俺は大きな思い違いをしていた。
山羊頭は回転する鎌の柄をドンピシャで掴み、うすら笑いを浮かべる。
――しまった。
こいつらは常時鎌を武器にしているんだから、これくらいの芸当はお手のものってわけか。
我ながら悪手を。この大事な場面で。
無駄な行動をとったせいで距離が縮まり、今後うしろを警戒しながら走る余裕はなくなってしまった。
ただし、さしかかっているのはちょうど表通りに出る道まで最後の曲がり角だ。
勝負を賭けるなら、ここっきゃねぇ!
俺は余力全てを足に注ぎ込み、全身全霊でその数十メートルを駆け抜けた。
しかし当然最初ほどのペースは維持出来ず、ついには山羊頭の荒ぶる鼻息が聞こえるくらいまで接近されてしまう。
いつ斬りかかられてもおかしくない状況。
だが、ぎりぎり間に合った。
あとは本当に運次第。信じたい気持ちは強いが、現実的に可能性は五分ってとこか。
「信じてるぞ!」
俺はヘッドスライディングの要領で、大通りに思い切り飛び込んだ。
「合点承知。十世蜂高校元五番スラッガーを舐めんなよ、化物!」
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