たった四人の兄妹

 二階の状況を確認し終えた俺は全速力で階段を駆け下り、リビングへ戻った。


「リュウカ! 猪瀬とスイカはどうだ!」

「妹はまだ目を覚ましていない。こっちはとりあえずの処置をして布をあてたけど、中々容態が回復しないな」


 スイカは意識を失っていること以外特に問題なさそうだが、猪瀬が心配だ。

 小刻みに震えていて、その顔色はさっきまでよりも青くなっている。

 そういえば家に着く少し前から会話にも参加しなくなっていた。いや、そんな余裕もなかったんだろう。

 俺は急いで二人分の水と布団を運び、猪瀬に問いかける。


「大丈夫か? 無理して喋らなくていい、答えられそうなら状態を教えてくれ」

「あー、痛さはそんなになんだがとにかく寒いな。もう少し布団もらっていいか?」


 毛布を追加するが、猪瀬の震えは一向に治まらない。

 この症状……傷の程度はもう少し軽いと俺が勝手に思い込んでいただけだったのか?


「三々波羅ツクシ、二階はどうだったんだ?」


 そうだ、リュウカに現状を伝えなければ。

 俺は二階には誰も居なかったこと、ツララの部屋が荒らされていたこと。

 そしておそらく、そこから第三者が侵入したであろうことを話した。


「なるほど。しかしそれなら、一体どんな奴が二人を連れ去ったんだろうな。山羊頭ならもっと乱暴だろうし、部屋以外の家の中にも痕跡が残りそうだ。というか、攫うなんて面倒なことをするくらいなら殺すだろう。それにこっちの妹だけ気絶させてそのままにしておく理由が分からない。なにより気になるのは、なぜ侵入経路をわざわざ難易度の高い二階にしたのかという点だ」


 辛辣な言い方だが、間違っていない。

 なるほどたしかに。前者二つは山羊頭でない何者かという話で筋が通りそうだが、後者は翼や超人的な跳躍力を持っていたにしても、なぜわざわざ、という疑問が残る。

 リュウカの言う通り襲撃の際は普通、地面に面していて逃げるルートも多い一階を選ぶものだろう。

 辻褄を合わせるなら、二階に目的とする人物が居ることを知っていたとか。

 いやしかし、それなら目的はツララということになる。

 でもあの時家の中の何処にツララが居るのかなんて、家族以外知る方法がないと思うんだが。なによりツララが狙われる理由に一切見当がつかない。

 残る可能性として、何者かの襲撃を受けた二人が逃走のため自発的に家を出た……って線はないな。もしそうなら、弱っているスイカを残していくわけがないからだ。


「あと、ちょっといいか?」


 考えを巡らせる俺に、リュウカが廊下を指しながら問いかける。

 駄目だ。二人が連れ去られたのだとしたら、その目的や正体がまるで分からない。

 俺は一度思考をリセットする意味も込めて、リュウカに誘われるままリビングの外に向かった。



そのまま二人で廊下を進み、リビングからある程度距離が開いたところでリュウカが口を開く。

猪瀬やスイカに聞かれたくないんだろう、かなり小声でボリュームを絞っている。


「お友達の傷自体は本来命に関わるほどじゃない。内臓が損傷するほどの深さなら、もっと鮮紅色の血液が大量に出るはずだから」


 その言葉に少し救われる。こんな知識があるってことは、リュウカは見た目だけじゃなく身体の構造も俺達と似たようなものなのだろう。


「そうか。そこまで心配しなくても大丈夫ということか?」

「いや、それならあの場で話して問題ない。むしろ聞いてもらったほうが不安も和らぐだろう。呼んだのは、本人に余計な心配や負担をかけたくないからだ」


 安心出来たのは束の間だった。

 この前置きは、まずい。

 その言葉を聞いた直後に俺を襲ったのは、背筋に百足が這いまわるような忌避感。

 思わず耳を塞ぎたくなるが、聞くしかないだろう。

 俺は一度ぎゅっと拳を握ると、リュウカの方向を向いた。

 そして目が合ったと同時に、リュウカの唇が動く。


「あの鎌、清潔に見えたか? 雑菌は場合によって危険な病を併発させる。あとは言い辛いが、武器に毒を盛っていた可能性だって充分にある」


 聞いてしまった後で遅いのは分かっているが、やはり耳を塞ぐべきだったかと後悔してしまう。

 完全にリュウカの言う通りだ、むしろそうでなければ傷に対して今の症状に説明がつかない。

 なぜ少し考えれば分かりそうなことに、思考が辿り着かなかったんだ。

 ――いや、大事でないと思いたくて、願いたくて。良い方にしか考えられなくなっていたと言ったほうが正しいだろう。


「まぁそうは言ったものの、毒だった場合は既にもっと重篤な症状が出ていてもおかしくない。現状可能性として高いのは、前者だな」


 そのタガが外れ、じわじわと紙に燈った炎のように拡がる焦りと不安。それが言葉へと変化するのには一瞬すらかからなかった。


「くそ、どうすりゃいい! 近くの病院に運ぶべきか⁉」

「このパニックの中、当然町医者なんて機能していないと考えるべきだ。その場合三々波羅ツクシ、薬の扱い分かるのか? 抗生物質を飲ませたり、傷口を消毒して縫わないといけないだろう。出来るのか?」

「やったことなんてねぇけど、それしかないならやるしかねぇだろ!」

「オススメはしないな。やぶれかぶれで素人が治療しようとするのは、かえって危険だ」

「じゃあどうしろっていうんだよ! このままただ猪瀬が弱っていくのを、指くわえて見てろってのか⁉」


 最悪だ、散々助けてもらっているリュウカに八つ当たりとは。

 全て俺が原因で起きている出来事だというのに。

 加えて、猪瀬に聞こえてもおかしくないボリュームで喋っちまった。

 せっかく気を回してくれたのに俺が全部台無しにしている。


「落ち着けって、らしくないぞ。とりあえず妹の回復を待つんだ。妹の目が覚めれば菌だろうが毒だろうが問題ない」

「はぁ⁉ スイカは医者でもなければ超能力者でもねぇぞ!」


 駄目だ、頭では分かっているのに冷静に言葉が紡げない。思考と行動がさっき灯った炎に呑まれる。

 いつもは弟妹を守る、養うとか大それたことを抜かしているくせに。俺の本質はどれだけ弱い人間なんだ。

 しかしリュウカの発言の意図が分からずに困惑しているのも事実。


「いいから妹の回復を待とう。それが最善、それで大丈夫だ。会ったばかりのオレを信用するのは難しいかもしれないが、信じてくれ」


 リュウカは理不尽に感情を撒き散らす俺を、真っ直ぐ見つめる。

 まだ十八年あまりしか生きていないが、その少ない経験上、これは嘘を吐いている奴や人を騙そうとしている奴の目ではないと思う。

 ただ、この状況で突拍子もないこの話を信じていいのだろうか。

 場合によっては猪瀬の命すら左右するであろう選択。それに対して自分で納得出来ていない方向に舵をとることになる。

 ……いや。何度も言うがそもそもリュウカ達が居なければ、ここに辿り着けてすらいない。

 答えなんて、決まってるか。


「ツクシ! スイカちゃんが目を覚ましたぞ!」


 リビングから唐突に聞こえたのは猪瀬の声。

 俺とリュウカの視線は同時にリビング側へと動く。

 相当辛いだろうに動くのは厳しいと判断して、無理矢理声を張ったんだろう。

 俺とリュウカはそれを汲み、すぐにリビングへ向かった。


「スイカ、大丈夫なのか⁉」

「――うん。私は特になにかされたわけじゃないから」


 リビングで待っていたのは息を切らす猪瀬と、寝かされていた身体を上体だけ起こし、コップの水に口をつけるスイカ。

 それを聞いて少しだけ安堵した俺の頭は、若干ながら冷静さを取り戻していた。

 まず聞かなければならないこと。それは。


「単刀直入に聞くぞ、モミジとツララは何処に行った? 連れ去られたのであれば、そいつがどんな奴か分かるか?」


 そんな俺の質問に、首をふるふると横に振ることで答えるスイカ。


「そうか、分からないってことか……」


 スイカは俺達が到着した時、既に意識がなかったんだ。

 襲撃者がいた場合でも顔を見ていなくて無理はないし、そもそも何が起きたのか知らない可能性もある。

 そうなるとやはり、ヒントを探して推理していくしか――

 だが予想に反して、その言葉にも全く同じ挙動が返ってくる。


「違う、違うんだよ。モミジとツララ兄ぃが連れ去られたんじゃない」


 ――どういうことだ?

 二人の姿は依然として見当たらない。連れ去られたのでないとすれば、一体二人は何処にいる?

 前述の通り二人が自発的に外出は有り得ない。最低でも一人はスイカと残り、一人が助けを呼びにいくというのがベターだろう。

 やはり釈然とする答えは浮かばない。

 しかしこの後のスイカの言葉で、今まで俺の頭を巡っていた全ての疑問に納得がいってしまう。

 到底理解することは、出来ないけれど。

 そうだ。考えてみれば部屋の窓は割られていたんじゃない、開いていた。

 でもそんな可能性、思い付くわけがねぇ。

 だって俺達、兄妹だろ。たった四人の兄妹だろう!


「モミジを攫ったのは。頭に山羊のような角を生やした――ツララ兄ぃだ」

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