まさか場所が墓だなんてことも、考えていなかったと思うぜ
俺は歩幅を元に戻し、全速力で前方の人影へと駆け寄る。
その場所は通路より少し墓側に入ったところで、大きめの墓石が前にある。
もしかしたらそれが影になって行きに気付けなかっただけで俺がここに来る前から既に倒れていたのかもしれない。
「大丈夫か⁉」
至近距離まで近づいて声をかけたが、反応はない。
うつ伏せで倒れているし周囲が暗いので分かりにくいが、服装、体型、髪型から判断するに多分女だ。
細身に黒髪で、肩にかかるくらいのくせっ毛。
そして衣服からは中華風の印象を受ける。
上に着ているのは袖が異様に長く黒い服で、時折赤が織り交ざったもの。明らかに身長と腕の長さに合っていない。これでは倒れているからでなく、普段から手は袖の中だろう。
防寒の為か、その服の上から青いチョッキのようなものを羽織っている。
そのくせ下はミニスカート並の短さで、タイツ越しとはいえ足が露出しているというなんともあべこべな格好だ。
「おい、あんた!」
もう一度声をかけてみるが、やはり反応は得られない。
どうしたもんか。
俺は携帯を持っていないので直ぐに救急車を呼ぶことは出来ないし、墓地であるここら周辺に民家は少ない。それに訪ねてみても、この時間ではインターホンに反応するか分からないしな。
そうなると一番近くて確実な電話はコンビニだ。しかし走っても十分程度はかかっちまう。
倒れているこの子はおそらく若い女、加えて美脚披露のこの格好。一人で二十分以上も放置するのは別の意味でも危険な気がする。
彼女の携帯を探して拝借しようかとも考えたが、倒れていて言葉の受け答えが出来ない人間をむやみに動かして大丈夫なのだろうか?
倒れている原因だけでも分かれば動きようがあるんだが、現状それを知る術もない。
仕方ない、とりあえず触らなくても出来る呼吸の確認をしてみるか。万一呼吸が弱っているような場合は有無を言わさずコンビニに走る。
相手の顔に耳を近づける為動き出すと、倒れている女の指が微かに動いたように見えた。
ん、意識はあるのか? それとも回復してきているのか、どちらにせよそれなら相当大きいぞ。本人から状況を確認することが出来るかもしれない。
「なにがあった、救急車を呼んだ方がいいか?」
駄目だ、やはり返答はない。
しかし今回はその代わりに、指がさっきより大きく動き出し、砂利の混じる地面に文字を書き始めた。
かなりスローペースではあるが、俺は必死になにかを伝えようとしている彼女がそれを完成させるのを待った。
なぜ喋らないのか、それとも喋れないのか定かではない。ただ言葉でやりとりが出来ない以上それしか方法がないからな。
そしてしばらく時間が経過した後、ついに完成した文字は三文字。
いずれも平仮名で、左から順にぼ、う、し、と書かれていた。
は? ぼうしって、防止……帽子、か?
エスオーエスを求める人間が必死で伝えるにしては、あまりにも不可解な単語だ。そこから病名かなにかを連想しろといってもなにも思い浮かばない。
普通気力を振り絞って書くなら、救急車を呼んでくれとか、水をくれとか、そんなあたりだと思うんだが。
申し訳ないが俺には全く汲み取れない。何を意図して書いたんだ?
それでも必死で頭を回転させる。そして無意識の内に助けを求めようとしたのか、気付けば俺は母さんの墓の方向に目をやっていた。
するとその奥にある木の上に、ひらひらとした紙のようなものがついた丸い帽子が引っかかっていた。それがたまたま視界に入る。
うん? うん。帽子、だな。
「おい、もしかしてなんだがあんたの言う帽子ってのは、あれか?」
今度も返事は言葉ではなく地面に小さなマルを描く。
マジかよ、帽子を被らないといけない病気なんて日射病くらいしか思い当たらないんだが。というかそれも予防策であって薬にはならないぞ。
でもさすがに、この状態で冗談を言っているとも思えない。
ここは意思を汲んでみるしかないか。
俺はとりあえず余計なことを考えるのはやめ、急いで木の方向へと向かった。
同じ墓地内なので距離にしてみれば十五メートルほど、すぐに辿り着くことは出来た。
しかし高さ四メートルはあるであろう場所に引っかかっている帽子を地面に落とすのは、そう容易ではなかった。
近くにある長めの枝を使ったり、木を蹴ったり試行錯誤してみるが、帽子は一向に落ちる気配を見せない。
登って直接取りに行く方法もあるが、暗さで足をひっかける箇所も判別し辛い為結構な時間がかかってしまいそうだ。
最早それならいっそコンビニまで走っても同じか?
いや。助けを呼んでくれと本人から言われているわけではないし、さすがにここで様子を見ながら木登りするのと完全に一人にするのでは違うか。
「どうしたのかや、こんな人気のない場所で難しい顔をして。もしかして、妾でスケベな妄想でもしておるんじゃなかろうな?」
なんだ、神楽夜か。
「って、うぉおお! マジでビビった! お前に見つからないよう帰り道まで悩んだのに普通に出てくるんじゃねぇ!」
俺の右側にはいつのまにか、見覚えのある兎女が立っていた。
帽子を取る方法を考えるのに必死で足音や近づいてくる気配に全く気が付かなかった。
「ふふ、
ようするに歩く探知機か、この色ボケ兎は。
そんな能力持ちって知ってたら帰り道を悩む必要もなかったんだがな。
「って、とりあえず今は緊急事態だ! お前に構っている暇はねぇ、俺は木に引っ掛かっているあの――」
――待てよ。
絶対に遭遇したくない相手だったが、今このタイミングで神楽夜に会えたのは物凄いアドバンテージなんじゃないのか?
「なぁ、神楽夜。頼みがあるんだが」
ただこいつの頼みは断っている分、頼み辛さはある。しかし今はそんなことを気にしている状況ではない。
「お! 初めて名前を呼んでくれたの。なんじゃ、なんじゃ?」
嬉しそうに耳がピコピコ揺れている、兎ってこんな犬みたいな習性があったのか? いや、単純にこいつらの種族がそういう性質なのかもしれん。
「あの帽子って、お前なら簡単にとれないか?」
そう、身長こそ小さいがこいつの跳躍力は常軌を逸している。神楽夜ならあんな高さひとっ跳びだろう。
「ふむ、妾にかかれば赤子の手を捻るより簡単じゃの。しかし妾の願いは断っておいて、自分だけ頼み事とは都合が良すぎると思わんのかや?」
まぁ、そりゃあそうだよな。想定通りの反応だ。
「すまんがどう言われようと、現状お前の世界には行けない。ただ今助けて欲しいという気持ちも本当なんだ、頼む」
俺は理不尽であるのを承知で、気持ちを真っ直ぐ伝える。
「ふふ、素直な男じゃ。ただ何を勘違いしとるのか知らんが、妾もまさか帽子をとるだけで対価に自分の世界を捨てろとは言わんよ。事の大きさが違い過ぎる。妾が主に頼まれて帽子をとるのなら、それに見合った対価が欲しいだけじゃ」
「残念ながら金ならねぇぞ。それ以外で俺に出来ることなら善処するが」
「金も道具もいらんよ。ツクシ、お主自身さえ居れば問題なく解決出来る」
一体なんだそれは。自分の世界以外で労働力を欲するとも思えないし……全く見当がつかないぞ。
「妾が欲しいのは、これじゃ」
そう言うと神楽夜は、上目遣いで俺を見上げた。
そしてその後口元を尖らせ、ゆっくりと目を瞑る。
ん? 行動の意味が理解出来ず、その光景をぼーっと眺める俺。
すると五秒ほど経った後に、神楽夜が少し怒っているような雰囲気で閉じていた片目だけを開く。
「鈍い男じゃの。接吻じゃよ、チュー。ほれ、男である主からしておくれ」
あぁなんだ、キスをしようってことか。たしかにそれなら金や道具は一切必要ないな。特に失うものもないし、俺にでも出来る。対等な取引だ。
「って、出来るか! 俺は今まで女と手を繋いで歩いたことだってないんだぞ!」
恥ずかしさと勢いに任せて、余計なことまで口走ってしまう。しまった、ただ断ればよかったものを。
「にゃはは! そうかそうか。初物とでは割にあわんかもしれんの」
呆気にとられたような表情を見せた後、徐々に顔が綻んでいく。その後けたけたと笑いながら俺の反応を楽しむ神楽夜。
「仕方ない。今回は主のその可愛い反応と、耳まで真っ赤になった可愛い顔で勘弁してやるわい」
くそ、完全に馬鹿にされているが文句を言える状況じゃねぇ。
その言葉を言い終えるか否かのタイミングで、神楽夜は軽く足に力を込める仕草をする。そして一気に地面から距離を離し、一瞬で帽子を持って地面に降り立った。
「なんてな?」
俺の手に帽子を持たせると、そのまま俺の両頬に手を当て下に引っ張る神楽夜。
その先には俺を異世界へと誘ったり、さっきまで俺を小馬鹿にする言葉を発していた忌まわしき唇があり、抵抗する間もなく接触を余儀なくされる。
青天の、霹靂。
キスをされるという人生初めての経験に頭が追い付かず、身体に信号が送れない。
「んっ」
数秒後、艶っぽい声と共に神楽夜の舌らしきものが唇の先に当たったところで俺はようやく肩を掴み引き離すことが出来た。
「てめぇ! いい加減に――」
怒声を発しようとして止めたのは、神楽夜の反応を見たからだ。
客観視は出来ていないが、おそらくさっきの俺よりも真っ赤になっているであろう火照り顔。
それに加えて、両手で自分の顔を覆い隠すという絵に書いたような恥じらいを見せている。
ここから導かれる答えはおそらく一つ。
「……なぁお前、もしかしてあんな上から目線できてたくせに――ぐっ」
まだ喋っている途中だというのに、俺の腹には捻りを効かせた右ストレートが打ちこまれた。
「うるさい、うるさいうるさいうるさい! なんじゃ、いかんのか? 二百五年も生きてきて、今日がファーストキスだといかんのか⁉」
なんだ、この理不尽の極みのような逆ギレは。
そしてファーストキス云々なんかより、こいつが二百五歳という驚愕の年齢だったということのほうが驚きだ。
今日までの俺もまさかファーストキスの相手が二百五歳だなんて、夢にも思っていなかっただろうよ。
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