第11話.落涙のウィリデ

 昔から目は良かった。


 あたしが魔力に目覚めたのは十二の頃。


 生まれも育ちも分からない孤児だったあたしを奴隷商人が拾って、売るためにカンバルに来てすぐ聖教会の人間に声をかけられて……そうだ、それであたしはサルザリアに連れていかれたんだった。


 サルザリアに入る前に、入念に「魔力を持っていないか」を調べられたっけ。

 今思えば、カルラルゥが魔法で逃げ出した記録が残っていたから魔力持ちを入れるわけにはいかないっていう調査だったんだと分かる。

 まさかサルザリアに入ってから魔力に目覚めるとは思わなかったんだろう。


 あたし自身、まさかそのときは自分が魔法の才を持っているなんて思いもしなかった。


 サルザリア内の孤児院でのことだ。


 外を眺めていたときに、ふと思い立って見えている通り・・・・・・・に指先で風をなぞったのが始まり。


 外を走る風に重ねるようにして、あたしの指先は淡い緑の風を生み出した。


 魔法だ、と直感した。

 そして秘匿しなければと思った。


 何故ならそのときのあたしにとって、魔法とは悪であったからだ。


 サルザリアでは――と言うか、サルザリア内に囲い込まれている子供は「魔法は魔物の使う邪法」という言葉を繰り返し教え込まれる。


 第二のカルラルゥを作り出すわけにはいかなかったサルザリアの執念だろう。

 それと、カルラルゥの言うことには、大陸全体でも魔法使いは魔物の子として忌避されているとか。

 魔法を極めると寿命も延びるし、仕方のないことかもしれない。


 とにかく――だからあたしは、魔法が使える事実をひたすらに隠した。学園に行ってからも同じ。シアにすら教えなかった。


 けれど時々、あたしの目はどうしても美しい風や、光や、影を捉えては、この指先になぞらせるのだった。


 だって、この目を通して見る世界は綺麗だったから。


 この世界を燃やし尽くそうと思っている今ですら、あたしの目はこの世界を「美しい」と言っている。


 だからあたしの魔法は人知れず、少しずつ磨かれていったのだ。




「――……ラ、ララ、大丈夫か」

「っ、ごめんなさい、ボーッとしてた」

「そうか。休憩は必要か?」

「いらない」


 カルラルゥの声で現実に引き戻されたあたしは、特別声色が変わるわけではないがこちらを気遣う声に首を横に振った。

 分かった、と頷いて、カルラルゥは『疚しき瞳』の核である眼球を閉じ込めた水晶玉を指先でつついた。


「これは私の行く手を阻んだ大司教の眼。奴の恐怖と憤怒が宿り、込められた私の憎悪がその矛先を弄っている」

「矛先を……」

「核には強い思念が必要だ。しかしそれだけでは対象が散るか唯一かになってしまう。それを使用者の望む方向へ向けるのが、作り手の腕の見せ所だ」

「……思念」


 神妙に呟いたあたしを、カルラルゥは上から下までサッと見て「ふむ」と幾度か瞬いた。


「お前の持ち物はほぼなくて、これから核を探す必要があるかと思っていたがいいものを持っているようだな。懐のものを出してみろ」

「え」


 これは、と胸元を押さえる。この屋敷で新しい衣服を与えられても肌身離さずしまい込んである手巾――シアの遺髪。


「いきなり材料にしたりしないから出してみなさい」


 カルラルゥが時折使うこの柔らかい命令形は魔力が含められているようで、どうしても抗いがたい。あたしは渋々シアの遺髪を取り出して机の上に乗せた。


「ほう。これは遺髪だね」


 切り取られてなお、艶を失わない亜麻色。カルラルゥは紫の目を細めて「友かい」と穏やかな声色で言った。あたしは黙って頷くにとどめる。


 だって泣きそうだった。シアを失ってから、しっかり正面からこの遺髪に向き合ったのは今日が初めてだったのだ。


「っ、あたしに、会いに来てくれて、っ、なのに、それだけだったのにっ……!!」


 言葉が途切れて視界が歪んだ。ぼたぼた落ちていく雫が見える。膝に当たって砕けるそれはあの日以来の涙だった。


「あ゙あぁぁっ……!」


 彼女を悼む時間もなかったのだ。彼女に思いを馳せる余裕すらなかったのだ。彼女を思って泣く時間もなかったのだ。


「シアッ、っぁあ、う、シア……あぁぁっ、うぐっ、ひっ、ああぁ……」


 そう気づいてしまえばもう涙は止まらなかった。嗚咽して、ひたすらに泣いて、叫んで、あたしはシアの名前を呼んだ。


 その間、カルラルゥは何も言わずにいてくれた。あたしに触れて慰めることもなかったし、無意味な共感を示すこともなかった。






「落ち着いたか」

「うん、ごめんなさい、取り乱した」

「いやいい。時に涙は必要だ」


 あたしは顔をこすって「ありがとう」と伝えた。

 カルラルゥの言う通り、泣いて良かったと思う。少しだけ胸のつかえが取れた。


「シアの髪を、核に、するの?」

「お前が許すのなら。核になれば、彼女はお前を必ず守るだろう。優しい子だ、お前への慈愛に満ちていて、理不尽への怒りに震えている」

「そっか……」


 カルラルゥの言葉を受けて、あたしはシアの髪に視線を落とした。



 あたし、シアの思いに応えられるかな。この胸を焼く紅い炎に、優しいシアを付き添わせていいのかな。


――ねえ、ララ――


――ほら、手。繋いでいよう?――


――ね、もう、大丈夫になったでしょ――


――大丈夫、私がいるわ――


 いつかの声が脳裏を優しく揺らして、最後にあの日の声が「信じてる」と胸をつく。淡い笑みが浮かんで、ゆっくりと染み込んでいく。



 その全てがこの胸に温かく染み込んだとき、あたしは顔を上げた。



「――決めた」




――――――




 何度も教えられた陣を石畳の上に描く。


 魔境の空にも等しく浮かぶ月が、青白い光を降らせていた。この光があたしを助ける。


 完成した陣の上に、まず白木の枝を置く。


「白き枝を根に」


 一つ唱えて、上に白銀の塊と翠玉エメラルドの玉を並べた。


白銀しらがねは支え、翠玉は包む」


 歌うように続けて最後に遺髪を。


「――あなたを、あたしのすぐそばに」


 呪文の最後の一節は祈るように。



 降り注ぐ月光があたしの魔力を高めて、失われる熱量を少しだけ軽減してくれる。

 白線の陣に流れ込んだ魔力が、内から青々と輝くようだった。


 煌々と目映い光が杖材を包み込み、陣についたあたしの手を通して何が適切かを読み込もうとしている。


 カルラルゥに教わった通りに「怒りを」と念じた。

 あたしは、シアの髪を核に置いたこの杖に憎悪を込めるつもりはなかった。

 彼女が抱いてくれたという理不尽への怒りを、力に借りる。


 陣が放つ光がいっそう強くなって、あたしは思わず目を閉じた。



 ふと、耳元をシアの笑い声が掠めたような気がしてあたしは目を開ける。


「あ……」


 目の前の陣の上に、すらりと優美な印象の杖が直立して浮かんでいた。


 白木の杖身、炎のような形になった白銀細工に包まれるようにして鎮座する翠玉エメラルドの玉。

 そっと手を伸ばして掴みとる。翠玉を覗き込むと、鮮やかな翠の中に亜麻色の髪が納められていることに気づいた。


「ああ……」


 こんなにも美しいままで、あたしの怒りを助けてくれると言うのか。


 杖を抱いて俯いたあたしに、背後でじっとこの儀式を見つめていたカルラルゥがカツカツと靴音を鳴らして近づいてきた。


「いい杖だ。美しく、強い。名前をやらないとね」

「名前……」

「ああ。良い道具には名前がなければ」


 顔を上げたあたしに言って、カルラルゥは細い指先を杖の翠玉にこつん、と触れさせ、静かに目を閉じた。


「……うん、分かった、よし」

「分かるもの、なの?」

「まあ、私ほどになればね」


 目を開けたカルラルゥは小さく笑って杖から手を離した。


「この杖の名は『落涙のウィリデ』」

「『落涙のウィリデ』……」

「ああ、大事にしておやり」

「うん」


 頷いて、あたしは杖を抱きしめた。


 これから復讐の道を共に歩んでくれる大事な相棒だ。炎の中も、逆風の中も、この杖があたしを支えてくれるんだ。


「杖の使い方、教えてね、先生」

「勿論だとも」


 頷き合ったあたしたちの間で、杖は翠玉をきらりと煌めかせた。その色は、シアの瞳によく似ていた。

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