第29話.夜営地にて

 爆角の魔物たちが散々に暴れ、雪崩れ込んだ魔境軍が思うままに破壊したことでサルザリア大壁内拠点市街は壊滅した。

 どこもかしこも瓦礫だらけだけど、とにかく使えるところを使って夜営地とし、今後の進軍に備える。


 少し、疲れたなぁ。


 理性の吹き飛んだヒースラウドが勢いをそのままにカンバル方面へ突き進んでいきそうだったので、さっきまであたしとセシリージゥとで止める仕事をしていたのだ。


「邪魔をするなァッ、小娘ッ!」

「一旦休めって先生が言ってたよッ!!」

「閣下に最高の戦果をォォッ!!」

「その閣下が休めって言ってんの!!」

「放せセシリージゥッ! 俺は行くぞォッ!」

「話聞いてってば!!」

「そうだよヒースッ、止まってって!!」

「ウオォォォッ、俺は人類を駆逐するまで止まらんぞッ!!」

「あ~もうッ、止まれやこらァッ!」


 こんな感じだったので、最後の台詞と同時にこう……ポカッ、と、ね……


 昏倒したヒースラウドをセシリージゥと一緒に引きずって、彼の配下に丸洗いを任せたのでその内綺麗になってその辺に干されるだろう。


 頭が冷えれば流石に目覚める頃にはいつもの嫌味なヒースラウドに戻っているはずだ。そうしたらあたしたちじゃ重すぎて運べなかった戦斧の所在を教えてあげよう。


 彼の騎竜である土竜のビビは、戦闘が終了すると同時に自分で夜営地にぽこぽこ歩いてやってきた。主人よりよっぽど賢いかもしれない。


 絶対カルラルゥが来てくれた方が早かったと思うんだけど、あたしたちの魔王様は魔境軍の他の将たち――普段は魔境内の領主のようなことをしているひとたち――と今後のことを議論していたので仕方なく二人で頑張った。


「……はぁ」


 燃え盛る火とは違う、焚き火の穏やかな音を聞きながら目を細め、あたしはぼんやりと自分に与えられたテントの前で座り込んでいた。


「ララ殿、食事を」

「ありがとう」


 後方支援の部隊もサルザリア壁内に引き込んだので、崩壊した市街地を動き回って使えるものを探したり、夜営地の真ん中の方で料理をしたりしてくれている。そこから運ばれてきた食事のお盆を受け取った。


 少し、手が痺れて震える。疲れが出た。


 焼いた肉が細かく刻まれて一緒に煮込まれた美味しい麦粥をもぐもぐやりながら、今後のことを考える。


 あたしたち魔境軍は、このまま群青街道を北上してカンバル帝国領内へ侵攻。そこから大きく二手に分かれ、菱形に近いこの大陸の東西を両側から呑み込み、更に北上、大陸の北の果ての王国まで落とす予定だ。


 その過程でどんどん人類と戦っていくことになるんだけど、あたしはふと、逃げていく女生徒たちを見て思ったことがあった。


 もしかしたら、いや、もしかしなくても、この大陸にはまだ沢山、かつてのあたしと同じように必死に魔法の力を隠して、怯えながら暮らしている人や、知られてしまって迫害を受けている人がいるかもしれないって。


 だから、そんな人たちを何とか救い上げられないかと考えるんだ。勿論、相手がそれを望むならだけど。


 人類を殲滅することは、今の魔境軍総軍でも難しいだろう。地ならしするみたいに山も森も全てを更地にしていいなら可能かもしれないけど、それじゃその後の自分達が困っちゃう。


 だから、手っ取り早く国家というものを破壊して人間の集団をバラバラにしたい。

 万を超える集団でなければ危険はないと考えているし、一騎当千の強者は大抵国家の軍部に属しているから国家滅亡と同時に潰すつもり。

 そうじゃない隠棲の猛者などは相手の出方次第。敵対するようなら容赦なく潰し、特に関わってこないのであれば放置するつもりだ。


 北の果ての王国を侵略するまで、全てが順調に行くとは思っていないけれど、あたしたちは成し遂げるつもりで準備を整えてきた。


 カルラルゥは魔境軍の侵攻から逃げて隠れ住むようになるであろう民間人に関しては、追いかけてまで殺さなくていいと言っている。

 あたしたちが許さないのは、サルザリア大壁に関係していた全ての国家と権力者、星術師たちたちだけだから。


 何ヵ月、いや、何年かかるだろうか。


 そう考えた直後、空っぽになった椀を持っていた手の手首に痛みが走って呻く。

 震える手で椀と匙を横に置いて、ふーっと細く息を吐いた。


 想定以上に魔導星術の反動が重い。全身の骨が軋んでいるような気がするし、四肢の先はやや動きが鈍い。


「はぁ……」

「――ああ、いたいた」


 溜め息をついたところで、後ろからカルラルゥの声がした。

 あたしが振り返ると、黒衣の魔王はいつもの飄々とした笑みを浮かべて「やあさっきぶり」と手を振りながら隣までやってくる。

 なに、と訊ねたら「これをやろうと思って」と小瓶を差し出された。


 透明なガラス瓶。中には池の藻みたいなちょっと綺麗じゃない緑の液体が揺れている。


「えぇ……これ何……藻??」

「失礼な。歴とした魔法薬だよ」

「魔法薬……これが??」

「ああ」


 聞いたことはあったけど見るのは初めて。魔法を使える者だけが調合できる、普通の薬の何倍もの効果を持つ薬品だとか。


 でも、どう見ても藻。


 あたしの胡乱げな顔に、カルラルゥはその美しい紫の目をはたはた瞬いて「お前ねぇ」と不満げに口を尖らせた。


「想定より反動が来ているんじゃないか?」

「……バレた?」

「お前の振るった魔導星術はいくつか見ていたよ。そりゃあ分かるとも」


 肩を竦めた後、あたしの魔王様は少し顔を綻ばせて見事だったね、と付け加えた。ちょっと嬉しくてそわそわする。


「だが、この後も戦は続く。お前は重要戦力の一人だよ。倒れられちゃ困る」

「そこでこれ、ってこと?」

「そう、私お手製だよ。飲めば疲労を回復し、余剰な星の力を排出できるよう調合した」

「へぇ……今度教えてね、先生」

「勿論だとも、ララ」


 ここまで言われちゃしょうがない。優しい気遣いなわけだし、どう見ても藻でも自分のために飲む。きゅぽん、と栓を抜いた。


「………………ッ?!」

「はははっ!! 初めて飲んだときのヒースラウドと同じ反応だな!!」

「っ、ッ、んぐっ、に、不味いッ!!」

「仕方がないだろう、そういうものなんだ。良薬口に苦しだよ! ふ、あははっ!!」

「何これ、っ、う、苦くて、変に酸っぱくて渋い……ぅ、ぐっ……」


 呻いてのた打ち回るあたしを見下ろしてしばらく笑っていたカルラルゥは、あたしがよろよろ立ち上がる頃に「ああ笑った笑った」と腹を撫でながら立ち上がった。


「じゃあね、ゆっくり休みなさい」

「く、くすり、ありがと……おやすみ、先生」

「お前も何だかんだ律儀だねぇ、ふふ」


 本当に口が大変。苦くて酸っぱくて渋い。眠る前に水を貰いにいかなきゃ。


 ウィリデを文字通りの杖にしてよたよた水場へ歩き始める。そんなところへ兵が一人慌てた様子で走ってきた。もしかして襲撃か、と姿勢を整えると――


「ララ殿、申し訳ありません、ヒースラウド殿が……」

「え、もしかして元に戻んなかった……?」


 沈痛な面持ちで頷く兵に、あたしは肩の力を抜いて「あちゃー」と呟いた。


「セシリージゥは?」

「すぐに止めに来てくださったのですが、ヒースラウド殿に吹き飛ばされて壁に当たり……その……飛び散ってしまわれて……」

「あぁ……」


 セシリージゥの体は、人間の姿をとっていてもあくまでも粘液体なので、凄い勢いで吹っ飛ばされて何かにぶつかると飛び散ってしまうことがある。

 基本的にあらゆる物理攻撃を物ともしない生命体だけど、衝撃を吸収しきれるわけじゃないからね。吹っ飛ぶときは吹っ飛ぶ。


 そして、彼は飛び散ると再形成に少し時間を要するのだ。


 つまり、あたしたちに気絶させられて部下に丸洗いされたのにまだ血の気が引かないヒースラウドをあたし一人で止めなきゃいけないってこと。


「もう……」

「ララ殿」


 遠くで破壊音と悲鳴が聞こえる。あちゃー。


「分かった、すぐ行くよ」

「助かります」


 ウィリデをきちんと正しい魔法の杖として持ち直し、あたしは軽やかに地面を蹴った。

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