第4話.聖女に選ばれるということ
「――――え?」
今、あたしの名前が、聞こえた気が……
「――ララッ、早く出て」
シアが小声で言ってあたしの背中を押す。転げるみたいに一歩。そのまま、信じられない気持ちのままで、よろよろ進み出た。
壇の下段で待っていた四人の内、ロクサーヌが信じられないものを見る目でこちらを振り返る。
嘘でしょ、って言いたいけど、流石のあたしもこの状況で大司教様の決定に口を挟むなんて無理だ。
「あなたたちが、次の『監視塔の聖女』だ。大変なお役目ではあるが、名誉なことでもある。どうか、頑張ってほしい」
あたし以外がそろってサッと最高の敬意を示す礼をするので慌てて倣う。
そんなあたしたちに大司教様は「さあ、皆の方を振り返りなさい」と告げた。
のろのろと振り返る。
どんな顔をして、聖女に選ばれたくて頑張っていた皆を見ればいいんだろう? 顔向けできないって気持ちでいっぱい。助けて。
「皆、新たな聖女たちに礼を」
お願い。誰か、嘘だと言って。
――――――――
「――……ット、ララ・シズベット!!」
「っ!! な、んだ、ロクサーヌか……」
ハッとしたら、いつの間にか皆の流れに乗せられて大聖堂の中を歩いている途中で、隣を歩いているロクサーヌに顔を覗き込まれていた。
「なんだじゃないわ、顔色が悪いわよ。聖女に選ばれたのになんて顔をしているの」
「選ばれた……そっか、選ばれたんだよね、あたし……」
「そうよ、貴女は選ばれたの。だからしゃきっとおし」
「そっか、うん、うん……」
頭が働かない。
どうしてあたしが? シアはあたしじゃ比べ物にならないほど優秀なのに、いったいどうして。
あたしが呆然としてたからだろう、厳しい顔をしていたロクサーヌは「…………そんなにも辛い?」と長い沈黙の後そう言う。
「……うん、いや、何だろう……あんたには怒られるかもしれないけど、なんであたしなんだろうって」
「それは……」
空色の目がふいっとそらされる。
多分、ロクサーヌも「どうしてシアじゃないのか」って思っていると思う。
驚くほど長いまつ毛が何回か瞬いて、彼女はまたあたしを見た。
「……選ばれたからには、何かしらの理由があるはずよ。貴女だって落第レベルではないのだから」
そう言ってロクサーヌは背筋を伸ばす。
「わたくしも聖女の一人になる。だから、会えなくとも、貴女のことくらい、時折考えてあげてもよくてよ」
「……うん、ありがと、ロクサーヌ」
何だかんだ優しいのだ。あたしは何だか涙が出てしまいそうになった。
――――――
「皆様にはこれから四日間、俗世の穢れを限界まで削ぎ落とす修練をしていただきます。とても大変な修練ですが、あなた方ならば成し遂げられましょう」
「「「はい」」」
そうして司祭様に案内されたのは、廊下沿いに並ぶ五つの部屋。
「一人ずつ入ってください。そして我々が開けるまで中で祈りを捧げ続けること。この修練が最後の磨き上げです」
恐る恐る部屋の中に入る。本当に小さな四角い部屋だ。正面に小さなはめ殺しの窓。床には柔らかそうな敷物が一枚。
背後の扉が重たい音を立てて閉じ、鍵がかけられる音がした。
ベッドもないんだな……
確かに『監視塔の聖女』になるための最後の修練なのだから厳しいものだろう。あたしみたいな中途半端に乗り切れるだろうか。
あたしは溜め息を一つ、取り敢えず真ん中の敷物に腰を下ろした。
――――――――
一番の親友のララが『監視塔の聖女』に選ばれた。
私の手を強く握って「きっとシアが選ばれるよ」って勇気づけてくれたララ。
本人は地味だよって言うけど、私は好きだった琥珀色の瞳と、夜みたいに深い黒髪のララ。
確かに華やかじゃないけど、静謐な雰囲気のある美しさのララ。
「ララ……」
聖女に選ばれなかった生徒たちは皆学園の聖堂から出て、通常の授業に戻った。でも私の心はララが心配で上の空。
寂しい、と不安げにしていた彼女が今どんな顔をしているだろうかって思うと胸が痛い。
名前が呼ばれたときのあの、呆然とした顔を思い出す。私が背を押さなきゃ、きっと幻聴だと思って進み出なかっただろう。
ララは、自分は優秀じゃないと言っていたけれど、私はそんなことはないと思っている。
確かに成績は大体真ん中。抜きん出て得意な科目も特になし。
けれどララは魔法が得意だった。この国では歓迎されない力だから隠していたみたいだけど、私は彼女の努力を知っている。
それから、他にはない発想力や想像力があった。勉強は少し苦手だけど賢い、という典型なのだと思う。
だから私は、あの場でララの名前が呼ばれても「おかしい」とは思わなかった。光の矢以外の攻撃手段も使える、優秀な聖女になるだろうなと考えたくらいだ。
ララ含め、新たな『監視塔の聖女』になる五人の少女たちは学園を出て大聖堂に行ったとミセス・ハンナドールは言っていた。
そこで、最後の修練をして力を磨き上げ、正式に聖女として監視塔に上がるのだという。
もう会えないのが悲しい。
聖女の格好をしたララはきっと綺麗だ。
ララが私にしてくれたように、手を握って勇気づけ、いっぱい褒めて、送り出したい。
「ララ……」
私は、せめてもの思いで祈る。
彼女の道行きに創世神様のご加護と、たくさんの幸あれ。
――――――
――お腹が空いた。
まさか、最後の修練が絶食を伴うものだとは思ってもみなかった。差し入れられるのはいつもの泡立つ聖水だけ。お腹に変に空気を含むから少し気持ち悪くなる。
真面目に祈り続ける集中力もなくなって、あたしは敷物の上にころりと転がって過ごした。この態度で、不適格の烙印を押されて学園に戻されないかなぁ。
「シアにあいたい……」
小さくげっぷをしても叱る声が聞こえないのがとても寂しい。
お腹が切ない音を立てる。
今日で修練は三日。あと一日、と思うけれどお腹が空きすぎてつらい。耐えられる気がしないや。
ああ、お腹が空いた。
――――――
そして翌日。
「お疲れ様でございました。これにて修練は達成され皆様が『監視塔の聖女』になる準備が整いました」
扉を開けられ、聖職者の人たちに助け起こされて外へ出たけどあたしはもうぐったり。周りを見ればロクサーヌたちも同じ感じだった。
やつれてつらそう。けれど、あたしと違うのはその目が使命の光を失っていないところかな。流石だ。
「空腹でしょう、しかしあと少し、ご辛抱ください。聖餐のお支度が監視塔にて整えられている最中です」
嘘でしょ、今すぐ何か食べさせてほしい。あたし、このままじゃ普通に死にそう。ほら聞いてよ、このお腹の音。シアに聞かれたら笑われること間違いなしの大音量だよ。
そんなあたしのお腹の抗議は無視され、ぐったりしたあたしたち五人はそれぞれ湯浴みと着替えに連れていかれることに。
人に入浴を手伝われるなんて貴族みたいなこと生まれて初めてだったけど、いかんせんお腹が空きすぎてぼんやりしていたので羞恥とかそんなものを感じる余裕はなかった。
磨き上げられた全身に薬草っぽい香りの香油を塗り込まれて、見事な装飾の真っ白な衣装を着せられる。
ずっしり重たい金の腕輪や首飾り、最後に服と揃えた同じ意匠の帽子を被せられ、見事な聖女姿に変身させられた。
正直に言って、空腹でふらふらの体にこの衣装は重すぎる。つらい。
あたしは未だに、聖女にはシアが選ばれるべきだと思っているけど、この最後の修練だけはシアが経験することがなくて良かったと心底思った。
「新たなる『監視塔の聖女』様を送り出せることを幸福に思います。それでは、行ってらっしゃいませ」
司祭様の挨拶を受けたあたしたちは、一人ずつ輿に乗せられて、この国と魔境を隔てる白亜の大壁に等間隔で並ぶ五本の監視塔へ向かう。
担ぎ手の歩みに合わせてゆらゆら揺れる輿の中からは、あまり外は見えない。瞑目して、学園から見た五本の塔を思い出す。
あたしはどの塔へ行くのだろう。
本当にあたしは聖女になってしまうのだと実感して、やっと、はらはら涙が出た。
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