第6話.弔いと決別の炎

 逃げて、逃げて、それであたしたちはやっと聖職者たちを撒けたようだった。


 空腹と魔法の使いすぎで限界。でも、路地裏に転がり込んですぐにやらなきゃいけないのはシアの治療だ。


 壁に寄りかからせるようにして座らせたシアの顔色は真っ白だった。ああ、逃げるより治療を優先した方が良かったかもしれない、なんて考えても仕方のないことを思う。


「シア、大丈夫、すぐ治すから……」

「ララ……聞い、て……」

「無理して話しちゃだめ、じっとしてて」

「おねがい、聞いて……私、きっとたすからないから……」


 シアが途切れ途切れにこぼした言葉に、治癒の構えをとった手が一瞬止まる。


「……そ、そんなこと、言わないで。助ける、あたしが助けるから」

「ふふ、治癒の、聖術……苦手な、くせに……」

「っ、笑っちゃだめ、傷が……大丈夫、きっと何とかするからっ……」

「もういい、の……あなたが、逃げるときのために、力を、けほっ……のこしておいて……」

「っ、シアも一緒に逃げるの!!」


 たまらず叫んだあたしに、シアは苦しそうに笑った。すっかり色を失った唇の端から赤黒い血が流れ落ちている。ああ、血が止まらない。


 あたしだって、あたしだって本当は分かっている。シアは、助からない。

 光の矢に貫かれた傷は、あたしの腕が通ってしまいそうなほどに大きいのだ。

 治癒の聖術は万能じゃないし、シアの言う通りあたしはそれが得意じゃない。


 だからって何もしないなんてできない!


 国民は全員外へ出てはいけない日に、優等生のシアが外にいた。それが、あたしに会うためだって確信してる。だから――


「っ、絶対に死なせない、お願いだから諦めないで……!」

「ララ……」


 シアは一度咳き込んで、小さく「うん」と答えた。あたしは全身の力をかき集めて聖術を発動する。


「あの、ね……監視塔で、何があったかは、私には、わから、ない。きっと、とてもひどいことが、起きてしまったのだろうと、思うわ」


 ありったけの癒しの力を注ぐ。あたしの力量じゃ止血すらままならない重傷。シアはまた一つ咳き込んだ。


「どうか、自分を、責めないでね、ララ……」


 治癒の力を受け取る側であるシアの力が急速に弱まっていくのが分かる。待って、だめ、とうろたえるあたしに、シアは小さく笑った。


「私、あなたの、いく道を、信じ、てる」


 いつの間にか、あたしの視界は涙で潤んでぼやけていた。シアの翠の目にも、透き通った涙が揺れている。

 瞬きもせずにシアを見つめた。このまま、儚くなってしまおうとしている彼女を、目に焼き付けるように。


「シア……シア……」

「ふふ……ね、泣かない、で……私、あなたが、だいすきよ」

「っ、あたしもっ、シアが大好きだよ……!」

「しってる。こほっ……ね、ララ」


 震えながら伸びてきたシアの手を優しく掴む。それが悲しいくらいに冷たくて、あたしはしゃくり上げた。


「私の、最期の、おねがい」

「うん、うんっ……」

「――……生きて」


 その言葉を最後に、シアの唇は動かなくなった。冷たい手の震えも止まって、暗い路地裏に響くのはあたしの嗚咽だけになる。


「シア、シアッ……う、うあ゙ぁぁっ……!」


 あたしもここで死んでしまいたい。でも、シアに「生きて」と言われてしまった。一緒にいきたいと、答えることができなかったから、あたしは生きなきゃいけない。


 いくつもの足音が聞こえてくる。


 震える体を叱咤して、シアに縋りついていようとする手を押さえ、あたしは立ち上がった。


「こんなところに、置いていって、ごめんね」


 穏やかな顔で目を閉じているシアにそう一言謝って、あたしは彼女の亜麻色の髪を一房手に掬い上げる。せめて、と思いながら指先に生み出した小さな風の刃で一握りの長さを切り落とした。


 シアの遺髪を手巾に包んで懐にしっかりしまいパッと身を翻す。後悔や罪悪感、悲しみにまみれた涙は押し潰すように拭った。

 本当は他の監視塔へ行って、ロクサーヌたちも助けたい。でもそうしたらきっと捕まる。だから、逃げなきゃ。





 何本もの入り組んだ道を走る。


 国民全員が家に閉じ籠っているから、普段は通行人が多い通りも簡単に駆け抜けることができた。


 時折、聖職者に出くわして、躊躇いなく魔法を食らわせて吹き飛ばした。それで、相手もあたしの正確な位置は分かっていないんだと理解して、また走り続ける。


 今あたしが目指しているのはこの国の中央やや北寄りに位置する大聖堂。


 南方には魔境と大壁と監視塔、そして東西は険しい山。この国は魔境に面していて、東西と南には要塞じみた堅牢さが備えられている。逃げるなら北しかない。


 それはきっと、聖教会側も同じことを考えていると思う。北には沢山の聖職者が配備されているだろう。


 だからあたしは騒ぎを起こすことにした。


 聖教会から逃げている人間が、この国の聖教会の本拠地である大聖堂に来るなんて、流石に相手も予測できないはずだ。


 混乱しているところへ、火を放つ。


 聖教会に殺されたシアへの弔いの火、そして今までのあたしへの決別の火だ。その業火に、あたしは復讐を誓う。


 少女たちを殺したこの国へ。

 あたしの親友を殺したこの国へ。

 あたしを殺そうとしたこの国へ。


 全身の痛みを堪えながら辿り着いた大聖堂は案の定大混乱の様子で、沢山の聖職者たちが行ったり来たりしていた。かつては荘厳で美しいと思っていたけど、今は吐き気しかしない。


 あたしに気づいた人を魔法でなぎ払い、大きな炎の魔法を頭上に浮かべる。まるで太陽みたいなそれはあたしの怒りを喰らって赤々と燃えていた。


 慌てた様子で飛び出してきた司祭は知った顔だった。憎悪が膨れ上がる。

 あたしは大聖堂へ向けて炎の魔法を放った。何か叫ぶ司祭を巻き込んで、燃え上がる炎の塊が大聖堂のステンドグラスを突き破る。

 一瞬遅れて大爆発、大聖堂はあちこちの窓から炎を噴き出して燃え始めた。


 その赤を目に焼き付けて、あたしは再びパッと身を翻した。




 いつか、ここへ戻ってこよう。

 忌まわしい全てを、この赤に包むために。

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