第7話.聖教国の正体

 いくつもの攻撃を躱し、命からがら北の関所に到着したあたしは、当然厳しくなっている警戒を風を纏って飛び越え、やっとの思いでサルザリア聖教国を出た。


 そうしてすぐ目の前に現れるのは、外の知識が乏しいあたしでも知っている、サルザリアと隣国カンバルを繋ぐ群青街道。

 けど、そこを行けばこのボロボロの姿が目立つことは分かりきっている。あたしは風を纏ったまま山の方へ飛んだ。


 あてもなく木々の間を駆け抜けて、小川を見つけたときは崩れ落ちそうだった。

 顔を突っ込むみたいにして夢中で水を飲み、煤まみれの体を洗って、そこで体力の限界が来て地面に倒れる。

 濃紺の空に銀の星が煌めいているのを見つけて「ああ、夜だ」と思った。


 そう、確かに、夜だ。


 私がサルザリアの真実を知って監視塔から逃げ出し、シアが殺されて、大聖堂を焼き、国を飛び出してきたのは、たった数刻の間に起きた出来事なのだ。まだ一夜すら明けていないのだと気づいて、ドッと疲れが押し寄せる。


「……これから、どうしよう」


 魔法の使いすぎで寒い。最後の力で小さな火を起こし、肌寒く感じるのを誤魔化しながら考えることにした。


 あたしは読み書きができるから、職業選択の幅は広いと思う。


 けど、外の世界にどんな仕事があって、どんな文化や決まりで社会が営まれているのかは全くと言っていいほど知らない。だから、学園での教育に他国の文化や社会を学ぶ授業がなかったんだな、と思ってまた怒りがこみ上げる。


 細く息を吐いて、怒りをやり過ごす。今はそれに体力を使っていられない。


「お腹空いた……」


 ほぼ五日間、何も食べていないのだ。流石にもう命に関わる感覚がする。


 そのときふと、うなじの毛が逆立った。それから乾燥しきった鼻腔を掠める獣臭。追いかけてグルグルグル……という唸り声が。


 身を起こして振り返る。森の中に光る眼がいくつか。


「野犬、いや狼? 空腹仲間っぽいね」


 やらなきゃ死ぬ。そう思えば結構人間色々できるってもんだ。


 ふらふらしながらも立ち上がって、残りカスみたいな魔力を構える。


「――来なよ。食うか食われるか、それだけだから」


 ガァッ、と吠えて、痩せた狼の群が木々の狭間から飛び出してきた。







「……ぐ、んーむ、あんまり美味しくない……」


 比較的健康そうな個体を選んで、すんごく雑に解体してみたけど、肉食獣が美味しくないって言うのは本当だってことを身をもって知ることになった。


 狼の死骸の転がる中、小さな焚き火にかけた串焼きをガツガツと齧る。


 つい先日までは、ちょっと不真面目な女学生として学業と修練に励んでいたとは思えない姿だ。


「……早く移動しなきゃかな。流石にこの距離じゃすぐ捜索隊が来るよね」


 少し休んで、美味しくないけど肉を食べて、水も飲んだから動けるはずだ。


「よし、行こう」


 夜の内に少しでもサルザリアから離れて、休める場所を探さなきゃ。



――――――――



 そうしてあたしは何日も歩いて、隣国カンバルに辿り着いた。


 服はあちこちに引っ掛けた上に返り血や泥汚れで浮浪者並みの格好だったけど仕方ない。

 着替えどころかお金すら持ってない。聖女装束の装飾品をいくらか持ち出していれば、なんて思ったけどそれを売ったら足がつくだろうと思って考えるのをやめた。

 あと、こんな姿で上等な装飾品なんて持っていたらいらない騒動に巻き込まれそうだし。


 あまりの格好で関所は通してもらえそうにないから、夕暮れを待ってサルザリアを出たときと同じように飛び越えることにした。

 何日かの間に魔力も結構回復したから苦労はしなかった。



 ここはカンバルの何ていう街なんだろう。


 夕日の作る薄闇に沈む路地を歩きながら、ふとそんなことを考える。

 文字が読めるから仕事の選択肢は多いはずって思ってたけど、もしかしたら結構勉強しなきゃいけないことが多いかも。


「……まぁ、何とかなるよ」


 服の胸元にぎゅっと手を当てる。


 遺髪に「ね、シア」と囁いて、あたしは大きく息を吐いた。どんなことがあっても、憎しみと怒りと悲しみがあたしを進ませるだろう。


 よし、何にも分かんないけど、仕事を紹介してくれるところがないか明日になったら街の人に声をかけてみよう。


 そう思って歩き出した直後、側頭部を何かで殴打された。


 倒れて、激痛と霞む視界に心臓が早鐘を打つ。


 微かに聞こえた声は複数の男のもので「逃げた」「手配書」「賞金」「サルザリア」という単語が聞き取れた。


 もしかして――


 あたしが考えられたのはそこまでだった。




――――――――




――……ララ、起きて。


――お願い、ララ、起きて。


――このままじゃ、殺されてしまうわ。


――ララ!!




「……シ……ア?」

「――お、極悪人が起きやがったぜ」


 シアの声を聞いた気がして、ふと目を覚ましたあたしの耳に飛び込んできたのは、ガラの悪い男の声だった。


 ハッとして何度か瞬きをしてようやく視界がはっきりした。

 薄暗い中、カンテラの明かりに照らされる鉄格子。その向こうに、数人の男が座っている。

 ガタガタ揺れるここは、もしや馬車か何かの中だろうか。


 ガンガン痛む頭を押さえながらよろよろ身を起こす。頭のてっぺんが鉄格子にぶつかって、自分が檻の中だと気づいた。


「暴れるなよ、あー、なんだっけ、そうだ、ララ……なんだっけ?」

「おいおいお前、賞金首の名前も覚えられねぇのかぁ?」

「うるせぇなぁ! 間違ってなけりゃあなんだっていいだろ!」


 賞金首。


 やっぱりだ。

 あたし、手配されてる。


 手配書を出したのはサルザリア聖教国に違いない。まさか国外にもこんなふうに手を回すなんて思いもよらなかった。


 どういう形で手配されているんだろう。監視塔を吹き飛ばした犯人? それと大聖堂を燃やした罪人?


「……ねぇ、あたしの手配書持ってる?」

「あ?」

「自分がどんな風に書かれているかとっても気になるの。ね、見せてよ」


 努めて、目をぎらつかせるように見開く。危険な人物を装って、この荒くれ者たちを騙すんだ。今はどんな情報でも欲しい。


「き、気持ち悪ぃ奴だな……おらよっ」


 上手くいったみたい。檻の中に投げ込まれた紙を拾い上げて薄明かりの下、覗き込む。



『対魔境防衛戦線サルザリア大壁より


 ララ・シズベット

 スコーシ系人、十六歳、黒髪、琥珀色の目


 サルザリア大壁迎撃用監視塔の一つを破壊。

 対魔境防衛拠点大聖堂を破壊。

 対魔境防衛拠点所属軍所属兵三十二名を死傷させる。

 カンバル国方面へ逃走。


 必ず生け捕り

 賞金 金五十』



 一番下まで読み、あんまりにも理解が及ばなくてあたしは思わず息を止めた。


 これは、あたしの知らなかったサルザリアの姿だった。


 そしてこれが、あたしたちが信じ込まされていた『サルザリア聖教国』の正体なんだって、そう確信した。


「……ふ、あはは、あはははっ!!」


 思わず漏れてきた笑いを堪えずに、あたしは思いっきり笑った。


 荒くれ者たちが檻の外で怯えたような顔をしている。


 ああ、あたしを一番に捕まえたのがこの人たちで本当に良かった。この手配書を読んで、この程度の檻にあたしを入れているんだから相当の馬鹿だ。本当に助かった!


「そう、そうだったの、ははは、聖教国なんて無かったのね……!」


 もうあたしの心はぐちゃぐちゃだった。

 お腹が捩れるほど笑いながら、憎しみのあまり掌に爪が刺さるほど拳を握り、最後にそれで檻の床を叩いて止まる。

 あたしたちって、一体何だったんだろう。


「……ねぇ、あんたたち」


 深く溜め息をついて、荒くれ者たちを睨み上げる。


「死にたくなきゃ、嘘をつかずに答えて」


 浸透させた魔力が檻を軋ませる。ギシギシと歪む鉄格子に、荒くれ者たちは息を飲んだ。


「サルザリア大壁って、どういうものなの?」


 据わった目で訊くあたしに、男たちは命の危険を感じたんだと思う。慌てた様子で「分かったから殺さないでくれ!」と叫んだ。


「ッサ、サルザリア大壁は、魔物から人間を守るために大陸中の国全部で金と人を出しあって作ってる、ぼ、防衛拠点だっ……俺らが知ってんのはそれくらいなんだ、たのむ、嘘は言ってねぇ、許してくれ……」


 許してくれ、と繰り返す男たちを何の感情も浮かばないままに見つめ、あたしは「そう」と一言だけ呟いた。


 そう。


 全ての国が、サルザリアと繋がっている。


 ならばきっと、この大陸にあたしの逃げ場はない。


 じゃあ、どうしようか。


 この例えようもなく燃え盛る憎悪の火を、このあまりにも痛い悲しみの傷を、そしてあの炎に誓った赤い紅い復讐を。


 魔力で檻を壊し、頭を抱えて震えている荒くれ者たちをそのままに、あたしは走り続ける荷馬車から飛び降りた。



 どこにも逃げ場はない。


 人の住む場所・・・・・・には。


 一ヵ所だけ、行き場がある。


「……すんごい博打だけど」


 荷馬車の向かう先はサルザリアだろう、そう思ってあたしはその方向を見つめた。


 サルザリアの大壁の向こう。


 どうなるかは分からないけど、逃げ場のない人間の土地よりは牙を研ぐ時間がとれそうだ。


「……シアが聞いたら何て言うかなぁ」


 ごめんね、と少し笑って胸元を押さえる。シアはあたしの道を信じるって言ってくれた。だからあたしも、自分の選んだ道を信じる。


「――よし、行こう」


 目指すのは、人間の生存が不可能と言われる未知の領域、魔物たちの領土『魔境』だ。

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