第24話.サルザリア大壁陥落

 五本の監視塔が燃え上がる。紅い炎を灯したばかりの最後の一つから出てきたあたしは途端目を焼いた西日に目を細めた。


 荒野に目を向ける。セシリージゥの巨体がもう間近だった。茫漠とした虚脱感のまま、茜色に照らされた魔境総軍の進む様を見つめる。

 黒々とした魔物の群、ふと目についた一群の先頭にいたヒースラウドは全身血塗れだった。お気に入りの巨大戦斧を掲げて何やら喝采を上げている。


 元気だなぁ……

 そんなことを思った直後、あたしの上に大きな影が下りた。


 見上げると双翼を大きく広げて下降してくる黒竜の腹。その銀細工と黒革の装備には見覚えがある。少し表情を和らげて竜の主を迎えた。


「――やったよ、先生」

「ああ、やったな、ララ」


 壁上に降り立った黒竜の背からひらりと下りてきたカルラルゥが静かに微笑んだ。風に煽られた黒の長髪が茜色の戦場を透かしている。


 お互いに、それ以降の言葉が続かなかった。


 沢山の感情で胸がいっぱいだった。達成感もある、でも同じくらい空虚な感覚があたしたちを満たしている。復讐で心は満たされないって本当だったんだな。


 ついにサルザリア大壁が終わるんだ。人類の悍ましき迎撃機構システムが終わる。あたしたちが終わらせる、この壁の先に広がる人類の領土も、完膚なきまでに叩き潰して。


 ようやく、監視塔を焼き、囚われ、利用されていた仲間を弔うことができた。いつかの自分たちの憎悪の声と悲嘆の声も同時に弔ってしまうことができたように思う。

 ずっとずっと胸の内にあった、あの小さな暗い部屋の景色が、紅蓮に包まれていくのを感じていた。


 黙ったまま、二人で魔境の反対側――サルザリア大壁に守られた人類の領土へ目を向ける。


 監視塔の炎上に動揺しているようだ。人々がわらわらと北へ向けて進んでいる。逃げるつもりだろうか。

 かつてのあたしたちが『サルザリア聖教国』だと思わされてきた防衛拠点内部。あたしが焼いた大聖堂は再建されていた。


「……あ」


 ゼイレス聖教学園が見える。見覚えのある制服を着た少女たちが北の正門から塊になって出ていっていた。


 時折怯えたような目でこちらを振り返る子がいる。監視塔の陥落を目の当たりにして魔物に怯え、憎しみを抱いているに違いない。

 彼女たちの目には、きっとあたしも魔物の内の一体として映っているんだろう。

 聖女様たちが負けた、と愕然とした思いを感じているに違いない。そんなもの、最初からいやしないのにね。


「……はぁ」

「ララ?」

「別に――……あれは」


 学園敷地南の修練場に誰かが一人、ぽつんと立ってこちらを見て――いや、睨んでいた。


 神経質そうな顔立ちの中年の女。


 深緑のブラウスの胸元に光る銀のブローチには炎の反射光が揺れている。かつて指導用の短鞭を持っていた手には今、鋭い細剣レイピアを握っていた。


「……ミセス・ハンナドール」


 あたしたちの教師をしていた人。あたしたちを騙していた内の一人。


「っ、はは。随分堂に入った構えじゃない。ああ、軍人だったんだ、へぇ……」

「……お前の“教師”か」

「ええ、うん、そうだった」


 ウィリデを強く握る。


 燃え盛る監視塔の赤を受けていっそう翠の輝きを強めるこの杖が見えるかな、ミセス。あんたはこの翠にシアを思い出すかな。


 ああ、腹が立つ。


「あっちもやる気みたいだし、あたし行ってくる。いい?」

「勿論、好きにしなさい」

「はぁい、ありがとう」


 笑って駆け出す。壁上の石材を蹴り、宙へと身を躍らせた。あたしの後ろでカルラルゥは黒竜にサッと騎乗して再び浮上。


 そしてほぼ同時に――


『――こっからが本番だね、魔王様』


 セシリージゥの巨体がサルザリア大壁に激突した。


 大地が揺らぐような轟音、真白の大壁が打ち砕かれて崩壊していく。燃える監視塔もその崩壊に巻き込まれて傾き、端から崩れながら折れていった。


 サルザリア大壁陥落。


 サルザリア所属軍の殲滅なんて序章に過ぎないってことを知らしめる、打ち寄せる波濤の如し圧倒的で一方的な進撃。


 これが、あたしたち魔境軍による人類侵攻の開幕宣言だ。

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