第12話.サルザリアの動向

 男の拳が飴色の机をダンッと殴打した。


「アレの行方はまだ分からんのか!」

「カンバルで賞金稼ぎの一団が捕らえ、群青街道の中腹で逃げられたのが最後の目撃証言ですね」

「クソッ……!」


 吐き捨てた男は『サルザリア聖教国』の側面では「司祭」と呼ばれる存在の一人で『サルザリア大壁』の側面では「対魔境軍師団長」の位にある男の一人。彼の頭は酷い火傷と切り傷まみれで、大量の包帯を巻かれていた。


 ここは対魔境防衛戦線サルザリア大壁、仮設拠点西聖堂


 本来の拠点である《大聖堂》がララ・シズベットにより破壊されたため、現在の拠点であるここは仮のもの。その会議堂にはチリチリとした空気が漂っていた。


「落ち着いてください、バルド師団長。現在一般兵たちに魔力残滓を辿る計測器を持たせ、群青街道周辺の捜索をさせていますよ」

「何故すぐ見つからん……クソッ、忌々しい小娘め……」

「外の世界を知らない子供がそう上手く逃げおおせるとは思えないので、そこらで野垂れ死んでいるのでは?」

「確実に死んだと確認し、その死体を火にくべるまでは平穏はないと思え」

「はぁ……承知しました。捜索は続けさせましょう」


 あからさまに溜め息をついて肩を竦めるのは師団長の側近、右腕と呼ばれる青年だ。その態度を気難しいバルドに許されるほど有能であると言われている。


 それ以上言葉が続かなかったので、降りかけた沈黙を割るように一人が挙手した。


「破壊された監視塔の修繕報告です。大まかな修繕は完了。据える『監視塔の聖女』に関しては《学園》の方で修繕に合わせて調整していた予備・・が丁度完成したようなので、そちらを今日中にでも運び入れます」


 何人かは「予備」の単語に苦虫を噛み潰したような顔をしたが、幾人かの隊長は険しい顔に僅かながら安堵の色を滲ませる。


「流石『鋼鉄の女傑』ハンナドール」

「だが魔力持ちを見逃した咎は重いぞ」

「そうだな」

「あいつは有能だ、どうせ減俸程度だろう。降格処分とはなるまいよ」

「まあ、まさか受け入れ時の検査で発覚しないとはな……魔力の発現は多くが四、五歳と言うではないか」

「ララ・シズベットの“入国”は九年前ですね」

「隠し通したか、遅咲きか……」

「今後は定期検査をもっと厳しくしましょう」

「そうだな……」


 そうして長い沈黙となったので、そのまま会議は終わった。





「バルド師団長」

「何だ」


 自身の師団長室へ向かうバルドに、側近の青年が半歩後ろから声をかける。前を向いたままぶっきらぼうに応えるバルドへ「ララ・シズベットの件ですが」と言葉を続けた側近。


「単なる私の想像なんですが、一つだけよろしいですか?」

「許す」

「追い詰められた獣のような娘です。何を考えるか常識には当てはまらないかもしれない」

「……何が言いたい?」

「万に一つも有り得ないだろう、とは思うのですが……」


 いつもすらすらと話す側近が珍しく言い淀むので、バルドは足を止めて振り返った。すると側近は、端正な美貌をわずかに曇らせて「私自身、突飛な想像だとは思います」と苦々しく続ける。


「……ララ・シズベットは、魔境に逃げたのでは?」

「…………」


 青い目を少し揺らして、側近は「すみません忘れてください」と肩を竦めた。


「いや、有り得ないとは言えない。小娘は賞金稼ぎを脅して自分の手配書を読んでる。余程の馬鹿でなければ自分に逃げ場がないことくらい分かるだろう」


 サルザリア大壁はこの大陸の全ての国に支えられている。サルザリアの敗北はこの大陸の終わりを意味するからだ。


「――追い詰められた獣は湖にすら飛び込む」

「師団長……」

「魔境で生き延びるか死ぬか、か……」


 バルドは複雑そうな顔をする側近に再び背を向けて歩き出した。



「本当にそうなら、反吐が出るほど賢い判断だな」




――――――




 炎が閃く。


 風を巻き起こし、土煙で視界を制限。その間に回り込んで火球の一撃を――


「――甘い」


 鋭い勢いで振られたワインレッドの杖身があたしの脇腹を殴打した。


「っ痛!」


 ごろごろごろ、と転がってあたしは低く呻いた。痛すぎる。あたしの先生は本当に容赦がない。

 あたしを吹っ飛ばしたカルラルゥがカツカツと歩いてくる。艶やかな黒髪が風にばさりと翻った。


「殺気を隠せ、ララ。それじゃ視界を悪くしても居場所がバレバレだ」

「っぐ、分かって、るけど……」

「殺意は相手の喉元に食らい付くその瞬間に解放しろ。ただの獣に復讐はできないぞ」

「分かった……もう一回」

「いいよ」


 ふらふら立ち上がってまた攻撃を始める。まあ、すぐに吹っ飛ばされたんだけど。




 杖を使っての魔法戦闘訓練は今日で一ヶ月になる。


 シアの遺髪を核にした魔導具『落涙のウィリデ』は、生まれたときから一緒だったみたいにあたしの体と魔力にすぐ馴染んだ。

 ウィリデが特に得意なのは炎の魔法。水の魔法は少し苦手みたい。あたしの杖だから仕方なくはあるかも。


 杖を使って魔法を使うのは難しいんじゃないかと思っていたんだけど、実は真逆で、自分の体を杖代わりにしてきた今までよりも威力も精度も段違いだった。


 まだ、世界の理とか効率的な生き方とか、そういうのはよく分からないけど、魔法の使い方は少しずつ上達してる自覚がある。

 お陰で体の熱量の心配をせずに魔法を撃てるようになってきた。まあ、相変わらず戦闘後はお腹が空くんだけど。


「立ちなさい、今日はここまでだ」

「いたた……」


 あちこち砂まみれの擦り傷まみれ。ご飯の前にお風呂に行かなきゃだ。


 そんなことを考えていたところへ、バサバサと羽ばたく音がした。もう耳慣れてきたそれに反応して空を見上げる。


「やあ、ご苦労様」


 同じく空を仰いだカルラルゥが、日の光に手を翳しながらそう言って降りてきたひとを迎えた。あたしも「お疲れ様です」と一言。


 ひらり、と舞い降りたのはきっちりとした黒い略式正装を纏った青髪の青年。その背中には大きな黒い翼が生えている。

 眼鏡の向こうの冷淡な銀色をした瞳があたしをちらっと一瞥して、その後に彼はカルラルゥの前にさっと膝をついた。


「閣下、ご報告が」

「何かな」


 カルラルゥを『閣下』と呼ぶこの青年は、彼女の側近的仕事をしている配下の一人。名前はヒースラウド、人に近い姿をしているけど魔物だ。


「サルザリアに放っている間諜より報告がありました。サルザリアの人間は、そこの小娘を魔物であると発表し、先の手配書にある『生け捕り』を撤回。発見次第討伐するようにと達しがあったそうです」


 あたしは思わずウィリデを強く握り締めた。


「ほう、そう来たか」


 カルラルゥはゆるりと腕を組んで妖しく微笑んだ。その目が何にも笑ってなかったので、あたしはちょっとゾッとした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る