第17話:厄介ファンと隠し事
「ねぇ、ヒロくんって人気出すぎてない?」
レディ・ダフネは自室へ戻って早々、使用人に向かって疑問を投げかけた。まともな回答を期待したものではなく、単に吐き出したかっただけの質問だ。
「わかりましたから、まずは着替えてください」
普段通り使用人の衣装に身を包んだマリーは、普段通り主人をあしらいつつ、普段通り着替えを用意していた。淡々と仕事をするマリーに、レディ・ダフネは先程までの勢いを失った。
「わかったわよ」
「いつものことですが、その声で口調を戻すのはやめてください。笑いをこらえるのに大変なので」
マリーの言葉に嘘はなく、その肩は小刻みに震えていた。レディ・ダフネはため息をつき、パイロットスーツの首元を緩めゴーグルを外す。
「はいはい、これでいいでしょ」
ボイスチェンジャーを解除したことにより、低く力のあった声はやや鼻にかかった甘いものへと戻った。ゴーグルの下にあった丸い瞳は、やや半眼となっている。
「面倒なのもわかりますが、着替えてくださいね」
「はーい」
後頭部で括った長い髪を模したウィッグを外す。ウィッグといっても自らの髪と同じ成分で作られているため、さほど違和感はない。
「で、ヒロくんなんだけど」
「続くんですね、その話」
「一回勝ったくらいで、みんなヒロヒロヒロ、ミグチミグチミグチって。あのアナウンサーですら私に向かって『ヒロ・ミグチ選手について一言お願いします』だよ! 初戦の時は見向きもしなかったくせに、もう腹が立って。ヒロくんが最高なのは今に始まったことじゃないのにもう!」
「応援してた方に人気が出るのは良いことではないですか」
「そうだけど、そうだけどさ、なんか違うの」
「はぁ、何が違うのですか?」
明らかに興味のない態度での質問だが、ロリエーナはそれで構わなかった。ただ、言いたいだけなのだから。
「この前の勝ちはさ、最後の捨て身が凄いって言われてるけど、違うのよ。あれは捨て身じゃなくて、勝つための最善手なの! そもそも、その前に、あのコソコソ隠れてるのを見つけたところに注目しなさいよ。今更マニュアル操縦の方法の解説とかしないで。知ってるからっ!」
「お嬢様、すごく厄介なオタクになられて……。ご友人が世間様に褒められているのに、素直に喜べないだなんて……」
ウィッグを片付けつつ、マリーがわざとらしく憐れんだ視線を送る。完全な正論に、ロリエーナは何も言い返せない。
「うう……シャワー浴びてくる」
「はい、行ってらっしゃいませ」
体型を誤魔化すための各種パッドが入ったパイロットスーツは、温度調節機構が弱くやや蒸し暑い。汗ばんだ下着と共にマリーへ手渡すと、ロリエーナはシャワールームへと向かった。
人類が宇宙に出て千年以上経っても、シャワーの基本的な構造は変わらない。温められた水が細い筋となり、重力に引かれ、ロリエーナの肌へと落ちる。
「わかってるけどさ……」
自動洗髪装置はあえて使わず、自分で髪を洗いながらロリエーナは呟いた。
デビュー戦前から注目していたパイロットが、ついに頭角を現してきた。世間は彼の素晴らしさにようやく気付く。それは全く悪いことではない。むしろ良いことだとも理解できる。しかし、どうにも気に食わなかった。
「見つけたの、私が先だし」
つまるところ、独占欲なのだ。応援する相手には有名になってほしいが、自分だけの存在でもあってほしい。ファンとしての複雑な気持ちだ。
自分で体を洗いながら、ロリエーナはヒロの顔を思い浮かべる。
丸みを帯びた顔の輪郭が、どこか可愛らしい。普段の優しい目付きと、戦いのことを考えている時の鋭さとの差が胸を締め付ける。左目の下にある傷は、どうしてできたものだろうか。
「友達でも、連絡くれないし」
友人という特別な存在になれたことは、大変に嬉しいことだった。しかし、あの雨の日以降、ほとんど連絡をとっていない。試合後に『しばらく連絡が少なくなりそう』という趣旨のメッセージが来たきりだ。
「そうか!」
シャワーでクリアになった思考が、ひとつの冴えた結論を導き出した。慌てて残った泡を流し、シャワールームを後にする。
「ねぇ、デートに誘うわ」
「わかりましたから、まずは拭いてください」
足元に水溜まりを作りながら歩くロリエーナに、マリーがタオルを被せる。
「ソルジャーズ、次は惑星シズカだったよね。すぐに向かいましょ。仕事ってことにして」
ソルジャーズの試合スケジュールは全て把握している。当然、戦いの場所も含めてだ。
マリーに全身の水滴を拭われながら、ロリエーナは指輪型の通信端末へ手を伸ばした。
「待ってくださいお嬢様」
「なによ?」
「先日のエミは一回目だから良しとしても、連続はどうかと」
「どうかって?」
ロリエーナは首を傾げた。濡れたままの黒髪が頬に張り付く。
「行く先々の場所に、毎度先回りして約束を取り付けようとする女、どう思われますか?」
「あ……」
マリーの言葉を受けたロリエーナは思わず目を見開いた。よくよく考えればわかることだ。一時の勢いで動こうとするのは、自分の悪いところだと思う。
「相手の都合を考えず好意を押し付け、付きまとう行為を差した古い言葉があります」
「古い言葉?」
「はい、ストーカーと」
「うわぁ……」
ロリエーナは大きく肩を落とした。古語に近い言葉だが、完全に的を射た表現だった。
「どうします? お誘いしますか? ストーカー様がお誘いするなら、私もジャンジャンと遊びたいですが」
「さりげなくストーカー言うのやめて」
ソファーへ座ったロリエーナは、マリーに髪を乾かされながら、改めて考えを巡らす。
誠実な彼が、連絡が減ると教えてくれた。きっと何かしらの理由があるはずだ。それに、わざわざ伝えてくれたということはどういうことか、結論はただひとつだった。
「つまり、私は特別!」
「えっ……」
軽くよろめいたマリーには気付かず、ロリエーナはさらに思考を進める。特別な自分が、特別な彼に向けて、今何ができるだろうか。
「よし、決めた! マリー、聞いて」
「はぁ」
「行く先々に先回りしているから違和感があるのよ。たまたま同じ
「必然性、ですか」
乾いた黒髪をブラシで
「そう、もういっそのこと、私がロリエーナ・リイナ・ジートニンだって明かしちゃって、お仕事で星々を回ってるって伝えるのよ。そうすれば、あちらこちらで会っても不思議じゃないってこと」
「えっ」
「さすがにレディ・ダフネとは言えないから、ヒーローズの支援とかなんとか言って」
「ええと」
マリーの返事を待たず、ロリエーナは立ち上がった。身体に巻かれたバスタオルが勢いよくはだけた。
「あの、お嬢様」
「何?」
「いくつか気になることが」
「言ってみて」
こういう時のマリーの意見は重要だ。自分が見落としていたことを教えてくれる。ロリエーナはそれを深く認識していた。
「まず、社長がなんと言うか。母体出産の娘がいることを今まで公表していなかったのには、何か意味があるはずですし」
「じゃあ、お父さんに話しにいきましょう」
「もうひとつ、お嬢様がヒーローズの関係者と知ったら、ヒロ様はどう思われるか」
「うっ……」
正体不明のリエという女が、実は敵対チームの関係者だった。それを知ってしまえば、目の前で自殺未遂をしたのも、ファンと名乗ったのも、雨を見に誘ったのも、彼に取り入るための手段と思われても仕方がない。
それはつまり相手の内情を知るためのスパイ行為だ。さらに悪意的に捉えれば、いわゆるハニートラップに受け取ることもできる。
「だから今まで黙っていたのでしょう?」
「そうだけど……あっ!」
マリーの言うこともわかる。そこでロリエーナは自分で自分の本心を理解した。
「やっぱりお父さんのところに行こう」
「いいのですか?」
「うん、わかっちゃったから」
「わかっちゃった、ですか?」
「私ね、ヒロくんに隠し事してたのが後ろめたかったんだよ。レディ・ダフネのことは言えなくても、せめて私が誰だってことくらいは話したくて。それでスパイ扱いされるのは、すごく怖いけど」
ヒロに拒絶されるなど、想像するだけで泣きそうになる。それでも、隠し事をし続けるのは辛い。本当はレディ・ダフネであるとも名乗りたいくらいなのだ。
「お嬢様、社長のスケジュールを確認してきますね」
「マリー、ありがと」
ロリエーナの横には、いつの間にか下着と着替えが置かれていた。
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