第20話:疲労と感情

 ヒロ・ミグチという男は、社会的には異端の部類に入る。

 通常に生産された子供たちは、十四歳になる頃に適性検査を受ける。将来就く職業を決めるためのものだ。

 多くの場合は、複数提示された職業のうちいずれかを選び、職業訓練校に進学する。ただしそれは強制力のあるものではなく、人が幸福に暮らすため【システム】からの提案される選択肢に過ぎない。


 深く思考するという特徴を持つヒロは、本人の興味も含め、歴史研究者や技術開発に関する職業を提示された。十四歳のヒロは大多数の例に漏れず、それに従うつもりだった。しかし、彼は彼女を知ってしまった。

 流麗の女神に魅せられた少年ヒロは周囲のアドバイスや忠告を振り切り、アーマックパイロットの訓練校に進学した。露骨な差別や迫害こそなかったものの、異端者であるヒロと積極的に関わろうとする者はいなかった。ヒロとは違う意味で周囲から浮いていた、ジャンを除いて。


 ヒロの努力と創意工夫は尋常ではなかった。数百ある基本動作プログラムを全て暗記し、自身専用のものも複数作り上げた。それらを実践するため、シミュレータの使用時間は他者の十倍を超えた。

 それらの甲斐もあり、パイロットの資格をとり訓練校を卒業することができた。該当期の卒業生は、ヒロとジャンを合わせて四名だった。適性はあれども資格を取得するできなかった者たちは、【システム】によりまた別の職業が提案された。

 そして、特殊な二人組は、新興チームであるヴァンクス・ソルジャーズにスカウトされ、今に至る。


「うぇっ……」


 仕事を終えたヒロは、この日何度目かの吐き気に襲われ、口元に手を当てた。幸か不幸か、彼の胃には逆流するものが入っていなかった。


「おいヒロ、大丈夫か?」

「だめかも」

「だよなぁ、俺も」

 

 サムが療養中、戦場に出ることができなくなったヒロとジャンには、チームからある役目が与えられた。そのために、朝から晩まで、二人はシミュレータ室にこもり続けていた。

 実戦のように命の危険を伴うものでもなく、過剰に体力を必要とするものでもない。しかし、それらを超越した異常なまでの精神的疲労が、彼らを蝕んでいた。


「これで何日目だ?」

「もう一ヶ月くらいかな」

「そんなに経ったのな」

「時間の感覚、なくなるよな」

「だな」

 

 ジャンの問いに答え、ヒロはしばらく連絡をとっていない友人のことを思い出していた。精神的余裕がなくなると想定し、事前に連絡しておいて正解だった。仕事を終えれば泥のように眠るだけの日々だ。


「でも、ちょっとは慣れたかも」

「おいおい、まじかよ」

「もう少しで、掴めそうな気がする、かも」

「すげぇな……もうあれヒロ専用にしようぜ。俺には無理だわー」

「選ぶのは監督とチームだろ」

「まぁな」


 約一週間後にサムは復帰予定だ。それはヒロたちBチームの再動を意味している。正式な通達はないが、次の戦闘では出撃の指示が下るだろう。それまでに今の仕事を完了させる必要がある。


「トトリに着くまでには仕上げないとな」

「そだな、頑張れヒロくん」

「お前もだよ、美少女」


 次の戦場は惑星トトリ周辺だ。砂漠の惑星と呼ばれる場所で、ヒロたちBチームは恐らく復帰することになる。


「じゃ、また明日」

「ああ、おやすみ」


 疲れた体をなんとか引きずり、自室へと辿り着いた。隣部屋のジャンに手を振り、自動ドアを潜る。そのままベッドに飛び込みたい衝動に駆られるが、シャワーは浴びておきたかった。冷や汗だらけのままで寝るのは、さすがに気持ち悪い。

 のろのろと服を脱ぐヒロは、携帯端末が着信を示していることを見逃していた。部屋に置いたままだったことすら、今は意識の外だった。

 

 ぬるめの水滴が人工重力に引かれ、ヒロの肌へと落ちる。朦朧としていた意識が、だんだんと鮮明になってきた。

 仕事のこと、仲間のこと、過去のこと、とりとめのない思考がヒロの中を巡る。何もしていない時、何かを考えてしまうのは、どうしようもない性分だ。自覚はしているものの、止められる類のものではない。


「リエ……」


 最後に浮かんだのは、趣味が合う友人の横顔だった。彼女は今、何をしているだろうか。

 シャワーを浴び終えたら、簡単なメッセージでも送ろうかと思いつく。しかし、思うだけでなかなか実行に移せないのが実際だ。

 仕事の内容は機密で伝えられない上に、他に話題がない。何を送ろうか考えているうちに、疲労から眠ってしまう。それの繰り返しだった。


「うーむ」


 いくら事前に伝えてあるからとはいえ、あまりに音信不通では失礼なのではないか。逆に、こまめに連絡をし過ぎても鬱陶しいのではないか。これまではジャン以外に友と呼べる存在がいなかったため、いまいち距離感が掴めずにいた。


 彼女には謎が多い。ただ、少なくとも非常に重要な立場だということはわかっている。それが具体的にはどんなものなのか、気にはなっても聞くべきではない。

 お互いに気の置けない関係でいるためには、知らない方がいいこともある。ヒロはそう考えていた。


「しかしなぁ」


 ヒロは自分の曖昧な感情に嘆息を漏らし、シャワーを止めた。ジャンなら『好きにしろよ』とでも言うのだろう。


「わからん」


 軽く落ち込みながら、水分を拭い髪を乾かす。この手順は人が母星にいた頃から変わらないらしい。道具は変わっても、人は人のままなのだろう。はるか昔の人間も、ヒロと同じ悩みを抱いていたのかもしれない。


 リエはヒロとは比べ物にならない程に博識であるが、それを鼻にかけない朗らかさを持っていた。理知的に見えて、その場の衝動で行動しがちなところも可愛らしい。外見も他で見た事がないくらいに麗しい。簡単にいうと、とても魅力的な女性だ。

 だからといって、安直に恋仲となろうとは考えづらい。思春期以降、アーマックのパイロットになる事だけを考えていたヒロには、恋愛というものが理解できていないのだ。

 想った相手を激しく追い求めるという意味ならば、ヒロの相手は流麗の女神だ。きっと、彼女を殺すまでは他のことなど見えない。


「ん?」


 ヒロは自分の思考に違和感を覚えた。他のことなど見えないのであれば、リエに対する感情は何なのか。

 親友兼相棒であるジャンに向けた気持ちならば理解できる。求めているものは同じではないが、アーマックのパイロットとして志を共にする仲間だ。訓練時代を一緒に過ごした恩や情もある。そこがリエを相手にした場合とは大きく違うのだ。

 同年代の若者が楽しむような青春を、ヒロは自ら放棄した。それによって、人としての感情が欠落しているのではないかと、不安にもなる。人類を管理する【システム】の恩恵から外れたのだから、それも仕方ないのかもしれない。

 

「ううむ……」


 煮え切らない気持ちを抱えたまま、睡眠用の服を着る。血流を促進させつつ、強制的に副交感神経を優位にするリカバリーウェアだ。数時間後に再開する仕事のため、プロとして万全を期す必要があった。

 疲労に身を任せ、ベッドに飛び込む。微睡んでいく意識の中、明日こそはリエにメッセージを送ろうと意気込んだ。


 テーブルの上で、ヒロの通信端末はメッセージの着信を知らせるランプを点滅させ続けていた。

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