第12話:雨と握手
惑星エミは、雨の惑星と呼ばれていた。
惑星改造の名残により局所的に集まった雨雲は、少しずつ圧縮される。水分の保持に限界を迎えた時、雨雲は
「最高のタイミングだ……」
ヒロは展望室の窓からマッカサ市の街並みを見渡す。エミの雨は降り始めが特に激しい。まさに豪雨だ。その瞬間に立ち会えたのはヒロにとって幸運だった。
あっという間に水浸しになる街を見下ろし、ヒロは感嘆を漏らした。
「ヒロさんはエミの雨、初めてですか?」
「うん。映像では見たことあるけど、実際に見るのはね」
「凄いですよね。今、この
「リエは前にも?」
「エミには何度か来たことあるんですが、雨は初めてです」
リエは以前、父親の仕事を手伝っていると言っていた。この時代に自然出産で子供を得たということは、かなりの大物のはずだ。娘を連れて惑星間を飛び回っていても不思議ではない。
彼女はどこの誰なのか、知りたい気持ちは強い。しかし、聞いてはいけないことだとヒロは思っている。アーマックのパイロットと、そのファンの中のひとり。薄く脆い関係は些細なことで壊れてしまうだろうから。
「じゃあ、見られてよかったね」
「はい。ヒロさんも」
「うん。これを見ると、人の知恵と同時に罪も感じるなって」
「ですね。元々あった惑星を破壊したのと同じですからね」
「傲慢かもしれないけど、手放しで褒められないところも人間なんだろうなって」
独白に近いヒロの言葉に、リエは黙って頷く。それからしばらく、二人は雨の空と街を眺めた。言葉は少なくとも、どこか通じ合えたような気がしていた。
「そろそろ行きましょうか」
「だね。小降りになってきたし」
降り始めた時は滝のようだった雨は、しとしとといった程度に落ち着いていた。エミ気象局の予報ではこれから数日間、強弱を変えながら降り続くとのことだ。
「あっ、傘買いましょう傘」
「傘、いいね」
エレベーターから降りたリエが、ビルの売店を指差す。空気振動式の対雨フィールドが当たり前な時代、クラシックな雨傘が新鮮なものに思える。どうやらリエも同じ感想を抱いたようだった。
「お誘いしたの私だし、買ってきます」
「あ、うん」
ヒロの返事を待たず、リエは小走りで売店に向かっていった。待っている間、金髪のはみ出たキャップと黒いスカートを視界の端に捉えたが、見なかったことにした。パイロットとしては役立つ視野の広さも、こういう時は考えものだと思う。
「お待たせしましたー」
声の主は先端がフックのようになった棒状のものを持っていた。大きめのサイズを選んだのか、小柄な体に似つかわしくない長さだった。
「おかえり」
「はいっ!」
元気に返事をするリエの声は弾んでいた。楽しそうな姿に、ヒロも嬉しくなる。
出口に向かうヒロたちに反応してビルの自動ドアが開くと、心地いい雨音が耳に入ってきた。隣に立つリエがヒロの横顔をちらりと見る。
「では、どうぞ!」
バサリ、という音と共にリエの持つ雨傘が広がった。ほぼ円形に広がった薄い布を頭上に掲げ、雨を防ぐ仕組みだ。存在は知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
「ええと、どうぞ?」
「あ、はい、ご一緒にと、思いまして」
「ああ、なるほど」
「あー、嫌でしたら、もうひとつ買ってきますので……」
「いやいや、嫌じゃない。うん、全然」
「よかった……」
ここで曖昧な態度をとるのは失礼だろう。ヒロは思い切って、リエが広げる傘の下に身を滑り込ませた。
「持つよ」
「ありがとうございます」
男性としてはあまり体の大きくないヒロだが、小柄なリエと比べれば長身だ。不自然に手を上に伸ばすリエから、傘の柄を受け取った。
「少し歩く時間、ありますか?」
「うん」
ヒロが首を縦に振るのを合図に、二人はビルの外に足を踏み出した。歩幅をリエに合わせて数歩進むと、防水処理をした布に雨粒が当たりはじめる。対雨フィールドとは違った軽快な音が心地よかった。
「まるで、世界にふたりだけみたいですね」
昼間ではあるが、恒星からの光は雲に阻まれ薄暗い。加えて、雨により視界が悪くなっている。リエの言う通り、周囲には誰もいないように感じられた。
「今日は本当にありがとうございました。わざわざ時間作っていただいて、嬉しいです」
「ううん、こちらこそだよ」
左隣を歩くリエが、わずかに首を傾けヒロを見上げた。密着に近い距離感に心臓が跳ねる。
この感情の正体を、ヒロは正確に把握できていない。ただ、選手とファンの間で抱いてはいけない類のものとだけは理解していた。
「今日、ずっと言おうか悩んでいたことがありました」
「ん?」
歩く速度は緩めずに、前を向いたままのリエが口を開く。ヒロに聞こえる大きさの声ではあったが、まるで独白のようだった。
「困らせちゃうんじゃないかって思ってました。でも、黙ってこのまま終わるのは嫌だなって」
リエが何を意図しているのかヒロにはまだわからない。相槌すらできず、少し鼻にかかった甘い声に耳を傾けるだけだった。
「ヒロさんは、凄いパイロットで、凄く人気があります。今シーズンからのルーキーさんの中でも、特にファンが多いんですよ。知ってましたか?」
「特にかどうかわからないけど、たくさんの人が応援してくれてるのは最近知ったよ」
「そうなんです。私もその中のひとりで満足できたらよかったのに、駄目でした」
ヒロは少しだけ、彼女の言いたいことがわかってきた。それは、自分の気持ちと似ているのかもしれない。
「ヒロさんに聞きたいことも、聞いてもらいたいことも、言いたいことも、たくさん思いついてしまうんです。でも、ファンとして、これ以上は良くないとも思うんです。今日みたいに、個人的にお会いするのも、ほんとは反則です」
一気に話すと、リエは寂しそうに笑った。
「じゃあ、ファンじゃなかったら?」
反射的に出た言葉だった。普段のヒロは考えて、考えてから、行動や発言をする。アーマックの操縦ですら、必ず判断を挟む。しかし、リエに対してだけは、思考より感情が先に動いてしまう。初めて会った時も、考えるより先に走り出していた。
「えっと、それはどういう?」
「例えば……友達、とか」
言ってしまってから、ヒロは自分の発言に納得した。どこかの令嬢であること以外は、何者なのかわからない。それでも、バトルリーグと惑星開拓史が大好きなリエのことを、もっと知りたいと思っていたのだ。
この提案をリエはどう受け取るだろうか。勢いに任せてしまったことを、後悔はしていない。しかし、返答次第で今の関係は終わりを告げるかもしれない。ヒロの背中に冷や汗が伝う。
「と、友達ですか……」
「うん」
リエは足を止め、口をつぐんだ。ヒロはどうすることもできない。雨音は続いていた。
「ええと、友達、ですよね?」
「うん」
「ただのファンじゃなくて、お友達?」
「そのつもりだった」
ようやく口を開いたリエは、先程とほぼ同じ質問を繰り返した。ヒロも同様の返事をすると、リエと目が合った。彼女の瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「なんと言ったらいいか……」
「迷惑だったかな」
「あ、いや、違うんです! 嬉しくて、逆に固まってしまいまして!」
目端に涙をためながら、リエは必死に自身の動きを解説する。
「よし、あー、ちょっと待ってくださいね。いえ、ちょっと待ってね」
膨らみのある胸に手を当ててたリエは、言葉を崩し三度ほど深呼吸をした。閉じたまぶたを開き、改めてヒロを見つめる。
「よ、よろしく、ヒロ、くん」
「うん、よろしく」
新人パイロットと謎多き令嬢は、雨の街で握手を交わした。彼女はヒロにとって、二人目の友人だった。いや、奴は自称親友なので、初めての友達なのかもしれない。
手を離した新たな友人は「よし」と呟くと、胸の前で自身の指を絡める。大きく息を吸い込み、口を開いた。
「あのね、帰る前に伝えたい事があるの。ファンなら言うべきじゃないことだけど、友達ならすぐにでも言わないといけないこと」
「ん? 何?」
「ヒロくん、自分に致命的な弱点があるの、知ってる?」
ヒロを見上げるリエの視線は、真剣そのものだった。
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