第11話:待ち合わせと雲
惑星エミの軌道リングから、反重力バスが降下する。宇宙船と地上を走る車両の中間のような外観の乗り物には、百名程度の乗客が座っている。その窓からヒロは、眼下に広がる地表を見つめた。期待通りの光景に、思わず嘆息を漏らした。
「おおー」
ここにはチーアにあったような、巨大なエレベーターはない。あの美しくも脆い巨大な建造物は、反重力装置の普及により無用の長物となり、新たに建造されることはなくなった。
その名の通り、重力に反する力を発生する機械は、惑星開発に革命をもたらした。人や物資の運搬効率が著しく向上した結果、人類の住処は加速度的に広がっていった。
「おい、雲だぜ。凄くでかい」
「ああ、雲だな。でかいな」
興奮気味のヒロに対し、隣に座るジャンは冷めた反応だ。残念ながら、ヒロの旧友はこの手の浪漫には興味がない。
休暇を過ごすため、ヒロとジャンは惑星エミのマッカサ市へと向かっていた。お互い相手は違うのだが、たまたま同じ時刻に、たまたま同じ場所での待ち合わせだったため、現地まで同行することになったのだ。
ウマは合うが趣味の合わないジャンを無視し、ヒロは再び景色に集中した。先程口にした通り、都市部から離れた場所には巨大な雨雲が浮かんでいた。それが惑星エミの別名ともなった、雨の発生源だ。
ヒロは窓枠に肘をつき、
程なくして、バスはマッカサ市の停留所へ到着した。エミは重力が標準より若干強い。人工重力に慣れた身体が少しだけ重たく感じる。
「よし、いい天気! 行くぞヒロ!」
ジャンは陽気な掛け声と共に鞄からキャップを取り出し、自らの頭へ乗せた。ひとつに括った金髪を後ろから出して、準備は万端のようだ。
「何でそんなに元気なんだよ」
「ああん? これが冷静でいられるかってんだよ」
普段にも増して勢いの良い言い回しをするジャンは、明らかに浮かれて見えた。彼の待ち合わせ相手は、惑星チーアで知り合ったマリーと名乗る物静かな女性。どうやら、会うのがとても嬉しいようだ。
ジャンにも春が来たのかもしれない。どうやっても十代半ばの少女にしか見えない相棒に、ヒロは生暖かい視線を送った。
「なんだよ」
「いや、別に」
半眼で見返してくるジャン。ヒロはわざとらしく目を逸らした。
「おい、冗談は終わりだ」
真剣なジャンの声に、ヒロは息を潜めた。
「ヒロさん、こんにちは」
「ジャンジャン」
幅広の帽子をかぶり、薄緑のふんわりとしたワンピースに身を包んだ小柄な女性。そして、もはや骨董品にも見える使用人風の衣装を着た長身の女性。
その二人組が、ヒロとジャンの待ち合わせ相手だ。
「マリー姉さん!」
年の離れた姉に甘えるように、ジャンがマリーに近寄っていく。それぞれの連れに置いていかれ、ヒロとリエの視線が絡んだ。
「久しぶり、リエ」
「はいっ」
何気ない挨拶に対して、リエは目を細める。それだけで、ヒロの胸はほのかに温かくなった。
「よし、じゃあ俺ら行くから」
「では、失礼します」
「いいかヒロ、俺らは行くからな。ヒロ達とは別行動だからな。完全に別行動だからな。わかったな? それでは、じゃあな!」
ジャンはひとしきりまくし立てたあと、マリーを連れて逃げるように去っていった。あっという間に小さくなる背を目で追い、ヒロはため息をついた。
「あの二人、仲良いな」
「ですよね」
嵐の後のような雰囲気に、残された二人は微笑んだ。
「さて、どうしようか」
「あの、私、雲が見たいです。バスからも見たんですけど、マリーったら全く興味なくてつまらなかったです」
「ジャンのやつも同じだったよ」
「あら、お仲間さんでしたか」
「だね」
「では、是非ご一緒に」
リエは冗談めかして、市街中央付近にそびえる高層ビルを指差した。
宇宙開拓中期、人類は惑星そのものの気候を操作する技術を手にした。これまでのドーム状の都市は不要となり、その惑星全てを生活圏とすることができるようになったのだ。ただし、初期の気候操作は完璧とはいえなかった。
人の手がつく前から、エミは雨の多い惑星だった。強酸性の雨は降るだけで人体を害し、あらゆる設備を腐食させた。この惑星に住み着くためには、雨を安全なものに変える必要があった。
「広い範囲の中和は無理だったからって、雨の元になる雲を集めちゃうなんて、昔の人はよく考えましたよね」
「だよな。なかなか思いつかないよな」
「そういう発想とか工夫の積み重ねで、今があるんですよね」
「うん、感動する」
ビルの上層階にある展望室からは、巨大な雲の一部を見ることができた。その中心に、酸性の雲を集めて中和する大型施設が建っている。エミの地表には同様の施設が十五箇所あり、それぞれが雲の中心になっているそうだ。
雨の中和が完全に終わった今は、集まる雲が惑星改造の名残を見せるだけだ。人類がこの惑星に降り立つ
「せっかくエミまで来たし、見たかったんだよな。誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ、お付き合い、ありがとうございます」
「予報ではもうすぐ雨だったよね」
「はい、それも見たかったんです」
リエとの会話は楽しかった。好きなことを近しい視点で語れるのは幸せなことだと、ヒロは初めて知った。そこには立場も性別も関係ないように思えた。
「ヒロさん、話を変えてもいいですか?」
徐々に広がってきた雲に視線を向けたまま、リエはヒロに問いかける。おそらく、昨日の試合のことだろう。ふがいない結果になったのを、リエはどう思っているのだろうか。ファンとして叱咤するのか、それとも失望を言い渡されるのか。ヒロは不安を隠して「いいよ」と返した。
「あの、ちょっと、様子がおかしくなっても気にしないでくださいね」
「わかった」
少し鼻にかかったリエの声は、少しうわずっていた。既に様子がおかしいが、ヒロは意図して気にしないようにした。
「昨日、中継見てました。それで、すごくびっくりしました」
「負けたもんな」
「いえ、そこじゃなくてですね、私の知ってる限りヒロさんだけだったんです」
「俺だけ?」
「はい、今シーズンのファイターズの、あの色が変わるのを、攻撃される前に見つけたの、ヒロさんだけなんですよ」
「ああ、そうかも」
「そうかもじゃないです! とっても凄いことですよ! バトルリーグのファンコミュニティでも、戦闘機動中にどうやって見つけたかって話題で持ちきりなんですよ! ファンとしてはこれ以上踏み込みませんが、ほんと、どうやったのか詳しくお聞きしたいくらいです」
リエはヒロの方に向き直り、早口で訴えるように語る。やや暗めの展望室でもわかるほど、頬が紅潮していた。突き出される柔らかそうな唇に目が奪われつつ、ヒロは少しだけ体を後ろにやった。
「あっ、ごめんなさい。興奮してしまいまして」
「いや、こちらこそ、そんなに言ってもらえて、光栄というかなんというか」
お互いしどろもどろになりながら頭を下げ合う。その様子が我ながら滑稽で、ヒロは思わず吹き出した。
「あー、笑われちゃいました」
「そりゃ、笑うさ」
「どうせバトルリーグオタクですよー」
「違う違う、そういう事じゃなく」
「違う?」
軽く頬を膨らませたリエは、ヒロから否定の言葉を受け首を傾げた。
「リエと話してて楽しいってことが言いたかった」
「ふぁっ、え、そんな」
妙な角度に腕を曲げ、リエは数歩後ずさる。それがどんな感情を表す動きなのか、ヒロには察することができなかった。
「そんなこと、言ってもらえるなんて……」
リエが上目遣いにヒロを見た時、街全体に響くようなサイレンが鳴った。
「雨だ!」
「あ、雨っ!」
二人は揃って声をあげ、窓から外を見た。
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