第5話:不眠と再会
チームの用意したホテルにチェックインし、食事をとり、日課のトレーニングをし、シャワーを浴びても、ヒロの心は落ち着かなかった。あらゆる状況で思考の中に彼女がちらつくのだ。自分の大ファンだと言った、どこかの令嬢の姿が。
「これは、まずいな」
そして、結局朝になった。職業柄、適度に眠ってコンディションを維持することは義務ともいえる。結果的にそれを放棄したことに、ヒロは軽く落ち込んだ。
せめて少しでも眠ろうと必死に目を閉じるも、規則正しい生活リズムの染みついた体がそれを許さなかった。広くないホテルの部屋と、慣れない硬さのベッドがさらに拍車をかける。
「どうするかなぁ」
特に予定のない休日だ。せっかく来たのだから観光をしておきたいが、少なくとも今はそんな気分になれなかった。
「うーん」
唸りながら何度目かの寝返りを打った時だった。個室のドアを叩く音が耳に入ってきた。設置されたインターホンを使用せず、直接叩いている。こんな雑な行動をとる人間をヒロは一人しか知らない。
「おーい、飯いくぞー」
ぞんざいな口調と大きなギャップのある可愛らしい声が聞こえてくる。ヒロの予想は確定した。
「起きろー、美少女だぞー」
ベッドから起き上がる間にも、ドアを叩く音と呼びかける声は続く。まるで嫌がらせだが気は紛れる。ヒロにはそれがありがたかった。
「おはよう、ジャン」
「おう、迎えに来たぞ」
ノブを回すタイプの古めかしいドアを開けると、金髪ツインテールの少女がにんまりと笑った。
「準備するから入ってて」
「おう」
尊大に頷いたジャンは、特に遠慮する様子もなくヒロの部屋へと足を踏み入れる。二人にとってはいつものことだ。ただし、彼の外見はいつものことではない。ヒロは意図的に気にしない振りをした。
「そうだ、見ろよ。取り寄せてたのが届いたんだよ」
着替えをするヒロに向けて、ジャンは自分の服をつまんで見せた。
宇宙開拓初期には資源節約のため、ホログラム発生装置を内蔵したボディスーツの着用が推奨されていた時期があった。人の生活圏が拡大した今では、旧時代以上に実物でのファッションが好まれるようになっていた。
「ええと、ひらひらだな。黒くて赤い」
「え、感想それかよ」
「お前、歴史とかアーマックにはうるさいのにな。そういうところだぞ」
「どういうところだよ」
「せっかく手に入った、旧時代のさらに一時代に、とある地域で局所的に流行ったという、アレなのに」
「それは流行ってたと言っていいのか? で、アレとは?」
「たしか、
「物騒な名前だな」
「だな」
ヒロの着替えが終わるのに合わせて、会話に区切りがつく。
「よし、行くか」
「待て、ヒロ」
誘い通りに出かけようとしたヒロのシャツを、ジャンの細指が摘まんだ。
「どうした?」
「お前、寝てないだろ」
「よくわかったな」
「まぁな」
ヒロを見上げる青い瞳は、友人を心配していると書いてあるようだった。訓練生時代から続く友情に感謝して、ヒロはジャンの指をシャツから外した。そのままドアを開け、部屋から足を踏み出す。
「歩きながら話すよ」
「おう」
惑星チーア・ハトヨ市の昼間はそれなりの喧騒だった。人類の発展から取り残され少しずつ衰退していた街は、アーマックの戦場となったことで一時的に沸き立っているのだ。
まだ数分歩いただけというのに、ほとんどの通行人はすれ違いざまにジャンを二度見していた。そんな彼の左隣にいるヒロは、異様に人目を引く相棒に対し、自身の現状をどう説明しようか悩んでいた。ジャンは冗談交じりに周囲へ手を振りつつ、ヒロの言葉を待ってくれている。
「昨日さ、展望体から落ちそうになっている人を助けたらさ、俺のファンだって」
「マジか」
ヒロは昨夜の出来事を一通りジャンに話した。リエと名乗った女性の詳細と、落ちそうになった原因は伏せておいた。両親持ちのお嬢様が自殺しようとしていたなどとは、いくら親友であっても言えないとの判断だ。ジャンも何かを察したのか、彼女については深くは触れなかった。彼のそういった性質が、若くしてアーマックのパイロットに選ばれた理由のひとつだとヒロは理解していた。
「なるほど理解した。で、質問だが」
「あん?」
「その子は、可愛いのか?」
直感に優れていても、デリカシーがあるとは限らない。それがジャンという男だ。
ヒロはヒロで、素直にリエの姿を思い浮かべる。昨夜何度も反芻した映像が頭に浮かんできた。
「可愛いというか、綺麗というか、吸い込まれるというか」
「おおう……」
はっきりしないヒロの言葉を聞き、ジャンは丸みのある額に手を当てた。小さい声で「遅かった」と呟くが、ヒロにはその意味がわからなかった。
「ヒロよ、寝られなかった理由に見当はついてるか?」
「人助けと、初めてファンって言われたし」
「ほんとにそれだけか?」
やや吊り気味の大きな目が鋭くなる。ヒロは反射的に視線を逸らした。
実は内心でわかっていた。それでも、認めるわけにはいかなかったのだ。
「ほれ、図星じゃねーか」
「いや、でもな」
「でもも何もねーよ」
ジャンの敢えて核心をつかない言い方は、ヒロ自らに言わせるつもりなのだろう。いい奴とタチの悪い奴は共存するということだ。
しかし、ヒロは口をつぐむ。
「ヒロの夢もわかるし、応援もしてる。でも、それとこれとは別だろ」
ジャンの言葉通り、ヒロには夢がある。他の女性に目が眩んでいては、叶えられるものも叶えられない。少なくともヒロはそう考えてここまで来た。目的以外のほぼ全てを切り捨ててきたからこそ、アーマックに乗っていられる。
「まぁ、これ以上追いつめても仕方ないか。どっか店入ろうぜ」
「だな」
親友が考える猶予をくれたのだと判断し、ヒロは周囲を見渡した。豆を発酵させた調味料を使った料理の看板が目立つ。いわゆる郷土料理なのだろう。
「せっかくだし美味いもんでも食って、落ち着こうぜ。お、あそこ良さげ」
ツインテールを振り回したジャンは、気になる店を見つけたようだ。ヒロの手を取って歩き出す。これも今までと変わらない距離感なのだが、細く柔らかく、少し冷たかった。ヒロはふと、リエの手を強く掴んだ感触を思い出した。
「ちょっと待てって」
ジャンに引っ張られる形となったヒロは、少しよろめきつつも態勢を立て直す。人にぶつかってはいけないと、周りを気にした瞬間、ヒロの足が止まった。動きを止められたジャンが振り返る。
「あ」
「あ」
男女ふたつの声が重なる。
片方は奇抜な格好の美少女と手を繋ぐ男。もう片方は、使用人とおぼしき長身の女性を連れた女。
「あ、えっと、こんにちは」
数秒見つめあった後、ヒロは辛うじて挨拶の言葉を吐き出した。
「ぐ、偶然、ですね」
「そう、だね」
ヒロは彼女と何を話していいのかわからない。そもそも、ここで立ち話をすることが正しいのかも判断できなかった。偶然の再開に戸惑っているのはリエも同じようだった。
「よし、立ち話もなんだし一緒に食事でもどう?」
唐突な提案によって、膠着状態を破壊したのはジャンだった。
「え?」
「え?」
ヒロとリエが同時に首を傾げる。もうひとりの女性は澄ました表情のままだ。
「じゃー、行きましょー」
「おい、ジャン」
「いいってことよ」
「なにがいいんだよ」
強引に話を進めたジャンは、再びヒロの手を引っ張った。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、お二人は……」
恐る恐るといった様子の質問に、ジャンはリエへと振り返った。
「ああ、恋人」
「違ーう!」
ヒロは慌ててジャンの手を振り払った。
リエは倒れる身体を使用人に支えられていた。
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