グラビティ・ダイブ・エンゲージ ~憧れたあの人を超え、惚れたあの子を手に入れるまで、俺は何度だってこの身を燃やす~

日諸 畔(ひもろ ほとり)

第1章 「貴女を最初に殺すのは、俺だ」

第1話:敗北と誓い

 まるで飲み込まれてしまうような、深い深い闇が広がっていた。その隙間には、はるか遠くに無数の星がきらめく。

 人が母なる惑星を巣立って千年と少し。あらゆる生物の生存を許さない宇宙空間は、未だ幻想的な光景だった。

 

 しかし、ヒロ・ミグチにはそんなものを眺めている余裕などなかった。

 

「だあああああ!」


 球状に自身を覆うモニターに大量の危険情報が表示され、警報が耳に痛いほど響く。最小限の動作で表示に目を走らせ、一瞬で状況を把握した。前方から十二基のミサイルがこちらに迫る。数秒前に分断された味方の様子はわからない。

 この数ならば、辛うじて回避できそうだ。後方を映すサブモニターに目をやりつつ、ヒロは握ったレバーを細かく動かした。


 ここは惑星チーアから通常航行で半日ほど。多数の隕石や宇宙ゴミが密集する、いわゆる暗礁宙域だ。民間船の航路や宇宙ステーションからは相当の距離がある。ここであれば非戦闘員への被害はないだろう。

 

 ヒロが乗るのは、頭頂高約二十メートルの人型機動兵器だ。金属と有機物の混合材で構成された無骨な巨人は【アーマック】と呼ばれている。

 全体的に細身の本体を、赤と白に塗装された装甲板が覆う。背中には大型の推進装置。右手に短砲身の拡散式粒子ビーム銃を装備していた。

 一目でわかるくらい、機動力を重視した仕様だ。

 

 腹部に操縦席を収めた巨体がヒロの操作を受け、少しだけ左に進路を変える。直後、自機の右側をミサイルが通過した。恐らく搭載されているであろう近接信管が作動しない、絶妙な距離感と相対速度。ヒロは感覚的にそれを掴んでいた。


「よっしゃ! って、おい!」


 喝采をあげた直後、ヒロは目を見開く。回避したはずのミサイルの内、半数ほどが反転したのだ。一旦は止まった警報が再び鳴り響く。

 

「それ……高いやつだろっ!」


 追尾性能の高いミサイルは当然、それ相応に高価だ。それをふんだんに使ってみせる相手方に、ヒロは露骨な不満を口にした。こちらにはそんなものを配備できる余裕などないというのに。

  

 足元のペダルを踏み込み、機体を反転させる。左手のレバーにあるスイッチで視線誘導ロックオンシステムを起動。モニターに映るミサイルを順番に目で追った。経済的な格差に憤りつつも、思考と操縦を止めることはしない。


「迎撃!」


 叫びと共にトリガーを引く。愛機の左腕部に接続された速射砲が砲弾を撃ち出す。

 放たれた炸裂弾は六基の高額ミサイルを全て迎撃した。費用対効果を考えれば、この上ない回避方法だ。射撃は音声入力というわけではない。しかし、気がたかぶると声を出してしまうのがヒロという男だった。


「そして! 離脱!」


 ヘルメットのバイザーに唾が飛ぶのも気にせず、ヒロは左右のペダルをそれぞれ違う角度に踏み込んだ。急加速と急旋回の操作だ。


「ぐうううう!」


 耐Gシートでも吸収しきれない衝撃に、歯を食いしばって耐える。それでもこの場に留まることはできない理由がある。

 直後、先ほどまでヒロがいた空間に光の束が通過した。プラズマ化した金属粒子ビームによる砲撃だ。


「がぁっ!」


 狙いは正確だった。辛うじて避けたものの、機体の左膝から下が消え去ったようだ。だが、生きているだけ、まだましだろう。

 つい数分前、ヒロを入れて三機が同時に出撃した。現在、味方機の反応はない。つまりはそういう事だ。


「よし、はんげ──」


 反撃、と言いかけたヒロは、最後まで口にすることができなかった。


 眼前に迫るのは、鮮やかな赤紫。角ばった自機とは対照的に、曲線を主体とした女性的なシルエットの機体。そして、右肩には黄色の花がマーキングされている。

 編隊の分断、複数種ミサイルの雨、粒子ビーム。その全ては伏線だったのだ。

 

 左手に対装甲レーザーブレードを構えた機体が肉薄するための。

 それを操る彼女に華を持たせ、完全な勝利を得るための。

 

「流麗の……」


 茫然と呟いた瞬間、ヒロの肉体と意識は消失した。

 

───────────────────

 

 眠りから覚めるような、ふわりとした感覚。徐々に自分の身体が認識できるようになる。軽く右手を握り、末端まで動くことを確認した。


「ふぅ……」

 

 ゆっくりと目を開いた。無機質な白い天井は、自分が死んでしまったことを暗に告げていた。精神のバックアップはリアルタイムで行われており、スペアの肉体に移行させるのは難しいことではない。ただし、多額の費用がかかるため、一般的には特殊な技術と認識されている。

 

「ああ、もう、せっかくの機会だったのに……」

 

 レーザーブレードが自分を焼く瞬間を思い出し、ヒロは情けなさに頭を抱えた。意識のもやを振り払うように、軽く頭を振りながら身を起こす。

 近くの棚には、いつものように着替えが準備してあった。下着と白と赤のつなぎだ。機体とほほ同じ配色のそれは、実質的なユニフォームになっている。


「よし」


 ファスナーを上げたヒロは、棚に立て掛けてある鏡を手に取る。映るのは、赤みのかかった髪を短く刈った男の姿。つい先日、二十二歳の誕生日を迎えたばかりだ。

 どうも幼く見えるのは、やや丸顔なのと、目と口の距離が近いせいだと思う。左目の下には、縦に引かれたような傷跡が目立つ。


「こんなものまで再現することないのにな」


 この傷は子供の頃に事故で負ったものだ。懐かしくも恥ずかしい思い出が、昨日のことのように浮かぶ。


『本日の開幕戦はジートニン製薬のヒーローズ勝利でした! いやぁ圧倒的ですね。今シーズンからリーグ入りしたばかりの新参チーム、ヴァンクス重工に所属のソルジャーズが相手では苦戦しようがないですね』


 室内に設置されたモニターにはニュース番組が表示され、スピーカーからはアナウンサーの弾んだ声が聞こえてくる。明らかにどちらを贔屓ひいきしているか丸わかりな態度に、ソルジャーズの一員であるヒロは顔をしかめた。

 新しい身体に意識を移して早々、こんなものを見せられるのは面白くない。ヒロにとって、初めての対戦だったのだ。それが瞬殺という結果に終わっては、頭を抱えたくもなってしまう。


「まぁ、負けたんだけどさ」


 思わず愚痴が口からこぼれ出す程度には不機嫌だ。そこに自嘲じちょうが多く含まれているのは、言うまでもない。


『では、ヒーローインタビューです! デビュー以来、一度も撃墜されたことのない、前人未到の記録を更新した、適合率百パーセント! ヒーローズのエース、流麗りゅうれいの女神ことレディ・ダフネ! どうぞ!』


 アナウンサーの声が更に弾んだ。ヒロはにらむようにモニターを見上げた。そこには、つい先ほど自分とチームメイトを殺した相手が映る。

 どう考えても芸名だか偽名だかで呼ばれたのは、不透明のゴーグルで素顔を隠す女性だ。長身に薄手のパイロットスーツを身に着けた姿は、スレンダーかつ豊満なスタイルを強調しているようにも見えた。

 

『相変わらずミステリアスでお美しい』

『どうも』


 アナウンサーの本気とも世辞ともつかない誉め言葉を軽く受け流す。小さく頷いた際に、後頭部で括った長い黒髪が揺れた。その一挙一動に、ヒロは目が離せないでいた。


『今回も大活躍でしたね! 絶対的なエースとしての貫禄がうかがえます。一言いただけますか』

『私だけの力ではありません。私が死なないように、私が活躍できるように、と気遣ってくれたチームメイトたちのおかげでもあります。それに』

『それに?』


 彼女から引き出したかったであろう言葉とは違うものを返されたアナウンサーは、露骨に狼狽ろうばいしていた。その様子をものともせず、流麗の女神は背筋を伸ばしたままでぽってりと形のよい唇を開いた。


『最後に残った彼は適合率ゼロ、つまり手動操作のみです。それであれだけの回避をやってのけたパイロットがいるチームを侮辱しないでいただけないでしょうか。では、これで』


 りんと言い放ち、きびすを返す。モニターには口をあんぐり開けたアナウンサーだけが残されていた。


「なんだよ、俺のこと知ってるのかよ……」


 こんなものを見せられては、笑いが込み上げてくるのを抑えられない。彼女が自分の存在を認識しているとは、言葉にならない程嬉しい。同時に、手も足も出ずに殺されてしまったことが悔しくてたまらなかった。


「貴女を最初に殺すのは、俺だ」


 彼女に憧れ、彼女を目指し、彼女に恋い焦がれた。だからこそ、彼女を殺す男になる。

 ヒロは、パイロットになった時の誓いを小さく口にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る