第22話:告白と笑顔

 あと数歩進めば、砂の海だ。視界を遮るものは何も無い。薄黄色の地面と青い空が不気味なほど鮮やかに、果てしなく続いていた。

 ヒロは唾を飲み込もうとしたが、喉からは水分が失われているようだった。慌てて、腰に下げたボトルから経口補水液を摂取する。

 それは隣に立つリエも同じだったようだ。上品かつ迅速に、ボトルを口につけている。


「流石に端まで来ると暑いね」


 汗が滲んだ額をヒロへと向けて、リエは目を細めた。微笑んだのか、日差しがきつかったのか、ヒロにはわからなかった。


「だね。内側に戻ろうか」

「ううん、もう少しだけ、いいかな?」

「いいよ」


 惑星トトリは、陸地の約六割が砂に覆われている。そのため、砂漠の惑星などと呼ばれていた。人類の入植により、原生植物が大きく減った結果だ。

 ヒロとリエは気候調整フィールドの外縁近くに立っている。半球状の空間が砂漠と都市部を分断し、人の生活圏を作っていた。物理的な壁こそないものの、チーアに代表されるドーム状の都市と近しい感覚だ。


「これは、圧倒されるな」


 心身ともに飲み込まれそうな景色を前に、ヒロはボトルの蓋を閉じた。

 ちらりとリエの横顔を盗み見る。彼女もヒロと同様に、遥か彼方の地平線を眺めていた。


「ありがとうね。忙しいのに来てくれて」

「俺も会いたかったし。砂漠も見たかったし」

「そっか、よかった。嬉しい」


 ソルジャーズの輸送船がトトリに到着した翌日、ヒロは久しぶりの休暇を与えられた。三日後にはこの砂漠での戦闘が控えている。現在、パイロット以外のチームメンバーは、仮説格納庫の設置に追われていることだろう。

 ルーサスから与えられた仕事は区切りがつき、復帰したサムとの連携調整も落ち着いた。戦いの前に休んでおくのはパイロットの権利であり、義務でもある。


 リエからの連絡は、そんな状況を見透かしたかのようなタイミングだった。ジャンのように部屋で寝ていたい気持ちもあったが、ヒロはその誘いを受けることにした。

 先ほど言葉にした意図は嘘ではない。ただ、それ以外に、どうしても確かめておきたいことがあった。


「ねぇ、ヒロくん」

「ん?」

「今日誘ったのは、言いたいことがあったんだ」

「うん」


 先日、ジャンと話した際に浮かんだ疑問と疑惑。これまでの経緯から、様々な可能性が浮かんだ。例えば、単に金持ちの道楽、全てが嘘の度が過ぎるファンの行動。そして、ソルジャーズの動向を探るための、スパイ。ただし、どれも予想の域は出ない。


 きっとリエは真相を伝えたがっている。どんな答えであろうと、ヒロは受け止めるつもりでいた。もちろん、チームや自身にに害があるのであれば、しかるべき機関への通報も視野に入れている。


「私の本名、なんだけど。聞いてほしくて」

「うん」


 本名を名乗るということは、自分は誰の子かを伝えるのと同義だ。ヒロは潤ったばかりの喉が渇いていることに気が付いた。


「えっと、勘違いされると、辛いからね、前置きさせて」

「うん?」

「これまでに私が言ったことは、全部嘘じゃないの。だから、本名聞いても、呆れたり、怒ったり、嫌わないで、ほしいなって」

 

 リエは胸の前で自身の指を絡め、俯く。伝えにくいことなのだろう、強く躊躇っているように見えた。ヒロはボトルの中身を喉へ流し込んだ。


「うん、わかった」

「ありがとう」


 リエもボトルから水分をとると、大きく三回、深呼吸をした。頬を軽く叩き「よしっ」と呟く。


「私の本名はね、ロリエーナ・リイナ・ジートニン」


 鞄から身分証を取り出し、ヒロへ見せる。【システム】から発行されたそれは、彼女の言葉が真実であることを証明していた。

 ヒロが知り合ったリエと名乗る女性は、ロリエーナという名だった。そして、つい先日誕生日を迎え、ヒロより二歳年上になっていた。

 

「ジートニン……」

「うん、父はジートニン製薬の、社長をしてる」


 ジートニン製薬といえば【システム】に関する者を除いて、ほぼ世界の頂点だ。ヒロの背中を冷や汗が伝う。

 予測しなかったわけではない。ただし、ジャンの台詞を借りるならば『社長の娘とか、んなわきゃねぇだろ。そんなお嬢はバトルリーグなんて見ねぇよ』ということだ。ヒロは迂闊にも、その意見に全面的に同意して可能性から排除していた。

  

「それと、もうひとつ」

「あ、ああ」

「父の仕事を手伝っているっていうのは、バトルリーグ関係のことなの。ただ、機密の関係で詳細は言えなくて、ごめんなさい」

「そういうことか……だけど」

 

 ロリエーナがアーマックやバトルリーグに詳しい理由は、そこにあった。ヒロは大きく納得した。しかし、困惑は隠せない。そんな重要なことを、自ら口にしていいものだろうか。

 いくらアーマックのパイロットとして身分は保証されていても、彼女にとってヒロは他人でありジートニン製薬から見れば部外者だ。社長令嬢の個人情報が悪用されないとは言えない。


「あ、大丈夫だからね。ちゃんと話す許可はもらってるから、気にしないで」

「あ、ああ」

「えっと、ほら、見て、これ」


 ロリエーナは慌てた様子で鞄から紙切れを取り出す。この時代、大抵の情報はデータ化されているが、紙に書くという文化は残っていた。珍しいと思いつつ、ヒロはロリエーナの手元を覗きこんだ。


「ええと……」


 メモ帳らしき紙片には『娘をよろしく。ロバート・バナト・ジートニン』と、決して綺麗とは言えない文字で殴り書きしてあった。


「これって、もしかして」

「うん、お父さん。わかりやすいかなと思って、書いてもらったの」


 不安げに、少しだけ自慢げにこちらを見上げるロリエーナ。その愛らしさと、緊張感の欠片もない父からのメッセージに、ヒロは吹き出してしまった。


「あれ、笑うところだった? あれ?」

「いや、そこまで真剣だったのは嬉しいなって」

「ああ、うん。真剣。もちろん」


 ロリエーナは小さく拳を握る。真剣さを表現している様子だ。


「あとね、言い訳に聞こえるかもしれないけど、ヒロくんに近づいたのは、お仕事だからじゃないんだよ」

「わかってるよ」

「えっ?」

「教えてくれてありがとう」


 礼を告げるヒロに、ロリエーナは不思議そうに目を丸くした。


「あの、怒ってない?」

「怒ってないよ。驚きはしたけど」

「そっか、よかった……」


 彼女が黙っていたのなら、スパイやハニートラップを疑ったかもしれない。だが、身分証や父親の直筆メッセージまで見せられれば、誠実さを認めざるを得なくなる。いや、その前に、ヒロは友人となった相手を信じたいと思っていた。


「あのさ、ひとつだけ、いい?」

「うん」


 ヒロの問いかけにロリエーナが緊張するのがわかった。隠し事をしていたという、罪悪感が消えないのだろう。


「これからもリエって呼んでもいいかな? 偽名としてじゃなくて、ロリエーナ……さんのニックネームというか、そんな意味で」

「あっ」


 ロリエーナの体から力が抜ける。膝から崩れ落ちそうになるのを、慌ててヒロが支える。いつかの展望台が思い出される。今となっては、もう懐かしさすら感じる記憶だ。


「大丈夫?」

「うん、まさか、そんなこと言ってくれるなんて」

「嫌じゃない?」

「もちろん。私は、ヒロくんにとって、リエだから。リエでいたい。嬉しい」

「そうか。ありがとう」


 落ち着いたのを確認し、ヒロはリエから体を離す。潤んだ黒い瞳からは、今にも涙が溢れそうになっている。


「あのね、ヒロくん」

 

 ヒロはリエが次に何を言うか、なんとなくわかっていた。だからこそ、彼女の言葉を遮ってでも伝えるべきことがあった。それが今の自分の、最大限の誠実さだ。


「前も話したけど、俺には目標があるんだ」

「えっと……」

流麗の女神あのひとを殺す。初めての、なんなら、唯一の男になりたい」

「あ、うん……」


 困惑した様子のリエを敢えてそのままにして、ヒロは続ける。


「もしそれが叶ったら、俺は次に何をするか、何がしたいかを考えられると思うんだ。本当は、何が欲しかったのかも」

「そっか、そういうことね」

「相棒に言わせると、俺は彼女にぞっこんらしい」

「そ、ぞっこんかぁ。そっかぁ、ふふ……」


 リエは頬を上気させて、にんまりと笑った。想いの拒絶と受け取られても仕方がない言葉に対し、予想と真逆に近い反応だった。


「うん、わかった。じゃあ、さっさと殺さないとね! 応援する! 邪魔にならない程度にサポートもするよ!」

「うん、助かる」


 即答するヒロに向けて、リエは「あはっ」と声をあげた。


「あと、次の試合さ、見ててほしい」

「あ、うん、見るよ。客席もとったし。役職特権、だけど」


 リエがちらりと舌を出す。隠し事がなくなったという合図にも見えた。


「少し遅れたけど、誕生日プレゼント、できると思う。確約まではできないけど」

「あ、見たのね? 誕生日」

「うん、見てしまった」

「仕方ないなぁ。素敵なプレゼント、期待してる」

「頑張るよ」


 ヒロは精一杯に強気を装い、拳を握って見せた。


「よし、決めた。うん、決めた」

「ん?」

「あのね、誕生日プレゼントと言うと違うかもしれないけど、次会ってくれる時でいいから、また私の話を聞いてほしいなって」


 どうやら、彼女にはまだ話せないことがあるらしい。ヒロには見当もつかないが、表情から窺う限り、とても重大なことのようだ。

 

「ああ、もちろんいいけど、今話せないこと?」

「うん、ごめんね。次までにどう話すか決めておくから」

「わかった。任せるよ。無理に話さなくてもいいし、話してくれるならちゃんと聞く」

「ありがとう、嬉しい。試合、頑張ってね! 応援するから!」

 

 礼を告げるリエの笑顔は、砂漠の日差しより眩しく、舞い上がる砂粒のように儚く見えた。

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