第18話:帰省と両親

 ジートニン製薬という企業の歴史は深い。その源流は旧世代にも遡る。

 あまりにも人が増えすぎた母星に、疫病が蔓延した。当時は不治とされていた病の対策のため、製薬会社の連合体が発足する。それはやがて、創立の功労者の名前をとり、ジートニンと呼ばれるようになった。

 

 宇宙開拓が始まってからも製薬会社連合は必要とされた。有害な宇宙線、長く続く宇宙船生活での健康維持、植民惑星での未知の細菌など、薬物で対策すべきことは数え切れないほど存在していた。


 いつしか連合発足当初の崇高な意思は失われ、大規模な営利企業が残された。その力は大きく、本業である製薬以外にも、様々な分野に事業展開していった。

 宇宙での船外活動用パワードスーツやアーマックにも使われる人工筋肉、母体出産時の遺伝子操作技術もジートニン製薬の系列企業が開発したものだ。


「久しぶりの本社、やっぱり大きいね」


 ロリエーナの乗った高速宇宙艇は、空間跳躍ゲートから通常空間に戻る。窓から外を覗くと、宇宙コロニーと見間違う程の巨大な宇宙船が見えた。それがジートニン製薬の本社だ。

 父親と話をすると思い立ってから一ヶ月あまりが過ぎていた。父と娘それぞれが多忙を極める中、ようやく予定が噛み合ったのがこの日だった。


「お父さん、元気かな」

「毎週テレビ通話してるじゃないですか」

「直接会うのは二年ぶりくらいだし、ね」

「それもそうですね」


 お互いに星々と宇宙を飛び回る仕事だ。時間をとることはできても物理的な距離はどうにもならない。それでも父娘であると認識できているのだから、それなり以上の信頼関係は築けているのだろうと思う。


「緊張されてますか?」

「まぁ、久しぶりだしね。話題が話題だし。たぶんお母さんもいるし」

「水入らず、ということですね」

「そうなるかなー」


 父には面会の目的は告げていない。会いたいと伝えた時の喜びようで、言いそびれてしまったのだ。あの様子では、父だけでなく母も時間を作って同席することも十分に想定できる。


『間もなくドッキングです。重力を解除しますのでシートベルトをお願いします』


 専属運転士からの放送が流れた。ロリエーナとマリーは席について指示に従う。

 体から重さが消えた後に、少しの振動。案内モニターに、本社と高速宇宙艇の出入り口が固定されたことが表示される。


「行きましょうか」

「うん」


 マリーに先導され、ロリエーナは席から体を浮かせた。マリーが着る使用人服のスカートは、無重力でも広がりすぎないよう、骨組みが入っているらしい。


「おっと」

「お気をつけを」


 無重力から人工重力部分に移動する際には、多少のコツが必要だ。勢いの余ったロリエーナは少しよろめいた。本社艦内の人工重力は、母星を基準とした標準値よりも若干弱かったことを思い出す。


「また増築したみたいね」

「二年で随分と変わりますね」


 本社艦は宇宙船といっても、ひとつの街以上の規模がある。食料生産や上下水道などのインフラだけでなく、学業や娯楽の設備も充実しており、社員とその家族の生活の場となっていた。

 

 宇宙船発着ゲートの近くには、艦内移動用車両のロータリーが併設されている。ここで、ロリエーナ送迎用の車両と合流予定になっていた。

 周囲を軽く見渡すと、馴染みの老人が立っていた。ロリエーナが本社艦で暮らしていた少女時代に世話になった、ジートニン家専属の運転手だ。

 

「お久しぶり。アーサー」

「ほんとうに、久しぶりですな、お嬢様」


 近くで見ると、数年会わないうちに随分と歳をとったようだ。それでも、皺の間に見える優しい眼光には変わりがなかった。


「どうぞ、お乗りを」

「ありがとう」


 アーサーに促され、ロリエーナは後部座席に腰を下ろした。続いて、隣へとマリーが座る。


「では、本社ビルまでお願いね」

「それが、社長からはご自宅へとの指示でして」

「あら、そうなの。わかりました、それでお願いします」

「はい」


 約束を交わした際は、業務の合間での面会との予定だった。急な申し出だったため、それも仕方なしと思っていた。しかし、どうやら父は娘のために、ゆっくり時間をとってくれたらしい。


「よかったですね」

「そうね」


 マリーには簡単に返事をしたものの、頬の緩みは抑えられなかった。


 ロリエーナはアーマックのパイロットとなるため、遺伝子操作をされて生を受けた。自身の存在意義は、あくまでも会社の発展のためだ。そのはずであった。

 パイロットとして戦い始める少し前に、父はロリエーナに『最初はそのつもりだった』と語った。今は娘が可愛くて仕方がないと、戦いに赴かせるのが辛いと。


「お父さん、びっくりしちゃうかな」

「するでしょうね」


 自分を愛してくれているからこそ、好きな人ができたと伝えるつもりだ。怒るだろうか、悲しむだろうか。父の反応は、ロリエーナには想像できなかった。


 送迎車は程なくして、社宅用のビルに到着した。その最上階が社長家族、すなわちロリエーナの住まいだ。


「ありがとう、アーサー」

「はい、ではまた、明日の夕方に参ります」


 運転手に礼を言い、ロリエーナはひとりオートロックの生体認証をくぐり抜けた。マリーには短い休暇を取ってもらうことにした。たまには自分だけの時間もいいだろう。


「よし」


 話すことは事前にしっかりと決めてある。ロリエーナは、その場の直感や感情で物事を判断する傾向があり、そのことは重々自覚している。だが、今回はそれではいけない。

 懐かしくなってしまった我が家。ロリエーナを認識した自動ドアが開いた。


「ただいまー」


 意図して明るい声を出すと、奥からばたばたと足音が聞こえる。それも、二人分。父だけでなく母も、娘の帰省を待っていたようだ。


「おかえり!」

「おかえりなさい」


 声を被らせて、両親が顔を見せる。

 白髪混じりの父、ロバート・バナト・ジートニンは、社員には見せられないような緩んだ顔をしている。健康維持のために鍛えはじめたと言っていたのは嘘ではないようで、服の上からでもしっかりした体つきだった。

 母、アリナ・ジートニンは同年代には見えないくらいに若々しい。程よく凹凸のあるボディラインと整った容姿は、自分から見ても魅力的だ。


「さぁ、入って」

「うん」


 やや興奮気味のロバートに促され、室内へと入る。二年前とほぼ変わらない景色がロリエーナを安心させた。

 ダイニングテーブルの席につき、アリナが用意したお茶を一口。何を話すかブレてしまわないうちに、ロリエーナは本題を口にすることにした。


「あのね、お父さん、お母さん、聞いてほしいの」

「ああ、わかってるよ。もう十年にもなるからな、そろそろ言われてもいい頃だと思ってたよ」

「うん、大丈夫。私たちはあなたの味方よ」

「ん?」


 両親の発言に、何か違和感を覚える。ロリエーナがそれを確認する前に、ロバートが言葉を続けた。


「ここしばらくは、方々に駆け回ってな、なんとか承諾をとったよ。惜しいことではあるが、いつまでも年頃の娘に頼ってばかりもいられんしな」

「えっと……」

「もちろん、お前には次のポジションを用意してあるぞ。秘書課でもいいし、歴史研究部門でも、ヒーローズの顧問なんてのも悪くないな」 

「お父……さん?」

「身を固めたいなら、見合いをしてもいい。そういう申し込みはわんさかあるからな」

「待って、お父さん」

「ん、なんだ?」


 ロリエーナは、ロバートが勘違いしている事を確信した。それも、とんでもない勘違いだ。


「私、レディ・ダフネをやめる気はないよ」

「は?」

「え?」


 両親の声が重なる。二人とも、同じことを考えていたらしい。


「折り行った話というから、てっきりやめたいのだと、なぁ?」

「ええ、ロリエーナちゃん、もう疲れたかなって」

「ううん、私、バトルリーグ好きだし」


 ロバートとアリナも完全に虚をつかれた様子で、頭上に疑問符が浮かんでいるようだった。


「では、なんの話だったんだ?」

「うん、あのね」


 ロリエーナは父と母を交互に見て、息を吸い込んだ。事前に話すことは決めてある。まずは、好きな人ができたことを報告する。そして、その人に対してジートニンの娘と名乗ることを許可してもらうのだ。


「私、殺されたい相手ができたの」


 ロリエーナは思考より感情が先に来るタイプの人間だった。

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