第3話:歴史と落下
惑星チーアは、人類が入植してから約八百年の歴史を持つ。宇宙開拓初期の面影をそこかしこに見ることができる、現代では貴重な場所だ。
「まだドームが残ってるなんてな」
チーアの主要都市のひとつであるハトヨ市は、街そのものが歴史的な文化財だ。今となってはまず見ることのない光景に、ヒロは思わず独り言を口にした。
「ほんとに端っこがあるんだな」
惑星改造の技術が未熟だった当時は、惑星全体の気候操作ができなかった。人がそこで暮らすために、密閉されたドーム状の都市を建造する必要があったのだ。
軌道エレベーター終点の高台に併設された展望台からは、円形に広がる大きな壁を見ることができる。そこより先は、人間にとって死の大地ということなのだろう。
展望台の柵に手をついたヒロは、夕暮れの空が映し出された天井を見上げ大きく息を吸い込んだ。はるか昔から整備を繰り返し稼働する大気清浄装置は、ヒロの体に新鮮な酸素を供給してくれる。
柵が少し劣化しているようで、少し体重をかけると軋むような音がした。そういう部分も時間の流れを感じられて心地よい。ただし危険ではあるので、後で管理事務所に連絡をすることにした。
ヒロが早急にチーアへと降りたのはふたつ理由があった。ひとつめはジャンに話した通り、天然の重力が落ち着くということ。もうひとつは、この光景をひとりで見たかったからだ。
「人類の歴史を感じる……ふ、ふふふふふふ」
思わず笑いが込み上げてくる。自分だけで来て正解だった。
ジャンは友人やチームメイトとしては好ましい相手なのだが、この手の浪漫を感じる男ではない。そう、もはや男ではない。
だからこそ、ヒロは一晩かけてゆったり人類の進歩に思いを馳せるつもりだった。本来はこういうことに適正のある人材なのだ。
「ふぅ……」
売店で購入したコーヒーを口に含みつつ、ベンチに腰掛ける。目を閉じると、先程死んだ時の記憶が脳裏に浮かんできた。
「こんな時にでも、思い出すか」
死んだのは初めてではない。訓練生時代に何度も経験したことだ。しかし、あの死はヒロにとって他とは違うものだった。
レディ・ダフネ。
またの名を【流麗の女神】とも。
本名や素顔、経歴は一切非公開。十年ほど前に突如現れた、アーマックバトルリーグのトップエースだ。デビュー戦以来、過去類を見ない戦績を更新し続けている。
大手製薬会社が運営する強豪チームの庇護があるといっても、死んだことがないというのは異常だ。アーマックのパイロットは死んでこそ価値があると、訓練校で教えているくらいなのだから。
ヒロが彼女の存在を初めて知ったのは、中等学校に通っていた頃だった。ニュース画面に映る妖艶な姿、いとも容易く敵機を屠る華麗な機動。その全てがヒロを魅了した。
当時は進路相談員の勧めるまま歴史研究か先端技術開発の職業訓練校に進学しようと思っていたが、それを留まらせるほどの衝撃だった。
結果的に周囲の意見を振り切り、ヒロはアーマックのパイロットを目指すことに決めた。目標は、彼女を初めて殺す者になること。そして、次代のトップエースとなることだ。
「流麗の女神、ね……」
ヒロが思わず想い人の二つ名を口にした直後、聞き覚えのある音が耳に届いた。ギシギシと何かが軋んでいるようだ。展望台の柵だ。
「おいおいおいおい」
瞼を開いたヒロは、目に入ってきた光景に思わず立ち上がった。地面に落ちたコーヒーには目もくれず、迷うことなく駆け出した。
小柄な人影が柵によじ登っている。その先は切り立った高台だ。柵が壊れて落下でもしたらただでは済まない。
「あはっ」
人影は女性のようだった。場にそぐわない楽しげな声が聞こえる。深く被った帽子でその顔は確認できない。柵の劣化に気付かないまま、ふざけて遊んでいるのだろうか。
「危ない!」
「えっ?」
ヒロが叫ぶのと同時だった。合成樹脂の柵が根元から折れた。ヒロに気が付いた様子の女性は、崩れた足元にバランスを崩す。
重力に引かれた物体は、支えるものがなければ落ちる。引かれている時間が長ければ長いほど、落下速度は増す。そして、落下物が地面などの固いものに衝突すればどうなるか。結果は瞬時に想像できる。
恐ろしいことになると。
全力で走りながらヒロは手を伸ばした。女性の口元が見える。彼女は、微笑んでいた。
「ふっ!」
ヒロの右手が女性の手首を掴む。まるで持ち主の身代わりかのように帽子が落下していった。
何とか間に合った。しかし、ここで安堵するのは性急だ。
「大丈夫か?」
「え? あ?」
彼女は状況が理解できていないようだった。それも仕方ないだろう。
「反対の手を!」
「あ、はい」
いまだ混乱している様子の女性だが、素直にヒロの左腕を掴んでくれた。その手首に、銀色のブレスレットのようなものが見えた。
「持ち上げるから、タイミング合わせて」
「えっ」
いくら相手が女性といっても、人ひとりを握力だけで長時間ぶら下げるのには限界がある。今ならまだ持ち上げることは可能だ。早くしなければならない。
「いくよ、せーの」
「はいっ」
ヒロが両腕に力を込めるのに合わせて、女性も体を持ち上げる。思ったよりも力があるようだった。ふたりの合わせ技で、女性は落下の危機から救われた。
「うっへぇ」
なんとか女性を地面に立たせたヒロは、思わず座り込んでしまった。あまり筋力に自信はなかったが、日頃鍛えていた成果が出たのは嬉しかった。
「あ、あの……」
おどおどと女性が声をかけてくる。少し鼻にかかった甘い声だ。ヒロは座ったまま彼女を見上げた。
裾が膨らんだ白い衣装に身を包んだ女性は、丸く愛らしい瞳でヒロをじっと見つめる。ドームの換気システムから発生される風が、肩口で揃えられた黒髪を揺らした。
「無事でよかったよ」
「えっと、あの」
ヒロと同じくらいの年頃だろうか。どこか残る少女らしさと、ぽってりとした唇が印象的だった。
「柵、壊れそうだったから。危なかった」
「あ、はい」
注意の言葉を受けた女性は、露骨に目を逸らす。言い方がきつかったかと考えるヒロに向けて、続けて口を開いた。
「じ、実は知ってまして……」
「は?」
予想外の言葉に、今度はヒロが混乱してしまった。
「いや、あの、狙って、ましてね」
「狙って?」
「はい。壊れそうだなー、いいなー、と」
「いいな?」
「そう、だから、乗ってみたんです。これはイケっかなと」
「イケっかな?」
「はい、イケっかなって」
女性は胸の前で自身の指を絡める。頬が紅潮し、だんだんと目が潤んでいた。
ヒロはオウム返しするのが精一杯だ。
「助けてもらって、ほんと、申し訳ないんですけど」
目の泳ぎは加速し、端には涙が浮かんできた。様子のおかしい女性に対し、ヒロはどう反応すればいいのかさっぱりわからなかった。
「一度、死んでみたくてですね……」
口元だけ笑って、女性は視線を上に向けた。
ドームの天井は、いつの間にか夕日から星空に切り替わっていた。
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