第7話:令嬢と女神(第1部 完)
ハトヨ市で随一そして唯一の高級ホテル。使用人用の個室まであるスイートルームの寝室で、一人の女性がベッドに身を投げ出していた。
「あー、うー」
唸り声をあげながらクイーンサイズを縦横無尽に転がる女性の名は、ロリエーナ・リイナ・ジートニン。再来月に二十四歳となる、大手製薬会社【ジートニン製薬】の社長令嬢だ。
「お嬢様、はしたないですよ」
「だってぇ、わかるでしょ?」
ロリエーナの奇行を使用人のマリー・ミラーがたしなめる。幼いころから一緒にいる二歳年上の使用人を、ロリエーナは姉と友人を兼ねたような存在と認識していた。
「嬉しすぎておかしくなっているのはよくわかります。ねぇ、リエ」
「あー、やーめーてー」
マリーがロリエーナを違う名で呼ぶ。数時間まで使っていた偽名だ。ロリエーナは再び、頭を抱えながら回転を始めた。使用人の口元がわずかに緩んでいることに、主人は気付いていない。
「連絡先が聞けてよかったですね、リエ」
「リエ言うなぁ」
ロリエーナはつい先ほど、大変なミスを犯していた。偶然にも知り合うことのできた想い人と、食事を共にしただけで別れようとしたのだ。
余計なことを言いすぎ、聞き過ぎた結果、あまりにも照れてしまったため一刻も早くその場から離れたくなった。いわゆる好き避けという現象だった。
「ジャンジャンが追いかけてくれなかったら、どうなっていたことか」
「いつの間に仲良くなっていたのよ。あとジャンジャンって何?」
「お嬢様と彼の話で、大変盛り上がりまして。しかも面白い子でした。私の推し確定です。その気持ちを込めてジャンジャンと。本人了承は得ていますので大丈夫です。ジャンジャンとは私のことをマリー姉さんと呼んでもらうことで合意しました」
「まさか、マリーが興味を持つ男の人がいるなんて、意外だわ。それと、そんなに早口で話せたのね、あなた」
「ジャンジャンは男性ではなくて、ジャンジャンなので」
「ごめん、わかんない」
「とにかく、そんな私達に感謝してくださいね」
「はいはい、ありがとう」
ロリエーナは右の人差し指にはめられた、指輪型の通信端末を掲げる。網膜に彼を含む四人で撮った写真が投影された。貼り付けた笑顔の女性と満面の笑みを浮かべる少女が肩を組み、ぎこちない笑顔の男女が少し距離を置いていた。
昨日まではアーマックのパイロットとして、彼を気にかけていた。それが今では、一人の男性として好意を抱いている。優しく、実直で、強く、どこか脆い。ロリエーナにとって、たぶん初恋だった。
「んふふ」
思わずにやけてしまうのは、仕方がないことだと思う。全てが自分に都合よく動いているのだ。都合がよすぎると言えるかもしれない。きっと、どこかでこの流れは終わる。彼が自分の気持ちに応えてくれるとは、到底思えなかった。だから、今くらいは幸せな気持ちでいたい。
「で、連絡しないのですか?」
「そ、そのうちね」
「お礼のメッセージくらい、すぐ送れるでしょうに」
「そうだけどぉ」
マリーの言葉に反論できず、ロリエーナは歯を食いしばった。父や仕事関係以外の男性と連絡をとるなど、今まで経験したことがない。お礼のひとつも送らないのは失礼が過ぎるとは思いつつも、どんなメッセージを送ればいいのか、見当もつかないのだ。
「せめてお友達くらいになっておかないと、忘れられちゃいますよ。彼、きっとこれからモテますから」
「わかってるのぉ、でもー」
ベッド上での回転を再開しようとした時、人差し指の通信端末がメッセージの着信を示した。「ふぁっ!」と声をあげたロリエーナは反射的に指を掲げ、受信操作をする。今度は網膜投影ではなく、眼前に疑似モニターを表示させた。顔と通信端末の角度が悪かったのだ。
『今日はありがとう。元気みたいでよかった。励ましてくれたことを嬉しく思います。またいつか会いましょう』
ロリエーナは疑似モニターに映る文字を、ひとつずつ確かめるように読み進める。彼の性格を表すような飾らない文面が心地よかった。
「だめ、好き。諦めるのを諦めた」
「そうですか」
呆れ顔のマリーをよそに、ロリエーナは返信を入力し始めた。気持ちが高まり過ぎたメッセージはあまりにも長文だったため、横で見ていたマリーの添削を受けることになった。
「お嬢様、浮かれるはいいのですが、本当のことはお話にならないのですか?」
「痛いところをつくわね」
マリーの指摘通り、ロリエーナは彼に対しいくつも隠し事をしている。今は知り合ったばかりだから良いとしても、今後関係を深める意思があるならば、そのままにしてはおけない問題だ。
「お父さんの許可とか必要だろうし、そもそも許可してもらえるわけがないでしょうし」
「そうですね。簡単にはいきませんね」
「いつか話すか、それか、バレちゃうのを期待するか、かな。嫌われないといいんだけど……」
「嫌いはしないと思いますが、ドン引きはするかもしれませんね」
「そうね、そうなのよ……」
その後、なんとか短文となったメッセージを送った。しばらく待つと短文の返事が届き小躍りする。そんなやりとりが数回続き、いつの間にかロリエーナは眠りについていた。
翌日、ホテルを出たロリエーナは、会社の用意した控室へと向かった。
父が経営する会社運営の手伝いをする。自分が生まれてきた意味の中でも大きな要素だ。
今や呼称とは逆に不自然な行為となった自然出産。資産家の子女としてその方法が選ばれるのには理由があった。母胎内の胎児に対する遺伝子操作だ。
本来は疫病の対策や染色体異常の解消など、医療のために使われた技術だった。現在では実質的に才覚の人為的付与の手段となっている。それは、基本的にランダムで新生児を形成する人工出産では不可能な行為だった。
ロリエーナに与えられた才覚は、美しい容姿ともうひとつ。
「お嬢様、こちらを」
「うん、ありがと」
ロリエーナはマリーが用意した衣装に手足を通した。
薄手のパイロットスーツは足裏部分が底上げされており、不自然に見えない範囲で身長を伸ばす。また、胸部や臀部に内蔵されたパッドで、もともと女性らしい身体が更に強調されるようになっていた。
身体が成長しきってからは、少女の頃に比べて偽装する部分は減ってきている。それでも真の姿を秘匿するのは、父親の意向であった。
「ちょっときつくなってきたかも」
「ダイエットしないといけないですね」
「きっと成長したのよ」
「そんな歳じゃないでしょうに」
「うるさい」
軽口を交わしつつ、長髪を模したウィッグを頭に取り付ける。初めてこの格好をした時から行っている作業のため、手慣れたものだった。最後に顔の半分以上を覆うゴーグルを装着すれば、準備完了だ。
「さて、行きましょうか」
パイロットスーツの喉部に取り付けられたボイスチェンジャーの動作も良好のようだ。普段とは違い、女性としては低めの声が自分の耳に入ってくる。
「今日は彼、出てくるかしら」
「どうでしょう。前回出たので、今回は出ないかもしれません。向こうとしてもチームメンバーに一通り経験させたいでしょうし」
「期待薄かもね」
アーマックバトルリーグの試合は、三対三の形式で行われる。各チーム正式登録パイロット数は、リーグの規定により六名。また、対戦相手には出撃するパイロットや機体は知らされない。
戦術パターンを読まれないよう、連戦での編成変更は良くあることだ。
「彼がいないなら、休みたい気分ね」
「そうもいきませんよ。看板パイロットなんですから。開幕戦は二回とも出るって社長との約束でしょう」
「わかってるわよー」
不敗・不死記録を続ける彼女は、必ず勝たなければならない。試合に出る度、その重責と戦ってきた。それが苦しいと思ったことはない。なぜなら、彼女は強かったからだ。
初めてアーマックの戦場に出た少女の頃から十年ほど。命の危機を感じたことは一度もなかった。何人殺しても、自分が殺されることはない。そう確信していられた。
人の生死をエンターテイメントとするアーマックバトルリーグの中にあって、彼女の存在は異彩を放っていた。
大手企業の潤沢な予算による超高性能アーマックと、それを駆る適合率百パーセントを誇るパイロット。対戦相手は彼女の乗機を確認すると、勝利を諦めることすらあった。
だから、彼の宣言には胸が熱くなった。この人になら、殺されてもいい。自分の初めてを捧げたい。ただし、手を抜くつもりはない。全力で戦った結果、彼に身も心も屈したい。そして、そっと正体を明かすのも悪くない。
それは、彼女なりの乙女心だった。
「今日も、私は死なないよ。初めてをあげる人は、もう決めたの」
「はいはい、いってらっしゃいませ」
気心の知れた使用人に見送られ、彼女は控室を後にする。今日の戦場は、惑星チーアの砂漠地帯。重力下での戦いは久しぶりだ。負ける気はしないが油断は禁物。これまで以上に簡単に死ぬわけにはいかないのだ。
彼女の名は【流麗の女神】こと、レディ・ダフネ。不敗の女神は愛機の待つ仮設格納庫へと足を踏み出した。
グラビティ・ダイブ・エンゲージ
第1部 「貴女を最初に殺すのは、俺だ」 完
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