第13話 昼飯抜きの真相は?
無言で帰り道を行くこと暫しの間。ふいに伊波が口を開いた。
「そういえばさ、あんた何を買おうとしてたの?」
「え? 何の話?」
そう返すと、伊波は「何言ってんだお前」とでも言いたげな顔で俺を見る。
「この前学校で、端場とそんな話してたでしょうが。お昼も抜いて貯金してるって」
昼……? 貯金……? あー……。
「お前、聞いてたのかよ」
「聞いてたっつーか、聞こえただけ。欲しいもののためにお金を貯めたいのはあたしもよーく分かっけどさ。ご飯抜かすのは節約とは言わねーぞ。お金欲しけりゃキリキリ働け」
「なるほどな。その話を耳にしたから、お前は俺をアルバイトに誘ったわけか」
「別にそれを知ったからってわけじゃないけど。まずは店の人手不足問題の方が先だったし。そこに降って湧いた、暇で金に飢えてる男子高校生。おまけにちょっと面倒事を押し付けても心が痛まない。こんな奴、誘うしかないじゃん」
「少しくらいは心を傷ませて欲しいもんだ。……けどまあ、一応礼を言っておくよ。ありがとな。俺のことも考えて誘ってくれてたんだな」
それはいいって、と伊波は手をひらひらさせる。
「で、そろそろこっちの質問に答えろよ。何買おうとしてたん? 人に言えないようなもの? それなら無理には聞かないけど」
「いや違う違う、勝手に話を進めるな。そうだな……。いや実はなんだけど、それ勘違い……じゃないか。俺が言ったんだもんな。適当に誤魔化すための嘘なんだよ」
「は? 嘘!? なにそれ、どゆこと?」
理由詳しく言うてみいやコラとばかりに目をかっ開いて睨まれる。その勢いに少したじろぎながら答えた。
「俺が昼飯を最近抜いてたのは……単純に腹が減ってないからなんだ」
は? と拍子抜けした顔の伊波。まあ、それはそうなるか。
「あのー、飯作ってもらってる身分でこんなこと言うのは本当に申し訳ないんだけどさ。朝飯も夜飯も……めちゃくちゃ量が多いんだ。昼になっても腹減らないし、食っちゃうと夜が入らなくなる。だから昼は抜いてた」
はあ……と煮え切らない答えが返ってくる。
「そんなら、言えば良かったじゃん。あたし、あんたのこと超大食いだと思ってたよ」
「美波さんがさ。俺がおかわりしてるのを見ると凄く嬉しそうな顔をするんだよ。その顔を見てたら……言えなかった」
そうなんだ。めちゃくちゃ幸せそうに茶碗に飯をよそってくれるし、完食後の空っぽの皿を、うっとりという言葉が相応しいような目線で見てるんだ。そんな人に、量が多すぎるから勘弁してくれなんて言えるわけがない。
図らずも神妙な顔になってしまった俺を見て、伊波はぷっと噴き出した。
「あんたって……変なところでバカだよね……! んなこと気にしなくていいのに。出しても出しても全部食べられるから、こっちもどんどん作る量増やしちゃったよ」
「仕方ないだろ。出された飯は全部食べないと、失礼じゃねーか」
「いや、いいんだよ。残ったら残ったでラップかけて後で食べればいいんだから。翌日の昼とかさ。アレンジだってしようと思えばできるし。いくらでもなんとかなるんだよ」
え……? そうなの……?
思わぬ事実に俺は思わず口をぽかんと開けてしまった。「おーおー、間抜けな顔だ」と伊波がからかってくる。
「まあ、お母さんって料理するのもそうだけど、作ったご飯を誰かに食べてもらうのが一番好きって言ってたからね。あんたが美味しそうに食べてくれるのが嬉しいんだと思う」
「そらそうだ。だって美味いんだから。だから腹がはち切れるまで食えたんだよ」
伊波は「あ、そ……」と呟いた。
「まあいいや。でもあんた、早く言わないと引き返せなくなるよ? この前、お母さんがにまにましながら炊飯器を調べてるの見たし。五合じゃ足りないかあ……とか言ってたから」
「た、足りないとどうなるんだ?」
「一升炊きになっちゃうんじゃない?」
「い、一生炊きって……どのくらいだ?」
「はあ? あんたそんなことも知らないの? 五合の倍だよ。だから今の倍。良かったな、沢山食べれるぞ」
さ、流石にそれは食いきれん……。
何が面白いのか、伊波はケタケタと楽しそうな笑みを浮かべている。人の不幸を笑うなんてお世辞にも趣味が良いとは言えないが、こうなってはこの女を頼るよりほかに方法はない。
「伊波……頼む。美波さんにそれとなく伝えるの、手伝ってもらえないか?」
「ええ……? そんなの自分で言いなよ」
「俺だと上手く言える気がしない。下手なこと言って美波さんを傷つけたくないんだよ。だから頼む」
フーンと伊波は口を尖らせる。
「いい加減言おうと思ってたんだけどさ、あたしの名前、伊波じゃないから」
「はあ? 伊波だろうが。お前は変わらず」
言外に「俺とは違って」という意も込める。このささやかな呪詛は、夜風に乗って親父のもとにでも届くといい。
「それは苗字でしょうが。それに、今はあんたも伊波だ」
「えーつまりは……どういうことだ?」
「あたしに頼みごとをしたいのなら、お願いします愛梨亜様とお呼び」
フン、と胸を張り顎を上げて伊波は傲岸不遜にも言い放った。
人の弱みに付け込むのはお世辞にも趣味が良いとは言えないが、今は背に腹は代えられない。納得がいかなくてもスマートに従順な振る舞いができるのが大人というものだろう。
「お願いします。あっ、アアっ、愛梨亜、サン……」
めっちゃくちゃどもってしまった。しかも様付けするかそれに逆らって呼び捨てにしていいのか迷った挙句、普通に敬称をつけてしまうという体たらく。
伊波はそんな俺の醜態に冷めた目を向けた。
「情けな……。そんなんじゃ一生独り身のままだぞ」
うるせえなあ。こちとら、女子を名前で呼ぶなんて生まれて初めてのことなんだよ。そら口も回らなくなるだろうが。
そう反論すると、今度は哀れみを込めた視線を向けてきた。
「あんたって、ほんともったいないよね……。もしあんた以外の人があんただったら、きっともっと上手くやって、今頃バラ色の青春でウハウハだったろうに」
それに近いようなことも、端場に言われた気がする。
ええいままよと開き直り、半ばヤケになって伊波に声をかけた。
「くだらねえこと言ってないで、さっさと帰るぞ。……愛梨亜! 美波さんへの口添え、マジで頼むからな!」
そんな様を見て、伊波はニヨニヨと満足げに口元を緩ませて「へいへい、分かったよ」と言う。
俺だってやられっぱなしじゃ納得いかない。どうにかして一発仕返しができないか頭を回す。
「そう言うお前も、俺のこと名前で呼んだことないよな」
「え、何? 呼んでほしいの?」
い、いやー。そう言われてしまうと、別にそういうわけでもないんだよなー。
一撃で沈められてあわあわする俺を尻目に、伊波はずずいっと距離を詰めてくる。
バチバチに決められたまつ毛の一本一本が、夜風にそよぐのすら見える距離。
「救太郎」
伊波の唇から紡がれた俺の名前。輝く虹彩はルビーのように深く力強いきらめきを放っている。その両の瞳に見据えられた俺は、
「っ…………」
スススッと目線を地面の方へとスライドさせた。
伊波は「ハンッ」と小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「このくらいでガクブルになって目を逸らすような奴が生意気言うんじゃねえ」
「うるせえなあちくしょう。ぐうの音も出ねえよ」
伊波はフフッと楽しそうな声を漏らす。
「さ、もう遅いし、とっとと帰るよ、キュウ」
「へ? お前今、なんて言った?」
「キュウって呼んだことを聞いてんの? いーじゃんか。救太郎って言ったらあんたはあの様だったし、第一長いんだよ、贅沢な。キュウで十分だ」
そんな湯婆婆みたいな理由で俺から名前を奪わなくても……。
どこか弾むようにテクテクと歩き始めた伊波の後を、俺は慌てて追いかけた。
その日以来、伊波は俺をけったいなあだ名で呼ぶようになり、俺はあいつのことを(家の中では)名前で呼ぶようになった。言葉の力とはなかなか侮れないもんで、呼び名を変えただけで少しあいつとの距離が縮まったような気もする。
そんな俺達の様子をみて美波さんはあらあらウフフと幸せそうに微笑み、親父はそっとハンカチで目尻を抑えていた。どうにもむず痒い気持ちになったが、家庭内の雰囲気が良い方向に進むのであればそれでいい。
ただ、問題は学校でのことだ。
ついうっかりあいつのことを「愛梨亜」と呼ぶところを誰かに見られでもしてみろ。きっと良からぬ噂が立つに違いない。
そういうリスクを考えると、やはりこれまで通り苗字で呼び合った方が安全なのではなかろうか。
という話を愛梨亜に持ちかけたところ、やつは柿ピーをつまみながらなんでもないような顔を見せた。
「まあ大丈夫じゃね」
「そうか? 意識してる時は良いとしても、ふとした瞬間に絶対出ると思うけどな。ほら、先生をお母さんと呼んだりとかさ」
まあ俺の場合はそんな間違いを犯しようがなかったので経験のないあるあるだけど。おっちゃん先生を「親父」と間違えて呼んでしまったことはあるが、まあそれでも意味は通るので事なきを得た思い出。
愛梨亜は器用にピーナッツを口へと放りこみながら言う。
「だって、学校であたしとキュウが話す用事なんてないっしょ」
確かに……。
いつぞやの件は例外として、俺と伊波は席が前後であるもの基本会話はない。プリントを回す時の「ん」が精々だ。
しかも来週は席替えが予定されている。座る場所が離れてしまえば、いよいよクラス内で会話する機会などほぼなくなるだろう。俺は自ら女子に近づいたりはしない。
関わりがなければ、そもそも関わりの中でボロなんて出ない。これぞ完璧な防衛法ってわけだ。
……とかなんとか言っていたら。
「…………おい、これ、どうすんだよ」
「いやーあはは。さすがにこれは予想外。つーか、できすぎ? 陰謀論?」
じっとりと問いかけると、隣の席に座る伊波は口元を引きつらせながら笑う。
そう、やってきた席替えの日。厳正なる抽選の結果、俺と愛梨亜はなんと隣同士の席になってしまったのだ。
いやまあ、精々四十人弱のクラスだ。この中から愛梨亜の隣を引き当てる確率は大体三パーセント。高くはないが、望み薄と言えるほど低くもない。ソシャゲのガチャよりはずっと分のいい賭けだったはずだ。
そのはず、だったのだけれど……。
「まあ、隣になっちゃったもんは仕方ないし、適当に乗り切るしかなくね?」
「そうだけどよ……。気をつけてくれよ、とにかく」
首を相手に向けないようにして、ヒソヒソと言葉を交わす。
「よゆーよゆー。キュウこそ、気を抜いてボロ出すなよ」
ってオイオイ! 早速ボロ出てるって! 全開だって!
キッ! クワッ! と、言葉を発さず忠告の想いを込めて視線を飛ばすが、相変わらず愛梨亜は軽い調子で「ゴメンゴメン」と片手をあげて謝罪のポーズを見せた。
本当に分かってんのかこいつ。
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