第11話 ビギナーバイト戦士

 自慢じゃないが、俺は大抵のことであればそれなりに要領よくこなすことができる。……ああ、料理は別として。


 だけどこの労働というやつは、俺がこれまでに経験してきた何とも重ならない。働くということはこんなに大変なことだったのか。自分の資格や能力、そして体力と時間を売って対価を得るという行為は文字通り命を削るような体感だった。


 忙しすぎて目が回る。俺はキッチンに運び込まれる使用済みの皿をひたすら洗った。一生分の洗い物をした気がする。合間を見てスープ系など、盛り付けに技量のいらない料理の仕上げを担当した。

 最初はちょっとした料理の仕上げも教えてもらったが、あまりにセンスがなかったようで、


「うーんそうだね……。うん。僕はね、思うんだよ。有明君には、きっともっと輝ける場所があるってことを……!」


 と内田店長にやんわりとクビにされた。

 少しショックを受けたが、次々飛び込んでくる業務の山がしっかり落ち込む時間を与えてくれなかった。


 内田店長は俺から見れば獅子奮迅ともいえる働きぶりだ。

 厨房内を忙しなく動き回っていくつもの鍋やフライパンを躍らせ、波のようにとめどなく押し寄せるオーダーを捌いていく。フロア内の様子にも目を配り、時折自らが給仕を行う。

 あの頼りなさげな、街中を歩けば埋もれてしまいそうなおじさんが仕事の時にはこうも変わる。伊達に一つのお店を預かってはいない。働く人っていうのは格好いいものなのだと素直に思った。


 そして伊波だ。

 俺の持ち場から伊波の姿を常に確認することができたわけではないが、ホールに響く伊波のハキハキとした眩しい声は絶え間なく聞こえてきていた。

 注文を取り、会計に対応し、空いた皿を下げると同時に新しい料理を持っていき、俺の皿洗いの手際に軽く文句をつける。その合間には後輩バイトにテキパキと支持を飛ばすことを忘れない。


 姿は見えないのに、あいつの見事な働きっぷりは手に取るように分かった。そして素直に尊敬した。同い年の高校生だけど、学校の勉強は多分俺のほうがずっとできるのだろうけれど、それでも今この時は伊波の方が俺よりも数段大人だった。




「ぷぁ……! あー染みるわぁ……!」


 業務終了後、「好きなの飲んでってよ!」との内田店長の言葉にありがたく甘えることにした俺は、コップに並々注いだコーラを一気に喉に流し込んでいた。

 疲れた体に炭酸の刺激と甘味が染みわたる。めちゃ美味い。これがあと何年かするとビールに変わったりするんだろうか。


 たまんねえなあおい……! と一人呟きながらコーラの喉越しを楽しんでいると、同じく業務を終えてバイトの制服から高校の制服に着替えた伊波が休憩室に入ってきた。手にはカフェオレと思わしき飲み物が入ったマグカップを持っている。


「お疲れー。……なんだかお前、おっさん臭いな」


「仕方ねえだろ、初めての労働だったんだ。心が十数年老け込んだとしても当然のことだろ」


 はぁ……と煮え切らない返事をしながら伊波は俺の向かいの席に座る。

 お互い黙って飲み物をたしなむこと暫し、ガチャリと続いて入ってきたのは内田店長だ。


「いやー二人ともお疲れ様! 有明君、今日は本当にありがとうね」


「いえ、こちらこそ。慣れてなかったので、どこまでお役に立てたのかは分からないですが……」


「いやいや! もう大助かりだよ! 今日は特に人が少なかったからね……。伊波さんから助っ人の話を貰うまでは、正直全てを投げ出して逃げ出そうと思ってたよ」


 たはははと明朗に笑いながら内田店長は言うが……。うーん、爛々とした目の輝きが、「八割五分マジ」と語っている。


「でも本当に助かるよ! 有明君はうちのお店の救世主だね! これから二週間よろしくね!」


 え? 二週間?


 どういうことだ? という視線を伊波に向けると、パチーンパチーンと大袈裟なウインクをかまして誤魔化してきやがる。


「これでなんとか人員の都合もつきそうだし、明日は久しぶりに一日休めるよ……! 僕、明日はなにがあってもお店には来ないからね!」


「そうしてください店長。連勤やばいですし、ぶっちゃけ最近の店長の顔色と目つきもヤバいです。漫画の死神みたいになってます」


 カフェオレをズズっとやりながら伊波が言う。中々の言い草だが、内田店長は「いやあすまないねえ」とからんころん楽しそうに笑う。待ちに待った休日が嬉しいのだろう。


 さて、俺のバイト期間が思いのほか長引きそうなのは予想外だったが、この話を聞いたら今更無理ですとは言えない。俺が労働に身を捧げることで内田店長が休めるのならば安いものだろう。

 どうせ今は放課後にやることもないしな。


 内田店長が向こうを向いた隙に、俺は伊波に向かって小さくオーケーサインを作ってみせる。それを確認した伊波は片手で「すまん」とジェスチャーを返してきた。

 事前連絡無しだったのは少々納得がいかないけれど、まあよしとしよう。バイト代が出たら何か奢らせよう。



 

 授業を終えて真っ直ぐ家に帰らない日々が続いた。以前部活をやっていた時以来だ。


 伊波とはバラバラに学校を出てファミレスへと向かい、業務にあたる。短期バイトの俺に任されるのはとにかくマンパワーが命の単純作業が主なので、三日目にもなればだいぶ慣れてきて、皿洗い以外の作業にも手を出せるようになってきた。

 内田店長以外の社員さんやアルバイトの人達も、みんな気さくで良い人だった。


「有明君、物覚え早いねー。将来にっちもさっちも行かなくなったらうちにおいでよ」


「ははは、考えときます」


「いやいや石塚さん。有明君は総名高生じゃないですか? うちみたいなファミレスチェーン店に就職するようなやつじゃないっすよ」


「まあそれはそうなんだけどな。でもそういう加藤君はどうよ?」


「このまま行ったらここに永久就職する羽目になりそうっすねえ……」


「お前、もっと勉強頑張れよ。有明君に教えてもらえ」


「そこ! 何サボってんすか! お客さん来ましたよキリキリ働いてください!」


 多少余裕があったので社員の石塚さんと、アルバイトで俺の一学年上の加藤さんと談笑していたところを目ざとく見つけた伊波が、厨房に顔を突っ込んで怒鳴りつけてきた。

 きっぱりとした叱責に俺達は身を固くして「さーて仕事仕事……」と白々しく呟きながら業務に戻る。


 洗いおわった皿を拭いて所定の位置に戻していると、隣で仕込み作業をしている加藤さんに小声で話しかけられる。


「ところで、有明君と伊波ちゃんってどういう関係よ? ええ?」


「どうもこうも……同じクラスって意外に接点はないっすよ」


「本当かよ? いくら猫の手も借りたい状況だったとはいえ、それだけで声をかけるかな……。でも確かに君らの様子見てると別に仲良い感じもしないしな。本当に誰でもいいから声かけただけか」


「そうじゃないっすかね。あいつ、結構サバサバしてるし。暇なやつなら誰でも良かったんだと思いますよ」


 作業をしながら答えると、加藤さんは「なるほど……。まあそうか。さすがは伊波ちゃんだな」と一人納得した様子だった。


 同じような質問を、丁度休憩が被った時にホールバイトの吉野さんからもされた。加藤さんにしたのと同じような説明をしたが、さすがは女性。何か女の勘が働くようで、完全に納得はしてくれなかったようだ。


「うーん難しいね。確かに好きってわけじゃないと思うんだよね。だって面倒でしょいきなり二週間のバイトヘルプなんて。持ち場も違うから一緒にいられるわけでもないし。ただただ面倒なことを好きな相手に押し付けたりはしないと思うんだよね」


 それってつまり、面倒ごとを押し付けても心が痛まないような存在だってことか? ……まあそうか。


 うーん、どうなんすかねえ……とモゴモゴ返す。吉野さんは大学生で少し離れていはいるものの大体同年代と言って差し支えない。つまり若い女性だ。やっぱり何を言ったらいいのかよく分からなくなる。吉野さん本人の口数が多いことが、せめてもの救いだ。


 それにしても、やっぱり訝しがられるよな。バイト先でも気をつけて、必要以上の接触をしないよう伊波に一言注意喚起するべきか。

 と思ったけど仕事中に伊波と話すことなんてほとんどない。内田店長が気を使ってシフトの時間は基本一緒で組んでもらっているけれど、来るときも帰る時も俺たちはバラバラに帰っている。


 ……特に何も言わんでも、このまま普通にやってればいいか。やはりどうも俺は都合の良い労働力扱いされているようだ。

 

 

 

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