第22話 失言
確かに最大限の警戒を払っていたわけじゃなかった。県外だし人も多いし、そこまで気にする必要もないと。
けれど、それにしたってタイミングってものがあるだろう。
山本の友人がインスタに投稿した写真。そこに偶然写り込んでいたのはまさしく俺と愛梨亜だった。言い訳のしようもないくらいにはっきりと姿を捉えられている。
しかも場所は県外だ。偶然会ったという言い分は通りにくいだろう。
山本の声はよく通る。その告発はまたたく間に教室中を駆け巡った。
「なになに? 誰と何がどうなったの?」
「伊波と有明が付き合ってんだってよ」
「マジかよ……。俺、伊波のことちょっといいなと思ってたのに……」
「っていうかさ、愛梨亜ちゃんはマジなのかな? だって有明ってホラ、性格超悪いじゃん?」
「でも顔はいいし、親は医者でしょ? だからまあ……そういうことなんじゃね?」
言いたい放題だな。
山本は周囲のざわめきを確かめるようにぐるりと教室を見回し、そしてニヤリと笑った。
どうしたものかと思っていると、横で愛梨亜がハァとため息をひとつついた。
「こうなったら仕方ないか。まあそのうち誰かにバレるんじゃないかと思ってたけど。こうなったらもう白状するしかないね」
愛梨亜は意思を確認するように俺の目を見て言った。まあその通りだ。こうなってしまってはもはや完全に隠し通すのは不可能だろう。だけど、俺と愛梨亜が交際しているという誤解は解いておかなくてはならない。
アイコンタクトを交わす俺たちの様子を見て、山本は気に入らなさそうに鼻を鳴らした。
「確かにそこに写ってるのは私達だよ。……でも付き合ってない」
「じゃあなぁに? 偶然この日ここで出会ったとでも?」
「家族なの。私と、有明は、いま」
愛梨亜が言い放つと、シン……と静寂の波が教室内に広がった。
誰かが「え? え? 付き合ってない、家族だってことは……それってつまり……夫婦ってこと?」と言った。違うわ。
俺は周りの連中にも聞こえるように、少し声を大きくして言った。
「元々伊波は母子家庭で、俺は父子家庭だ。親達が再婚して、俺たちは家族になったんだ。今の俺と伊波は、義理の姉弟の関係だ」
ざわめきが再び教室に広がる。山本は眉を歪めて顎を持ち上げたまま言った。
「ふぅん……。そんな話を信じるとでも思ってんの?」
「信じる信じないの話じゃなくって、事実だからな……。あいにく今証明する手立てはないが、納得いかねえなら戸籍でも取ってこようか?」
「あ、あたしこの前撮った写真、スマホに入ってるよ。証拠になるかは分かんないけど」
そう言って愛梨亜が提示したのは、まさにあのショッピングモールで出かけた主目的である写真だ。俺と、愛梨亜と、美波さんと親父が正装をして写っている。
明らかに家族写真という面持ちのそれに、はぁなるほど……という空気感が漂い始める。
それを打ち破ったのはやはり山本だ。こいつもなかなかしつこいな。
「だから? 家族になったとかんなこと知らないけど、血の繋がりはないんでしょ? なら付き合ったって良いんだよね? あたしが聞いてるのは、愛梨亜。アンタ最近有明と仲良すぎなんじゃないってこと。こいつがどういう奴か分かってる? ねえ愛梨亜。あんた、どっちの味方?」
まくし立てる山本の声色には、ついに脅しの色が現れた。
なるほどつまり、こいつらはこれを愛梨亜に問いに来たのだ。私が嫌ってる有明と親しくするとはどういうことかと。お前はどちら側に付くのかと。
お前は敵なのか、味方なのか。どっちなのかと。立場を選べと、山本は愛梨亜にそう問うているのだ。
しかし、だとするとこれはよろしくない。何故なら愛梨亜は……。
「別に。誰の味方でもないけど。あたしはあたしが話したい人と話すだけだよ。話したいから有明と話すし、山本とだって話すんだよ。ただそんだけ」
そう、こう答える奴だからだ。
この懐の広い、愛梨亜の人柄が詰まった快い回答は、しかし山本の求めていたものではないだろう。
ちょっと伊波、そういうことじゃなくね? ハッキリしなよ、という声が教室の中からも上がる。このクラスの中にも、俺を純粋に嫌っている奴はいる。いわゆる「山本派」の女子だ。
それらの敵意が今、槍のように愛梨亜へと降り注いでいる。俺が至らないばかりに産み出し、俺のやらかしで増長させた、俺への敵意だ。
何故それが愛梨亜に注がれるんだ? 俺の不始末で起こした火種は、俺が被って燃えるべきもののはずだ。他の誰かに降り注いで良いものではない。俺以外の誰もこれで傷つけさせてはならない。
火だるまになるのは俺だ。愛梨亜じゃない。
俺はわざとらしく見える限界まで、深くて長いため息をぶっかますと、頭をガシガシ掻きながら声を上げた。
「あのさぁお前らさぁ……。さっきから適当なことばっか言って盛り上がってっけど、俺と伊波が付き合うなんてこと、本当にあり得ると思ってんのか? 勘弁してくれよ」
馬鹿が感染るぜ。
そう言い放つと、愛梨亜は「キュウ……?」と戸惑ったような声を漏らした。
「親父のやることだから我慢してっけど、ぶっちゃけいい迷惑なんだよなこっちだって。家でもこんなうるせえのがいたんじゃ、勉強に集中できねえし。馬鹿が感染って、俺の成績が落ちたらどうすんだよって話だ」
だいたいよぉ、と山本の下から睨め付けながら俺は机に頬杖をついて続ける。
「お前もそんなクソくだらねえことばっか気にしてねえで、ちっとは真面目に勉強してみたらどうよ? 人のインスタの背景にたまたま写り込んだ人間のことなんか探すくらいなら問題集のページめくってろよ。そんなんだから学年順位も上がらねえんじゃねえのか。成績上げたいんだよな」
「ハァ? お前にんなこと言われる筋合いねえんだけど?」
「その言葉そっくり返してやるよ山本。こっちだって、お前のくだらねえ妄想に付き合う義理はないし、聞いてる暇もねえんだ。気が済んだらとっとと出てけ。そもそもお前別のクラスだろうが」
山本の顔が怒りで二倍に膨らんだように見えた。愛梨亜の様子をちらりと横目で伺うと、奴ときたら雷に打たれたような顔をしている。
山本達は動く気配がなさそうだ。さすがにこの状況で机に居座り続けるのはどうにも居心地が悪い。
飲み物でも買ってくるかと、ガタリと椅子を引いて勢いよく立ち上がると、山本軍団がぎくりとたじろいだように感じた。別に殴りかかったりしねえって。
ちらりと一瞥したが何も言ってこなかったので、俺は一旦教室を後にする。背中に突き刺さる敵意のこもった視線をビシビシと感じながら。
自販機に小銭を入れて適当な紙パックジュースを購入していると、横から「よう」と声をかけられた。
「端場か。お前も飲みもんか?」
「いや、お前を追いかけてきたんだよ」
そう言ったくせに、端場はしっかりジュースを購入した。やがてゆっくりと口を開く。
「さっきの救太郎、凄かったな。あんなに言うところ、初めて見た」
「一回口に出し始めたら、止まらなくなっちまって……」
「愛梨亜ちゃん、めちゃ怒ってたぞ。多分」
「だろうな……」
山本に啖呵を切るなかで、愛梨亜に対してもかなり失礼なことを口走った自覚がある。そりゃもう怒っているだろう。想像するだに恐ろしい。
後でちゃんと誤っておくよと言ったが、端場は不安そうな表情を崩さなかった。
「救太郎……。お前、愛梨亜ちゃんがなんで怒ってるのか、ちゃんと分かってるか?」
「分かってる……と、思うけど……」
「そうか……? ならいいんだけどよ……」
そうこぼすと端場はぐびりと大きな一口で飲み物をあおる。
「とにかく、愛梨亜ちゃんとよーく話とくんだぞ。そんで、ちゃんと誤っとけよな」
そう言い残すと、端場は飲み物の残りを一気に飲み干してその場を去っていった。妙に念押しをしてくる端場が気にならないわけではなかったが、もとより愛梨亜には謝る必要があったんだ。それほど深く気に病む必要はない……と、思うんだが。
端場に遅れて教室に戻った時、愛梨亜の姿は席になかった。さすがに授業が始まるタイミングで戻ってきたが、席に着くまでも着いてからも、俺に話しかけることもなければちらりと視線を寄越すこともなかった。
本当にご立腹のようだ。こうなっては話しかけるのが恐ろしいが、悪いのは俺なので仕方がない。
そのまま愛梨亜は日中一言も俺に話しかけてはこなかった。その上授業終了と共に即刻で帰り支度を済ませ、風のように教室を出て行ってしまったのだ。
俺は慌ててその後を追った。どうせ愛梨亜とは自宅でも顔を突き合わせることになるので、別に無理して今捕まえる必要もないといえばないのだけれど……。なんとなく、今日の学校の中で済ませておいた方が良いと思ったのだ。
昇降口付近で、左右にふわりふわりと揺れるピンクゴールドの豊かなロングヘアに追いついた。
「おい、ちょっと待てって。待ってくれ。話があるんだ」
駆け寄りながらそう声をかけると、愛梨亜はゆっくりと俺の方へ顔を向けた。その視線には温度がない。言葉にしなくても「何しに来たんだお前は」という意が伝わってくる。緩やかな、それでいて分厚い拒絶の壁だ。
「なに? あたし、急いでんだけど。この後もバイトだし」
「す、すまん。だけど、今日のことを謝りたかったんだ。山本との、一件の時の。お前に失礼なことを言ったよな。馬鹿だとかなんとか。申し訳なかった。本心ではないんだ。ただ、山本に、何かこう、言ってやらなきゃと思って、つい強い言葉を使ってしまって、そんで、愛梨亜に失礼なことを言った。本当に、ごめん」
そう言って俺は深く頭を下げる。しかし、浴びせられたのは深い深いため息だった。そこには俺を馬鹿にしようとかそういう空気はなく、ただただ深い失望の色が含まれていた。
「やっぱりあんた、何にも分かってないね」
「ど、どういうことだよ……?」
愛梨亜は呆れ返ったような表情で腕を組んだ。気怠げな所作からは、とっとと切り上げて帰りたいんだと、お前との会話は時間の無駄だと、そういう意思が見て取れた。
「あんた、自分が悪者になることであの場を収めようとしたんでしょ? あたしが何か言われるのを防ぐために。だからあーやって山本を逆撫でするような言葉を受かったんでしょ。違う?」
見事なまでに考えを言い当てられて、口をつぐんでしまう。俺はそんなに分かりやすいのだろうか。
「そうだよ。お前の言う通りだ。そのなかで失礼なことを言った。だから謝りたい」
「違うんだって。やっぱりあんた何にも分かってない。あたしが怒ってるのは悪口言われたからじゃなくって、そもそもあんなことやったのに対して怒ってるんだってば」
愛梨亜はもう一度ハァーっと深いため息をついた。
「あんたが教室から出てってからさ、みんなあんたの悪口でもちきりだったよ。マジ最低、性格終わってる、キモい……とか。そんで、愛梨亜大丈夫? 家で暴力とか振るわれてない? 何かあったら言ってねって、あたしに声かけてくれた。あんたの計画通りだよ。良かったね」
でもさ……とこぼし、愛梨亜は続ける。
「それを聞いて、あたしが『あー良かった助かった』なんてほっと一安心したとでも? あんたがボロカスに言われてるのを聞かされて、平気な顔してられるとでも思った? 笑わせんな!」
愛梨亜が声を荒げる。キッと俺を射すくめる視線には、怒りと……どこか悲しみが混じっているように感じられた。
俺は一歩も動けなかったし、口を開けなかった。
「あたしは! ……例えば、お母さんを悪く言う奴がいたなら、怒るし嫌な気持ちになるし、何より悲しいよ。お母さんが傷つく姿を見るのが悲しい。だって大切な家族だから。……そんであたしは、あんたのことも家族だと思ってたよ。でも、あんたにとってはそうじゃなかったってことなんだね」
違う、と言いたかった。
けれど、なぜか言葉が出てこない。言いたいことはあるはずなのに、頭はぐるぐると空回りするばかりが思考がまとまらない。俺の脳みそは比較的優秀なはずじゃなかったのか。それすらできなくなったら、俺には何が残るんだ。
とにかく何か言わなくてはと口を開いたが、やはり言葉が出ない。いたたまれなくなって、愛梨亜の視線から逃げるように俯いてしまった。
それが合図だった。
愛梨亜は何も言わずに昇降口から出て行ってしまった。残された俺は、その場にしばらく立ち尽くすしかなかった。
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