第21話 偶然の発覚

 自宅の食卓でも隣の席は愛梨亜。学校の教室でも隣の席は愛梨亜。


 視界の端で揺れるピンクゴールドの巻き髪もさすがに見慣れてきた頃ではあるが、当然タイミング次第ではそこに別の顔が座る時もある。

 選択科目の講義の際は、授業を受ける人数も変動するうえ教室自体がいつもと違うところになるため、必然的に隣人の顔も変わるわけだ。


 社会科系科目として俺は地理を選択したが、この授業では隣に愛梨亜の友人である丸山夏鈴が座る。

 進級当初は無用なトラブルを避けるため、可能な限り交流を持たず視線も向けず……と言った処世術を敷いていたが、ここ最近は愛梨亜を介して話をすることも何度かあったため、この場でも挨拶くらいは交わすようになっていた。


 この日、地理の講義を受ける教室に俺が到着した時、丸山は既に席に着いて文庫本を読んでいた。

 表紙のタイトルは……川端康成の『山の音』。丸山はこの手の文学作品を読んでいることが多い。

 読書の邪魔をせぬようにと、なるべくスッと席に着いたが丸山は律儀に顔を上げて「や、有明君」と挨拶してきた。


「おす。……また難しい本読んでるな」


「え? いやいや、そんなこともないよ? 最初は壁感じるかもしれないけど、読んでみるとこれが意外と面白くて」


 なるほどねえ……と言いつつ俺は教科書のページをめくって前回までの範囲をさらっておく。俺と丸山の会話は、いつもこのくらいの当たり障りのないものだった。

 …………が。


「…………あの、さ」


 丸山が口をもごもごグニャグニャさせながら、躊躇いがちに続けてきた。本は閉じられている。


「……? どうした? 何か用か?」


 散々迷った挙げ句、丸山はノートの端を千切るとサラサラと何やら書き込み、俺の方へ寄越してきた。なんだなんだと開けてみると。


『愛梨亜と有明君って、ひょっとして付き合ってたりする?』


「ハァ? んなわけねーだろ!」


 思わず大声を出してしまった。

 隣の丸山はもちろんのこと、周りの連中も突然の声に身をビクッと固くする。非難がましい目を向けられ「わ、悪い……」と謝罪の意を示した。


「ご、ごめんね変なこと聞いちゃって……。お、怒らせちゃったかな?」


「あー、その、別に怒ったわけじゃ……。ただちょっと驚いただけだ。でも、なんでいきなりこんなわけの分からないことを聞いてきたんだよ?」


「いやー。愛梨亜と有明君が、最近妙に仲が良さそうだなーと思っててね。それで愛梨亜にそれとなく聞いてみたら……」


『え? あたしが? キュウと? なんで? ……って、おっと。キュウって呼んだらダメなんだった。……へへへ、今のナシ!』


 あ、あのアホ……。思いっきりボロ出してんじゃねえか……。


「なーんてこと言うからさ。否定はしてたけど、怪しすぎて……」


「確かに誤解を招きかねない言い方だけどよ、本当にあいつとは何にもねえよ。キュウって呼び方は……あいつにいきなり呼ばれ始めたんだけど、やめてくれって言ってたんだ。なんつーかその……ダサいから」


 そう返すと丸山は口元を抑えながらクスクスと笑った。


「えー、いいと思うけどな。可愛いし呼びやすいし。私も使おうかな」


 か、勘弁してくれ……。


「今はたまたま席が隣で少し話すようになったけど……でも、本当にそれだけだぞ? それに、あいつなら他にも仲のいい男がいるだろ」


「んー、隣で見てる感じ、有明君が一番愛梨亜と仲の良い男子だと思うけどな。愛梨亜、ああ見えて別に男友達が多いわけじゃないんだよ。よく勘違いされちゃうんだけどさ」


「そうなのか? 端場とも軽い感じで話してるし、他の男連中ともおんなじような空気感で接してるんだろうなと思ってたけど」


「うーんと、なんかね。相手に下心が見えると面倒くさくなっちゃうんだって」


 なるほどねえ……。まあ人気がある故の苦労ってやつか。あと、男は勘違いしがちな生き物だからな。思春期男子ならなおさら。


「まあでも、愛梨亜と有明君がそういうなら違うのか。確かに、付き合ってるとするならなんというかこう……カップル感はないんだよなーって思ってたから。でも友達よりも気を使ってない感じ。なんというか……熟年夫婦? みたいな。そんな雰囲気だなって思ってたよ。……ごめんね、これもちょっと失礼か」


 いや、別に大丈夫と返しつつ、丸山がかなり的確に俺と愛梨亜の関係性を見抜いていたことが分かり背筋が若干冷たくなった。さすが仲の良い友人だけあってよく見ている。気をつけないとな……。

 丸山は自分の失言をカバーするように続ける(別に俺は失言とは感じてないんだけど)。


「熟年夫婦というか、息ぴったりって感じだね。有明君も、最近はなんか明るいというか雰囲気柔らかくなった気がするって、皆言ってるよ」


「ああ、前の俺は……怖かったんだっけ? 態度が良くなかったのは散々指摘されて一応反省も……したつもりだから。だから効果が出てるなら何よりだ」


 そんな会話をしていると、ガラリと前の引き戸が開け放たれて先生がやって来たので前を向き直る。


 今日はいつになく会話をしたな。気になることを聞かれてしまったから仕方ないが……。まあ、愛梨亜と距離が近いが故に出た疑問だろう。

 最近は俺も丸山と話をする機会が増えてきたから、油断して変なことを口走らないように気をつけなくてはな……。


 そう戒めをしたのだが……。




「ねえねえ、愛梨亜ちゃんと有明君って、ひょっとして付き合ってたりする?」


「ハァ???」


 その日の昼休み、唐突に席にやってきた女子三人組からさっきの丸山と似たようなことを聞かれた俺と愛梨亜は、息を揃えて叫んでしまった。

 いっぺんに声ぶつけられた女子はひっ! と小さい悲鳴を漏らして身体を固める。その彼女を庇うように、残る二人がすっと一歩前に出る。やや険しい視線を俺に向けながら。


「あー……いや、別に怒ったわけじゃないんだ。驚いただけ。脅かしてしまったのならすまん」


 何度目か分からない理由での謝罪をすると、隣の愛梨亜がフンと鼻を鳴らした。


「全く、すーぐ女子を威圧するんだから」


「してねえよ。というか、お前も今は一緒になって威圧してた側にあたるはずだ」


 言い返すが、愛梨亜は「なーこいつホント愛想悪いからなーごめんなー」と女子三人組へわざとらしく誤って見せる。


「あはは、それそれ。有明君のそういう感じ、愛梨亜ちゃんと一緒の時にしか見ないからさ。なんか妙に仲がいいんだな~って、気になってたんだよね」


「正直、今まで近寄りにくかったんだけど、最近は思ったより怖い人じゃないのかな~なんて、思ったり思わなかったり……」


 遠慮がちにおずおずと話しかけられる。


「い、いやいや、ほんとに。ほんとに何にもないんだよ。伊波とはたまたま席が近くなったから、それで話すようになっただけ」


「そうそう。んで、有明は別に怖いわけじゃなくて、対女子コミュ障だから態度が悪いの。分かってやって」


 だからお前は俺のなんなんだ……。


 だけど、本当に丸山の言った通りになった。そして、どうやら本当に愛梨亜との交流のお陰で俺のイメージが幾分か和らいでいるようだ。これは……多分、感謝すべきことなんだろうな。


 これまで俺は、学年の女子からは一方的に嫌われているのだと思っていた。

 しかし、前に愛梨亜に指摘されたように、そしてここ数日の事実が証明するように、俺自身が硬化させた態度が敵意の壁を作っていたのだ。

 多くの連中は噂と俺の態度を見て印象を決定づけたのだろう。つまり、先日までの針のような敵意に晒される日々を産み出した一端は、確かに俺にあったのだ。


 だけど、それと同時に忘れてはいけないこともある。俺の態度云々を問題とせず、初めから純粋に俺のことを嫌っている奴がいるということを。


「愛梨亜ー。愛梨亜いるー?」


 廊下から自分を呼び出す声に気づいた愛梨亜は、女子達との談笑を辞めて入口の方へ目を向けた。

 誰だろ? との疑問はすぐに解消されることとなる。


 俺を最も敵視している女子、山本が四人の女子を引き連れてこちらに向かってきた。

 明るく染髪されたロングヘアを揺らし、猫のような瞳は獲物を見据えたときのように力強く、真っ直ぐに前方を射抜く。

 机の前に腕組みをしながら立つ山本を見上げ、愛梨亜は戸惑いつつも声をかける。


「よっ、山本。いきなり何の用? どーかした?」


「愛梨亜。あんた最近、妙に有明と仲が良いらしいじゃん。よくこんなヤツと話してられんね」


 こんな奴、のところで俺のことをぞんざいに顎で指し示した。


「あー、よく言われんだけどさ。隣の席になったから話す機会が増えたって、まあそんだけだよ。あたしも最初は嫌な奴だと思ってたけど、話してみると案外面白い奴だったし」


「愛梨亜のことは友達だと思ってるから忠告しといてあげるけど、こんな奴付き合わない方がいいよマジで。頭の良さだけが自慢で周りのこと見下してるようなヤツよ」


「それは誤解よ。まあ確かに言葉も態度も悪いから、そう思わせた原因は有明にあるのかもしんないけど」


 この返答を聞くと、山本はちらりと口の端をめくりあげた。


「そんなこと言って、本当はあんた、有明と付き合ってんじゃないの? だから庇ってんでしょ」


 はぁ? こいつまで何言ってんだ急に……?


 もう何度目か分からない否定をしようと揃って口を開きかけた俺と愛梨亜だったが、山本が提示してきたものを見た瞬間に口をつぐまざるを得なかった。


「これ、あたしの友達のインスタで、この前新しくできた県外のモールに行ったらしいんだけど。……ほらこれ。ここ」


 山本のスマホには弾けるような笑顔の女子が、何やらカラフルな色合いのドリンクを手にして自撮りを決めていた


 山本の指は、その背後を指している。


「これ、愛梨亜と有明だよね? 休日に県外でデートなんて、随分仲良しこよしじゃん?」


 そこに写っていたのは、口元を綻ばせながら並んで歩く俺と愛梨亜の姿だった。

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