第1話 嫌われ者、有明救太郎

 数年前までこの学校では試験結果を一位から最下位まで容赦なく廊下に張り出す伝統があったらしい。


 生徒の競争心を煽り、より一層勉学に励んでもらいたいという学校側の思惑があったらしいが、「プライバシーの侵害だ」「下位層まで掲示するのは酷ではないか」との意見が相次ぎ、近年では基本的に学年トップクラスの生徒達が、華々しくその名を張り出されるという流れになっている。


 県下有数の進学校である我が校で上位十パーセントに入るということは名誉なこと。これはいわば表彰であるとでも先生達は言いたげだけど、それだって結局は同じ問題じゃないだろうか。


 先日行われた二学年春の定期試験結果。理系グループの上から三番目に有明救太郎ありあけきゅうたろうという名前が記載されているのを確認した俺は、ハァと小さいため息をついた。


 それを耳ざとく聞きつけた女子生徒が俺に敵意のこもった視線を向けてひそひそと話し始める。


「見た? 今のため息、これ見よがしに。ほんと嫌味な奴」


「まあ、大得意のお勉強で三位は納得できないんでしょ」


「でもどんなに頑張っても特進コースの人達には勝てないんだよね。まあ精々頑張ってって感じ」


 こうなるからな~。と俺はまたひとつ、今度は心の中でため息をついた。


 別に俺はテストの順位への執着があるわけではない。幼少の頃より勉強は得意な方だったけど、そこに全てを捧げようと思ったことは一度もない。

 まああいつらの言う通り、特進コースのトップ層に勝てたことがないのは事実だ。だけど、あいつらが言うほど俺はそれを気にしていない。


 ジトっとした視線とちくちく言葉を浴びせられ始めた当初は、これも自己防衛と教室でじっとしていたりした。だが、それはそれでまた「さすが、余裕だね」と別角度から差される要因になったりした。

 そこから、なるほどどうやら自分は何をしたとしても敵意を向けられるらしいと理解して以降は、気にせずに順位を見に行くことにしている。行っても行かなくてもどうせ陰口を叩かれるなら、情報が入るぶん見に行ったほうがマシだ。


 いつも通りの順位も確認したし、そろそろ教室に戻るか……と考え始めた時、右後ろで掲示を見ていた女子が上げた「キャーッ!」という甲高い喜びの声に、不覚にも俺はビクッと身を固めてしまう。


「え、ヤバいウチ十四位なんだけど! やばいやばいマジ嬉しい初めて名前乗った!」


「ちょっと山本喜びすぎ! マジウケる」


「なんだかんだ言って真面目系だもんね~」


 山本。下の名前は憶えていない。一年の頃同じクラスだった女子だ。


 ほんのり明るいロングヘアで、学年ではポジション的にもビジュアル的にも割と目立つ立ち位置にいる。成績も中々優秀なようだが、どうも「試験で高得点を取って名前を掲示されたい!」という思いばかりが強すぎるような気がするのはどうなんだろうと勝手ながら思っている。

 そんな俺のマイナス感情な視線を敏感に察知してか、山本は不快そうに眉をひそめた。


「うわ、今有明にめっちゃ馬鹿にされたような目で見られたわ。そりゃあんたにしてみりゃ大した順位じゃないんだろうけど、余計なお世話だっつの」


 しまった、露骨に見すぎた。今後は下手に女子生徒に視線を向けないほうがよさそうだ。見るセクハラなんて言葉も耳に新しいしなあ。残り二年間の高校生活で、俺はいくつ五感をシャットアウトしなければならないのだろう。

 面倒くせえなあとどんよりした心持で頭をガシガシ掻いていると、後ろから軽く肩を叩かれた。


「よっ、救太郎。相変わらずだな」


「端場。……相変わらずって、どういう意味?」


「え? そりゃもうアレよ。相変わらず成績優秀だし、女子からはアホみたいに嫌われてんなってことよ。……自分でも分かってんだろ、みなまで言わすな」


 端場慶祐も山本と同様、一年生の時に同じクラスだった男子生徒だ。良くも悪くも軽い性格だが、裏表なく飾らないその姿勢が嫌いではない。数少ない学校での友人だ。数少ないとか自分で言うのも悲しいけれど。


「ほっとけ。そりゃもう重々承知ですとも」


「ははは、僻むなって。……しかし、しつっこいな女子の連中も。もう半年近くこんな感じだよな」


「俺の態度も多分よくないからな」


「というかそれが全てだろ。お前は顔も成績も運動神経もいいのに、女子に対して愛想悪すぎなんだよ。もったいねえ。俺がお前ならもっと上手くやるのによ」


「上手くやりたいんなら、女子の前では俺と話さないほうがいいんじゃねえか」


「大丈夫大丈夫。俺って、こういう分け隔てのない明るさが良いらしいぜ。救太郎がいてくれてよかったわ。俺の魅力が際立つからな」


 おい、バーターかよ。

 俺は抗議の意も込めて、慶佑の肩を軽く小突いてやった。




 教室に戻ると後ろの席の女子が机に突っ伏していた。自然界には存在しないであろうピンクとゴールドが混じり合ったような髪の毛が、緩いカーブを描きながらまばらに垂れている。


 寝ているのかと一瞬思ったがどうやらそうではないらしい。体調不良でもなさそうだ。それだけ認識すると、特に声をかけず席に着く。女子には関わらない。この数ヶ月で身に着けた悲しき処世術だ。


 後ろの女子は伊波愛梨亜いなみありあ。出席番号は二番で俺の一つ後ろにあたる。新学期も始まったばかりなので、まだ席順も五十音順の初期配置だ。

 どよんとした雰囲気丸出しの様子を心配してか、別の女子生徒が声をかける。


「愛梨亜、大丈夫?」


「だいじょばないー……。ヤバいもうあたし史上最低点だよ追試とかどうしようヤバいよ……」


「そんなに……悪かったの?」


「ヤバかった……。助けて夏鈴……数学教えて……」


「う~ん……。でも私も教えられるほど成績いいわけじゃないからな……。そうだ、有明君」



 予想外の巻き込み。


 よりによって数学かよ一応ここ理系コースじゃなかったっけか? しかも今回の範囲って一年生の時の総まとめみたいな感じだろ。なんで理系を選択したんだよ理解に苦しむな……。などと、背後の会話を聞いて脳内でチクチク突っ込みを入れていた俺は思わず「へぇっ!?」っと間抜けな声を挙げてしまった。


 び、びっくりしたーまさか自分の名前が呼ばれるとは。しかも女子の会話で……。羞恥心で熱くなっている耳を感じつつ咳払いを一つして心を落ち着けると、平静を装って後ろを振り返る。


「な……何?」


「ご、ごめんね。びっくりさせちゃった?」


「つーかビビりすぎでしょ。あたし達のほうが逆にビビったわ」


 うるせえな、という悪態は口に出さない。


「有明君って、いつも凄く成績良いよね。どうやって勉強してるの? 何かコツとかあったら、教えてほしいなと思って」


 コツ……と言われても……。


「何が分からないのか教えてもらわないと、こっちも教えようがねえよ」


「いやもう全部よ! 何が分かんないのかも分かんない。さっぱり。お手上げ。白旗ブンブンよ」


 そう言って伊波はパーにした両手を頭の横に持ってくる。なんだそのジェスチャーは。パッパラパーってことか? まあいい。


「そのレベルってことは、多分公式の使い方も理解してないな? んなもん暗記するしかねえよ。形と解法を覚えて、手ぇ動かして使い方を頭に染み込ませるしかない。授業中寝てる暇があるんなら、練習問題を一問でも多く解けって話だ」


 そう言うと伊波は「あぁん?」と鋭い目線を向けてくる。それに気圧されて、俺は思わず目を逸らしてしまった。

 そもそも俺は、このような状況に陥る前から女子と話すのは不得手としている。加えてここ最近はまともに会話しておらず、さらに言えば伊波みたいな派手なタイプは苦手だ。裏で何言われてるか分かんないからな。


 その恐れと気恥ずかしさを誤魔化すように、俺は痒くもない頭をカシカシやりながら続ける。自然と口が回るペースが速くなってしまう。ああ、良くない。これは実に良くない。


「せっかく授業で教えてくれるのに、それを聞いてないからあとで自分で勉強しようと思っても何がなんだか分からないんだろ? なら、まずはそこからじゃねえの?」


「んだよその言い方。教えてくれとは言ったけどさ、その態度はないんじゃね?」


「でもお前、授業中よく寝てるだろ。そんなになるほどテストの点気にするんなら、まずはそこからだろ。授業で教えてくれることを聞いてないから、後で自分で勉強しようと思っても何が何だか分からないんだろ?」


 そう言うと伊波はグッと何かを飲み込むような表情を見せる。視線に敵意がこもってきた。つけまつげだかなんだか知らないが、異様に目力が強く感じる。


「有明ってあたしの前の席でしょ。それなのにあたしが寝てるとか分かるわけないでしょ。授業中に後ろ振り返ることがそんなにあるわけじゃないし」


「いや分かるだろ。普通に聞こえてくるぞお前の寝息」


「おまっ……寝息……!?」


 もうここまで来たらどうにでもなれだ。言い切ってやる。中途半端に濁してしまうほうが印象が悪かろう。


「授業真面目に聞いたけど分からないところがある、なら話は分かるけどよ。聞いてないから分からなくなっちゃったけど何かいい勉強法教えてって言われても、『じゃあちゃんと授業聞けば?』としか言えねえよ。その尻拭いを人に頼んでる時点でもうダメだろ。コツ云々の前に、まずはそういう所からなんじゃねえの?」


 言った。


 言いつつ、またそろりと横目で伊波を盗み見た。リップを塗られた唇の奥で、ギリっと歯噛みする音が聞こえた。


「ま、まあ、まずはちゃんと授業を受けてみてだ。それで分からないとこがあれば、その時は――」


 少し慌てて続けた言葉は、バンと机を叩く音にかき消された。伊波は立ち上がっていた。そして一度俺を鋭い視線で射貫くと、身をひるがえしてずんずんと教室から出ていった。


「あっ、待って愛梨亜! ……なんか、ごめんね。気にしないで」


 それだけ言い残すと、もう一人の女子生徒も後を追う。


 教室がややざわついていた。また有明だよ、アイツほんと最低、という声が聞こえる。完全無欠にやらかしている。

 また一つため息をついて、俺は自分の席に向き直る。


 やっぱり難しい。伊波の姿勢が気になってしまったこともあって、つい口調も強めになってしまった。けれど、自分なりに最低限は言葉を選んだつもりなんだけどな。

 例えばこれが慶佑とか相手なら「馬鹿かお前は」とか「舐めてんのか」くらいは言っていたけど、さすがにそれはまずいだろうと思って控えたのだ。控えたうえでこの様だ。


 背中で受ける敵意の視線が痛い。

 女子の中での有明株がみるみる下落していくのを肌で感じる。もし仮に俺に投資してるトレーダーがいたなら、今頃視界はグニャグニャ、膝はブルブルになっていることだろう。すまんなあ。


 それにしても、これ以上の暴落はないと思っていたけれど、人生ってのは底なし沼だ。

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