第6話 ギャルの義弟になるなんて

 親父の言う通り、新しい家の風呂は一般家庭のそれとして考えると中々に広く、チラッと想像していた真っ裸で親父と密着するという最低最悪のイメージのようにはならなかった。極力親父の方に視線を向けないように気を付ければ精神衛生上も問題なさそうだ。

 親父が頭を洗いながら聞いてくる。


「いやーさすがに腹減ったな。少し早いけど夜飯にするか。救太郎、何か食べたいものあるか?」


「ああ確かに。なんだろ、寿司かな。祝いの日ではあるだろ?」


「お、寿司いいな。じゃあ出前っちゃうか。よーし、じゃあお父さん、特上いっちゃうぞ~!」


「あ、でも一応二人にも聞いた方がいいんじゃねえか?」


 確かにそうだ、海鮮ダメかも分からんからな、さすが救太郎気が回るゥと会話のやり取りをしつつ風呂を上がる。ふぅさっぱりした。新しい風呂ってすげえいいな。


 続けて親父も上がってきたので、そちらには背を向けてドライヤーで髪の毛を乾かしてからリビングの方へ向かう。

 扉を開けながら「二人とも寿司って好きですか?」と尋ねる。美波さんと伊波はキッチンの方で何やら作業をしていたようだった。


「ええ、大好きよ。……それがどうかした?」


「よかった。実は、寿司の出前でも取ろうかなって親父と話して……て?」


 待てよ? 二人はキッチンで何をしているんだ? 食器類の荷ほどき? いやそれはもう終わってるはず。それによく見りゃエプロンをつけてるし、それに……。

 すんすんと、部屋に漂っている匂いを嗅いでみる。これは……生姜と醤油?


「あ、お寿司の出前? ……そうね、それがいいかも。なんてったって、今日は記念日だしね」


「まあちょうど、やべー油が足りないじゃんってなってたしね。鶏肉はジップロックに移して冷凍しときゃいいし」


 いや、待て待て待て。これは……まさか……!

 そうこうしていると、遅れて親父もリビングに帰ってきた。


「いや~いいお湯でございました~……ん? すんすんすん……。こ、これは……」


「唐揚げ作ってるの!??」


 俺と親父の声が重なった。


 そんな俺たちを見て女性二人は戸惑いつつ半分引きながら「え、ええ……」「そうだけど……」と言う。

 まあ待て、こんなにテンションが上がってしまう理由ってのがちゃんとあるんだ。


「うわー、俺唐揚げ好きなんだよ! マジで作ってくれるの? すげえ!」


 そう、俺と親父は唐揚げが好きなのだ。


「まさか、手作りの唐揚げを食べられる日が来るなんてなあ……。俺も救太郎も、揚げ物ができないから……」


 そう、そして俺と親父は唐揚げが作れないのだ。


「お、大げさだね……。徳太さん、泣いてるし……」


 そう、二、三年前から親父の涙腺はタガが外れてガバガバなのだ。

 呆れたような顔で伊波が言う。


「そんなんで今までどうやって生活してきたん……?」


「いや、肉と野菜を炒めるくらいはできるぞ? でもなんというか、名前のついた料理はできないというか」


 はあ、なるほどね……と伊波。なんだその出来の悪い生徒を見る教師のような目は。


「でもいいん? 寿司食べたかったんでしょ?」


「いや、いい。唐揚げがあるなら唐揚げ食いたい」


「でも、作るのあたしらよ?」


「バカ、だからいいんだろが」


 揚げ物ができる人間なんて超貴重だ(俺基準)。そんな貴重な人間が手掛ける唐揚げ……食い逃す手はない。

 伊波は「あ、そ……」と漏らすと、少し照れたようにしししと笑って言った。


「変わってんね、あんた」


 親父は楽しそうに「ようし!」と手のひらを打つ。


「じゃあ今日は唐揚げパーティと行こうじゃないか! 寿司はまた今度にしよう。父さんは完全に唐揚げのお腹です!」


「ふふっ、じゃあ沢山作っちゃうわね。……あ、そうだ。ちょうど油が足りなさそうだったの。ちょっと買ってくるわね」


「そんなの俺達が行くよ! なぜなら俺たちは戦力外だからです!」


 親父……そんな堂々と言わんでも……。


「あ、でも、ついでに他のものも色々と買ってこようと思ってたから」


 今日セールなの、とチラシを手に微笑む美波さん。


「だとしたら荷物持ちが必要だろう? よし、やっぱり俺がついていくよ。というわけで救太郎、愛梨亜ちゃん、留守番よろしく」


 はいはい、行ってら行ってら。

 美波さんを連れ立ってルンルンと家を出ていく親父を見て伊波が言う。


「めっちゃ楽しそうだね徳太さん」


「まあ、新婚だから。なるべく二人の時間も作ってやるようにしなきゃな」


 そだね、と伊波。


「んじゃとりあえず、あんたはこっちを手伝って」


「え? 俺もなんかさせられるの?」


「当たり前っしょ。働かない奴に食わせる唐揚げはねえぞ。どうせ暇っしょ?」


 まあ確かに暇だし。親二人は買い物、伊波をキッチンで働かせて自分はリビングでダラダラ……なんてことを平然とできるほど、俺は厚かましくはないつもりだ。

 じゃ、お味噌汁も作るんで。と伊波がてきぱきと準備を進める。俺はとりあえずキッチンにやってきたものの、なんとなく居場所がない。


 これ入れっから切ってと渡されたナスをさばきにかかるが、包丁の持ち方が危ねえとかナスの抑え方が危ねえとかですぐに取り上げられてしまった。

 ちょっと見てらんねえと言う伊波の顔がわりに真剣だったので、俺はしおらしく「すまん……」と言うほかない。


「マジであんま料理しなかったのな。ぶっちゃけ、包丁握った瞬間にこれダメだと思ったわ。グーで握るか普通」


「と、とりあえず食えればいいかな程度で今まで作ってたから……。あとそもそも、買った方が早えし楽だし美味えと思って、外食とかも多かった」


「それはまあいいけどさ。もうちょい料理できた方がよくね? まあこれからちょっとずつ教えてやるよ。出来ねえ出来ねえっつって、いつまでも手伝いしないでいられてもムカつくし」


 これから……か。

 改めて認識する。これから俺たちは一緒の家で暮らすんだよな。


 冷静になって不思議な気分だ。伊波愛梨亜は高校のクラスメイトで、気が合わねえと思っていた女子生徒だ。そんな奴が、今は俺の家族だという。

 急に遠い目をした俺を訝しんでか、伊波が「どしたん?」と聞いてくる。


「ああ、いや……。まあその、なに。改めてだけどさ、これから、よろしくってことで」


 どうにも上手く口から出てこず、詰まりながらの俺の言葉を伊波は味噌汁の具材を切り分けながら聞き、「ああ、よろしくー」とふわっとした調子で返してきた。軽い奴め……こっちはちょっとした感慨に耽ってるってのに。


「まあ、言うて大事なのはまだまだこれからだかんね。あんたに少しでも怪しい気配があれば、きっとあの二人はまた考えちゃうよ」


「分かってるよその辺は。気は抜かない」


「つってもあれか。最悪あんたが高校を卒業するまで粘ればいいから、あと二年くらいか」


 どういうことだ? と一瞬考えた俺の表情を見逃さなかった伊波は聞いてきた。


「家出ないん? あんたなら、東京とかの頭いい系大学に行くと思ってたけど」


「ああなるほど。……正直、まだ進路のことはあんまり考えてねえんだ」


 でもまあ、そうか。多分俺は大学進学を機に家を出るんだろう。家族が増えた今ならなおさらだ。


「いい感じに仲良く。でも適度な距離感は保って……って感じか。頭で人間関係考えっと難しいな」


「ま、適当にいい感じでいいっしょ」


 伊波がまさしく適当に返してきた。その間も調理の手は止まらない。味噌汁のいい匂いがしてきた。


 完全に手持無沙汰になり、かといって伊波が怖いのでリビングの方にも戻れない俺は冷蔵庫にもたれてその作業を見守る。上手いとか下手とか以前に、本当に慣れた手つきだ。何年も何年も同様の所作を繰り返し行うことで身につく技術ってやつ。

 暫しそのまま見ていると、思い出したように伊波が口を開く。


「そういやさ、苗字どうなったか知ってる?」


「え? あーそういえば聞いてねえな」


 なんで急にそんなことを聞く?


「…………え? 有明じゃねえの?」


「違うっぽいよ。伊波にしたんだってさ。だからあんたは今、伊波救太郎なんだよ。ウケる」


「オイあの親父! なんでそんな肝心なことを言いやがらねえんだ!?」


 名前変わるとか、めっちゃ大事なことだろうが。アホ!


「割とギリまでは有明にしようとしてたっぽいよ。でもあたしが反対した」


「なんで? そんなに有明が嫌か?」


「ちっげーよ。ホラ、あたしの名前、愛梨亜でしょ。有明と合わせると……」


「……ああ。納得だ」


 有明愛梨亜。


 ありあけ、ありあ。


 なるほどこれはちょっと……「ノリで決めちゃったぜイェーイ」みたいな空気がしなくもない名前だ。野比のび太方式。これはまあ、回避したいと思うのも無理はないだろう。


「ちなみに言うと、あたしの方が姉だから」


「え、嘘。俺五月生まれだぞ?」


「その辺りはお母さんに聞いてチェック済みなんだなこれが。ちなみにあたしは四月生まれ。というわけでよろしくな弟」


 にっと笑いながら姉に逆らったら殺すからな、と付け加える伊波。これが暴君というやつだろうか。

 有明救太郎、もとい伊波救太郎。誕生日一ヶ月違いの姉ができた。新たな家庭内ヒエラルキーはおそらく最下位になりそうだ。

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