第7話 みるみる立派な伊波愛梨亜
俺の新しい生活が始まった。
伊波と(今は俺も伊波だが)改めて取り交わした決め事は三つ。
一つ、家族円満。
二つ、しかし適度な距離感。
三つ、学校の連中にはバレたらアカン。
この三箇条を絶対とし、目標はの高校卒業。恐らくは俺が家を出るまでの約二年に渡り、俺たちは共同戦線を張ることとなる。
俺の苗字の件に関してはさすがに親父も気を使ってくれたらしく。
「学校には言っといたから。今まで通り有明で大丈夫だぞ。教師間でも一部の先生以外には伝えないようによくよくお願いしといたから、そこは安心してくれ」
とのこと。
そうなれば一番気をつけなければならないのは、同じ家に帰るところを見られること(伊波曰く現行犯逮捕!)だが、そもそも俺と伊波は登下校の時間帯がまるで違っていたし、帰るときは高校から真っすぐ岐路につく俺に対し、伊波はどこかしらに寄ってから帰宅しているようなので、最低限気を付ければ問題だろう。
家での生活はというと、これまた意外なほどに問題がない。伊波から時折入る俺の雑な生活に対する厳しい注意があるくらい。あいつはあの見た目からは想像もつかないくらい家庭的だ。友達間で「オカン」とかあだ名されちゃいそうなタイプ。
「私が外で働いてたから、昔から家のことは愛梨亜がやってくれてたの。本当にあの子には助けられててね」
と美波さん。美波さん自身も決して家事ができないというタイプではないのだが(というか俺から見れば十分すぎるくらい十分)、伊波はそれ以上に家事スキルが高い。素直に尊敬できる。俺も親父が仕事をしてる間、家のことはやってきたつもりだったんだけど……この差は一体どこから発生しているんだ?
親父はもちろんのこと、美波さんも会社員として働いている。いずれはパートタイムに切り替えるつもりとのことだが、業務の都合上、しばらくはフルタイムの勤務が続くらしい。
伊波は帰りがやや遅いので、基本的には放課後暇人の俺が一番に帰宅することとなる。郵便受けのチェックが日課となりかけているところだ。あ、ピザのチラシ。美味そうだな。
でも美波さんと伊波の作る飯の方が、外食よりも美味いと思う。味の良さもさることながら、俺にとっては実質生まれて初めて味わう家庭料理だ。いくら食べても飽きない。し、感慨深い。
俺と親父があまりにも有難がって飯を食うので、最初は「そんなに喜んでもらえると作り甲斐があるわあ」「ちょっとオーバーじゃない?」と照れながらも嬉しそうにしてくれたが、いつまで経っても感動が薄まらないので、最近の伊波はやや引き気味に見ている気がする。美波さんは変わらず嬉しそうだが。
だけど、本当に美味いんだから仕方がない。俺はどうにも料理の才能に恵まれなかったので、人に出せる飯を作れる人はそれだけで尊敬の対象だ。
鞄を適当に放り投げて帰宅後の一杯を飲む。そろそろ熱くなってきた今日この頃。キンキンに冷えた冷水がたまらない。
ソファに寝そべってスマホをいじっているうち、どうやら俺は居眠りをしてしまったらしい。ガチャリ、と玄関ドアが開く音を半寝で聞き、俺は覚醒する。気が付くとすっかり日が落ちていた。
リビングの扉を開けて帰ってきたのは伊波だ。
「ただーま」
「おわああ……えり」
あくびが混じった。
「のんきねえ……。鞄くらい部屋に入れてきなよ。あ、おい飲んだコップは」
「すみませんすみません、洗います」
ササっとキッチンへ移動し、帰宅後に飲んでそのままにしておいたコップを片付けにかかる。まだ数週間しか経ってないのにすっかり格付けが済んでいる。
キュッキュとコップを洗っていると、伊波が「ふぃー疲れたー」と言いながら戻ってきた。部屋着に着替えている。正直足を出しすぎだと思うが、極力視界に入れないようにしてやり過ごしている。
「今日は遅かったな」
「まーね。ありがたいことにお客さんが沢山来てくれて。残業よ残業。その分お金入るからいいんだけどさ」
「あれ、お前、バイトしてたの?」
「知らんかったん? 言ってなかったけ? そーよ、しがないバイト戦士よ。自分の食い扶持は自分で稼がんとね」
そう言いながら流行りの曲を口ずさむ伊波。
「お前……。立派な奴だなあ……」
「何その感想、ウケる。……まあ、うちはぶっちゃけあんまお金なかったし、頑張ってるお母さんを見てたからさ。あたしもボーっとしてらんねえなって。欲しいもんもあったし、美味しいもんも食べたいじゃん」
「俺は……バイトなんて考えもしなかったな……」
「あんたの場合は必要ないっしょ」
「まあ、お金の心配は正直したことがない。だからその分、勉強はしたなあ。親父に余計な心配かけたくなかったから。成績さえよければ学校はなんも言わねえからな」
そっか、と呟く伊波。
「ま、お互い色々あったってことで!」
おつおつ! と言いながら伊波は俺の背中を叩いてくる。びっくりして思わず払いのけてしまった。
「っと、悪い……。痛かった?」
「いや、こっちのほうこそすまん。びっくりして思わず」
ははっ、コミュ障じゃんと笑う伊波。
「……お。お母さん今会社出たって。あたしも今日は帰ってくんの遅かったし、今夜は総菜パーリナイよ。帰りがけに買ってくるから、ご飯だけ炊いといてってさ」
「あ、じゃあ俺がやっとく」
「その言葉、待っていたぞ」
んじゃお風呂入ってくるわー。ご飯頼むねと言い残して伊波は出ていった。
さて、気合入れて米をとがなきゃな。なんだか無性に米をとぎたい気分だ。一粒一粒丁寧にといで炊いたほかほかの飯を山盛りにして、みんなで食卓を囲みたい気分だ。
気合を入れてシャカシャカと米をとぎ、炊飯器にセットする。中々手際が良くなってきたと思ったが、風呂上がりの伊波に流しに落ちている米粒たちを指摘された。
「もったいないオバケにしばかれるぞ」
どうやらまだまだ修行が足りないらしい。というか久しぶりに聞いたなもったいないオバケ。
食後の団欒を済ませた真夜中。俺は自室のベッドの上で寝転びながら本を読んで就寝前の時間を過ごしていた。
どちらかというと夜更かしなタイプなのでギリギリまでゲームやパソコンを触ってしまうが、画面の光は著しく睡眠の質を下げる。
寝る前一時間程度は電子機器の画面を見ない方が効率よく睡眠がとれ、短い時間でも疲れが取れる。つまり一日を長く使えるようになるのだ。
それに気がついてからはこの時間を読書に充てることにしている。
そんな俺の優雅なひとときに、とすんとすんと天井に響く足跡が割り込んでくる。
有明家はリビングダイニングキッチンに、部屋が4つついている構造になっている。一階にリビングと一部屋。二階に残りの三部屋だ。
二階にある部屋はそれぞれ親父と美波さんの部屋、伊波の部屋、そして半物置として使われている。あぶれた俺はというと、一階の部屋に居を構えていた。
最初は俺も二階にと思っていたが、残りの部屋(つまり今物置になっている部屋)がやや狭く、伊波と隣部屋だったのだ。
それはちょっとな……と思ったので、一階の部屋を使うことにした。なので俺は有明家の二階に上がることが滅多にない。
またどんどんと足音だ。位置関係的に、俺の部屋の真上は伊波の部屋になる。
……それにしてもちょっとうるさいな。何やってんだあいつは? 明日も学校があるし、そもそもそんなバタバタ物音を立てていい時間じゃない。親父と伊波さんはもう寝ているはずだ。二人が起きたらどうすんだ。
業を煮やした俺は己のルーティンに逆らって携帯を開くと、「おい、うるさいぞ」と伊波に注意のメッセージを送りつけた。
見られなければ意味がないのだが、確か伊波はメッセージ着信時に音を鳴らして知らせるような設定にしていたはずだ。あいつが俺をブロックとかミュートしてない限り、多分気づいてくれるだろう。
……ブロックされてないよな?
胸中を一抹の不安がよぎったが、すぐにメッセージに既読がついたので俺はほっと胸を撫で下ろした。これで一安心。ぶつくさ文句を言われるかもしれないが、決して非常識ではないあいつのことだ。これで静かになるだろう。
そう思って俺は部屋の電気を消して寝に入ることにする。
……と、同時に部屋の扉がトントントトトンと控えめに激しくノックされた。
「起きてる? まだ起きてるよな?」
扉の向こうから伊波の声がする。なんだか焦ってるように聞こえるのは俺の気のせいだろうか。
「起きてるけど……こんな時間に何の用だ?」
そう返すが早いが、バーンと扉が開けられた。胸元緩めのTシャツに太ももの大部分が露出した短パン。どうにも目のやり場に困る寝巻き姿の伊波がそこに立っていた。
伊波は不思議なほどに無表情だったが、変に汗をかいていた。
「な、なんだ? どうした?」
「お願いお願いお願い。何も言わずにいったんあたしの部屋に来て」
「なっ、なっ、なっ、なんで。どどどういうつもりだ?」
「どうもこうもないから。早く、来て、マジで」
そしてパシッと俺の手を取ると、そのままズイズイと俺を引っ張って二階の部屋まで引きずっていった。
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