第5話 同居一日目。尻に敷かれ始める。
そこからの日々は、わりにサクサクと進んだ。
定期的に伊波親子と会っては交流をしていく。そこでも俺と伊波はボロを出さないよう、お互いに気を配りながら会話をしていた。
「お互いに情報共有は必要でしょ」
一回目の会食の帰り際、そう言って伊波はスマホを振った。
最初俺は伊波が何をしようとしているのかが分からず、ボケっとそれを見つめていた。
ここ最近は誰かと連絡先を交換する機会なんてまるでなかったし、そもそも伊波は、当たり前の話だが女子だ。同学年女子の連絡先なんて自分とは縁遠いものだと思っていたので、自分でもびっくりするくらいにその発想が出てこなかったのだ。
お前何してんだとでも言いたげな視線に対してそう弁明をすると、伊波はククっと笑った。
「もったいない。あんたなんか、普通にしてりゃそれこそ女子から人気出そうなもんだけど」
ほっとけ。……そういやこの前端場にも同じようなことを言われたな。
ともかく、こうして俺は伊波愛梨亜の連絡先を手に入れた。心なしか俺のスマホも喜んでいる気がする。ごめんな今までまともな使い方してやれなくて。
美波さんは第一印象通りの優しい人だった。しかし本人曰く、「昔は結構やんちゃしてたのよ」とのことだ。若くして第一子を妊娠し、そこから「しっかりしなきゃ!」と目覚めたんだとか。
「そこまでにならなきゃしっかりできなかったのよね。私、救太郎君や愛梨亜と違って、おバカな子供だったから」
恥ずかしそうに笑って言うが、むしろそこで変わろうと思って実際に変われたことは凄いことだと思う。やんちゃしていたとは言うものの、きっと子供の頃から変わらず優しくて真面目な人だったんだろう。
愛梨亜と仲良くしてあげてね。あの子、ああ見えて寂しがり屋だからという美波さん。俺なりにその顔色や声色に注意を払って聞いていたが、どうも心の底から言ってくれていると見える。
俺が何かしでかさないか等の心配はしていないようだ。ありがたいことではありつつ、この人素直すぎるんじゃないだろうかと少し心配にもなる。まあその辺は親父や伊波が上手くやってくれているんだろう。もちろん、俺の演技力がアカデミー賞受賞ものだったという可能性も無きにしもあらず。
そうしてひと月半が過ぎた頃、親父が少しソワソワしながら聞いてきた。
「あ、あのさ救太郎。ちょっといいか……?」
「中年がモジモジすんなよ……可愛くねえぞ……」
そう言うと、親父はオーバーに「あちゃーこいつは手厳しい」とのたまう。その反応もちと古臭いな。
少し真面目な声色に戻して、再度親父が言ってきた。
「それで……お前的にどうだ? 美波さんと、愛梨亜ちゃん。一緒に……やって、いけそうか?」
やっと来たか。おせえよ確認が。こっちは伊波親子に会う前からとっくに腹は決まってるっての。
内面では熱いガッツポーズをかましつつ、俺は普段通りの表情を装って言った。
「ああ、いいんじゃないか。あの二人となら上手くやっていけると思うよ」
「そ、そうか? 本当か? じゃあ、父さん……結婚しちゃうぞ?」
「おお、しろしろ。思う存分結婚しろよ。相手が美波さんなら大歓迎だ」
そう言うと親父はまた涙目になって「そうか……! そうか……!」と嬉しそうに繰り返した。
その後、伊波からスマホにメッセージが来ていた。
「お母さんから話あったよ。結婚するって」
軽そうな見た目とは違い、伊波からのメッセージはいつも淡泊だ。絵文字もスタンプも見たことがない。一周回ってこれが今時の若者なのか。それとも俺に対してだけなのか。
……後者の説が濃厚だな。
そんなことを思いつつ、「俺も今聞いた。とりあえずは第一目標達成だな」と返信をする。
うーん、伊波がどうこうの前に俺のメッセージがそもそも淡泊だな。もしかしたらこっちからの返信がこんなだから、伊波も同テンションで返してるのかもしれない。
俺は思い立って、適当なスタンプを送ってみた。犬が「やったね!」と喜んでいるやつだ。
一分後、伊波から「どうした? アカウント乗っ取られた?」と返信が来た。なるほどな、もう二度と使わない。
そこからもまた早かった。
親父と美波さんは「この時を! ずっと! 待ってたんだ!!」というテンションで爆速の婚姻届け提出。これで晴れて伊波家と有明家は戸籍上も家族になった。
そして翌々週にはもう新居に引っ越しをすることとなった。「ここで金を使わなくてどうするんだ!」と親父が思い切って購入したらしい。
いくらなんでもこれは流石に速すぎじゃないかと疑問に思って親父を問いただすと、一日でも早く家族みんなで暮らしたくて、知り合いに頼んでキープしてもらってたんだと恥ずかしそうに打ち明けられた。このオッサン、ウキウキである。
梅雨もそろそろ開け、夏の足音が聞こえてきそうな六月下旬に引っ越し作業が行われた。
大きな家具は業者が、細かなものは自分達で運ぶ。デザイン? レイアウト? 状態な俺と親父なので、基本的には女性陣の指示に従って家具を配置していく。
「それはそっち! あれはテレビの隣! 違う違う反対側だってば!」
食器類の荷ほどきをしつつリビングに居る男衆にビシビシと指示を飛ばす伊波はさながら現場監督だ。いささか厳しすぎるような気もするが、内容は的確で分かりやすく「やっぱそっちじゃなくてこっち!」みたいなこともない。案外指揮官に向いてるのかもしれない。
素直に感心したのでその旨を伝える。
「お前凄いな、迷いがない。こういうのって、見た瞬間にパッと思いつくもんなの?」
「は? んなワケないでしょ。事前に家の中も見てたし、図面も貰ってたから考えてきてたんよ。家具おいてからやっぱ微妙? ってなったら萎えるじゃん」
ごもっとも。でも、それがちゃんと分かってて事前準備できるのが偉いと思う。
「まあなんにせよ助かったよ。俺と親父じゃ適当に配置して、余ったのは隅に寄せて終わってたかもだからな」
「あー確かに前の有明んち見るとそんな感じするわ。ぶっちゃけ散らかってたもんね」
「まあ……ね。掃除は一応してたんだけど、いかんせん男二人暮らしだったからな……。自覚はしてた。でもあれが心地よかったりもした。お分かり?」
「分からんでもない。でもあたしはあの散らかり具合は我慢できない。あたしが家にいる以上は、あんなの許さないから」
「お、おう……」
「空き缶とかペットボトルはすぐ洗えよ、すぐに。放置したら殺すからな」
「善処する……」
新しい暮らし。なんだか尻に敷かれるような予感がする。
ひとしきり汗を流して働くと、夕方前には大体の引っ越し作業が終わった。朝からだから流石に疲れたな。
アイボリー系を基調にブラウンやグリーンでまとめた落ち着く感じのリビングに仕上がった。基本的には家具のセレクトも伊波が行ったとのことだったので、失礼な話ながらもっと派手になると思った。
親父が汗をぬぐいながら部屋を見渡し、満足そうに言う。
「いやーいい感じになったな! 愛梨亜ちゃんに任せて正解だったよ」
「いいっしょ。徳太さんが何でも好きなもの買っていいって言うから、気合入れて選んじゃった」
「愛梨亜はこういうセンスがいいのよね。私、服とかもいつも愛梨亜に任せちゃうもの」
へえ、そうなのか。
服のこととかはよく分からんけど、女性らしくまとめつつも肌見せ上等で眩しい、ともすれば視線のやり場に困りがちな伊波のファッションと、色合いもシルエットも全体的にふわりと柔らかい美波さんの服装とでは正反対な気がしたので意外だった。
「俺たちも愛梨亜ちゃんに服選んでもらうか。若い頃はそれなりに気を遣ってたつもりだったけど、最近は適当だからなあ……」
「任せていいなら助かるわ。俺もよく分かってないから、ぶっちゃけ毎回困ってんだ」
「そこまで言うなら任せてみろよ。んーと、あんたはね……。まあぶっちゃけなんでも似合う気がするけどな」
「あんま派手なのは嫌だぞ」
「分かってるよそんなの。あたしのはあたしが好きで着てるだけだから。舐めんな」
伊波がムッとした顔を作ったので、悪かったと素直に謝ってなだめる。
「徳太さんと救太郎君、沢山動いて疲れたでしょう? お風呂入っておいで」
そう言いながら美波さんはもう俺達の着替えとタオルの準備をしてくれていた。
「いいんですか? 新しい家の一番風呂もらっちゃって」
「もちろんだよ。だって二人とも汗びっしょりじゃない。早くしないと風邪ひいちゃうよ?」
「そうだぞ救太郎。お言葉に甘えて早く入ろう」
「ん? 待て二人同時に入るのか?」
「まあ風呂は一つしかないからな」
それはキツいだろ! エグいだろ絵面的に!
心の叫びを汲み取ったか、親父は「大丈夫だよ。結構広い風呂だから。二人くらい余裕だ」と言った。そういう問題じゃない。成熟した男が二人っきりで風呂に入るという構図に問題があると言っている。
だがしかし……すぐ風呂に入りたいのもまた事実。いやでもこの歳になって親父と風呂……? ああもたもたしてると背中が汗疹になっちまうかもしれない。
どうしようかな、どうしようかなとモタモタしていると、痺れを切らしたか伊波が鋭い声で言った。
「どーでもいいけど、入るならさっさと入んなよ。汗くせーぞ」
マジでちょっと嫌そうに顔をしかめる伊波を見て、俺は腹を決めた。
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