第19話 馬子にもなんとやら

「じゃあ、伊波……救太郎くんだね! メイクアップ担当させていただきます吉岡です。二十五歳のおとめ座。彼氏募集中よろしくね!」


 革張りの椅子に腰かけた俺は、ショートカットの女性から鏡越しにはつらつとした笑顔を向けられていた。そのギラギラっぷりに気圧され、「は、はあ……」と煮え切らない声を返す。


「今日のことはなんとなく聞いてるよ。お父さんとお母さんがある種中心の撮影だから、フォーマルな雰囲気では統一させてもらうけれど、でも救太郎くんと愛梨亜ちゃんはある程度は好きに……というか、個性を出してもいいと思うのね。折角の若者なんだしね!」


「あっ、そ、そっすね……」


「それでなんだけど、救太郎くんは普段どんな感じの格好が多いかな? 好きな感じのテイストでもいいけど! いつもは髪の毛とかどうしてる? がっちりセットはするタイプ? カラーは入れてないみたいだけど、巻いたりとか興味あるかな?」


「えっ? えっ? あの……」


 よく分からないことを立て続けに問いかけられて俺の頭は完全にショートしていた。口からは「あ、あぅ……」と言葉にならない声が漏れる。

 ほんのりと後悔の念が胸を掠めた時、救世主が横からにゅっと登場した。


「あーダメっすダメっす。キュウってば、ファッションとかおしゃれとかそっち方面のこと全然ダメなんで」


「え~そうなんだもったいない! せっかくイケメンで背も高くて、髪の毛だって……ちょっとボサボサだけど、クセがないからいくらでもアレンジし放題なのに。私がキュウくんだったら毎日オシャレ三昧してたかも。それで色んな女の子引っかけてたかも」


「そっすよね~、あたしもそう思うっす。せっかくの素材を全然生かす気ないんすよコイツ。冒涜ですよ冒涜。刺されても文句言えないっす。そんでなんですけど、あたし的にはキュウには――」


 なんだか恐ろしい会話が繰り広げられているな……。というか、吉岡さんが流れるようにキュウ呼びに移行している。

 女子二人がきゃいきゃいと楽しそうなにトークを繰り広げる最中で、俺はじっと身を小さくして存在感を消していた。愛梨亜の言う通り、こういう方面の知識量はゼロ以下なので、大人しく任せたほうが上手くいくだろう。


 あれやこれや議論を重ねていたが、どうやら話がまとまった様子。吉岡さんが「おっけー、任せて!」とサムズアップして愛梨亜を送り出した。


「さーて、それじゃあやりますか! 私にどーんと任せといてね!」


「お、お手柔らかにお願いします」


 そこからはもうなすがままだった。顔に何かを塗られ、髪の毛をわさわさふわりといじられる。「すこーしだけ遊んでみよっか」と、髪の毛を巻かれたりした。

 毎朝愛梨亜が丹念にやっているのを見てはいたが、こんな器具で本当にくるりとなるもんだ。「お風呂に入って頭洗えば、簡単にもとに戻るからね」と言われて一安心。


「うん……うん……。これでよしと! どうかな? そこまでいじってるわけじゃないけれど、結構印象変わるでしょ?」


 確かにそう。鏡の中にいる俺は、普段見る姿よりも幾分かビシっとして見える。自分で味わうと、やっぱりメイクの力ってすげーな。気合入れれば詐欺レベルまでやれるのも納得だ。


「さーてお次は衣装選びだね。……と言っても、もうこっちで愛梨亜ちゃんと一緒に選んじゃったんだけど」


「全然大丈夫です。愛梨亜も言ってた通り、俺服とか全然分からないんで。むしろビシッと決めてもらったほうが助かります」


 そうかい? とにっこり笑って吉岡さんは俺を更衣スペースへ案内する。そこでモスグリーンのジャケットセットと、清潔感のある白シャツを手渡される。


「手に持ってみると……結構派手っすねえ……」


「あはは。まあ確かにカーキ系では割と明るめだし、慣れてないとそう思っちゃうかもね。でも着てみたら意外とそうでもないんだよ。カジュアルなカラーだけど、かっちりした感じのセットだからちゃんと着れば決まると思うんだ。キュウくんは背も高いし肩幅もあるから、ジャケットが映えるよ~」


 そーっすかねえ、と吉岡さんに乗せられつつ用意された衣服に袖を通す。パリっとした触感で身が引き締まる。うーん、確かに着てみると……大丈夫……か? まあ、ドレスとタキシードの横に並ぶんだからこのくらいは必要か。


 シャッと更衣室のカーテンを開けてチェックをしてもらう。吉岡さんは俺の頭のてっぺんからつま先までをふんふんとじっくり見まわし、髪の毛の微調整などを行った。


「おっけおっけ。うん、カッコいいよ。じゃあこのネクタイをして、ジャケットの前はきっちり締めて……そうそう。よし、完璧だ! やっぱり素材が良いと映えるね!」


「そ、そうですかね? 色々とありがとうございます」


 いえいえそれが仕事なのでとぶんぶん手を振る吉岡さん。ありがとうございますと礼を言って俺はスタジオに向かう。愛梨亜は……もう少しかかるみたいだな。

 親父と美波さんの撮影は一段落した模様で、二人は椅子に座ってお茶を飲みつつ休憩をしていた。やって来た俺の姿を認めた美波さんが手を振る。


「わー救太郎くんカッコいい! 準備万端だね!」


「中々イカしてるじゃないか。さすがは父さんの息子だ。父さんのほうが少しだけ男前だけどな」


「こんなところで対抗心を燃やすなよ。ところで、二人の撮影はどうだったんだ?」


 問いへの答えはなかったが……うん、とろとろに溶けた二人の笑顔を見ればなんとなく分かった。満足してくれたなら何より。今日この場を設けた甲斐があるってもんだ。出来上がった写真を見るのが少しだけ怖くなってきたような気がしないでもないが。


「救太郎くんも、もちろん立岡さんに写真送るんでしょ? ますます好きになっちゃうんじゃないかな?」


「え? あ、あーそうですね。一応……見せとこうかな。ちょっと恥ずかしいけど……」


 危ない危ない。そういえばそういう設定になっていたんだった。急に立岡の名前を出されたもんだからびっくりして固まっちゃったよ。

 さてと、と美波さんはスカートについたちょっとしたゴミをぱたぱたと払いつつ、立ち上がって言った。


「愛梨亜はもう少しかかるみたいね。私、ちょっとお手洗いに行こうかな」


「お、じゃあ父さんも少しお花を摘みに……。愛梨亜ちゃんの準備が終わったら家族みんなで撮影だな」


 それじゃあまたあとで、と去っていく親父達を見送る。さて、俺は得意の留守番だ。鞄には文庫本が忍ばせてあったはず……なんだけど、今鞄は貴重品用のロッカーに放り込んである。そのためだけに取り出すのはめんどいし……ということでスマホをポチポチし始めて間もなく。


「ごっめーん、遅くなっちった!」


 明るい声がスタジオに響く。


 やっとお出ましかと顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、陽だまり色のワンピースドレスに身を包んだ愛梨亜だった。


 ドレスの裾と共に、腰部分に巻かれたリボンがふわりと優雅に揺れる。派手なピンクゴールドの巻き髪は、何をどうやったのか今は編み込みと共に艶やかにまとめられている。滑らかに仕上げられた髪に照明があたり、プリズムのような不思議な輝きを放っていた。


 顔つきもなんだかいつもの愛梨亜とは違う気がする。普段はもっとこう、パッション全開って感じだけど、今はフレッシュな中にもお淑やかさがある……ような印象だ。


 ……というか、これは本当に愛梨亜か? 実は別人なのでは? この人の影に隠れた後ろに、いつもの愛梨亜がいるのでは――?


「なーにボケッとしてんだ?」


 愛梨亜だった。


 俺は慌てて居住まいを正す。


「い、いや、なんでもない。一瞬別人かと思ったから、驚いただけだ」


 愛梨亜は「へ?」とキョトンとした顔を見せるが、すぐに何かを理解した模様で、にまーっとした笑いをゆっくりと顔全体に行き渡らせた。


「なーにっ? ひょっとして、あたしに見惚れちゃったわけ? なんだなんだ! 可愛いとこあんじゃんキュウにも!」


 随分楽しそうな様子に、好きに解釈してくれ……と返すと、愛梨亜はヘヘッと得意げに笑った。


「それより、キュウも中々いいじゃん。普段からそんくらいちゃんとしてれば良いのに」


「冗談きついぜ……。毎朝こんなことやってたら、俺は何時に起きればいいんだよ」


「それを日本の女子はみんなやってんの。少しはその苦労を味わえばいいんだ」


 愛梨亜はベーっと舌を出す。そのままくるっと裾をはためかせてターンを決めると、セットの方へ弾む足取りで歩き始めた。


「なんかあいつ、テンション高いな……」


「そりゃそーでしょ! こんなにオシャレしてキメてるんだもん。おまけにこれからここで撮影だよ? テンションぶち上げでしょ!」


 ぼそっと呟いた言葉はしっかり愛梨亜の耳に入っていたようで、またくるりとこちらを振り向いて言われた。


「キュウはテンション上がんないの? そんなバチバチに決まってるのに? 信じらんねえ」


「俺は……よく分かんねえからなあ。似合ってると言ってもらえはしたけど、実感ねえんだよ。写真撮られるのも苦手だしな。愛梨亜みたいに上手いこと表情とかポーズを作れねえ」


「き、に、し、す、ぎなんだよキュウは。実感もクソもないし、自分最高! って思っとけばいいの。それが難しければ、ただ単に周りの人の言葉を信じておけばいいんだよ。キュウはあたしとか吉岡さんの『似合ってる』よりも、自分の『似合ってない』を信じるわけ? なんで? センスないくせに?」


「ぐっ……」


 おいおい、ぐうの音も出ねえよ。完全に論破されてしまった。


「た、確かにそうだ。言われてみればおかしいよな。自分で自分のセンスは信用ならんとか言っといて、自己評価は自分の感覚を優先するなんてな。俺が間違ってた。矛盾してるよ」


 愛梨亜は鼻をフンと鳴らして「やっと分かったか」とでも言いたげな表情を作る。


「そうそう。あたしを信じればいいのよ。あんた今すごい似合ってるよ」


「そ、そうか……?」


「ほんとほんと。超カッコいいって。かっこよさ偏差値六十は固いね」


 うーんなるほど地方国立レベル。間違いなく良い。しかし飛び抜けているわけではない。そのリアリティのある評価が、却って信頼性を産んでいる。ような気がする。

 愛梨亜はハァーと深いため息をつく。


「いつまでもしみったれた顔してんなって。吉岡さん泣くぞ? せっかくカッコよくしてくれたのに。ほら、こっち来てみろって」


 そう言って俺の腕を引っ掴むと、ぐいぐいセットの方へ向けて引っ張っていく。

 ヨーロッパの街並みを思わせる石畳の上。愛梨亜はそこに飛び乗ると、くるくると器用にターンを決めてみせた。その軌道を、スカートの裾が追う。キラキラ輝く瞳の軌跡は彗星のようだ。


「どうよ?」


 腰に手を当てて胸を逸らし、優美な曲線を見せて愛梨亜は言い放った。


「さすがだな。完璧に決まってるぜ」


「そーだろそーだろ。その完璧に決まってるあたしが言うんだから間違いない。キュウもマジでイケてるって。さあ早くここ立って、そんで背筋を伸ばして胸を張る! 足の角度はこんな感じで……もっと左足を内に……キツい? んなもん我慢すんだよ。おしゃれ舐めんな」


 スパルタおしゃれ番長の熱いポージング指導を受け、俺はプルプルしながらも言われた通りに身体を維持する。

 愛梨亜は一歩下がって、


「よし、いい感じ!」


 と言って、自前のスマホでパシャリと撮影した。

 そのまま写真の出来栄えを確認し……、


「おっ、おお……。まあ、いいんじゃね? うん」


「本当かよ……。めちゃくちゃ微妙な反応じゃねえか」


 訝しむ俺に、愛梨亜は「ん!」とスマホを画面を見せつけてくる。

 おお、シルエットはなかなかサマになってるじゃんか。シルエットは……。


「お、俺……こんな顔してたのか……?」


「ぷっ……くくっ……マジ……! 顔……! 必死で……ウケる……!」


 笑うな笑うな。こっちは姿勢維持に全力を注いでいたんだぞ。そらこんな鬼のように引きつった笑みにもなるだろ。


「なに、そんなにキツかったの?」


「そりゃもうな。普段使わないところの筋肉をフル活用したわ」


「だとしたら、いつものキュウの姿勢が悪いってことだよ。もっとちゃんと胸張って、腰と背中は立てな。せっかく背が高いのにもったいねえ。徳太さん泣くぞ」


 こんな感じ? キュウの顔、と愛梨亜は大胆に表情を歪めて俺の顔真似を始めた。だいぶ誇張されているような気がしないでもないが、それでも振り切った愛梨亜の変顔に思わず吹き出してしまう。


「お前っ……いくらなんでもそこまで酷くはねえだろ?」


「いやいや、マジでこんなのよ? 自分じゃ分かんないのよ」


「愛梨亜……今のお前の顔、結構ヤバいぞ」


「そりゃあんたの顔真似してるからでしょうが!」


 バシンと肩を叩かれると同時に「おーい二人とも、待たせたな」と親父の声がした。大人二人組もようやく合流だ。


「すまんすまん、ちょっとそこでカメラマンさんと話し込んじゃっててな」


「二人ともお待たせ。でも、なんか楽しそうだったね? 何話してたの?」


「いや、それがね、キュウがさ――」


 と言いつつ愛梨亜はすかさずスマホを取り出そうとする。俺の写真を公開するつもりか。

 そうは行くかと、愛梨亜の動きを阻止しようとして軽くもみ合いになる。


 高校二年生としてはいささか幼稚なやりとりだったとは思うが、親父と美波さんはその様子を見て、微笑ましそうな表情を浮かべていた。

 

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