第3話 親父のために協定を
我が家のリビングテーブルに伊波親子と向かい合わせになって座ると、俺はいよいよ状況が理解できなくなってきた。
そんな俺の戸惑いを緊張と読み取ったか、美波さんが優しく声をかけてくれる。
「ごめんね、いきなり押しかけたりして。でも、私たちに気を使わなくてもいいからね」
「あっ、そう……っすね。はい、わかりました。でも緊張してるのはいつも通りなんで、大丈夫です」
そう? と言って美波さんは柔らかく笑う。笑顔の似合う優し気な女性だ。包容力という概念が形を持ったら、きっとこんな姿をしているのだろう。
それに、女性にこんなことを言うのは失礼かもしれないけど、美波さんはめちゃくちゃ若く見える。ぶっちゃけ年齢を知らずに出会っていたら二十五、六歳くらいだと思っていたと思う。こりゃ親父が甘えちゃうのも仕方ないな。俺の想像の中の親父だけど。
とにかく、問題になっているのは今のこの状況だ。
まあ考えるまでもなく簡単な話でもある。親父が再婚を考えていたのは、俺と同じクラスの伊波愛梨亜の母親である伊波美波さんであり、今日は挨拶として、親子二人で有明家にやってきた。だから今こうして伊波愛梨亜は俺の前に澄ました顔をして座っている。
もし今初めてこの事実を知ったのならば、もう少し顔に驚きの色が表れても良いはずだ。今の俺みたいに。
だけど、今伊波は平然として俺の前に座っている。彼女が期待の大女優であるという可能性もまあないわけではないが、恐らく伊波は事前にこのことを知っていたと見るのが良いだろう。
でも、だとしたらなおさら……こいつが何を考えているのか分からない。
いやそもそも、親父や美波さんはこのことを把握してるんだろうか?
「……なあ親父。親父は、伊波……愛梨亜、さんが、どこの高校通ってるかとかって知ってるのか?」
「いや、聞いてないから知らないな。今のご時世、俺みたいなオッサンが女子高生に根掘り葉掘り質問すると、色んな問題があるのよ」
なるほど。まあそれは、分からんでもない。
うーんと考え込むと、伊波が突如立ち上がった。
「すみません、ちょっとお手洗い借りてもいい?」
「ああ。トイレなら、リビングを出て左手に真っすぐ進んだ奥の突き当たりだよ」
親父が教えると、伊波は「ありがとう徳太さん」と言って出ていく。その時、何かを訴えるかのように俺と視線を合わせると、顔を見ていた俺だけが分かるくらいのかすかな顔の動きで、廊下の方向を指し示して見せた。……ような気がした。
これはあれか? 俗に言う呼び出し? フィクションの世界ではよく体育館裏を指定されているけど、まさか自宅でそんなことが起こりうる? ……まさかねえ。
そうは思いつつも捨て置く気にもなれず、俺は「スマホの充電が切れそう」と適当に言い訳をして部屋を出た。
……いた。
伊波愛梨亜が、廊下の奥で俺を待っていた。丁度いい。色々と俺も確認させてもらいたいことがある。
「おいどういうつもりだ。お前はこのことを知っていたのか? 親父達にはなんて言って誤魔化したんだ? それにこんな風にこそこそと呼び出したりして、何が狙いだ?」
とでも言ってやろうとしたのだが、近づくと同時に伊波に胸倉を手荒くひっ掴まれてグッと顔を寄せられたもんだから、口が全く回らなくなってしまった。
「あんたには悪いけど、あたしはお母さんと徳太さんの結婚を全力で応援するから。だから、絶対に邪魔しないで」
囁くような声量。だけどドスも効いていて、驚くほど迫力のある声色だった。俺はすっかり面食らってしまった。
こうして並んでみると、伊波は女子としては中々に高身長だ。百七十八センチある俺とはさすがに頭一つ分の差があるが、それでも百六十後半はあるだろう。
下からグッと睨んでくる伊波の顔。化粧のせいもあるが、やはり目力が強くてどうしても気圧されてしまう。このような状況下でも、意外なほどに優しい柔軟剤のナチュラルな香りが気になってしまう。
「じゃ、邪魔って、どういうことだよ」
ようやく言い返すと、伊波はフンと鼻を鳴らしてとりあえずは俺を開放した。
「あたしはね。お母さんには幸せになってもらいたいの。というか、あんなに可愛くて優しい人は、幸せにならなくちゃいけないの。徳太さんと結婚すれば、お母さんは絶対に幸せになれる。だからあたしは何としてもこの話を上手くいかせなきゃいけないわけよ。分かる?」
いつまでもあたしの世話ばっかりしてる場合じゃないんだよお母さんはと歯噛みしながら言う伊波。決して大きな声ではなかったが、その言葉は驚くほどにスッと俺の中に入ってくる。
そうか。こいつもお母さんと二人でずっと暮らしてきたんだもんな。その点は俺と同じか。
「俺だってこの話は絶対に上手くいかせたい。邪魔なんてするつもりもない。仕事もクソ忙しいのに、男手一つでここまで育ててくれた親父には感謝しかない。考えてることは、多分お前とそう変わらない」
伊波は顔を挙げて俺を見る。その目に宿っていた敵意が僅かながら薄らいだ気がしたのは俺の願望によるものだろうか。
「じゃあ……あたしと有明の目的は同じってことね」
「ああ。癪だがここは協力といこう」
利害は一致した。有明救太郎と伊波愛梨亜は、これより共同戦線を張ることとなる。
「とは言いつつ、目下障害があるとすれば俺達二人のこと以外にないんだよな多分」
「俺達というか、有明ね。まあ、お母さんも徳太さんもあたし達が同じ高校だってことは正直想定外だと思うわ」
あ、そうそう。そこなんだよ。
当初抱いていた疑問がまたここで沸々と湧き上がってきた。
「そういえばさ。よくここまで高校のことを隠し通してきたよな。親父はああ言ってたたけどさ。美波さんの口から言っちゃうこともありそうじゃん。ましてや再婚しようとしてる二人だろ。互いの子供の話になってもおかしくないと思うんだけどな」
「ん? ああ~それは多分……あたしが、お母さんに口止めしたから……」
どういうことだ?
俺は視線でその先を促した。
「お母さんと徳太さんが付き合い始める前……あたしが中三の頃かな。お母さんがちょっと体調崩しちゃって、かかった病院で担当してくれたのが徳太さんだったの。よくしてくれるお医者さんだなーと思ってたけど、高校に上がってびっくりしたわ。思いっきりその息子が廊下歩いてるんだもんな」
「なんで俺が父さんの息子だって分かったんだよ。そら苗字は同じだけどさ。それに、一年の時は俺とお前、面識なかったはずだぞ」
「有明ってそんなに多い苗字じゃないでしょ。それに顔も似てるし。ぶっちゃけすぐ分かったわ」
え、そうなの? そんなに似てるのか……? 俺が、親父と……?
これは微妙なラインだ。自己判断では、六対四で嬉しくない。
「それにあたしはあんたのこと知っていたよ。女子の間では有名人だったし。色んな噂も流れてくるしさ」
「あーなるほどね……。お楽しみいただけてるようで何よりだ」
ため息交じりに言うと、伊波は「入学したての頃はむしろ良い方向で噂されてたんだぜ。気づけば悪口しか流れてこなくなったけどな」と返した。まあこの件に関してはもうそこまで気にしてないからいい。
「で、二人がなんかいい雰囲気になって、これひょっとしたら付き合うかもな? と思ったタイミングでお母さんに言ったんだよ。成績悪くて恥ずかしいから、あたしの高校の話はしないでってさ」
あたし達が同い年ってだけでもちょっとマズいかなって感じなのに、同じ高校だったらなおさら問題だと思われるかもでしょ。と伊波。
その機転に、俺は素直に感心した。
「へえ、やるな。鼻が効くんだなきっと」
「いや割と鼻炎気味」
そういう意味じゃねえよ。
「でも徳太さんから色々と聞かれなかったのは単なる偶然。あたしのこともそうだけど、有明のこともそこまで詳しくは話さなかったみたいだし。まあそこはラッキーが重なったって感じよ。これ、流れマジ来てる」
確かに、親父もあまり人に対して俺の話はしない。
前に気になって一度聞いてみた時は「オッサンの自慢話を聞きてえ人なんて、そうそういるもんじゃねえからな」と言っていた。俺の話がイコール自慢話になるんだなと思って、言われた時は結構嬉しかったりしたもんだ。
「でもよ、さすがにこのまま隠し通すわけにはいかないだろ。必ずバレる。ここらで自然にカミングアウトしておく方がいいじゃないか?」
「まあそれは確かにそうなんだけど……。でも、自然ってどんな感じによ?」
「うちの高校だって、別に小さい学校ってわけじゃないだろ。同学年の顔を全員覚えてるなんて奴の方が少ない。だったら、『同じ学校だったんだけど全然気が付かなかったわー』くらいでいいんじゃないか」
「何そのバカっぽい言い訳」
うるせ。
「仮だよ仮。こういうのは言い方次第だ。それに、こういうのはあっけらかんとした感じで言ったほうが、やましいこともないように見えるもんだろ」
「まあそれはあるね。っていうか、やましいことあんの?」
「ねえよ。いちいち茶々を入れんな」
伊波は「まあその作戦で攻めるしかないか……」と呟くと、スタスタとリビングへ向けて歩き出した。
「えっ、もう行くのか?」
「もうって、あたしら結構ここで話し込んでるけど、あんま長くなると怪しいでしょうが。やると決めたらさっさと行くよ」
ほら、着いてこいと親指でリビングの方を指し示す伊波。その様は俺なんかよりもずっと男らしい。
まだどんな感じでカミングアウトするか練り切れてないけれど、伊波がずんずんとリビングへ向かってしまうので、俺は慌ててその後を追った。
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