第12話 男を見せろバイトくん

 最初はこれ以上大変なことなんてあるのかと思った労働だけれど、数をこなせば慣れてくるものだ。

 放課後に電車に乗って移動し、出勤して、働く。

 この一連の流れをルーティンのように感じることができ始めた頃、俺の所定のアルバイト期間が終わりを迎えた。


「ズッ……! ズズッ……! 短い……間、だったけど……! ほんどに……ありがどねえ……!」


「て、店長……そんなに泣かなくても……。俺二週間しかいなかったんですよ……?」


「大丈夫大丈夫。これ、恒例行事だから。ある程度頑張ったバイトが辞める時はいつもこうなるの」


 なんでもないように伊波はケロッと言うが、だとしてもじゃないか? たった数日在籍していただけの俺にこんなに泣いてくれるなんて、なんとお人好しな人なんだろう。それとも情緒が壊れているのか?


「伊波さんもありがとうね。有明君を連れてきてくれたお陰でこの店と僕の健康状態は守られたよ。首の皮一枚で」


 それを聞くと本当に来た甲斐があるって思うよ。「養生してください」と伊波が言う。

 ずびっと赤くなった鼻をすすると、内田店長はそそくさとデスクから封筒を持ってきた。


「さて、渡すものはしっかりと渡さないとね。有明君、お疲れ様」


 手渡された封筒の中にはお札が数枚。ひいふうみい……あれ?」


「店長……これ、なんか多くないですか? この店の時給と照らし合わせたら、確実に……」


「ん? ああいいのいいの! なんてったって有明君は救世主なんだし! 臨時で急に来てもらったから少し色つけといたんだよ。他のみんなには内緒だよ?」


「てんちょーう。あたし、あたしいるんですけど」


 伊波のじっとりとした声と目線を内田店長は「あははは」と空笑いで誤魔化す。……誤魔化せてるか?


「はぁ、まあいいや。あんた、今度何か奢れよな」


 おい、俺が奢るのかよ。こういう時は普通、急にバイト入れてすまんかった代でお前が奢るのが普通ってもんじゃねえのか? どうなんだ?

 伊波はそれだけ言うと、「じゃ店長、お先失礼しましたー」と一足先に帰路に着いた。


 さて、俺もそろそろ失礼するか。昨日今日で関わったアルバイトの人達には挨拶したし、内田店長ももう仕事に戻らなきゃいけないしな。


「それでは、俺もこの辺で帰ります。短い間でしたけどお世話になりました。……あ、制服は洗って返すんで。今度持ってきます。その時は普通にお客として、売り上げに貢献するんで」


「そんなそんな、いいのに。制服も、そのまま返してもらってもいいんだよ?」


 内田店長はそう言ってくれるが、流石にそれは甘えすぎというものだろう。制服の件は改めて洗って返す旨を伝え、伊波に遅れて俺も店を出ることにした。

 初めての労働、とても良い経験だったと素直に思える。


「俺もどこかで本格的にバイト始めてみようかな……」


 そう呟きながら通りに出ると、街中ではいささか目立つ赤のスポーツカーの隣にややぎこちない笑顔で立つ伊波の姿があった。

 なんとなくパサついているようにも見えるド金髪の男が、タバコを咥えながら運転席から顔を突き出しているのが見えた。


「おっ、愛梨亜ちゃん今バイト終わったとこ? 奇遇じゃ〜ん! 俺も今から帰るところなんだよね。送って行こうか? 乗りなよ」


「いやー、あはは。それは悪いですよー。うち、遠いんで」


「遠慮しなくていいって! そのための車っしょ? もう遅いし、女の子一人で帰らせられないって! っていうか愛梨亜ちゃんどこ住み? 最寄駅どこ?」


 なるほど伊波は交友関係が広いらしい。俺は学校外での知り合いなんてほとんどいないので、さすがだなあと最初は思っていたのだが、それにしては伊波の反応がどうにも芳しくない。


 というか、あれは確実に断りたがってるよな。俺にだってそのくらいは表情から読み取れる。あの言葉の濁しっぷりを見るに、はっきりとは言えない相手のようだ。

 見過ごすのは流石に目覚めが悪いが……、様子からするにあの金髪赤車はいわゆる下心を持って伊波に近づいていると見える。俺が下手に介入すれば、事態を余計にややこしくしてしまうだろう。

 さて、どうしたものか……。


 ああ、そうだ。ちょうど今日は鞄にバイトの制服が入ってるじゃないか。これがあれば……。

 鞄に突っ込んだせいで少し皺になってしまった制服に再び袖を通すと、俺はパタパタと伊波のもとに駆け寄った。


「伊波さん、伊波さん! ああ良かったまだいた! すみません今すぐ店に戻ってきてもらえますか? ちょっとトラブルが起こっちゃって……」


 突如参上した俺を見て、伊波は「あ、あんた何してんの……?」と目を丸くした。ええい、余計なことを口走るな。

 下手くそと断定された手前、伊波の前で演技を披露するのは少し恥ずかしい気もしたが、この際まあいい。

 この乱入劇に金髪男も少し面食らったようだが、すぐに元の軽薄な雰囲気を取り戻した。


「ちょっとちょっと。キミ何? 誰? バイト君? あのさあ、愛梨亜ちゃんはもう帰るところでしょ? トラブルだかなんだか知らないけどさ、そんなの自分たちでなんとかしなきゃ。バイトだからって仕事舐めちゃだめだよ? 責任って言葉分かる?」


 いちいち勘に触る言葉選びをする男だ。それともこれは伊波の前だからこそ見せる虚勢か? どちらにしてもいけすかないな。


 男はばたりと運転席の扉を開けると、車から降りてきた。身長は俺よりも少し低いくらいか。少したじろいだような仕草も見せたが、ガッと乱暴に俺の首に腕を回してきた。甘ったるい香水の匂いがぷんと鼻をつく。くしゃみが出そうだ。

 一段トーンを落とした俺にだけしか聞こえない声量で男は言う。


「あのさあバイトさあ……。空気読めよ。今どういう状況かわかる? ねえ? そんなんで君、仕事できんの?」


「さあ、分かんないっすね。俺、バイト初めて二週間なんで」


 精一杯の営業スマイルで返すと、男のこめかみがひくひくと痙攣するのが分かった。なんだかまずそうな雰囲気だ。ちょっとアンガーマネジメントが足りてないんじゃないか?


「ちょっと有明、何話してんの? あたしに用があったんでしょ? ……ごめんなさい、せっかく声かけてもらったのに申し訳ないんですけど、あたし一回店戻るんで」


 伊波はぺこりと頭を下げると、「ほら行くよ」と親指で店の方を指し示してずいずいと裏口の方へ歩いて行った。

 俺は慌ててその後を追う。「あっ、ちょっ待てよ」とキムタク化した男の声がしたが、ここは無視だ。無視。


 裏手に回ると、伊波は壁に持たれながら俺を待っていた。俺の姿を見ると、「よっ」と軽い調子で片手をあげてみせる。


「正直助かった。あんがと」


「それはいいけどよ、誰だあの人? 知り合い……じゃなさそうだったよな」


「あー……。まあ、知り合いといえば知り合いに……なるのかな。知ってるし」


 随分な歯切れの悪さだ。


「あの人、うちによく来るお客さんなんだけど、まーちょっと、問題というか……。厄介でさ。店の女の子にちょっかいかけまくってんのよ」


 見た目から受けた印象そのままのエピソードに、思わず「あぁー……」と言ってしまう。


「なるほどね。それでお前にも声をかけてきたってわけか」


「多分ね。あたし、一回結構強めに注意したつもりだったんだけど伝わんなくてさ。そのうえなんでか知らないけど気に入られちゃったみたいで、会うたびあの調子。ぶっちゃけうざい」


 うーん、自分に向けられた言葉でないと分かってはいても、ガリッと少し心を削られる気がする。直で言われたら相当効きそうなものだけど(実際伊波がどういう言い方をしたのかは分からないけど)、それでも堪えないっていうのは、ひょっとしてあの男、めちゃくちゃ強靭なメンタルの持ち主なのかもしれない。


「ま、気をつけろよ。お前、なんか声かけられやすそうだし」


「なに、あたしが軽い女って言ってんの?」


 急にジロリと睨まれるとたじろいでしまうからやめてほしい。


「ちげえよ。一般論としてだ。……そろそろ、あいつも行ったんじゃないか? 店の裏で駄弁り続けるのもなんだし、そろそろ帰ろうぜ」


 言ったはいいものの、俺と伊波は基本一緒には帰らないんだった。

 一回コンビニにでも寄って時間潰して帰るかと、帰り道と逆方向に足を踏み出したところ。


「ちょちょちょい、どこ行くの。家の方向そっちじゃないでしょうが」


 伊波に背中を掴んで止められた。あんたって、意外と方向音痴? とのこと。違うが。


「あー、一応帰りは別々にしといたほうが……いい……かなと」


「別にいいんじゃね。もう暗いし、この辺なら学校からも距離あるし。……用事があるってんなら別に止めないけど」


「いや、特にない。……じゃあ、帰るか」


 そう言って俺と伊波は連れ立って歩き出すことにした。こいつと並んで歩くのは初めてのことだ。ここに連れてこられた初日は、伊波が先導する形だったしな。


 ……なんだか気まずいな。

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