第15話 愛梨亜さんは懐が深い

 その日の夕食後。まったりする親父と美波さんに隠れて俺は愛梨亜に声をかけた。


「愛梨亜、すまんちょっといいか。話があるんだけど」


「あん? まあいいけど……何、ここじゃできない話?」


 後半部分をしっかりヒソヒソ声にして、ソファに座る親二人には聞こえないようにしてくれる。何こいつ、気配りできすぎだろ。


「そんなとこだ。俺の部屋でいいか?」


 そう誘うと、愛梨亜は「変なことすんなよ」とかなんとかぶつくさ言いつつも着いてきてくれる。ちなみに変なことをするつもりは微塵もない。

 一階にある俺の部屋に入ると、愛梨亜はぐるりと全体を見渡して感想をこぼした。


「そーいえばキュウの部屋入ったの初めてだね。なるほど、散らかってたものをとりあえず隅っこに寄せてスペースだけ確保したような部屋だな」


「お、お前本当に俺の部屋入るの初めてだよな……? そうだよ正解だよ。床に転がってるもんをさっき適当にまとめただけだよ」


 上部だけ取り繕ってもお見通しなんだよと愛梨亜は言う。


「なんか面白いもんないの?」


「愛梨亜が面白がるようなもんは多分ねえな」


「あたし、少年漫画とかは結構読むけど」


「残念ながら俺は電子書籍派だ」


 愛用のタブレットを見せびらかすと、愛梨亜は「クソっ、現代っ子め」と吐き捨てた。お前も同い年だろうが。

 まあいいや、と言って座卓の前にどかっと腰を下ろす愛梨亜。


「で? わざわざあたしを部屋に連れ込んで、一体何の用よ?」


 おっと、そうだったな。

 こほん、と咳払いを一つ。


「あの、マジで怒らないで聞いて欲しいんだけどよ。やっぱ学校ではあんま話さない方が良いと思うんだ俺達」


 愛梨亜は眉をひそめる。その表情が「どういうこと?」と語っている。


「ほら、お前何度か俺のことをあだ名で呼びかけたことあるだろ。それに俺も正直何回か口滑らしそうになったし。学校で愛梨亜って呼んじまったら言い訳が立たないしな。あと……」


 実はここからが本論なのだが、俺は取ってつけたような雰囲気を出して続ける。


「ほら、俺ってあれだろ? 女子からちょっと……よく思われてないというか、まあ嫌われてるだろ。そんな俺が愛梨亜とか丸山とかと話してるとな、お前達まで変な目で見られちまうかもだし、やっぱ距離は置いといたほうがいいんじゃないかと思ってよ」


 愛梨亜はふーん、と漏らすとテーブルに肘を置いて頬杖をつく。


「なるほどね、そっちが本心ってわけだ。キュウ、あんた相変わらず変なとこ気にするよね」


「おい、なんでさっきから全部お見通しなんだよ。流石に怖えよ」


 背筋に少し冷たいものすら感じたが、愛梨亜はなんでもないような表情を見せる。


「あんた自分の演技力の無さを忘れたの? ぶっちゃけバレバレだっつの」


 あれから少しは成長できたと思ってたんだが……。


「でもよ、やっぱり無用なトラブルは避けたいだろ。それが自分に降りかかるならまだしも、他人に迷惑かけるかもしれないってなったらなおさらだ」


「……あんたさ、ひょっとして学年中の女子に嫌われてると思ってる?」


「えっ?」


 予想していなかった返答をくらい、思わず俺は目を丸くした。


「そう……かなと思ってたんだけど……違うのか?」


「違うね。それは自意識過剰ってやつっしょ。確かにキュウのことを嫌ってる女子は多いけど、全員じゃない。学年の四割くらいじゃないかな? それでも大したもんだけどね」


「いや、でも……。クラスにいても、なんとな〜くその……針のむしろというか。チクチクした視線は感じるぞ」


「まあそりゃ嫌われてないけど好かれてもいないし、何かとよくない噂も多いし実際態度も悪いし。そんな目向けられても仕方ないっしょ」


 俺をボロクソにこき下ろした愛梨亜は「あたしもそうだったし」と付け加えた。なるほどこれがオーバーキルってやつか?


「でもまあ、それだけなんだよ。正直に言うと、なんとも思ってないの。どうでもいいのよ。全員から嫌われるなんて無理無理」


 そう述べながら愛梨亜は手をひらひらさせる。


「これは……どう受け取ればいいんだ? 慰められてるのか? それともけなされてる?」


「どっちでもねーよ。頭でっかちなキュウに本当のことを教えてあげてるだけ。半分以上の女子はキュウのことなんてなんとも思ってないんだから、気にせず好きに振舞えばいいのよ」


「そう……なのか? そう言われても実感湧かねえなあ。行く先々で悪口言われてる気がする」


「まああんたの場合は学年でも目立ってる子に嫌われちゃったってのが大きいかもね」


 目立つ子……目立つ子……ああ。


「山本とかか」


「あの子に嫌われたのはまずかったね。すっごい話しやすくて良い子なんだよ? 話おもろいし。一体何やらかしてあんなに嫌われたわけ?」


 何って言ってもなあ……。


「去年、山本に勉強教えてくれって言われてな。何日か教えてたことがあるんだよ。なんだけど、あいつの取り組み方というか……姿勢が気になってな。そこをちょっとこう……注意したら、俺の言い方がまずかったみたいでめちゃくちゃ怒らせちゃってな」


 過去を思い返しながら答えると、愛梨亜は「うーん」と漏らして、


「でも山本ってさ、結構頭いいよね。イケイケな感じなのに勉強は真面目にやってるイメージだけど」


「確かに真面目にはやってた。でもなんというか、学年テストで良い順位を取りたい! って気持ちが先行しすぎてるように思えてよ。そんで、そういう相対的な数字よりも、絶対的な点数を積み重ねてくって意識にした方がいいぞって……まあ、アドバイスをな」


「なる。それをあたしに言ったみたいな、超不機嫌そうな態度のうえぼそぼそ早口でまくし立てたわけだ」


「べ、別に不機嫌だったわけじゃないぞ? ただ……」


「分かってるって。キュウは対女子コミュ障だもんな。でも、その前提を知らずに見るあんたの態度ってほんとに良くないのよ。無用なトラブル避けたいなら、あたしと話す話さないの前にそういうとこから気をつけた方がいいぞマジで。これ、姉からの忠告な」


 そういやお前が姉だったな。ぶっちゃけ忘れてたけど。

 そう伝えると「いついかなる時も胸に刻んどけ。そんで絶対に逆らうなよ」と指さされた。


「ま、そういうわけだからさ。学校でどうこうとかあんま気にすんなよな。あと、キュウの演技力だと下手に誤魔化そうとする方がボロ出そう」


「それ言われっと弱いんだよな……」


「別に口滑らしたってさ。二連続で席が近かったから、なんか仲良くなったわでいいじゃんか。少なくともあたしはそれでいいと思ってるよ」


 今はね、と付け加えられたがその言葉の温かみは変わらない。


 こういう言葉を、なんの偽りも打算も演技もなく真っ直ぐに言えるところ。そこが本当に凄いところだと思う。俺には絶対にできない芸当だ。ここに俺の愛梨亜の人間的魅力の埋め難い差がある。


「分かったよ。愛梨亜の言う通りだ。俺の言ったことは忘れてくれ」


 ホールドアップして降参の意思を示すと、愛梨亜はしククッと笑って「任せといて。秒で忘れてやっから。あたし忘れるの得意」と返してきた。そんな誇らしげに言うことでもないと思う。

 さてと、と立ち上がりしな、愛梨亜は「あ」と何か思いついたように声を漏らした。


「そーだ。キュウのお悩みは今解決してやったじゃん? 次はあたしの悩み聞いてくんね?」


「もちろん構わないけど……悩みって、なに?」


「いや、今日出た数学の課題でわかんないとこあってさ」


「なんだそんなことか。お安い御用だよ。見るから、持ってきてくれ」


 そう返すと、愛梨亜は「ラッキー」と言ってパタパタ部屋を出て行った。

 上の階でとすんとすんぱたんと音がしたかと思うと、両手に教科書ノート筆記用具一式を携えて戻ってくる。


「いやー同じ家に頭いいやついると助かるわー」


 やれやれ毎回毎回課題とか出すんじゃねえよなまったくもうよとブツクサ文句を垂れながら、愛梨亜はテーブルにノートを広げる。


「なんだかんだ言いつつちゃんとやるのが立派だ。まあ、すぐに解けると思うから」


 ちょっと式が複雑に見えるが整理さえできればそこまで難しい問題じゃない。まあその整理にコツがいるんだけどな。

 そんなことをちょっと教えると、ふんふんと理解した愛梨亜は時折引っかかりつつも問題を解き進めていく。


「ふぁー! できたぁー! このクソ課題め手間かけさせやがって!」


 ぐあーっ! とペンを投げ出し大きく伸びをする。緩めの胸元に吸い寄せられる視線を気合で引きはがし、「お疲れ」とシンプルに声をかけた。


「いやほんと助かったわ。キュウ様様だわ。一家に一台キュウだね」


「俺は高いぞ」


「いくら? 四万九千八百円?」


 ちょっとした家電くらいじゃねえか! と返すと愛梨亜はケタケタと笑った。


「でもさ、キュウってなんでそんな頭いいの? ひょっとして勉強好きなの?」


 うえ、マジ? やば、頭おかしいと引き気味の愛梨亜。


「いや別に好きってわけでは……。授業で聞いて分からないところはその日のうちに潰すってのを徹底してるくらい。分かんねえとこあると気持ち悪くて寝れなくて」


「そんなことある?」


「愛梨亜がキッチン掃除しないと寝れねえっつってたのと同じだよ」


 そう返すと「なるほどね、納得だわ」と愛梨亜は言った。


「でも、毎日ちゃんと勉強するってところがあたしからしたら凄いけどな」


「これも習慣化しちまってるからなあ。歯磨きみたいなもんだ。やらねえと寝れねえ」


「習慣化できるのが凄いんだって。だってさ、特に小さい頃なんか宿題なんかほっぽって遊びたいじゃん?」


 確かにそうだった。俺だって最初からすんなり自室の机に向かうことができていたわけじゃない。


 でも、ある日ソファで寝落ちてしまった親父の顔に刻まれた深いクマやシワに気づいた時、「ちゃんとしなきゃいけないな」と思ったのだ。

 自らの休息を犠牲にしても、仕事が忙しすぎて中々俺との時間を作れていないことを親父は気にしていた。そんな親父に満点のテストや学年一位の順位表やオール五の通知表を見せると、ほっとした顔で「そうかあ、凄いな救太郎は」と笑ってくれた。その顔を見て、俺の心の中で安心していたのだ。


「中年男性の心労を少しでも減らそうと思って、昔ちょっと頑張った財産だな」


 少年期からの思い出を振り返りつつそう言うと、愛梨亜は「なんじゃそら」と返した。


「でもよ、愛梨亜も最近勉強ちゃんとやってるよな。内職辞めて夜の時間に余裕ができたからっつっても、今の理論からいくと遊びたいだろ」


「ん? ああ、赤点! からの留年! からの高校中退! とかになったらさ、お母さんがめちゃ心配するじゃん。今まではバイト優先で考えてたから勉強なんか全然しなかったけどさ、ちょっとは頑張らないとな」


 もちろん今でも勉強なんて大嫌いだぞと愛梨亜は胸を張る。決して威張るようなことではないと言っておく。

 そういえば……と、実は前々からひそかに気になっていた疑問を、この機会に愛梨亜にぶつけてみることにした。


「愛梨亜ってさ、なんでウチの高校に入ろうと思ったんだ? なんだかんだ言っても、この辺りじゃ一番の進学校だぞ。それこそ、かなり勉強しないと入れないくらいの」


「え? 制服が可愛かったから」


「……は?」


 なんでもないような顔で即答され、思わず口がぽかんと開いてしまう。


「そ、それだけ?」


「最初にここ行きたい! と思ったのはこれが理由だな。いやマジで可愛いんだってウチの制服。激アツ。丸一年着てるけど、いまだにテンション上がるもんあたし」


 そ、そうなのか……? 俺には他校との違いもよく分からんけどな……。


「でもよ、それでちゃんと頑張って合格できたのはすげえな。勝手な想像で申し訳ないけどよ、ぶっちゃけ結構厳しかったんじゃないか?」


「そらーもうね。絶望のE判定よ。進路相談で先生からガチで止められるくらいには」


 それをよく通したな……。


「でもさ、その話をどっかから聞きつけたムカつくオッサン教師にさ、『お前には絶対無理だ』ってバカにされてさ。しかも『これだから片親は』とか言ってきたんよ」


「はぁ? それは言っちゃいけねえことだろうがよ。最低だなそのオッサン」


「そうそう。そんであたしマジでブチ切れてさ。そのオッサンの胸倉掴んで、『ぜってえ受かってやっからてめえは黙ってそこで茶でも飲んでろクソハゲ』って言っちゃってさ」


 なるほど、そのオッサンは頭が寂しかったんだな、と返すと愛梨亜は「そうよ。不毛地帯よ」と返してきた。こういう時ばかりは無駄に語彙力を発揮するよな。


「まあだからさ。あたしの命にかけて絶対に落ちるわけにはいかなかったのよ。死ぬほど勉強して、で受かった。お母さんと一緒に号泣したよほんとにさ」


「愛梨亜……お前、すげえな」


「何が凄いんだよ。頑張って受かったけどさ、別に勉強が好きになったわけじゃないからテストじゃ赤点連発。学年順位は下から十番以内よ。キュウとは真逆。あたしからしたら、キュウの方が全然凄いって」


 そんなことねえよ、と謙遜合戦になってしまうが、終わりが見えないので適当なところで切り上げた。「褒め言葉は適当なところでちゃんと受け取らないと逆にうざいぞ」とは愛梨亜の言葉。一応肝に銘じておこう。


「さてと。用は済んだし、あたしはもう寝るわ。あんがとね、んじゃまた明日」


 あくびを噛み殺しながら愛梨亜は階段を上がっていった。


 さて、俺もそろそろ今日は寝るか。

 ……なんか、部屋が妙にいい匂いで落ち着かねえな。

 

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