第27話 もう隠さない

 その日の昼休み。端場と飯を食べ、ふうと一息ついていると、教室の入口から「愛梨亜ー」と呼ぶ声があった。その声色の中に好意的な空気感はない。


「げ、山本だ……。あの子、こういうことになるとちょっとしつこいんだよなあ……」


 隣の席で丸山と談笑していた愛梨亜が顔をぎゅっとしかめて髪をぐしぐしとやる。

 いつかは山本がまた顔を出してくるだろうとは予想していたが、まさか今日の今日とは。このスピード感にはちょっと驚きだ。社会人として見るとかなり優秀なんじゃないか? 情報の入手から行動までのタイムラグがなさすぎる。この決断力の速さは武器だな。


 しかし、生徒間の噂話ネットワークもバカにできないな……。俺はそういったコミュニティに所属したことがないので知らなかったが、話の巡りも中々に迅速だ。

 愛梨亜自身は特に返事を返さなかったが、入り口付近にいた誰かにでも聞いたのだろう。愛梨亜が中にいることは分かっていたようで、山本はいつもの取り巻きを引き連れてずんずんと教室に入ってきた。


 別のクラスって何故だか心情的に少し足を踏み入れにくいところがあると思うが、奴はそんなことを気にするタマではないらしい。山本は学年でも中心人物と言えるポジションの女子で友人も多いので、クラスの垣根というものをあまり意識する必要がないのだろう。


 そんな存在にこうも目をつけられてしまうとは、つくづく俺ってやらかしてるんだな。前に山本に対して言い放った言葉や態度がよほど勘に触ったらしい。そんなことで? と思う気持ちもあるが、俺自身反省すべきことは多々あることを最近は思い知らされている。


 山本は確実に俺のことを嫌っている。俺だって、奴のことは苦手だ。

 でもだからと言って、初めから喧嘩腰では事態を悪化させるだけだ。俺は誓ったはずだ。俺のことを大切にしてくれる存在にとって、安心できる俺でいたいと。


 山本はいつかのように顎を少し上げ、席に着く俺と愛梨亜を見下すようにして目の前に立った。

 不穏な雰囲気を感じ取った端場が一歩前に進み出て、努めて明るい表情を作る。だけど、ここは端場にも丸山にも、もちろん愛梨亜にも頼るわけにはいかない。俺がやるべき場面だ。


「おう山本。今日も元気そうだな」


 身近な教師である端場をお手本とし、俺は俺にできる最大限の軽い調子で山本へ挨拶をした。

 愛梨亜と丸山と端場が同時にブッと噴き出した。


「あんた……何その、切り出し方……!」


「な、なんかおかしかったか?」


「そりゃおかしいでしょいきなり。頭おかしくなったのかと思った」


 顎を震わせて笑いを噛み殺しながら愛梨亜は言う。そんな様子を見て、山本は物凄く不快そうに顔をしかめた。

 胸の下で腕を組み、人差し指をトントントントンと打ち鳴らし始める。イライライライラ……という効果音が聞こえてくるようだ。


「あのさあ! 盛り上がってるとこ悪いけど、あたし愛梨亜に聞きたいことあんだよね。愛梨亜、あたしこの前忠告してあげたと思うけど。こいつってマジ最悪なヤローだから付き合わない方がいいよって」


 こいつ、とはもちろん俺のことだ。目線も向けずに親指で指し示される。相変わらず結構な扱いだ。


「うーん、まあそう思う人がいるのも分かるけど、あたしはあたしでキュウの人間性をちゃんと見てるつもりだから。山本が言うほど酷い奴じゃないよ」


 めちゃめちゃいい奴かって言われるとそれはまた微妙だけどな! と端場が余計なフォローをする。奴の肩をばしりと叩き、一応抗議の意を示しておいた。

 山本の顔から表情が消え、その視線に宿る温度が急激に冷えていくのが分かった。


「ふうん……。おっけー、愛梨亜はそっちに付くわけだ」


「付くというかなんというか、俺と愛梨亜は家族だからな。それだけだ」


 じろり、と山本の細められた視線が俺の方へ向く。


「あんたには聞いてないんだけど。大体あんた、当たり前のように愛梨亜と話してるけど、自分にそんな資格があるとでも思ってんの? この前愛梨亜に何て言ったか忘れた? ご自慢の頭は、自分にとって都合の悪いことはすぐ忘れるようにできるわけ?」


 敵意のこもった声で俺の神経を逆撫でするような言葉を投げかけてくる。この前の俺はここで胸のむかつきをそのまま口に出していた。

 けれど、今はもうそんなことはしない。それに奴の言うことは実は的を得てはいるのだ。


 がたりと席から立ち上がる。山本の取り巻き連中がたじろぐのが分かったが気にしない。俺はまっすぐに山本の目を見つめて言った。


「この前の件に関しては全面的に俺が悪かったよ。あと、お前にも。気分悪くさせるようなことを言った。ほんとに、申し訳なかった」


 そう言ってスッと頭を下げる。再び顔を上げたとき、山本は戸惑いのような、なんとも言い難い表情を浮かべていた。


「は? 何急にいきなり」


「何でもない。ただ、謝っておきたいんだ。俺が幼稚すぎて、山本にも愛梨亜にも、皆に不快な思いをさせた。愛梨亜との関係がバレたらまずいと思って、隠さなきゃまずいと思って、めちゃくちゃなことを言った。でも俺は間違ってた。俺はもう下手に隠したりしない」


 そうだ。俺はもう隠さない。というか、隠す必要なんてない。


「俺と愛梨亜は家族だ。だけど、お前にどう見えてるかは分からないけど、それだけだ。付き合うとか付き合わないとか、そういう感じじゃない。姉と弟だ」


 山本の取り巻きの一人が「おっ、弟……?」と言ってぷっと噴き出した。不本意だが事実なんだから仕方がない。丸山は「あぁそっか。愛梨亜は四月生まれだから……必然的にそうなるのか。ふふ、なんだかおかしいな」などと一人納得している。

 山本は「ふぅん……」と面白くなさそうな声を漏らすと、愛梨亜のほうへ向き直る。


「愛梨亜は許したってこと? それでオッケーなわけ?」


 愛梨亜は少し髪をいじりながら「うーん」と前置きをして答えた。


「まあ、ね。それに、喧嘩くらいはするよ。だって、姉弟だもん」


 当たり前のことでしょ? 


 へへっと口角を上げて言う愛梨亜。その笑顔には気恥ずかしさこそあれ、一点の偽りもない。こいつってやつは、派手な髪色のくせに眩しくて暖かい笑顔を作る。それを見てると、不思議と毒気が抜けてしまうような気がするんだ。


 その回答を聞いた山本は「はぁ」とひとつため息をつき、ビッと俺を指さした。


「愛梨亜がそう言ってんだったら……まあ、いいわ。けれど、有明。あたしはあんたを許したわけじゃないから。あんたといることで愛梨亜に害が出るなら、愛梨亜が何と言おうとあたしはあんたを殺す」


「それはいいけどよ。いくらなんでも殺すのは良くないんじゃないか」


「物の例えだし。そういうところがうぜーんだよ」


 山本は再び腕を組み、今度は下から睨みつけるようにして俺に視線をぶつけたきた。


「でもあんた、一緒に住んでるのを良いことに愛梨亜に手ぇ出したら、マジで殺すから」


「だからしねーってそんなこと。なんで皆、俺が愛梨亜に変なことする想定で物事考えてんだ? ありえねーだろ」


「そうそう。キュウってばこう見えて女子と話すのがめっちゃ苦手なのよ。これイキってるわけじゃないの。コミュ障なの。だから皆分かってあげて」


 一応は愛梨亜から援護射撃が飛んでくるが、余計なことをカミングアウトされたような気がしないでもない。

 丸山は少し困ったような顔をして、諭すように愛梨亜へ言った。


「うーん、でも愛梨亜。それはちょっと危ない考えかも。もちろん私も、有明君のことは信用してるよ? でも、男の人っていうのは……その……」


「いつ何時狼になるか分からないからな! 特に救太郎みたいに、普段カッコつけて自分を抑えてるような奴は、ふとしたきっかけで……こう……な!」


 言い淀んだ丸山を見て端場が後を引き継いだ。


 いや、言いたいことは分かる。言いたいことは分かるんだ。けれど、本人がここにいて会話の全てを聞いているのに話す言葉ではなくないか?

 抗議の意を込めて俺も口を開いた。


「言いたい放題だなお前ら……。大体、今のところ被害を受けたのは俺の方だぞ」


「被害……? ああ、ひょっとしてキュウが服脱いでる時にあたしが突撃しちゃった時のこと言ってる?」


 愛梨亜の言葉で端場や丸山含め、騒動を見物していた野次馬どもがぎょっとうろたえる。これは……ちょっとまずいか。


 「は? どういうこと?」「なんだよそれ、ご褒美だろ」「有明が伊波の前で露出したってことか?」それは断じて違う。物凄くまずい方向に曲解しないでくれ。ほら、山本がこれまで以上の迫力で俺に睨みをきかせてるじゃないか。

 俺は愛梨亜に近寄り、周りに聞こえないような声量で言う。


「おい、なんかマズいことになってるじゃねーか!」


「んなこと言ったって、先に言い出したのはキュウでしょ。別に裸見られたことくらいバレたって構わないでしょうが。……なに、文句あんの」


 愛梨亜はひそひそ声のまま、スッと声の温度を落とす。


「キュウにおっぱい揉まれたこと、ここで暴露しよか? ん?」


 俺の身体から血の気が引くのが分かった。迷わずホールドアップだ。


「分かった、降参だ。俺が全面的に悪かった」


 おい、何を言われたってんだよと野次が飛ぶが、それには答えられない。命に関わる。

 そんな俺の様子を見て愛梨亜は満足そうに頷くと、事態を静観していた山本に向き直った。


「っていうわけだからさ。あたしもキュウも大丈夫だよ。あと、これからはちょっとはマシになるように、姉としてきっちり教育しておくから」


 山本は少しだけ愛梨亜の目を見据えてから言った。


「……はぁ、もういいわ疲れた。なんか、あんた達の相手してるの馬鹿らしくなってきた。まあ、好きに仲良くすればいいんじゃない。時間取らせてごめんね」


 ごめん、行こっかと取り巻きに声をかけ、一応は手を振っているということなのだろうか、顔の横らへんで手をひらひらさせながら山本は教室を出て行った。


 なんだかどっと疲れたような気がして、俺はどでかいため息をぶっかましながら椅子に座り込んだ。

 そんな俺を見て、端場が微笑みながら声をかけてくる。


「お疲れ。救太郎お前、なんだか変わったな。……変な方向に」


「自覚がないわけじゃないが……うるせえよ」


「悪い悪い。でも別にけなしたわけじゃなくてさ。良いと思うぜ、今の救太郎のほうが。前のお前よりも」


 言い切るのと同時に、昼休み終了の鐘がなった。端場は俺の肩をボンと強めに叩いて席へと戻っていく。丸山も軽く手を振って、自席へと向かった。


 そして、俺と愛梨亜が残った。


「なんとか乗り切ったねって感じ?」


「まあな。正直、一週間分疲れた」


「はは、まあキュウにしては中々良い啖呵だったんじゃない? ……っていうか、冷静に考えると結構恥ずかしいこと言ってたよね。動画取れば良かった。失敗した」


「辞めろ。そんなもん撮られた日には、もう二度とお前に逆らえなくなる」


「は? 今でも逆らうことは許さないけど」


 そして、愛梨亜はゆったりと流れるような所作で机に頬杖をついた。


「姉には絶対服従。それが家族のルールだからな」


 にっといたずらっぽく笑うその顔に、明るく染められた髪が数房かかる。瞳を隠した前髪は、しかし日の光を受けて透き通り、虹色に染まった雲のように淡く、幻想的な光を放った。

 言い放ったこととのギャップが凄いなと、俺は思わず苦笑する。


 愛梨亜の義弟になってからというもの、俺の生活は一変した。住むところも変わり、生活スタイルも変わり、家族が増えて挙句の果てには苗字まで変わってしまった。最初は正直戸惑ったし、受け入れられるのかと思った。


 しかし今の俺はその変化を拒んでいない。暖色に染まり始める日々を好ましく思っている。


 これから先、俺の毎日はどんな風に変化していくのだろうか。愛梨亜みたいなのが義姉だから、全く想像がつかない。だけど。


 楽しみだなと、素直に俺はそう思った。

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