第9話 夏海の捜索 ②

 俺はその声のもとへ林道を駆け抜ける。小泉さんの言う通りだ。たとえその呻き声の持ち主が彼女なつみじゃなくても、助けなければならないのだ。

 滝の音が小さくなっていくのと入れ替わるように、呻き声が大きくなってきた。

「ううううぅぅ」

 その声を聞くたび、俺は顔をしかめる。まるでその人の痛みを感じているかのように。

 走っている間、視界がぼやける。俺は前だけを見て、足に力を入れる。振り向かなくても、俺は小泉さんが後ろについてきているのがわかる。

 そして、その声がすごく大きくなった。なぜなら、俺たちは声の持ち主のもとにようやくたどり着いたから。

 俺は立ち止まって、彼女を見下ろす。

 ここから飛び降りたのか、それとも足を滑らせてしまって落ちたのか、彼女は何らかの穴に横たわっている。

 その少女は泥だらけのままで悶えている。

 髪型はポニーテール。服は赤いタンクトップ。彼女は突っ伏しているので、顔は見えない。しかし、俺は髪の毛を見るだけで正体に見当がついた。

「大丈夫?」

 俺がそう声をかけると、彼女は仰向けになる。大の字に横たわったまま、目だけを俺のほうに向ける。

 顔も泥だらけだったけど、俺は一瞬でその人の正体に気づいた。

 

 ――なぜなら、穴に落ちてしまったのは、山口夏海だから。


「ゆ、雄己?」

「夏海!? 一体何があったんだ?」

「ごめん、あたし……」

 夏海は言葉に詰まったのか、しばらく何も言わずにいた。ややあって、彼女は言葉を続ける。

「あたし、ここら辺を散策してて、足を滑らせちゃって。そして、こんな酷い目に逢ったわ」

「俺は、いや、俺たちは呻き声が聞こえてここに来たんだけど」

「俺たち?」

 言って、夏海は眉をひそめた。

「ああ、俺は同じクラスの小泉さんと君を探しに行ったんだよ」

 俺がそう言った途端、小泉さんは駆け足でこちらにたどり着く。彼女は俺の隣に立ち止まり、夏海に声をかける。

「山口さん、ですよね? だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫なわけがないでしょ。一晩中ここで過ごしちゃったんだよ」

 夏海の即答に、俺も小泉さんも口をぽかんと開ける。

 一晩中、この穴で過ごしたのか? 俺は夏海のことを可哀想に思ってたまらなかった。そして、風邪をひいたのかと心配し始める。

 しかも、足を滑らせて落ちたということは、捻挫してしまったということかもしれない。だから、無理矢理でも夏海を病院に行かせたほうがいいだろう。

「足は大丈夫ですか? 捻挫しましたか?」

 小泉さんがそう言うと、夏海は立ち上がろうとする。しかし、彼女はすぐに倒れてしまった。

「痛っ」

 小泉さんは心配そうにこちらを向いた。

「これはまずいですね。夏海を置き去りにしてはいけないけど、私では彼女を運べないんです」

「俺だってそんなに強くないだろう。でも、夏海のために頑張らないと。一緒に運んでみたらどうだろうか」

「はい、そうしてみましょう。まずは、山口さんをこの穴から引き上げる必要があるんですけど……」

「そのくらいは俺ができると思うよ。夏海、俺の手を取って」

 言って、俺は夏海に手を差し伸べる。

 呻き声を出しながら、夏海は身体からだを引きずらせる。それから、ひざまずいたまま俺の手を取ろうとする。

 奇跡的に手をつかみ合った瞬間、俺は夏海の右腕を固く握りしめる。そして、俺は彼女の身体を全力で引き上げようとする。

 小泉さんは夏海の左腕を掴み、俺に目配せした。それを合図に俺は両手に力を込め、小泉さんと一緒にもう一度夏海の身体を引き上げてみる。

 幸いなことに、今回は大成功だった。

 小泉さんは安堵の溜息を吐き、後ろめたそうに目を伏せた。

「本当にすみません、山口さん。私はもっと早く気づくべきでした」

「いやいや、小泉さんは悪くないよ。全部あたしのせいだよ?」

「そう言われても、私はこの罪悪感を吹き払うことができません。一晩中この穴で寝ている山口さんの姿を想像するだけで寒気がします」

 その罪悪感は俺も感じていることだ。アイスを買いに行ったときも、レインコートの話をしたときも、夏海は苦しんでいたから。それなのに、俺たちは捜索を真面目にやらず、休憩という名目で時間を潰してしまった。

 ようやく夏海を見つけて嬉しいはずだったけど、それどころか胸が重苦しくなった。俺は小泉さんと同様に目を伏せて、夏海を見据える。

「俺も謝るべきだ。本当にごめん、夏海」

「え、なんで謝るの?」

 夏海は俺の謝罪に面食らって、困惑した表情を浮かべた。

「だって、俺たちは夏海を探すべきのはずだったのに、スーパーに行ったりして、休憩もして……。そんなことをしなかったら、夏海の苦しみを少しだけでも減らせたたかもしれないね」

「それでも、あたしが悪いのよ」

 言って、夏海はぎこちなく顔を背けた。

「じゃ、これからはどうすればいい?」

 俺が誰にともなくそう尋ねると、小泉さんがこう答えてくれた。

「大変だと思うんですけど、自分たちはなんとかして夏海を運ばなければなりませんね」

「ああ」

 頷いて、俺は地面に横たわっている夏海に目をやった。

「自分では立ち上がれないだろうな」


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 俺たちが夏海の身体を支えながら密林を出られたのは、奇跡としか言いようがない。しかし、休むにはまだ早い。なぜなら、次は病院に行かなければならないから。

 もちろん、夏海に「今から病院に行くよ」と言うと、彼女は癇癪を起こした。身体は大丈夫とか、明日には治ると言い張って、彼女は絶対に病院に行くのが嫌だったようだ。

 それでも、俺たちは無慈悲ながらも彼女を病院に行かせることにした。

 そして、夏海は診察を受け、病室に入らされる。

 医師曰く、夏海の足の状態が思ったより悪いらしい。それに、夏海は一週間入院することになる、と丁寧に伝えてくれた。

 そう言われて、正直俺は反応に困った。こうして夏海の足は治るだろうけど、彼女は一週間も学校に行かないし、また寂しくなってしまうのではないか?

 小泉さんは俺を一瞥してから、病室を出るように手招きした。

 俺が最後に夏海に視線を向けると、彼女は枕に顔を埋めた。


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 その夜、俺は悪夢にうなされた。

 大海原を泳いでいると、不思議な少女が目の前に現れた。しかも、彼女は水面を歩くことができる。

 彼女は遊びたいと言って、俺に近づいてきた。俺は変な予感がして、逃げようと必死に泳ぎ出した。

 しかし、それはもう手遅れだった。

 彼女は早すぎるのだ。

 その充血した双眸ににらまれ、俺は彼女に身を委ねることしかできない。

 少女が水面に踏むと、水飛沫が飛び散ってくる。踏むたびに、水飛沫が次第に大きくなっていく。

 そして、両足を同時に踏むと、空から水玉が降ってきた。

 これはもしかして、雨なのだろうか……?

 その答えを見つける間もなく、目が覚めてしまった。

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