第2話 降水確率ゼロ
家にたどり着くと、俺は居間のソファに寝転んだ。
『今日の天気は晴れで、降水確率はほぼゼロパーセントでございます』
この島は
だから、スペインにいたときはどうしても雨を見たかったけど、残念ながらバケーション中あそこの天気はいつも晴れだった。
――いや、それは残念ではないだろう……。
そして降雨の珍しさから、とある迷信が生まれた。それは、雨に濡れたら『
当然ながら、それを信じる人もいれば、全然信じられない人もいる。俺はと言えば、信じる派だろう。なぜなら、信じない理由がないから。しかも、雨をまだ体験したことがないということは、雨病の話の真偽がわからないということでもある。
気象予報士の声に飽き飽きして、俺はテレビの電源を切った。
飛行中の泣き声の余韻がまだ頭に残っているせいか、静まり返った居間は意外と心地よかった。しかし、ちょっと静かすぎた。
俺はソファから
「読書感想文はちゃんとしてるのー? 忘れないようにしてね」
「ああ、今日始めるつもりで――」
「ところで、飛行場の件はなんだったの? あの子――
と、母は俺の言葉を遮って言った。
夏海との会話を思い出して、俺は返答に窮してしまう。
「あ、それは……よくわかんないけど、なぜか夏海を怒らせてしまったみたいだ」
夏海がなぜ怒っているか、見当もつかないけど。
「なら謝ったほうがいいんじゃない? いいから早速仲直りしてよ」
「仲直りしたくないわけがないだろ。でも、彼女がなぜ怒っているのかさっぱりわかんないからちょっと心配してるんだ」
俺の言葉に、母は目を伏せて熟考しているように手を
「なら、夏海を直接訊いたら?
――俺が、夏海の拠り所……?
確かに幼馴染ではあるけど、夏海は俺以外の友達も作ったほういいのではないか?
「そう、なのかな」
俺の躊躇を察したのか、母は背中を押すようにこう付け加える。
「大事な友達をこんなことで失うのはもったいないでしょ?」
母の助言に、俺は無言で頷いておやつを探し始めた。
ありとあらゆるたんすを引き出し、必死に美味しそうなものを見つけようとする。しかし、俺は見つける前に母に捕まってしまった。
「一体何をしてんの?」
と、母は眉を寄せながら言った。
やっぱり、俺の行動は
「おやつなら、こっちにしまったよ」
数秒後、母が俺の心を読んだのか、そう教えてくれた。
俺の目的はそんなに明白だったのか……?
俺は一刻も早く母が指差したたんすをからりと開け、そこにしまったお菓子に目を通す。
しかし、俺が手を伸ばして一個を手に取ろうとした途端、母はそれを妨げてしまった。
「ダメよ。何か食べたいなら、まずは夏海に謝りなさい」
母にそう叱られると、俺は思わず吐息を漏らしてしまった。それが舌打ちをするほど失礼な行為ではないと俺も母もわかっているだろうけど、俺は更に叱られるんじゃないかと心配になった。
そうならないように、俺は「わかった、謝りに行く」とだけ言って、ささっと玄関に向かっていった。
気のせいだろうけど、俺は家を出ていった途端、背後で母の溜息を聞いたと思った。
それから、俺は炎天下で何十分も歩いた。
足はまだ少し疲れているけど、これくらいなら耐えられるはずだと俺は判断して歩き続ける。
それより重要な問題は、太陽の暑さだった。歩きながら、俺は夏ならではの強い陽射しに襲われまくった。
正直、夏海を見つけるのに一苦労した。この島は比較的小さいとはいえ、誰かを探そうとしたら小さくなく感じてくる。
結局、夏海は近くにある堤防で足をブラブラさせている。
最初に夏海の姿が視界に入ったとき、俺は彼女が飛び降りるつもりなのかと思い、不安になった。しかし、近づくと夏海がただ一人で風を楽しんでいるようだったので、俺はほっとした。
「夏海! 大丈夫か?」
突然俺に呼びかけられ、夏海は危うくバランスを崩しそうになった。もし彼女がそこから落ちたら、きっと死んでしまうのだろう。
俺が慌てて彼女に駆けつけると、夏海はクスクスと笑い、「大丈夫大丈夫」と慰めるように言ってくれた。
「あの、いきなり声をかけてごめん。ただ、俺は今朝のことについて――」
「謝らなくてもいいんだよ。悪いのがあたしだからさ」
俺の言葉を遮って、夏海は笑顔でそう言った。
てっきりまだ怒っていると思ったのに、夏海の態度がまた切り替わったようだ。あんな頻度で態度を切り替える彼女に、俺は追いつけるわけがないだろう。とはいえ、置いていかれるのが嫌だったので、俺は少しだけでも彼女の気持ちを理解したい。
「そう、なのか?」
「そうなのよ。あたし、おかしかったでしょ? だって、雄己が何もしてないのに、そんなにかっとなって」
「ならいいけど、本当に大丈夫か? 正直、何かおかしいと思うんだけど」
それは、飛行機を降りて雨之島に戻ったときからずっと思っていたことだった。ようやく夏海にそう訊くと、なぜか肩の荷が下りたように感じた。
「うん、大丈夫よ。だから、謝らなくてもいいって」
「わかってるけど、それじゃ少し困るな」
「ん?」
夏海はわけがわからないと言わんばかりに小首を傾げた。
「母が、夏海に謝らないとおやつ食べられないと言ったんだ」
まったく、俺は小学生なんかじゃないのに、母にそんなことを言われて……。
夏海が俺の言葉をどこかで面白いと思ったのか、またクスクスと噴き出した。
俺はつい言ってしまったことを考えると、少し恥ずかしくなった。だから、念のため、俺はこう付け加えた。
「冗談じゃないよ!」
これで夏海は俺の事情をはっきりとわかっているはずだ。俺は満足して、夏海の隣に座った。
長い間陽光を浴びていた堤防の
夏海は俺に目をやって、小首を傾げる。
「……何してんの?」
少し間を置いて、夏海は俺を咎めるようにそう言い放った。
「あの、隣に座ってみたかったけど、
「そっか。あたしには全然熱くないけどね」
そう言ったものの、夏海も立ち上がった。
俺は何かを切り出そうとしたけど、何を言えばいいのかさっぱりわからなかった。
そして数秒後、気まずい沈黙を破ってくれたのは静かに服の裾を
「実はね、昨日のことなんだけど」
今回、夏海は真剣な表情を浮かべて言った。
「もうニュースから耳に入ったかもしれないけど、誰かがこの堤防で亡くなったらしい」
夏海の予想もしなかった宣言に、俺は虚を突かれたかのように反応に困る。
誰か……亡くなったのか?
それは毎日起こることだし、別に起こっても不思議ではないことだけど、よりによって堤防で亡くなるなんて、死因はただの老衰ではなかっただろう。
俺が必死に返事の言葉を探してるのを察したのか、夏海は顔を背けて「ごめん」と言った。
「いや、ただ……おかしいんじゃないか? 誰かが堤防で亡くなるなんて」
「そうだよね。だから、あたしは興味本位でここに来たの。でも、特におかしいことはなかった」
俺はテレビの電源を切ったことを悔い始めた。もしそうしなかったら、もっと詳しい情報を手に入れたのに。
まあ、とりあえず、夏海の言うことを信じるしかないだろう。少なくとも、彼女を疑う理由も権利もない。
「死因は?」
俺が疑問を投げかけると、夏海は頭を左右に振った。
「さあな。ニュースでは触れなかったし、警察も知らないからしょうがないね。でも、気になっているのは否定できないわ」
確かにこの事件は気になっているのだ。なぜなら、俺はいわゆる『雨病』につながっているのではないだろうかと疑い始めたから。
しかし、それには無理がある。
まず、誰かが雨病に罹って死んだということは、最近雨が降ったということなのだ。もし降雨なんて極めて珍しいことが起こったら、夏海はきっと挨拶もせず、できるだけ早く俺に伝えてきただろう。
その一方で、雨病はあくまで迷信のネタだから、死因が実際に雨病だとしても、警察はそれを認めるはずがない。だから、死因はきっと雨病ではないとは言い切れないのだ。
――それなら、死因は一体何だったのか?
夏海の好奇心を活かしたら、それを突き止められるかもしれない……。
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