第13話 三人の通学路

 人気ひとけのない通学路。俺は前を向いて、夏海と一緒に歩く。

 夏海と登校するのは久しぶりで、最近彼女はかなりの問題児になった。しかし、今は混乱も不安もない。ただ、大事な幼馴染と朝風を楽しんでいる。

 最近の絶え間ない問題とは対照的に、今は世界が妙に穏やかだ。

 俺は胸をなでおろすはずだったのに、それどころか不気味な気がする。この穏やかさは、さながら嵐の前の静けさかのようだったから。

 今朝、夏海が着替えている間に、俺は携帯を取り出して小泉さんにメッセージを送った。小泉さんが近くに住んでいないので、俺たちは途中で待ち合わせると約束した。

 幸い、昨日くたくただった足が完全に力を取り戻している。それは母の美味しい朝ごはんのおかげか、それとも今夜ぐっすり眠れたおかげか。

 夏海も元気よく通学路を進んでいるけど、それは朝ごはんのおかげだとは言い切れない。なぜなら、彼女はいつも元気一杯だから。

 歩きながら、俺は夏海の横顔を一瞥した。今日は髪を下ろして、きちんと制服を着ている。そのしわのない真っ白なシャツがいかにも好奇心旺盛で奔放な彼女にふさわしくない、と俺はふと思った。

「あぁ、こういうの久しぶりだね! 学校は確かにつまんないけど、雄己と歩くのは楽しいよ!」

 沈黙を破ったのは、こちらに微笑みかけている夏海だった。

 彼女の下ろした長髪が風に吹かれて左右に揺れている。

「楽しい、か? まあ、夏海が元気で何よりだね。本当に心配したなぁ」

 俺の言葉に、夏海は後ろめたそうな表情を浮かべた。俺に心配をかけてしまったからだろうか。

「ごめん、雄己。あたし、気が狂ったみたいだね」

「大袈裟じゃないか。多分俺が数週間海外に行ったから、寂しくなっただろね」

 俺の言ったことが図星だったのか、夏海は突然そっぽを向いた。

 俺の視界に残った片頬は赤く染まっている。

「ちょっと寂しかったかも」

 夏海は言葉を濁し、目を伏せた。

「なら、もう大丈夫じゃないか? 夏休みがもう終わったし、俺はとりあえずここに住んでいるんだね。だから心配しなくてもいいだろ」 

「うん、これからは遊ぼうと思ってる」

 彼女はいつも遊びたがっているのに、遊び相手がいなかったのだ。

 俺は宿題が山ほどあるんだし、会ったばかりの小泉さんは何らかの部活に入っているかもしれない。

 それに、なぜか同じクラスの生徒たちはどうしても夏海と遊ばない……。

 俺はまた夏海のことを不憫ふびんに思った。

「そういえば、読書感想文の宿題はやったの?」

 俺の問いに夏海は目を見開き、口をぽかんと開けた。

「しまったああぁぁぁ! すっかり忘れちゃった! もう、最悪……」

 俺は噴き出したくなるのを嚙み殺そうとしながら、口元を手で押さえた。

「まあ、いろいろあったしね。入院のことを先生に説明したら、許される……かもしれない」

 かろうじて笑いを嚙み殺してから、俺はそう言った。

 夏海は返事もせず、長い溜息を吐いた。

 

 五分くらい歩いたあと、俺たちは通学路から外れた通りにたどり着いた。

 ここは小泉さんの住んでいる地域で、待ち合わせ場所でもある。それなのに、小泉さんどころか、誰の姿も見当たらない。

「じゃあ、待ち合わせ場所はここら辺のはずだけど、小泉さんはもう行ってしまったのかな?」

 俺はキョロキョロと周りを見渡しながら、誰にともなく疑問を投げかけた。

 もしかして道に迷って違う場所に行ったのか? もちろん俺はこの辺りに詳しくないけど、小泉さんは近くに住んでいるはずなのではないか?

 俺が夏海に目をやると、彼女はただ肩をすくめて、退屈していると言わんばかりに髪をいじっている。

「遅刻したら叱られるでしょ? 悪いけど、今日は小泉さんを待たないほうがいいと思う」

 夏海はそんなに楽しみにしているのに、がっかりもせずにそう言った。

 俺はそれを不思議に思ったけど、夏海の言う通りだろう。明日も明後日も小泉さんと一緒に登校できるから、別に今日じゃなくてもいい。

 とりあえず、先生を怒らせないほうが大事なのだ。

「そうだな。じゃ、そろそろ行くか」

「うん、行こう!」

 それは、一刻も早く学校に行きたがっている人の声だった。

 まあいいか、学校では小泉さんとすれ違うだろう。もし約束を破ったと言われたら、彼女を適当に誤魔化ごまかせばいい。


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 教室の真ん中で、小泉さんは仁王立ちをしている。彼女は両手が膝に当たったまま、眉をひそめており、口を尖らせている。

「田仲さん、今朝はどこに行ったんですか?」

 やっぱり約束を破ってしまったのか。俺は必死に溜息を吐かないようにして、目をつぶった。

「すまん、俺は待ち合わせ場所と思っていた所に行ったけど、小泉さんを見つけなかったので」

「え? そ、そうですか?」

 なぜか、小泉さんの怒りがすぐに溶けた。

 小泉さんは頬を染めて、こちらを向かないようにしている。しかし、そうしたら会話が進まないと思ったのか、彼女は観念したように俺に視線を向けた。

「それなら、私が悪かったですね。今朝はメイクをしていたから家を出るのが遅くなってしまったんですから」

 メイク、か。本人からそう言われても、いかにも信じがたい言い訳なのだ。なぜなら、小泉さんの顔が何度見てもすっぴんにしか見えなかったから。もしかして、これが薄化粧というやつなのか?

「なら、なんでこちらに怒鳴りつけるんだ?」

「すみません……。ただ、私を待ってくれると思ってたんです」

 その言葉に、ずっとぼーっとしていた夏海が我に返って、こう口を挟んだ。

「大丈夫なのよ。明日は少し早めにメイクしたら、三人で登校できるでしょ?」

 小泉さんは何回か頷いてから、自分の席につく。

 俺は会話に気を取られて、そろそろホームルームが始まることを忘れた。

 本鈴が鳴り出すと、皆がそれぞれの会話を終わらせる。

 さっきまでざわついていた教室が、椅子を引きずる音さえ聞こえるほど静かになった。

 毎秒、真正面の壁掛け時計がチクタクと音を立てる。

 そして三、四十秒後、向こう側のドアがからりと開いた。

 教室に入ってきたばかりの学級担任は、わざと咳払いをするなり教壇に向かった。

「おはようございます、皆さん」

 学級担任がそう言うと、俺は夏海と同じようにぼーっとし始める。今日は重要な情報は言われないと思ったし、まだ早いので少し寝ぼけているのだ。万が一重要な情報が出てきたとしても、ちゃんと耳を澄ましているはずの小泉さんに訊けばわかるだろう。


 どうやら、俺は知らないうちに眠ってしまったらしい。徐々に目が覚めると、教室は空っぽだった。

 一限目はすでに始まっていただろう。それなのに、俺は焦らずに席を立ち、ゆっくりと教室内を見回した。

 右側に視線を向けると、俺はなぜか夏海か小泉さんの横顔がそこにいると期待した。しかしそれどころか、目の前にあったのはずらりと並んだ席と机だけだった。

 俺は自分の席を片付けてから教室を出た。

 教室の壁掛け時計によると、もう十時になっている。つまり、一限目がそろそろ終わるのだ。

 眠っている間に、誰も俺を起こそうとしなかったのはなぜだろうか?

 ぐっすりと眠っている俺を寝不足だと思い込み、可哀想に思ったのか? それとも家庭環境が悪くなってよく眠れないと思っているのか?

 なんにせよ、俺はそれを不思議に思わずにはいられなかった。

 夏海はともかく、律儀で学級委員の小泉さんは居眠りしている俺を見逃すわけがない。

 もしかして、夏海と小泉さんは何かをたくらんでいるのか? いや、それはいくら何でも小泉さんらしくないし。

 結局、俺は戸惑いながらも二階の学校図書館に行くことにした。最近おかしいことばかり起こっているので、雨病のことをちょっと調べてみたくなったのだ。

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