第四章 終わらぬ長雨を凌ぐ

第19話 『9月9日19時』

 窓際で雨を見ている夏海の姿。

 もちろん、俺は彼女の髪を引っ張ってしまったのを後悔しているけど、初めて雨を体験しているせいか、言葉が全然出てこない。

 黙々と雨を見ていると、母が居間に入ってきた。

「二人とも、大丈夫ですか?」

 俺はいつも通りに「ああ」と答えたけど、夏海は何も言わなかった。

 母は夏海のほうに向かおうとする。しかし、空気を読んだのか、彼女は途中で諦めてきびすを返した。

 雨がやむまで手持無沙汰になったけど、俺はどうすればいいのかわからない。

 しかし、夏海と二人きりになったし、何かしなければ空気が更に気まずくなってしまうのだろう。少なくとも、俺は謝罪の言葉を見つけるべきだ。

「あのさ、夏海……」

 夏海に声をかけても、彼女は雨から目を逸らさなかった。

 とはいえ、俺の言うことを聞いてくれないわけではないから、俺は言葉を紡ぎ続ける。

「さっき、髪を引っ張ってごめん。ただ、夏海を雨に濡れさせるのは絶対に嫌で、ここに帰ってほしかったんだ」

 俺が言い終えると、居間は再び静まり返った。雨音が窓にぶつかり、ざあざあと音を立てる。その雨音を聞いていると、俺はなぜか落ち着いた気分になった。

 ややあって、夏海は一言を吐き捨てるように言った。

「痛かったわ」

 夏海はこちらを向いてくれないけど、窓の反射からその顔は随分と見える。

 彼女は雨を見ているのではなく、ただうつむいたまま足元を見つめているのだ。伏せた目から涙が出そうになったけど、夏海はそれを抑えようとしている。

「それに、髪を振り乱しちゃった」

 なぜそこが問題なのか? やっぱり、俺は女心がわかるわけがない。

 溜息を吐いてから、俺は夏海を慰めるように近寄る。

 しかし、彼女はそれを防ぐように、こちらに手を突きつける。

「来ないで。あたし、一人で雨を見たいの」

 そのあまりにもない言葉に、俺は悄然とうなだれた。

 夏海は本当に怒っているようだけど、なぜか俺に八つ当たりしない。彼女がもっと素直になればいいのに。いや、もっと素直になればよかったのに、かもしれない。

 これが絶縁なら、俺には何も文句を言う筋合いはないのだろう。あくまで、俺のせいだから。

 しかしながら、俺はまだ夏海の幼馴染でいたい。

 彼女は髪の毛の件にキレているわけではないだろうから、もっと深い理由があるはず。それをどう聞き出せばいいのか、さっぱりわからないけど。

 そんな俺を救うように、完璧なタイミングで携帯が震えた。

 電源ボタンを押して画面を見ると、それは小泉さんからのメッセージだと気づいた。


『雨が降っているんだけど、大丈夫ですか?』


 小泉さんにラインされるのは初めて。普通は連絡先を正しく入力したかを確認するために挨拶とかを送るだろうけど、彼女はなぜかそうしなかった。

 まあ、俺も小泉さんに挨拶を送ろうとしなかったけど。

 その時は小泉さんに会ってばかりだったし、あんまり喋っていなかったし、彼女といると空気が気まずかったから。

 俺は頭を空っぽにして、返事を打ち込むのに取り掛かった。


⯁  ⯁  ⯁


『わかりました。残念ながら、せっかくレインコートを買っておいたのに、親は私を外に出させてくれません』


 こうして、俺と小泉さんのやり取りが終わった。

 携帯をちゃぶ台の上に置いてから、俺は夏海の様子を見に行った。

 彼女はまだ雨を見るふりをしているようだけど、俺はそれを気にせず、堂々と近づいてみせた。

 途中で夏海は振り返り、身体からだを窓に預かった。

 俺はそんな夏海を壁ドン、いや、窓ドンした。

「ゆ、雄己……?」

 当然ながら、夏海は当惑した表情を浮かべて、紅潮した。

「夏海。本当は、後ろ髪が引っ張られたことに怒っていないよね。また別の理由があるんだろ? だから、それを素直に言ってほしいんだ」

 俺は返事を期待したけど、夏海はただ首を左右に振っただけ。

「あたし、まだ言えないわよ」

 まだ、か。彼女はいつも『まだ』と言っているのではないか。じゃあ、いつ言えるようになるのか。

 俺は何をしているのか、何をしようとしているのか。夏海を窓ドンしても、いいことにはならないだろう。ただでさえもろい夏海を傷つけてしまうだけ。

「ごめん、夏海。俺は君に苦しんでほしくないからこうしているんだよ。全部、君のためなんだ。それは間違っているなら、教えてくれないか」

 夏海はまたかぶりを振った。

「わかってる。雄己が悪いんじゃない、あたしが悪いの。とにかく、何か楽しいことをしようよ」

「たとえば?」

「んー」

 夏海は熟考するように小首を傾げた。ややあって、彼女はこう提案した。

「雨宿りしてる間に、お腹が空いてくるでしょ? おやつを作ろうね!」

 ――おやつを作りたい、か。それは相当楽しそうだな!

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