第23話 直刃/魅

 先行する細波が立ち止まるまで、直刃は無心に足を動かすのみだった。もとより、気配を察知することには長けていても、すれ違う人間一人一人を観察する程他人に興味がある訳ではない。しばらくの間、直刃は細波の大きな背中ばかりを視界に収めた。

 彼が足を止めた時、予想できていたことではあるが周囲の人気ひとけはなくなっていた。昼間の城内に、こうも静まり返った場所があるのか。あるいは、細波が何らかの細工を施したのか──どちらにせよ、他人の耳に入れたくない話が始まるのだろう。

 直刃が歩みを止めたとわかったらしい細波は、無言で振り返った。精悍な顔立ちは険しい色を湛え、敵意とまではいかないが警戒心はあらわだ。細波には良く思われていないのだと、直刃は他人事のように理解する。


「……直刃、といったな」


 まず、名を検められる。間違いはないので、是、と答えて相手の顔を見上げる。

 本来、直刃が好ましく思う者とは、細波のような人間だ。強く、大きく、美しい。力を持ち、それを武力として行使することを得手とする、生ける武器のような男が直刃は好きだ。そういった手合いを前にすると、気が浮き立つのが自分でもわかる──闘争に興じてみたいという欲が沸き起こるのだ。

 だが、こういった欲はある程度の抑えが効くし、現在の身の上であれば比較的容易に発散できる。無理を押して我慢するようなものではない。

 それなのに──予想だにしていない例外ができてしまった。


「未散に何をした」


 言葉を飾らず、細波は端的に問うた。鋭く光るそのまなこが瞬きをすることはない。

 やはり、この男は人ではない。静かながら立ち上る細波の覇気を感じ取りながら、直刃は面頬の下で舌舐めずりした。薄々勘づいていたことではあるが、確証を得られるとやはり快い。

 ──と、喜んでばかりはいられない。恐らく細波は、こちらが未散の内面に干渉したことを察知している。さすがに式神とはいえ心臓を移し替えたとなれば、割れるのも時間の問題ということか。


「延命をした。危害を加えたのではない」


 だんまりは性に合わないので、直刃は間を置かずにさらりと答えた。もとより、後ろめたいことではない。細波にとっても、未散の死とは痛手であろう。

 直刃の返答に何を思ったか、それを知るのは細波だけだ。彼は顔をしかめた後、ぎゅっと苦しげに眉を寄せた。未散と似た──他人のことなのに、己が痛みを覚えているかのような表情だ。


「……貴様は、良かれと思ってその行為に及んだのだろうな。そうか、やはり……あの娘は、苦しんでいるのか」


 やはり、などと宣うからには、未散は細波にもその胸中を吐露していたのだろう。波分家に連なる者という立場を考えれば当然のことだが──未散が自分以外の者を頼り、心情を明らかにさせていると思うと、どうしてか焦りと苛立ちが飛来する。これまで、敵以外に──いや、余程の曲者でなければ敵にさえ──後ろ向きな感情を抱くことのなかった直刃としては、未散と出会ってからの自分自身が不思議でならない。こうも心動かされることになろうとは、思いもしなかった。

 知らず、片手が己の胸元に伸びている。居場所を移した心臓のあった場所が、火種を抱えるように仄熱い。

 そんな直刃の変化を見越したのかは定かではないが、細波は切るような睥睨を降らせた。握り込んだ拳は、しかし直刃に向かって振り上げられない。


「貴様に悪意がないことは認める。同じ人でなし、心の波くらいはわかって当然だ。……が、未散は人だ。定命の、か弱くちっぽけな……ただの人間に過ぎない」


 細波は強い男だ。堂々と自立した存在で、然れど望んで波分家に付き従っていることは一目見た時からわかりきっていた。

 その細波が、喉の奥から声を絞り出して訴えかけている。その切実さと事の重大さがわからぬ程、直刃は鈍くない。細波もまた、未散という一人の少女になけなしの心を砕いているのだ。


「人の生とは限られたものだ。特に、未散はその気性から、手に入れられるはずの自由や楽しみを放棄してまで波分家の御為にと尽くしている。無駄だと思うか? 己の幸福を投げ捨てる愚か者だと思うか? 俺は思えぬ。あれは……常なる人間の中に、そう容易く生まれるものではない」

「無論、理解している。未散の有り様は美しい。かの献身、忠節、心持ち──あのような、危うい程に善良な人間を、直刃は初めて見た」


 直刃はうなずき、今は離れている少女の姿をまなうらに思い浮かべる。いつだって肩肘を張り、波分家の名代たらんと気負う小さな体。奔流となって自身の内に渦巻く激情が他者を傷付けると知っているが故に自傷を選ぶ、類い希なる利他的な気質。己よりもその目に映る人々の幸福を願ってやまない、痛々しい程の善心。

 それは、闘争に浸り血を浴びて奮い立つ──元来陰に生きる鬼神たる直刃にとって、あまりにも眩かった。初めて目にした光は人でなしの目を焼き、そして逃れられないしるべとなってしまった。

 あの光を追いかけていたい。だが、未散は遠からず消えゆく定めを選ぶだろう。それだけは認められない。先に消えるのは直刃でなくてはならない。

 何より──やっと見付けた光、柔らかで心地よい熱が己の与り知らぬところで絶やされるなど、到底許せることではない。


「未散は直刃の心に決定打を与えた。直刃は、あの小さく頑是がんぜない命が虚しく消えることを望まない。たとえ未散の炎が世を焼き滅ぼすのだとしても、直刃は延焼を喜び、灰となって終わる日を切望するだろう」

「……恐るべき執着だな。情念に狂う鬼とは女ばかりかと思っていたが、そうでもないらしい」


 凜々しい眉をひそめ、細波が吐き捨てる。未散に危害を加えるのなら承知しない、とその目が言外に物語っている。

 直刃は物語に疎い。だが、細波の語る鬼たちが、情を抱いた果てに何を見たかはわかる気がした。

 ふ、と自然に笑いがこぼれる。未散を害するなどあるものか。少なくとも、直刃が未散に干渉するとなれば、それは彼女をたすけるために他ならない。


「慕う者を害して、何の意義があろうか。直刃は未散の味方だ。殺すとしたら未散の敵のみ。その方が楽しい」

「……理解できん。人ならざる身でありながら、人の加害性を受け継ぐか。その目的と行動方針が少しでも違えば、貴様は世間より排除されて然るべき化生と見なされていただろうな」

「ほう、お前は違うと? 細波、お前もまた化生のものではないか」


 細波自身に恨みはないが、延々と説教されるのにも飽いた。この辺りで意趣返しをしておこう。

 さすがに細波も素性を隠し通せているとは思わなかったのだろう、僅かに目をすがめただけで、大きな反応は見せなかった。


「貴様の言う通り、俺もまた化生のものだ。人に似せてはいるが、根本的な部分が異なる──その事実は俺自身もよく理解している。今更己を人とは思わん」


 貴様は式神だったか、と細波は思い出すように続けた。


「形式こそ違えど、人に隷するという点においては同族やもしれんな。俺は波分氏との契約に基づき、こうして現界しているが……貴様の主はどうしている? 未散に契約の気配は見受けられないが」

「主……直刃を喚び出した人間か。それなら死んだ。直刃も消え行く定めであったが、幸運なことに助けを得た。それが織田家に仕える者であったが故に、今の直刃がある」

「死んだ、だと?」


 直刃としては特にこれといった感慨なく伝えたはずだが、細波はわかりやすく目をみはった。端正な顔立ちに驚きの色が広がる。


「では、今の貴様は誰と縁を結んでいる? 式神とは、霊気を供給する人間──主があってこそ成り立つもの。いや……そもそもの前提として、人の干渉がなければ現世に実体を有することすら難しい、低級の怪異がなるものだ。貴様──何故、主たる術者が死した時点で現界できている? 余程腕の立つ術者でもなければ、貴様の存在を視認することなぞできるはずもない」

「誰かと確たる縁を結んではいない。霊気ならば、業務上手に入る血肉で賄っている。──ついでに言えば、直刃を拾ったのはただの人間だ。術者でもなんでもない」


 細波が天を仰ぐ。あり得ない、と彼は消え入りそうな声で呟いた。

 たしかに、式神の原理は細波が話した通りだ。術者と縁を結ぶことにより実体を獲得し、その対価として自らを喚び出した術者に隷属する。術者から供給される霊気がなければ、地に足をつけることも難しい──単独ではあまりにも儚く、弱い怪異だ。

 しかし──直刃が未散に情念を燃やすように、何事にも例外というものがある。


「何……そう小難しいことはない。術者の死肉を食ろうたのよ」

「なんだと?」

「直刃が顕現した後、この身を喚び出した術者は死んだ。たとえ主たる人間が生き絶えたとて、猶予はある。その隙に、術者の肉を食った。故に、直刃の存在は固定されたのだろう」


 そう睨むな、と直刃は目を細めた。本気で言っているのではない。常に威風堂々として見える細波が、目に見えて動揺している──ひしひしと感じられる警戒心が気持ち良い。


「直刃は未散を害しない。己が心臓を預けるに足ると判じたのだ、直刃は未散の味方であり続けよう」

「そこに、未散の意思はあるのか」


 全ての感情を押し殺した細波の問いかけに、直刃は是非を唱えなかった。ただ面頬の下でうっそりと微笑み、凪いだ声色で告げる。


「未散に自覚があろうとなかろうと、この直刃の心を揺さぶったのは変えようもない事実。ならば責任を取るのが常道であろうよ。直刃はまだ満足していない──どうなるべきかは未だ見えないが、きっと直刃の心を満たす終着点がある。それを見付け、未散がたどり着くまで、直刃はあの人の子の終わりを認めない」


 当たり前のやりようで、直刃の根本を変えた女。未散のような人間が今後二人と現れるのだとして、それでも直刃は手の届く未散が欲しかった。

 未散には、責任を取ってもらわねばなるまい。何を如何様に、とまでは定まっていないが──選択の果てに、直刃がことごとく是とうなずく結論は必ずや存在するだろう。それを見届けるまで、直刃も、そして未散も、終焉を享受することはない。


「……鬼め」


 短く、細波が毒づく。その罵りさえも心地よく、直刃は然り、と肯定する他になかった。

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