第6話 未散/睒
いつ眠りに落ちたかは不明だが、疲労とは問答無用で人の意識を奪うものらしい。いつの間にか机の上で突っ伏して眠り込んでいた未散は、絶対頬に木目の痕がついていることを確信しながら伸びをした。
昨日はとにかく疲れた。織田の使者──直刃が怪我人ことあやめを運び込んできたことに始まり、人食い虫の被害があったという片古家では使用人たちの急襲を受けた。その片古家は当主を含めてほぼ全員死亡という有り様で、生存者は前当主の後妻──あやめに教えてもらうまで一族の娘かと誤解していた──万由のみという始末。片古家を起点に人食い虫が発生しては堪ったものではないので、半ば強引に屋敷を焼き払った。行き場をなくした万由を引き取り、どうにか入手した人食い虫の死骸を検分している最中に寝落ちてしまった──これが事の次第である。
自分から引きこもっておいて何だが、皆と顔を合わせるのが気まずい。それは決して今の醜態を晒したくないからではなく、昨日の行いを責められるかもしれないという不安があったからだ。
(万由殿は、端から見てもそうとわかる程落ち込んでいた……。彼女をああしたのは、他ならぬ私だ)
人食い虫が火に弱いという話を聞かずとも、未散は片古家を焼くつもりでいた。可能な限り人食い虫の被害を出さぬため、苦渋の決断だった。
それでも、泣き崩れる万由の姿をなかったことにはできない。家人を失い、今まで過ごしてきた居場所まで奪われる──彼女の悲哀は、如何程のものであろうか。
恨まれる覚悟は決めてきたつもりだ。これも近江を守るため、避けられない選択である。術者の端くれとして、他人の目をいちいち気にしてなどいられない。
弱気な自分を内心で叱り飛ばし、未散は一度深呼吸する。厳めしい表情を作り、波分の名代に相応しい佇まいを心がけながら、意を決して襖を開けた。
「ん、起きたか」
「ひゃっ⁉」
──先で直刃がどかりと座り込んでいたものだから、未散は意図せず悲鳴を上げてしまった。
何故、彼がこの部屋の前に座しているのだろう。ばくばくと跳ねる心臓をどうにか抑え込みつつ、未散は何事もなかったかの如く努めて落ち着いた声色で返す。
「……お前、何故ここにいる? 布団は人数分用意しているはずだが」
「直刃」
「は?」
「お前という二人称よりも、個体名での呼称を推奨する。その方が嬉しい──今後はお前よりも直刃と呼ぶ回数を増やすように」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、要するにお前呼ばわりは好かないらしい。面倒に思いながらも、これからしばらく行動を共にすることを考えれば邪険にすべきではないと判断し、未散はなるべくその言葉に従うこととする。
「では直刃。何故用意した布団で寝ていない?」
「男の体をしている直刃が女性と雑魚寝するのは不適切と判断した。加えて、協力者に不測の事態があってはいけない。直刃は睡眠をとらずとも稼働可能──故に不寝番が適当と見なした」
「…………たしかに、そうだな」
驚かされたので文句のひとつでもぶつけてやりたかったが、直刃の言い分は筋が通っている。出鼻を挫かれた未散は唇をぎざぎざにして、消え入りそうな声で肯定した。
昨日は疲弊していたし、直刃がそういったことに無頓着そうなので考慮していなかったが、たしかに若い娘と男──しかも抵抗しようにもできない手練れの武人──を雑魚寝させるのはまずい。直刃に分別と良識があって本当に良かった。
己が浅慮のせいで、あやめと万由の身を脅かしたばかりか、直刃に要らぬ気を遣わせてしまった。自責の念から、未散は唇を強く噛む。そうでもしなければ、醜い悲鳴を上げてしまいそうだった。
「──ところで」
ふに、と唇の上下が柔らかく押し開かれる。予想外の感触に、未散は目を丸くさせた。
直刃が手を伸ばしている。人差し指と中指を使って、未散の唇に触れているのだとようやく理解した。先日の大立ち回りが嘘のような、繊細で優しい力の加え方だ。
こうまでしてこちらの気を向かせるとなると、余程重要な話なのだろう。恐る恐る目線を上げると、直刃はそっと指を離した。面頬に下半分を覆われた顔は、相も変わらず無表情である。
「八つ、直刃は手柄を得た。如何様か」
「…………へ?」
そして飛び出した言葉がこれだ。その真意が理解できず、未散は間の抜けた声をこぼす。
八つの手柄。なんだろう、と考えを巡らせる。自分を助けた回数だろうか。
これまでの動向を振り返ってみるが、時間が足りない。その前に直刃が答えを出している。
「直刃は敵を八人討ち取った。この事実に対し、お前は如何様に評価する」
そちらこそお前呼ばわりではないか、と突っ込む気にはなれなかった。一瞬にして言葉の意味が理解できてしまったと同時に、血なまぐさい光景がありありと未散の脳裏に映し出される。
全ての敵を斬殺した訳ではないが、何を思ったか直刃は彼らの首を一つ一つ掻き切った。その上持ち帰るなどと宣ったが、さすがに隠れ家を梟首の場にしたくはないので断固として断り、他の遺体と共に屋敷跡へ土葬した。さめざめと泣く万由を除いた三人で、日が暮れるまで亡骸を埋めたのは嫌でも忘れられない出来事だ。疲弊の一因とも言える。
武士たちは殺した人間の数を競い合う生き物だというが、未散にはその感覚が一生理解できない気がする。わざわざ人殺しであることを誇るなんて、正気の沙汰ではない。仕事だからやっているだけだと言われればぐうの音も出ないが、だからと言って殺人を楽しむとなると話は別だ。同じ人のかたちをしていたとしても、中身まで同一とは認めたくない。
そういった訳で殺人を嫌う未散ではあるが、直刃に助けられたのは事実だ。目の前で臓物を散らかされたとか、あまりにも道義に反することをされでもしない限りは認めようと、使者が遣わされると文が来た時から心に決めている。
だが──未散には、どうしてもわからないことがある。
(手柄の相場はどの程度なんだろう……?)
未散は武士ではない。当然、戦に出たこともない。
故に、どれだけの敵将を討ち取れば大手柄となるのかの基準がわからなかった。
とりあえず無言は良くないと思い、改めて直刃を見る。彼の顔つきは変わらなかったが、何かを待ち望んでいるようだった。銀の瞳に期待が浮かんでいる。
「……戦とは要領が違うから、あくまでも私の主観ではあるが──よくやったのではないか?」
相手の機嫌を損ねないよう、慎重に言葉を選ぶ。少なくとも、未散にとっては八人の命を奪うなど容易なことではない。
ぱちくり、と一度瞬きして──直刃は
「称賛は形にすべし──撫でよ」
そして次に出た言葉でさらに思考は混乱へと陥った。
恩賞でもねだられるかと思いきや、撫でろときた。頭を垂れたのはこのためかと、戸惑いの中で納得できるのが悔しい。
お前は犬か、と突っ込みたい気持ちも山々だが、一応こちらの命を救ってくれた相手が望むならば与えるのが常道。未散は溜め息を我慢して、恐々と直刃の頭に手を伸ばす。
「よ……よしよし……」
「…………」
なんだろう、心なしか嬉しそうに見える。
上目遣いにこちらを見上げる直刃は、言葉こそ発しないもののもっとやれと目線で訴えかけている。本当に犬なのかもしれない。犬にしては血なまぐさすぎるが。
困惑はあるが、悪い気はしない。未散は両手を使ってわしわしと撫でてやる。これで直刃の気が晴れるならなんでも良い。むしろ平和的な要求で助かる。
「褒められるのはやはり嬉しい。皆がこぞって武功を立てる気持ちが理解できた。今後も活躍した際には称賛を要求する。撫でる以外でも構わないが、触れてくれると直刃は喜ぶ」
一頻り撫でてやると満足したのか、先程よりも満ち足りた眼差しで直刃は要望を口にした。未散は彼の背中にぶんぶん振られる尻尾を幻視する。
「こんなので良いなら私としては助かるが……まさかいつもこういった調子なのか?」
「否。直刃に課せられる任務は斥候や偵察、後は暗殺等の単独行動が多い。昨日のように多数の敵を討ち取る機会は少なく、戦に参陣するとしてもせいぜい前哨戦の補佐程度……実を言うと、手柄を競う同輩が羨ましい。次は十人……いや二十人を超してみせる。同輩に遅れをとってはいられない」
「いや……そういうことではなく……恩賞はちゃんともらっているのかと聞きたかった」
「──なるほど、理解。報酬であれば一度の欠けもなくいただいている。此度も任務が終われば論功行賞が行われるだろう。お前が案じる必要はない」
直刃の同輩とやらと関わり合いになりたくない意思をさらに固めつつ、織田家の給与支払はまともそうで、未散はひとまず安堵する。まさか直刃にのみ恩賞があって未散はタダ働き──などということはないだろう。こちらにも生活があるのだ、足下を見られては困る。
近江の民のためにも、必ずや成果を出さなければ。決意を新たにしていると、直刃が目元を弛めているのが見えた。こうしていると、穏やかそうな白皙の美男子に見えないこともない。
「それにしても、お前もまた見事であった。此度の任が完了した暁には、お前の成果も報告したい。きっと殿もお喜びになられる」
「私? 私はまだ何もしていないと思うが……」
「謙遜するな。片古家を一切の欠片なく焼き払っただろう。あのような術は初めて見た。焼き討ちの際には頼りになるだろう。未散は誇って良い」
「誇れるか馬鹿……」
せっかく気を紛らわせそうだったのに、結局思い返してしまった。忘れたい出来事が舞い戻ってきて、未散はがっくりと肩を落とす。
情けないことだが、本当に後悔しているのだ。人食い虫にもっと早く対処できていれば、片古家を──いや、これまで被害を受けた家を焼く必要などなかった。後処理をする度に、未散は傷付いている。それが甘いと知っていながら、悲しみを覚えずにはいられない。
うつむいた未散の顔を、直刃が覗き込む。何故落ち込んでいるのかわからないとでも言うような、透き通った目で。
「気を落とす必要はない。お前は最善を為した。直刃が見た限りでは、ひとつの不手際もなかった」
「不手際とか、そういう問題ではないのだ。……個人的な感慨だ、気にするな」
「何の根拠もなく、憐れみから発言している訳ではない。当たり前の、正しい行動だったが故に肯定している。軍では時に撫で切りにすることもあるが、その際にも必ず村落を焼く。感染症を防ぎ、周囲の見せしめとするためだ。お前が咎を負う必要はない──むしろ褒められて然る行いだ」
「褒めるのはお前……直刃くらいのものだろう。世に出れば非難されて当然の行いだ。ああなる前に、より良い手を打てていれば良かった──まあ、何を言おうと後の祭りだがな」
「お前がそうも悲観するのは、組織の中に組み込まれていないが故だろう。軍に所属すれば、お前は皆から頼りにされる。この任務が終わったら、織田軍に加わっては如何か。笑顔あふれる朗らかな職場だ。何より、お前のように才ある者は大歓迎。すぐに馴染む」
「……とりあえず、お前が励ましてくれていることはわかった。すまないな、以後は切り替える」
ものの喩えが物騒なのは目を瞑ろう。こういったことを気にしていてはきりがない。ついでに軍閥に就職する気は一切ないので、気持ちだけ受け取っておくことにする。いくら今をときめく権力者の下とはいえ、人には向き不向きがある。少なくとも未散は笑顔になれる気がしない。
何にせよ、ここで立ち止まっているべきでないことは確かだ。気を取り直して、未散は協力者たる式神に向き直る。
「今日は長浜城に向かう。あやめ殿と万由殿の起床次第、支度に取りかかって欲しい」
「城へ……筑前守への謁見か?」
「いや、定期的な訪問だ。そう気負う必要はない──無礼がないに越したことはないがな」
「承知した。……荒事はないのか。残念だ」
「あってたまるか」
我慢するつもりの本音が、意図せず唇からまろび出る。あっと思った時には既に遅く、直刃が目を丸くさせている。そして、菓子をもらえないとわかった童を思わせる、拗ねたような顔をした。
その表情がおかしくて、未散は不思議と胸のすく感覚を覚えた。表情が弛んで見苦しいことにならないよう心掛けながら、するりと直刃の横を通り抜ける。
「同行、よろしく頼むぞ。直刃」
背を向けているので、直刃がどのような顔をしているかは判別できない。あの無表情を崩すことができていれば良いと思いながら、未散は女性陣を起こすために歩を進めた。
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