第7話 直刃/郭

 筑前守こと羽柴秀吉は猿に似ているらしい。直刃は彼と顔を合わせたことがないので周囲の話を聞く他ないのだが、小柄という特徴が概ね一致しているため、その体型から猿に似ているという評価に繋がったものと判断すべきだろう。

 そんな信長の覚えめでたい出世頭に一度は会ってみたいところだが、今回はその時ではないようだ。残念だと思いつつも、まあそう簡単に挨拶できるような相手でもないと直刃は割り切る。部位で言えば尾にあたる身だ、身の程は弁えているつもりである。行きも一度城に立ち寄ったが、無事に到着したという報告のみだったため、結局城主との面会は叶わなかった。


「波分様はお城の方々とも付き合いがあるのね。わたし、驚きました」


 出された煎茶をあおりながら感想を述べるのは、昨日よりも幾分か顔色の良くなった万由だ。未散の着物を借りているので身に纏う色彩は落ち着いているが、気落ちしていないだけ今の方がずっと良いと直刃は思う。

 未散を除く三人は、現在長浜城の応接間に通されている。未散が戻ってくるのを待っているという訳だ。

 先程万由が口にした通り、波分家は新たに長浜を治めることとなった秀吉に対し、早々に協力的な姿勢を示した。未散いわく最近は術によって生成された火や可燃材を取引しているらしく、その対価として家の安定を保証されているという。もともと織田氏に恭順していたため、長浜城主たる秀吉にも波分家を邪険にする理由はないのだろう。今では様々な場面で支援を受けているのだと未散は言った。

 その未散は、厨や事務方など、日頃から取引を続けている部署へ顔を出しに行っている。人の口に入るものを取り扱っている部署もあるということで、余所者である直刃たちは未散から待っているようにと言い付けられた。それが万由は気に入らないらしい。


「できることなら、わたし、お城の中を見て回りたかったわ。こんな機会は滅多にありませんもの。仕方のないことだとは思うけれど、波分様もいけずなところがあるのね」


 ぷりぷりと唇を尖らせる様は、年頃の少女そのものだ。未散の言うことは尤もなので万由には同意しかねるが、元気になってくれただけ良しとしよう。

 あやめはというと、文句ひとつ言わずに茶請けの菓子へと手を伸ばしている。落雁の食感が不思議だったのか、彼女はぱちぱちと大きく瞬きしてから嚥下した。


「ねえ、あやめさん。城主様は、地元の民も積極的に雇い入れていらっしゃるそうですよ。せっかくだし、あなたも志願してみてはいかがかしら。甲斐甲斐しく珠芽さんのお世話をしてくださっていたあなたなら、きっと悪いようにはされないと思うのだけれど」


 手持ち無沙汰なのか、万由が何気ない調子であやめに話しかける。碎けた口調で話すと決めたのは直刃だけなのか、もとの丁寧な口振りに戻っている。

 万由に悪意はないのだろうが、殉じると思い詰めるまでの忠義を持つあやめには不快な提案だったのだろう。凍てつくような冷ややかな眼差しをもって、彼女はかつての主──その妻を一蹴する。


「お嬢様以外の方にお仕えする気はありませんので、丁重にお断りします。お城が気になるのなら、万由様が働きに出たらよろしい」

「そんな……そのようにすげない言い方をせずとも良いではありませんか。わたしは、あやめさんのことが心配で」

「余計なお世話、とだけ言っておきます。そう言う万由様こそ、いつまでも波分様のお世話になっている訳にはいかないでしょう。生家に文は出されましたか? ご実家も全滅されていらっしゃるなら、これ以上の言及はしませんけど」


 どうやら、あやめは万由のこともあまり良くは思っていない──というよりは、珠芽以外の人間に好感がないのだろう。丁寧だが確かな棘を含んだ声色で、じろりと万由を睨め付ける。

 物言いは刺々しいが、あやめの言は筋が通っている。嫁入り先に何か大事があれば、まずは実家に連絡を入れるのが常道だ。せめて無事を知らせるくらいはした方が良いだろう。

 万由は酷く傷付いたような顔をして、ぎゅうと膝の上で拳を握った。目元に涙の粒が盛り上がる。


「実家に出戻るなんて……きっと許されません。手間をかける娘だと、責められてしまいます」

「お前の非で片古家が被害を被った訳ではないだろう。責められる謂れはないと判断するが」


 今にも泣き出しそうな万由を放置するのもどうかと思い、直刃は抑揚に欠ける声色で横やりを入れた。

 自分とは無縁の話題なので偉そうなことは言えないが、今回の一件に関して万由は明確な被害者である。離縁した訳でもないのだから、出戻ったところで万由の実家が顰蹙ひんしゅくを買うことはないはずだ。

 しかし、直刃の励ましは逆効果だったらしく、万由はますますうつむいてしまう。長い睫毛が、青ざめた肌に影を落とした。


「わたしは……実家に戻りたくはないの。どんな理由があったとしても、出戻りなどすれば父はわたしを責め立てるでしょうから……。恥をかかせたと言って、わたしを折檻するのは目に見えているわ」

「未散に頼めば、事の次第を伝えてくれるかもしれない」

「いいえ……その程度で父が納得するとは思えない。新しい嫁ぎ先を見付けでもしない限り、わたしは役立たずの穀潰しにしかなれない……」


 万由が声を震わせる。潤んだ瞳が、すがるように直刃を見上げた。

 彼女は自分に何かを訴えかけようとしている。しかし、直刃にはその『何か』がわからない。

 助けを求めるように傍らのあやめを見る。ただ一人の主にしか仕えないという忠義の徒は、白けた顔であられを頬張っていた。いかにも我関せずといった様子で、あからさまに目を逸らされる。

 どうしたものかと悩んでいる間に、万由は動いていた。白く傷ひとつない手が、直刃のそれを目指して伸びる。薄桃色の唇が、言葉を紡ごうと開きかけた。


「──あ、」


 ──よりも早く、閉じられていたはずの襖が開く。

 反射的に直刃は顔を動かした。知っている気配ではない──初対面の人物が入室したのだと、すぐにわかった。

 来訪者は年端もゆかぬ子供だった。十を過ぎたか、まだ到達していないか──とにかく元服にはまだ少し早いくらいの年頃で、顔つきだけでは性別を見分けることが難しい。男物の着物を身に付けていたので、ひとまず直刃はこの子供を男だと思うことにした。


「かくまって」


 声変わりをしていない、透き通った声で子供は言った。子供にしては大人びた言葉を使う、と直刃は感心した。

 そうこうしているうちに、子供は音もなく襖を閉めている。直刃の真正面に移動すると、ちょこんと正座した。


「……未散のお客さん?」


 ひそひそと声を落としながら、子供は尋ねる。知っている名が出たので意外に思いながら、直刃はひとつうなずいた。


「是。我々は未散に同行してきた。お前は未散の知己か」

「ちき?」

「知り合いかと聞いている」


 言葉を正すと、子供はみるみるうちに嬉しげな顔をした。応接間の前を足音が通り過ぎるのを待ってから、子供は左右にゆらゆら揺れながら口を開く。


「うん、知り合い。仲良し」

「そうか。仲良しなのは良いことだ」

「ね。良いことだよね。お客さんたちは、未散と仲良し?」


 首をかしげながら、子供が問いかける。基本的に是非を即答する直刃ではあるが、この時ばかりは当意即妙に解を用意できなかった。

 自分と未散の関係とは、如何様なものであろうか。まだ合流してから一日しか経っていないし、良いとも悪いとも言い切れないのが現状だ。良くも悪くも過ぎたる間柄ではないと思う。

 どのように言い表したら良いのだろう。久しぶりにあれこれ思案していると、普通ですよ、と平坦な声が聞こえた。先程まで部外者に徹していたあやめだ。


「あたしと未散さんは特別仲良しでも、特別仲悪しでもありません。だって、まだ一日のお付き合いなんですもの。どうにかなるのはこれからのことですよ」

「ふつう……」

「ああでも、あたし個人としては、未散さんは割と好ましい方に入るかもしれません──勿論、お嬢様には及びませんけれど。今まで関わってきた人の中では、印象が良いと思います。あたしのことたないし、大きな声で一方的に怒鳴り付けることもありませんから。少しつんけんしていらっしゃるけれど、悪い方ではないのでしょうね」

「未散はいい子だよ」


 にこり。無邪気に微笑みながら、子供は迷いなく、確信を持って言う。


「まじめで優しい、素直ないい子。だけど、いい子すぎていつも損してる。未散って、そういう人」

「まあ。的を得ていますね」

「でしょ。未散はいい子。でも、ずっとお家のためにがんばってるから、お友だちはあんまりいないんだ。だからね、もしよかったら、未散と仲良くしてね。未散に仲良しのお友だちができたら、うれしいから」


 琥珀を思わせる瞳が、順繰りに客人たちを捉える。真っ直ぐで、曇りのない眼差しだった。

 あやめは目を瞬かせ、万由は困ったように苦笑いする。二人とも、本気で受け取ってはいないのだろう。子供の戯れ言だと思っているにちがいない。

 不意に、直刃の脳裏に、唇を噛む未散の姿が想起された。あれは彼女の癖なのだろうか。負の感情を浮かび上がらせる時、未散は強く──それこそ唇が切れてしまいそうな程に噛み締める。口の中から、言葉がこぼれ落ちないように。

 あの頑是ない姿を思い出す度、直刃の胸元でちりちりと何かが燻る。それが何かはわからないが、何となく気持ち悪い。

 同時に、今朝言葉を交わした時、ふと相好を崩した──年相応の顔をした未散も、頭の端を掠めていく。ああいった顔なら、ずっと見ていたいと思う。仲良しになれば、未散は今よりも柔らかな顔つきで過ごすことができるだろうか。


「頑張ってみよう。直刃も、未散とは親しくなりたい」


 思いきって口にしてみると、なんだか面映ゆい気持ちになった。親しい友人はそれなりにいるつもりだが、改まって宣言したのはこれが初めてだ。今までに仲良くなった者は、そのつもりなどなく、自然と関わり合う間柄だったから。

 この回答は子供にとって喜ばしかったのか、ぱっと表情が華やぐ。にこにこしたまま、子供は直刃の膝の上に座った。そうして、弾む声音で持ちかけてくる。


「ね、暇ならあそぼ。お客さんとも仲良くなりたい」

「暇──なのかは不明だが、直刃は構わない。何をして遊ぶ」

「なんでもいいよ。お客さんの好きなことしたい」

「好きなこと……」


 戦い──といきたいところだが、さすがの直刃もそれがことくらい理解している。そもそも、来訪先で暴れるなど言語道断だ。祐成がいたら、きつめの説教を食らうことになるだろう。

 一応あやめと万由の方を見てみたが、彼女らは子供とあまり関わりたくないようだった。あやめは湯呑みの中を覗き込んで、あら茶柱、などと白々しく呟いている。万由は相変わらず眉尻を下げて、気まずそうにこちらを見つめていた。


「わたし、子供と関わったことはあまりなくて……直刃様が一番慣れていらっしゃるようだし、ここはお任せするわ」


 直刃とて、子供の扱いに慣れている訳ではない。しかしここでは消去法で最も適任ということになってしまったようで、今更断れる空気などどこにもなかった。

 直刃は子供に向き直る。式神である自分に子やきょうだいがいることはまずあり得ないが、そこは職場の仲間たちから得た知識で乗り切ろう。この子供の年頃だと、子というよりはきょうだいとして見た方が適しているかもしれない。人によっては既に子がある者もいるが、直刃の周りにいる父親はいずれも乳飲み子を育てている。

 少なくとも、直刃の周りに一人っ子だという同輩はいない。酒の席のように集まる機会があると、きょうだいたちの話になることも多い。この兄の名前を書けるようになったとか、妹が自分と結婚するのだと言って聞かないのだとか、逆に自分よりも飼っている犬の方が好きだと言われて落ち込むとか、話題として話しやすいのかもしれない。最後の者は、さすがに可哀想だったので慰めてやった記憶がある。

 祐成はこういった話に混ざることはなかったが、それは彼が末っ子で、物心つく前に父親と三人の兄を戦により喪っているからだった。直刃がいてくれなかったら疎外感でどうにかなってしまいそうでした、などと彼は笑うが、まず血族のいない自分とは絶対に異なるものだと直刃は思う。人間とは、どうあっても同じにはなれない。

 何はともあれ、今は目の前の子供と遊んでやらなければならない。何をしたら喜んでくれるだろうか。趣味の範囲で、最近したことを思い返してみる。


「……相撲は如何に?」


 真っ先に思い付いたのは相撲である。祐成をはじめとして周囲に相撲好きの者が多く、事あるごとに組み合っている姿を見ることが多いからだ。

 これに対し、子供はうーんと首を捻った。あまりお気に召さなかったらしい。


「騒いだら見付かるよ。もっと静かな遊びにしよ」

「静かな……むう」


 恥ずかしながら、直刃は文化的な趣味を持ち合わせていない。茶会や連歌会に呼ばれれば行くが、自ら進んで手を出したり主催したりすることはない。遊びそのものよりも、誘ってくれた人物と交流する方が好きなのだ。

 京や堺での任務もあるからと一度茶の湯を学ぼうとしたこともあったが、大人しく座っているのはなかなか難しい。今ではそんなことにならないだろうが、当時は力加減がうまくできなかったこともあり、茶筅で力一杯攪拌したら中身である抹茶がいつの間にか跡形もなく消えていたことがある。この話は瞬く間に広まり、しばらく蒸し返されて辛かった。尚、未だに蒸し返される。

 茶の湯の他に、和歌、連歌、文筆、能狂言、幸若舞、蹴鞠、鷹狩り、香道、華道、猿楽、製剤も試してみたが、いずれも己の得手とは思えなかった。趣味がない、と軽々しく発言したことで周囲から各々の趣味を共有しないかと持ちかけられ、大体上手くいかずに今に至る。とはいえ勧めた側から嫌な顔はされず、岐阜にいる際は城主である少将こと織田信忠が能狂言をこよなく愛していることもあり、ちょくちょく演目に連れ出されることも多い。自らが舞うとなると不恰好な動きしかできないが、文句を言われたことはない。親しい同輩にいわく、あたふたしながら一生懸命に舞う姿が可愛らしいとのこと。理解はできないが悪印象ではなさそうなので、直刃は気にしないことにしている。

 閑話休題。まずは目の前の子供を満足させる遊びを提案しなくてはならない。

 言葉遊びなども考えたが、子供はともかく自分の語彙力が乏しいのですぐに終わってしまうことは目に見えている。これでは子供につまらない思いをさせてしまうだろう。


「……では、雑談をしよう。直刃はお前のことが知りたい」


 最終的に、直刃は遊びも何もない語らいにて子供へ応じることとした。相手を満足させるとすれば、お互いの情報を開示し、機密保持に差し障りのない範囲で自らの見聞きした物事を語って聞かせることくらいだろう。

 子供はこの提案に異存がなかったのか、うん、と表情を綻ばせた。愛らしい笑顔だ。自分が人間で、きょうだいがあったなら、このような体験は日常となっていただろうか。


「この身は個体名を直刃という。お前は?」


 するりと赤みがかった茶色い髪に指を通すと、さらさらと柔らかい。その感触に面頬の下の口角を少し弛ませ、直刃は穏やかに問いかける。

 機嫌が良いのか、子供は再びゆらゆらと体を揺らした。耳通りの良い声で、ふわりと浮き上がるように答える。


真木まさき。直刃、真木とも仲良くしてね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る