第8話 未散/伙

 一通りの仕事を終えた未散は、ふうと人知れず息を吐き出す。まだ肩の力は抜けないが、無事に波分家の名代として遣いの仕事をこなすことができたのだから、一安心くらいはしても良いだろう。

 長浜の城主が替わってから、波分家は近江に根付いたその気質をもって新たな主の力となった。羽柴──ひいては織田氏からは援助と庇護を得ているから、相互的に利を得ているとも言える。

 人食い虫が出始める前より、波分家は火種を提供してきた。おおっぴらに術者としてのあれこれを伝える訳にはいかないので、伝統的な技法で作成しているとだけ説明しているが、消えにくく点きやすく、しかし家屋には不思議と燃え広がらない炎は、今でも城の各所で重宝されている。これ以外にも近隣の動向などを情報として提供することがあるが──それは術者よりも甲賀衆に任せた方が確実だ。

 何はともあれ、今日の分は無事に配り終えた。各所への挨拶もその道すがら終わらせたので、あとは個人的な知り合いに顔を見せるくらいである。

 なるべく目立たないよう足音を静めながら、未散は同行者たちを待たせている応接間に歩みを進める。あの三人は大人しくしているだろうか。出発前に言い含めておいたし、城内でもあるのだから、いい子で待っていると信じたい。

 日中ということもあって、城内は穏やかではあるものの賑やかであった。ゆっくり耳を傾けることはできないが、様々な話題が飛び交い、未散の耳元を掠めていく。最近やって来た新入りのこと、長浜に南蛮人が来ているらしいという噂、気になる男子おのこのこと、いずれ安土に建つという信長の居城の話……。


(……平穏だ)


 未だ浮世から戦はなくならない。今もどこかで人が殺されているかもしれない。天下がひとつとなる日がいつ来るのか、少なくとも未散には想像もつかない。

 だが、こうして未散の見聞きしている今は、平和な日常そのものだ。女中たちがさざめき、男たちが手合わせをしている。少し離れたところで、未散とそう年齢の変わらなさそうな少年二人が困り顔で誰かを探しているのが見える。子飼いの者か、新たに仕官した者なのかはわからない。秀吉は有能な若者を積極的に取り立てているというから、彼らもゆくゆくはこの城を、そしてその主を支える存在となるのだろう。

 今日は雲が所々にあるけれど、前にしたものが目映く見えて、未散は思わず目を細めた。この場で日常を過ごす者たちの未来が、少しでも明るくなれば良い──そう祈らずにはいられない。


「──未散」


 知らず、立ち止まっていたらしい。はたと我に返って振り返ると、そこには背の高い美丈夫が立っていた。強い意思を感じさせる眼差しと、凛々しい眉毛がよく目立つ青年だ。

 未散は意識して表示を引き締めず、ふと自然に微笑んだ。顔から力を抜くのは、いつぶりだろうか。


細波さざなみか。久しいな」

「他に誰がいるというのだ。お前こそ、息災のようだな。波分家の名代としての役目、疎かにしていないようで何よりだ」


 腕組みして屹立する青年──細波の口調は尊大そのものだが、そこに嘲りや侮りはない。もともと気位の高い性分なのだ。

 相手の気質を理解している未散は、そんな彼の態度に苦笑をもって返した。細波が説教臭いのはいつものことだ。何事もない証拠とも言える。


「若はどうだ。あれからお変わりないか」

「この俺が付いていながら何かあるとでも? あれならばお前が案じるまでもなく健在だ──やや聞き分けが悪くはなったがな」

「若が? 信じられんな」

「ならば城の者に聞いて回ると良い。健やかなのを良いことに、自由気ままにやっている。最近は手習いから逃げ出してばかりだ。数え事が好かんという」


 おかげで若い衆は毎日かくれんぼさせられているぞ、と細波は肩を竦める。その様子がおかしくて、未散は思わず吹き出しそうになった。

 細波は波分家に連なる者だ。血族でこそないが、未散にとっては数少ない勝手知ったる間柄である。少々口うるさい兄貴分、と形容するのが最も適切なように思える。

 彼にはある役目のため、長浜城に常在してもらっている。最近はなかなか手を焼いているようだが──まあ、何事もないのならそれで良い。むしろ、多少苦労していた方が細波は輝くような気がする。

 応接間に向けて、二人並んで歩く。脚の長い細波だが、当たり前のように未散に歩幅を合わせてくれる。態度は大きいが、配慮のできる男だ。


「──して、人食い虫とやらの調査はどうなのだ。織田の使いとは上手くやれているか?」


 此度の任務に関しては、既に書簡で伝えてある。確実に投げ掛けられると予感していた質問に、未散はあらかじめ用意していた答えで返した。


「進展は……まあ、これからといったところだ。織田の使いは多少あれだが、今のところはちゃんと動いてくれている」

「どんな曲者が来るかと怯えていたお前にしては落ち着いているな。俺の言った通りだろう──外部の者と連携させるのに、協調性のない奴を寄越すことなどないと」

「そうだな。敵味方の区別はできるようだし、少なくとも私ごと巻き込む様子はなさそうだ」

「それは協調性以前の問題だろう!」


 細波の声はよく通る。腹の底から出しているのだろう。

 昨日から突っ込みに回ってばかりだった未散としては、久方ぶりに冗談を言えたような心地だった。胸の空く思いで、冗談だ、と嘯く。


「時々予想外のことはしてくれるが、悪い奴ではなさそうだよ。細波ともうまくやれると思う」

「ふん、この俺に見合うだけのものを持ち合わせていると? 俄には信じられん」

「能力の方は、まだ詳細に把握できていないが……確実に言えるのは、お前と同類ということだ。式神だと言っていた」


 見上げた先にある瞳は、瞬きひとつしない。真っ直ぐに未散を見下ろし、目を逸らす素振りなど微塵も見せずに横を歩いている。

 細波は姿かたちこそ人に寄せているが、その本質は人間ではない。波分家が代々従える怪異──憑き物に似て非なる存在であり、琵琶湖の人魚、その伝承を抽出して創られる。さざなみというのは、使役する怪異の総称だ──使い手によって与えられる文字が異なるため、この怪異は細波という字で書く。

 式神の符の代わりに、言霊使いたる波分家は和歌に怪異を縫い付けるという。その方法は代々の当主と、それに比肩する能力を持つ血族にのみ継承される。他家に明け渡すなど言語道断の、門外不出の秘技なのだ。

 この細波は、前の当主によって喚び出された。普通であれば各当主に一人さざなみを付き従わせ、その死と共にさざなみも琵琶湖に『還される』ものだが──とある事情により、細波は今も現世に顕現している。先代が特別厳しい性格だったという訳ではないが、彼はとにかく生真面目で気位が高い。さざなみは喚び出す者によって性格に差があるというから、皆が皆こういった気質で顕現するということはないだろう。

 何にせよ、細波は自らと似て非なる式神なる存在に興味を持ったらしい。ほう、と口角を上げ、長い指を顎に添える。


「式神か……京の陰陽師どもが使役する鬼神のなり損ないと聞いている。人でなしならば、上位存在たるこの俺が見定めてやらねばな」

「調停を頼む訳ではないが……挨拶くらいはしてやってくれ。変に緊張させるなよ」

「俺を前にして臆せぬ傑物がどれだけいるかな。まあ、怪異と顔を合わせる機会はそうそうない。格下であろうとも容赦はしてやろう。持てる者の配慮というやつだ」


 何だかんだ言ってはいるが、細波は直刃との顔合わせを楽しみにしているようだ。機嫌良く鼻を鳴らして、ところで、と話を変える。


「長浜に南蛮人とやらが滞在しているらしいという話は聞いたか?」

「ああ……若い衆が話していたな。つい先程、小耳に挟んだ」


 やはり話題になっているのかと、未散はぼんやり思う。海の向こうからやって来たという人々が畿内に馴染みつつあることは知っているが、実際にこの目で見たことはない。ことばは違うというけれど、同じ人間だ。恐ろしいと思う気持ちはない。

 そうした気持ちから相槌を打つと、細波は僅かに眉を寄せた。もっと驚くとでも思っていたのだろうか。


「その南蛮人だが、何やらきな臭いようだぞ。人を食らう虫について聞いて回っているらしい」

「人を食らう……って、人食い虫のことか?」

「いかにも。連中は京から来たとぬかしているようだが、人食い虫の出た家を慰問して回りたいなどと宣っているそうだ。生存者がいない状況で慰問とは、おかしな話だと思わないか?」


 正確に言えばあやめと万由がいるのだが、それはつい先日の話。細波の耳には届いていないのだろう。

 南蛮の宣教師たちの中には医学に明るい者もあるようだし、被害者が信徒ならば弔いのひとつでもしてやるかもしれない。しかし、彼らにとってまだ馴染みの薄い近江に来てまで人食い虫に関わろうとするのは、やはり違和感がある。

 彼らが今回の騒動にどれ程関係しているかは置いておいても、考えすぎと断じるのは早計な気がする。未散はうなずいて首肯を示す。


「何にせよ、連中に事情を確かめないことには始まらないだろう。細波、情報提供に感謝する」

「この程度、そこらの人間でも知っていることだが──お前もお前で忙しいのだろうよ。人の身でできることなど、たかが知れているしな。ならばこの細波が助力するのは当然。その謝意、大儀であるとだけ言っておこう」


 相変わらず不遜な態度の細波だが、何を思ったか次いで出た言葉は幾分か気勢が和らぐ。


「故にだな、その……お前は脆弱な人の子なのだ。せっかく俺がいるのだから、少しは強者を頼れ。何のために俺がおかに上がり、二本の脚を得たのか、その意味を成さないようでは本末転倒というものだ」

「お前の主は若だ。私もお前と似たようなもの……だが、気遣いまで無下にはできないな。その助言、ありがたく受け取っておく」

「わかれば良いのだ、わかれば。まあ俺が手を貸そうものなら、手柄は全て俺のものになってしまうからな。多少は遠慮してやらんこともない」


 言い方に問題がない訳ではないが、要するに細波はこちらの身を案じているらしい。何だかんだ気の良い奴なのだ。

 無論、未散とて自分の力量を測り損ねはしない。できる範囲で調査に臨む──今は直刃もいるのだし、織田の援助も得られよう。無茶をするつもりはない──今のところは。

 そうこうしているうちに、二人は応接間の前までたどり着いた。襖に手をかける以前に、中から朗らかな声が聞こえてくる。


「──それじゃあ、直刃は八人も殺したの? すごい、びっくり」

「是。しかしながら、此度の敵は虫によって操られた一般人。満足のゆく手柄とは言い難い」

「どうしたら満足するの?」

「やはり将を討ち取らねば始まらない。合戦に赴くことは少ないが、未だ敵は多い──機会ならばいつでも巡ってこよう。いつか大将首を獲りたいものだ。さすれば、未散も全力で褒めてくれる」


 頭を抱えたい衝動に駆られたが、細波の手前ということもあり未散はぐっと我慢した。なんて話を聞かせているのだ、とか、いつから私はお前に称賛を浴びせる担当となったのだ、とか──言いたいことは山ほどあったが、まずは襖を開けなくては。


「……随分と楽しそうだな」


 威厳のある声を心がけ、未散は両手で勢い良く襖を開ける。遠くに座っていた万由が、びくりと体を揺らした。


「あ……お帰りなさい、波分様。あの、怒っていらっしゃいます……?」

「いや、別に怒っては、」

真木まさき‼ また手習いから逃げ出したようだなッ‼」


 まずは事の次第を尋ねたい──ところだったが、それよりも早く細波が雷を落とした。これにはもとから面食らっていた万由に加えて、呑気に茶を呷っていたあやめまで驚いたようだ。茶が引っ込んだのか、げほげほと咳き込む。

 直刃と、彼の膝に乗っていた子供──真木だけは顔色を変えない。真木に関しては、むー、と不満げに頬を膨らませる始末だ。


「細波、うるさいよ。なんでいつも大きい声出すの」

「怒っているからに決まっているだろう! もとはと言えばお前の怠慢が原因だ! 若い人の子が探し回っているのに、お前と来たら……! それからうるさいとはなんだ、うるさいとは! この細波に対して口の利き方がなっておらんぞ!」

「いや、細波、お前がうる……こほん、賑やかなのは事実だろう。先程火種を届けた先の小姓から、この城に勤める人物の九割九分がお前の声を騒音と受け取っているとの旨を集計した報告書を渡されてだな……」

「何ィっ⁉ 騒音だと⁉」

「とりあえずこれを読んでくれ。若のことは私が見るから」


 放っておいたら延々と抗議し続けかねないので、ひとまず細波には報告書に目を通してもらうこととする。本物の苦情を前にしたら、意思の強い彼にも心変わりがあるかもしれない。

 大音量を発する人物が黙読に集中し始めたので、未散は改めて直刃へと向き直る。彼は動じた様子もなく、喜怒哀楽いずれも映さない瞳でこちらを見上げる。


「その男は知人か」

「知人……まあ、知り合いではある。それよりも直刃、そちらのわ…………子供はどうした」


 普段の癖で若、と呼んでしまいそうなところをぐっと堪える。別に隠す程のことでもないが、公私混同は避けたい。彼の前にいる自分は、あくまでも波分家の名代なのだ。

 直刃は数秒の間を置いてから、ふむ、と思案するような素振りを見せる。しかしそれも一瞬のことで、すぐに遠慮のない眼差しが真っ直ぐに向かってきた。


「先刻、何の前触れもなしに突然訪ってきた。お前の知り合いだと言っていたが故に遊び相手となった」

「そうか……やはり手習いから逃げ出してきたのだな」

「うん。未散に会いたかったから」


 すっかり直刃に気を許したらしい真木は、にこにこしながら悪びれずに言い放つ。この様子だと、脱走は日常茶飯事と見て間違いなさそうだ。細波が気を揉んでいるのもうなずける。

 真木の発言は可愛らしいものだが、ここは年長者としてびしっと言ってやらなければならない。表情を引き締め、未散は真木に目線を合わせる。


「わ……真木。あなたはいずれ波分家の当主となる身なのだ。遊びも大事だが、学問を疎かにしてはいけない。立派な大人になれないぞ」

「だいじょうぶ。未散と細波がいるもの」


 即答され、未散はうっと言葉に詰まる。無償の信頼だとわかるだけに、反論が喉の奥へと引っ込んでしまう。


「大丈夫ではない! いつまでも他者に任せっぱなしなぞ、情けないだけだ! 名誉ある波分家の当主としてそれはならん、絶対にならんッ‼」


 ──が、間髪入れずに横合いから説教が飛んできた。報告書を読み終えたらしい細波である。

 彼はずんずんと長い脚で真木のもとまで近付くと、ひょいとその小さな体を抱き上げた。あー、と真木がゆるい悲鳴を上げる。


「未散、助けて。細波にさらわれる」

「すまないが、私も細波側の人間なのだ。また近々来るから、その時はいっしょに話そう。それまでに手習いを頑張ったら、何か土産を持ってくるから」

「今日はお話しできない?」

「直刃に構ってもらったのだろう? ならばそれで手を打ってくれ」

「む、手討ちか?」

「直刃は座ってろ」


 いちいち物騒な方向に持っていこうとする直刃を押し留め、未散は時間差で厳しい名代の顔を作る。上手くやれているか不安なところもあるが、ここは勢いで乗り切ろう。

 未散の諫言もあってか、不承不承ながらも真木は折れてくれたようだ。非常に腑に落ちないといった顔をして、首を縦に振る。


「……わかった。未散がそう言うなら、ちゃんとする。だから絶対来てね。約束ね」

「勿論。波分の名代として、必ずや果たそう」

「絶対、絶対だよ。破ったらやだからね」


 これはすっぽかせない約束ができてしまった。内心で苦笑しつつ、未散はわかったわかったと念を押す。


「まったく、まだまだ童だな。そういう訳だ、近いうちにまた来い。ではな」


 真木が無抵抗になったことを悟ったのか、細波は手短に別れの言葉を伝えると淀みない足取りで去っていった。大きな背中がみるみるうちに遠くなる。


「あの子供は、波分様の弟さんでいらっしゃるのですか? 仲がよろしいんですね」


 押しの強い細波が見えなくなったところで、万由がこそりと尋ねてくる。本人がいる前では質問しにくかったのだろう。何より口うるさいお付きがついている。


「まあ、そんなところだ。迷惑をかけたのなら代わりに謝罪しよう」

「いえ、そういう訳ではありません。ただ、合点がいきました。次の跡取りが幼年でいらっしゃるから、波分様が名代となっているのですね」


 反感とまではいかないのだろうが、やはり万由は女の身で名代を名乗っていることに疑問を覚えていたようだ。実際のところ、もっと複雑な事情があるのだが──説明すれば長くなるし、万由が知るべきことではない。未散は肩を竦めるだけに留める。


「別になんでもよろしいでしょう。万由様が気にされることではありません」


 すっかり茶請けの菓子をたいらげたあやめが、満足そうな顔をしながらぴしゃりと言い放つ。昨日から何となく察してはいたが、この二人──というよりはあやめ個人──の間にある印象はあまり良くないらしい。万由の立場が立場なので、致し方ないところもあるのだろうが──個人的には、ぎすぎすしないでもらいたい。女同士の対立には慣れていないのだ。

 避難するように直刃を見れば、彼は細波が去っていった方をじっと凝視している。銀の瞳が一瞬きらりと光って見えたのは気のせいだろうか。


「細波か……」


 呟いた言葉はそれだけだったが、関心を抱いているのは明らかである。さすがに万由もいる中で細波の本質を語る訳にはいかないが、同類ということもあって引き合うものがあるのだろうか。

 次に長浜を訪れる時も、平和に終わって欲しいものだ。直刃の戦闘本能が刺激されないことを祈りつつ、未散は一同に移動を促した。

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