第9話 直刃/戮

 式神という身の上ではあるものの、直刃がこの世に人の身を得てから人ならざるものを目にしたことは皆無だった。どれだけ人間が語って伝え広めようとも、直刃の知る範囲では噂話の域を出ない。実際に見たという者もいるにはいたが、この目で確かめなければ鵜呑みにできない直刃からしてみれば、と信ずるに足る一因には到底なり得なかった。

 だからこそ、此度の邂逅は直刃にとって新鮮なものに他ならない。細波といったあの男──姿かたちは人のそれと相違ないが、あれは紛れもなく人ではない。同じく人でなしの直刃の直感が、一目見た時からそう確信していた。

 彼は何者なのだろう。帰路を歩みながら、直刃は思案する。波分家に仕えているようだったが、式神のようには見えなかった。直刃は例外だが、式神とは使役されるもの──術者に手綱を握られているのが平常である。しかし、彼は未散にも、あるいは真木にも縛られている様子はなかった。彼の纏う霊気は、二人の漂わせるいずれのそれとも異なっていた。故に、直刃は細波を独立した存在──自らの意思で波分家に付き従っていると仮定する。

 ひとつ特徴があるとすれば、細波は瞬きをしていなかった。目元も人間のそれと大差ないが、それにしても瞼の開閉がないのは異常である。あれでは、まるで魚だ。


「──まあ、南蛮人が長浜に……それは恐ろしいことですね」


 思案の内にいた直刃は、万由の声で意識を現に戻す。

 彼女の反応からして、今後の流れについて話していたのだろう。怪しげな動きをする南蛮人がいるという話は、未散から聞き及んでいる。その直後に細波について考えを巡らせていたので、途中の会話は流してしまっていた。


日本ひのもとの者とは多少見てくれが異なろうが、相手も同じ人間だ。そう怖がることはない」


 まだ見ぬ南蛮人に対して不安を募らせる万由を安心させるように、未散はそう口にした。血や死体、破壊行動に嫌悪感を示す彼女ではあるが、異邦人に対するおそれはあまりないらしい。

 南蛮人の存在は直刃も聞いたことがある。日本人と比較して肌が極端に白かったり黒かったり、目がぎょろりとしていたり、鼻が天狗のようだったり、とにかく体が大きかったりするらしい。全て伝聞なので誇張も入っているのかもしれないが、それだけ変わった容姿をしているということだろう。

 南蛮人は交易の他に、彼らの信じる神の教えも持ち込むという。主君である信長は外つ国に関心を示しているから、京や堺では南蛮の神──デウスと呼ばれているらしい──を祀る施設を設立することも許されている。安土に居城ができれば、そこにも呼び込むらしいと噂されているのを耳にしたのは記憶に新しい。

 そんな南蛮人は徒党を組んで活動している者がほとんどだが、今回話題に上がった者は独自に行動しているようだ。未散──に伝えて聞かせた細波──によると、聖職者風の男とその護衛らしき日本人の二人で動いているらしく、所属は不明。人食い虫について聞き回り、何かと現場に近付こうとしている──とのことだった。


「それは理解していますけれど……それでも、やはり未知のものは恐ろしいです。話によれば、彼らは人を商品にして、日本人も海の向こうに売り飛ばしてしまうというではないですか。考えるだけでも恐ろしいですし……何より、あやめさんが心配です。彼女は、人商いによって片古家に雇われたんですから……きっと、嫌なことを思い出してしまうかも」


 未散の言葉ひとつで不安は拭えなかったらしく、万由は眉尻を下げながら身震いした。ちらとあやめを一瞥するその眼差しには、憐憫の色が浮かんでいる。

 度々どこかで戦が起こっている世の中としては、人商いなど珍しいものではない。良し悪しはさておき、直刃が肉体を得た時から当たり前のものとして世に在った。商いとして成り立っているならば、少なくとも当世においては需要があるのだろう。

 万由は全てを語らなかったが、短い言葉だけでも未散はある程度のことを察したのか、はっと瞠目した後に下唇を噛んだ。時折見かけるこの仕草は、未散の癖なのだろうか。唇が切れてしまいそうで、血が好きな直刃もさすがに心配になる。


「人商いなど、南蛮人に限ったことではないでしょう。いちいち気にしていてはきりがありません。第一、あたしは南蛮の商人とは何の関係もありませんし、売られたことに強い負い目を持っている訳でもない……恨むとすれば、商人ではなく故郷を荒らした武田の連中の方が道理です。筋違いなことをおっしゃらないでくださる?」


 しかし本人がこの調子なので、悲壮感は全くない。つくづく思うが、あやめは胆力がある。彼女が武家の嫡子として生まれていたら、楽しく功争いができたことだろう。

 武田に故郷を荒らされた──となると、あやめの生まれは東海か、あるいは武田領と接する土地か。どこにしても苦労する土地柄だと思う。


「──という訳で未散さん、あたしのことはお気になさらず。その南蛮人とやらを捜索されるのですよね? せっかくの機会です、あたしも同行します。奴らが人食い虫を広めているなら、即刻息の根を止めてやらねばなりません」

「そ……そうか、心配事がないのなら良いが……。だが、あやめ殿はともかく、万由殿まで連れていくのは申し訳がないな。顔を出す約束もしているし、城で預かっていただくのも、」


 良いだろう、と続けようとしたらしい未散だが、彼女が最後まで言葉を紡ぐことはなかった。その理由は直刃も即座に理解する。

 ──囲まれている。

 一様に面紗で顔を覆った人々が、四人を取り囲んでいる。一人は真白き狩衣を纏っているが、それ以外の者は白丁で揃えている。お世辞にも目立たない出で立ちとは言い難いのに、今の今まで気配すら感じさせなかった──ただ者ではないと、直刃は直感する。


「……何者だ。我々に用があるのなら聞こう」


 華奢な体ながらあやめと万由を守るように立ち、未散が低く問いかける。意識して冷たい声色を作っているように聞こえた。

 これに対して、前に進み出てきたのは狩衣の人物。真っ直ぐに切り揃えた髪の毛は総じて白いが、面紗の奥から発せられた声は存外に若々しい。


「名乗ることは能いませぬ。我々は名を奪われた身。仮の呼称が入り用ならば、そう──土留どどめの衆とでもお呼びなさい。わたくし個人を指したくば、近江風にいちといとでも呼ぶがよろしいでしょう。尤も、長々とお喋りするつもりはございませぬが……」

「既に話が長々しいぞ。目的を言え。通行の邪魔だ」

「嗚呼、気の短いことで……これだから俗人は。では単刀直入に申し上げましょう。そちらの娘を我々に引き渡しなさい」

「え──わたし……?」

 

 つ、と細長い指が動く。その先には、戸惑いをあらわにする万由がいた。

 狩衣の人物──いちといは口調こそ慇懃だが、その言葉の端々にはこちらに対する侮りが垣間見える。友好的とは言い難い雰囲気だ。

 案の定、未散はいちといの言動に不快感を抱いたらしい。眉間の皺を深くして、その指先から万由を隠すように仁王立ちする。


「……万由殿。貴殿は如何される? 奴はああ言っているが」

「い……嫌です。わたしは付いていきたくありません!」

「だ、そうだ。お引き取り願おう」


 一応万由の意見を伺いはしたが、その答えは予想しきっていたのだろう。冷たく言い放ち、未散はいちといを睨み付ける。

 布の奥で、溜め息を吐く気配があった。いちといは肩を竦め、残念なことです、とあまり残念そうでない口振りで応じる。


「大人しく従っていれば、見逃して差し上げることも吝かではありませんでしたが──やはり我々はわかり合えぬ」


 言うなり、いちといは奇妙な動きで両手を組み合わせた。同時に、周囲の白丁たちが一斉に武器を構える。

 戦闘だ。直刃の胸の内が浮わつく。

 しかもただの戦闘ではない。いちといの動きに合わせて、地中から虫──片古の屋敷で見た人食い虫と同様の形状をしている──が、うようよと湧いて出てきた。これには、興味なさげに突っ立っていたあやめの目もきらりと煌めく。


「……貸す。得物を手に入れるまでは使って良い」


 ひりつく空気に面頬の下で口角を上げながら、直刃は手早くあやめの方へ鎧通しを差し出す。組み打ちとなった際に使うものだが、今回の敵は防具らしき装備を身に付けていないので長巻で事足りるだろう。

 あやめはこちらの意図を察したのか、間髪入れずに鎧通しを受け取る。言葉はなかったが、彼女の纏う戦意が一気に膨らんだのを感じた。


「貴様……人食い虫を操るか。これまでの事件も貴様の仕業ではなかろうな」


 険しい声音で問いかける未散に、いちといはどうでしょう、と是非を明らかにしなかった。ゆらりと両腕を広げ、くつくつと喉奥で笑う。


「質問など無意味。あなた方は所詮餌にございます故……己が選択を悔やみながら、我らの糧となられませ」


 いちといの言を皮切りに、白丁と虫が動き出す。どうやら戦闘は避けられない──直刃にとっては、願ってもない展開だ。


「虫は任せた」


 短く言付けて、直刃は地を蹴った。全身に漲る高揚感が、彼を突き動かす動力源となる。

 白丁たちの得物は直刀──当世においてはやや時代遅れな武器である。相手にしたことはないが、だからこそ面白いというもの。真っ先に斬りかかってきた敵の斬撃を受け止め、直刃はにいと口の端を歪める。

 前日の使用人たちに比べれば、技量はある。だが日頃から鍛練の相手をしている同輩たちには及ぶべくもない──力の差は歴然だ。普段の稽古であれば、鍔迫り合いに持ち込んだ瞬間相手の重量が体に響く。今の相手にはそれがない。

 ぐっと両手に力を込める。相手が怯んだ隙を見逃さず、直刃は即座に得物を押し込んだ。肩口から斜めに刀身が食い込み、鮮血が噴き出す。

 鉄錆のにおいが鼻先をつく。命が自らに降りかかっているのだと思うと快かった。味方が負傷しているのを見るよりも、敵を斬って血を浴びる方がずっと良い。

 群がる敵を見渡し、直刃は間を置かずに長巻を振るう。白丁たちの身長や体格は様々なので、一度に複数人の首を刎ねる──などという時短は叶わないが、それでも一人の首が飛んだ。勢いを殺さずに、肩口を負傷して尚斬り付けようとしてくる白丁を刺し殺そう──としたところで、上から降ってくる影がある。


「邪魔しないでくださる? これはあたしの獲物です」


 白丁の背中を踏みつけ、頸に鎧通しを突き立てながら、あやめが睨み付けてくる。どうやら相手を負傷させたのは彼女のようだった。

 直刃の霊気によって身体能力を向上させたあやめは、軽やかな身のこなしで敵の急所を狙う戦術を選んでいるらしい。青白い頬に、凝固しつつある血液が付着している。

 口振りこそ静かだが、あやめの眼差しには隠しきれない苛立ちが浮かんでいた。直刃はうなずき、すぐに別の白丁へと向き直る。技量でこちらが勝るとしても、横取りは無粋だ──下手したらこちらが殺されかねないと、これまでの経験から学んでいる。

 さて、虫は任せると勝手に決めてしまった直刃だが、敵方も律儀に役割分担を守ってくれる訳ではない。白丁たちに加えて、人食い虫がじりじりと近付いてくる。未散が都度焼いてくれるが、全てに行き渡る訳ではない。常なる虫よりも大きさがあるとはいえ、一匹ずつ処理するとなると他の白丁たちの対応が疎かになる。

 どうしたものか、と敵の首をへし折りながら直刃は思案する。しかし長々と思い悩むことはなく、間もなくして首魁と思われるいちといを殺害すれば光明が見えるのではという考えに至った。向かってくる直刀を弾き飛ばし、すぐさま行動に移す。


「どけ」


 眼前に迫る敵を蹴飛ばし、直刃は駆ける。手にしていた長巻を支柱にして、ふわりと跳躍した。

 滞空時間は須臾。然れど、戦況を俯瞰するには十分であった。

 白丁たちを盾のように取り巻かせたいちといが見える。かっと目を見開き、直刃は照準を定めた──狙うは無防備な首。これを落として一番の手柄とする。

 体が落下していく。空中で得物を構え直すと、直刃はいちとい目掛けて急降下する。

 いちといがこちらを顧みた。しかし回避するには接近し過ぎている。構わず直刃は重力に身を任せ、いちといに飛びかかる形で着地した。勢いを殺さずにいちといを押し倒し、直刃は足に体重を乗せる。


「その首級しるし、もらい受ける」


 面頬に隠れた唇が弧を描く。長巻を握っていない方の手で、これから首を掻き切る相手の顔を拝んでやらんと面紗を剥ぎ取った。


「──あ?」


 白銀の眼が見開かれる。笑みを形作っていたはずの唇からこぼれたのは、何とも間の抜けた声。

 現れるかと思われた素顔は、そこにない。否──今しがた捕捉し、押さえ付けていたはずの人体そのものが、ない。

 己の頭上に影がかかる。間一髪のところで、直刃は背後を取った白丁の攻撃を受け止めた。力任せに相手を蹴飛ばすと、柄の部分でこめかみを殴りつける。今はいちといの首に勝るものなどない。


「あなた方ごときのために、このわたくしがわざわざ出向くとでも?」


 いちといの声が聞こえたのは、直刃の真後ろ。

 振り返った直刃の目に、こちらの命を無機質に奪おうと迫る白丁が映る。その後ろには、何事もなかったかのように佇むいちとい。

 まずは白丁の首を切り飛ばす。斬撃を受けて浮き上がった面紗の隙間からそれぞれ飛び出した人食い虫が二匹、首筋に噛み付いた。然れど構わず、直刃は長巻を振るう。刃がいちといの首に食い込む──そう思われた瞬間に、その姿はふっとかき消える。


「嗚呼、わたくしの言葉を理解しておられないご様子。死出のはなむけに、教えて差し上げましょう──わたくしをいくら狙ったところで、徒労に過ぎませぬ。いちといは初めから、実体を持ちませぬが故」


 くすくすくす。笑い声を立てない、忍び笑いが耳元を掠める。

 直刃は歯を食い縛る。血液中を流れる霊気、その濃度を一時的に高める──急激に大量の霊気を摂取した人食い虫が破裂するのがわかった。

 いちといは実体を持たないと言った。ならば今、こうして相対しているのは幻術の類いで編んだ影法師か。

 瞬時に思考を巡らせ、直刃は青筋を立てる。先程打ち据えた白丁が起き上がって再び襲いかかるのを今度こそ斬り捨ててから、悠然と立ついちといに向き直った。


手前てめえ……人にものを頼みに来ておきながら、生身でないとは笑わせる。交渉のこの字も知らぬと見た」

「はて。交渉しに参ったとは、一言も申し上げてはおりませぬ。ただ、あなた方があんまりにも憐れでいらっしゃるから、せめてその矮小な頭でも事の次第を噛み砕けるようにと、馳せ参じた次第。本来ならば、我々のを拒否する権利すらないのですよ」

「ふざけたことを言いやがる」


 知らず、直刃の語気は荒くなる。群がってくる白丁を無造作に斬り捨てて、いちといの影法師へと切っ先を向けた。


「虫を使い、民を食らい、人を侮る。手前は敵だ、殿の害だ。いつまでも、そうして隠れていれば良い。今度はこちらから出向いて、その素っ首を刎ねてやる。せいぜい太り、飾り立てておけ。手前など化粧けわってやることすら煩わしい。首から下は串にでも刺して炭火で焼き、手前の従僕どもが最後に食らう馳走にしてやろう」

「達者なお口をお持ちのことで……その蛮勇、わたくしには到底解し得ぬことです。人の世とは、なんと浅ましい」


 ゆらり。いちといの輪郭がぶれる。


「あなた方がこちらに従わぬことは、端から明らかでございました。わたくしを追いたくば、ご自由にどうぞ。それまで、あなた方が生きていればの話ではございますが……」

「手前の許可なぞ求めていない。虫を操る奏者であれば、それが誰であろうと討ち取るのみ」

「うふふふふ……威勢だけは一丁前でいらっしゃる。強がる前に、現状を直視致しなさいな。皆で仲良く全滅──あなた方にお似合いでございますね」


 嘲笑うと共に、いちといの姿が風景に溶ける。後に残ったのは、未だ行動可能な白丁たちのみ。

 この白丁らは、いちといにとって捨て置いても支障のない手駒なのだろう。ならば手柄としての価値は低い。とてもではないが、何人討ち取ったところで自慢になどならない敵だ。

 いや──今は功の大小を考えている場合ではない。

 直刃はたかる白丁の一人を袈裟懸けに斬ると、未散がいる方向へと視線を向ける。彼女は万由を守りながら虫に対処しているはずだ。遊撃の如く自由に動き回っているあやめよりも、行動は制限される。非戦闘員と思わしき万由を背中にしているから尚更だ。

 未散、と口の中で名を呼ぶ。白丁たちを強引に退かし、やっとのことで彼女の姿を捉えた。


「────」


 息を飲む。それと同時に、直刃は走り出していた。

 やはり自分だけで白丁を捌ききれてはいなかった。何人かが未散に狙いを定め、攻撃に移っている。

 そのうちの一人が、今にも未散に斬りかからんと肉薄しているのが見えた。

 手を伸ばす。間に合うはずがない。二人を隔てる距離は、あまりにも遠い。

 それでも直刃は諦めきれない。理由はわからないが、未散が斬られるのは心底嫌だった。小さな背中で責任を一身に担い、唇を噛んで全て耐え忍ぼうとしているあの少女を、傷付けさせたくはない。

 声にならない叫びを上げる。全身全霊で、未散だけを見据え──直刃はこれ以上ない程の気迫をもって、年若き協力者を助けようと駆けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る